ハザリク市市街戦 2
*
「スハールはよくやった。だが哀れにも生き延びたか」
ユング正師は闇のようなボロ布を頭からかぶり、影そのものとなって戦場を見ている。
ボロ布ではあるが、魔法装具だ。いわゆる「隠れ蓑」というやつである。視覚にも、魔法探知にも(存在が知られて入れば別だが)引っかからない。
――よき闘士、そして良き師でもあるようだな。
ユングはゴッサーダの戦いぶりを、そして彼の従者たちの戦いぶりを見る。
当代最強、と呼ばれる白髪白髯の戦士は当然のこと、若い金髪の剣士もなかなかの腕前、そして白い狐か犬の面をかぶった二人の女剣士も相当の使い手である。
だが、それでも最悪の場合を考えればこの状況は悪くない。
なんといってもゴッサーダに「巨神之戦杵」の真の力を出させていないのだ。それだけでスハールの屈辱は報われたであろう。「千の軍勢に匹敵する」そう呼ばれる戦闘用の魔法装具だが、逆に言えば数十人を相手取るには過剰な能力だということだ。弓と槍の距離の中間。その距離こそが「巨神之戦杵」が真の力を発揮する間合いだ。であるならば間合いをごく近くし、入れ替わり立ち替わる。そうすればいずれ疲労を生む。疲労はミスを生み、生まれたミスは生死を分かつ。衆寡敵せずとはこのことである。
だが。
――動きに迷いがないな。
とユングは判断する。
四人の動きは連携が取れている。よほど訓練している、などというものではない。常に彼我の位置関係を把握している者のそれである。
――魔法使い、か。
依頼主たるファルファッロ卿から口汚くののしられていた少女の魔法使いの件、決して忘れていたわけではない。むしろ主敵として考えていた。
魔法剣士と、跳躍力を強化した魔法装具、そしてうわさに聞く「聖騎士の鎧」を相手取る。
そのうえで武芸百般に通じた姫君と、その侍女たる魔法使い。それが相手だったはずなのだ。
だが、蓋を開ければこのありさまだ。
――とかくこの世はままならぬ。
ユングは影の中でうっそりと笑った。
戦いが、戦いこそが、戦いの中での死こそが唯一にして絶対。それこそが『亡霊騎士団』の信条だ。
だから彼らは殺すし、死ぬ。その二つを二つながらに恐れない。
故にこそフォーダーン最強であり続けてきたのだ。
だからこそ彼は正確に見抜く。
――魔法使いの娘がこの戦の「要」となっているのだな。
影が、石畳の上を滑る。
3
ボクシングの1ラウンドは三分である。
剣道は五分。柔道も(これは種々あるのだが)五分だ。総合格闘技もメジャーどころは五分から十分といったところに落ち着く。これらはすべて経験から導き出された数字だ。ラウンド制ではない初期のボクシングは、双方が顔を腫らしながら時に数時間も素手で延々と殴り合い続けるという、見るも無残な物だった。
つまり、人間が集中を切らさず、全力で動ける時間というのは五分がせいぜいということなのだ。
それを超えて動き続ける。
戦場で、命がけであるから不思議な力が働く、などという都合のよいことはない。むしろその逆で、張り詰めた精神の糸は突然ゆるんだり切れたりする。
どんな強者であろうとも、時間とともにその能力は減少していく。そういうものだ。
しかも一対一ならばまだ膠着した瞬間もある。多対多ならば休憩する瞬間もあるだろう。だが寡対衆となった時、奮戦は途切れなく続く。それは、どうすることもできない現実だ。
ゴッサーダはすでに六人を屠っている。魔法で今すぐ回復させればあるいは助かる人間もいるかもしれないが、何度も言うように亡霊騎士は死者である。戦闘が完全に終息するまで、負傷者は死者と同等に扱われる。
これは恐るべきことである。例えば地上の軍隊においては、「死者は誰の手も煩わせないが、負傷兵は三人の手を埋める」との格言もある。それはフォーダーンでも事態は同じで、有限のリソースであるところの魔法を消費させる存在という意味で、負傷兵は地上世界のそれよりも厄介な存在であるといえよう。
それを完全に無視する。
それはどんな発想に基づいた意志であるのか。
ゴッサーダも正直あきれる思いだ。
だが、あきれるだけ、というわけにもいかない。
なぜならば逆は真ではないからだ。
つまり、ゴッサーダにとって味方が受傷した際に、無視する、という発想はないからだ。
そうだ、今まさに。
戦闘開始から十分が過ぎようとしていた。その時。
集中力が、揺らぐ。
ぷすり。
もろ肌脱ぎの亡霊騎士が籠手から発射した隠し矢が、ラグアの白い太ももに突き刺さる。
「ぐっ!」
「ラグア!」と双子の片割れ、ルギアが白い仮面の下で叫ぶ。痛みはないが、その矢が妹に及ぼした「影響」を、姉は即座に体感した。魔法装具「呪霊刀・八式」は抗魔法の能力のほかに精神感応の魔法も付与されている。
バネ式の隠し矢、威力は大したことはない。大したことはないが、つまりこの矢には威力以外のものが付け足されているとみるべきだろう。
つまりは毒。
二人一組の双子の戦士は、順調に亡霊騎士を斃していた。その数四人。
ゴッサーダの相手をする騎士たちは、かの武芸者を疲れさせることを優先させ、間合いに踏み込まない。それゆえに手傷は追わせられないが、被害も少なくて済んでいる。
それに比べ、しょせんは女と甘く見られた双子は、あにはからんやその鋭い牙で男どもを咬み殺してきたのだ。
そして五人目。
哭く老婆を模した趣味の悪い兜で頭部を覆った、半裸の亡霊騎士は、しかし装甲を肌の上でなく、肉と肉の隙間、内臓を覆う特殊な魔法装具「没甲」に託していたのだ。
結果、ラグアの呪霊刀は心臓を走る動脈に達することなく、逆襲を受けることになってしまった。
「くそが!」
ルギアはとても女らしいとは言えない叫び声で亡霊騎士の首を刎ねる。この部位ならば「没甲」は何の意味もない。
だが、ラグアの様子は危険だ。ルギアは妹に生えている矢を引き抜くと、その鏃を見る。くぼみがあった。毒を乗せておく台ということである。
事態を察したリリナの人工精霊が集まり、「光の箭」で弾幕を張る。その隙にルギアは妹の腿の肉をえぐりとる。しかし毒の効果は依然不明だ。
『撤退してください』
耳元の人工精霊がリリナの声で囁くが、だからと言って「はいそうですか」というわけにはいかない。血の匂いに誘われた鮫さながらに、亡霊騎士たちは彼女たちを狙いに殺到して来る。
ちっ、とルギアは舌を打った。やばい流れだ。
「……私を、放って置いて」
ラグアはもつれる舌でようやっと姉に聞こえる程度の大きさでそう言う。
カッと、姉の顔に朱がさした。
「馬鹿言わないで!あんたを置いていけるわけないでしょ!」
「姉さんまで、死んじゃうよ。……私は、平気。姉さんさえ、生きていたら」
「なに言ってんの!」
姉は妹を肩に担ぐ。妹は、姉のその行為を拒否するほどの活動力もないのだ。
「あんたとあたしで、ゴッサーダ様の子を三人ずつ生む!そう決めたでしょうが!」
ふふ、とラグアは笑った。
「違うよ、三人じゃない、三回生むの。だから全部双子なら六人よ」
「あほか!」
しかし迫りくる亡霊騎士は現実に二人の処女を屠らんと迫り来た。剣が打ち合わされる。一合、二合と自分と全く同体格の人間を背負って、ルギアは奮戦したといえるだろう、だが、敵は一人ではないし、その技倆も決して彼女に引けを取るものですらないのだ。
やがて、必殺の一撃がルギアに襲い来る。
「くうっ」
と苦鳴を上げる。
その一撃を避ける手立てはない。正確には妹の肉体で剣を受けることはできるだろうが、そんなことは死んでも嫌だ!
次の瞬間。
どん、と大きな音が響き、ルギアに迫ってきた亡霊騎士は、彼女の目の前から消えた。その男一人だけではない、近くにいた三人がまったく同時に視界から掻き消えたのだ。
消えた、というのは半分だけの真実である。
その男たちは、圧し潰されていた。
象に踏まれたネズミのように、ぺちゃんこになって。
否、この譬えはあまりにも地上世界に寄りすぎているだろう。
こう言い換えるべきだ。
そうだ、その男たちは潰されていた。
――まるで、巨神の用いる戦杵によって圧し潰されたようだった。
「ゴッサーダ様!」
ルギアは叫ぶ。
*
双子の危機に際して、ゴッサーダ子爵はノーギス・カリオンを彼女たちの援護ではなく、自分のもとへと呼び寄せた。
リリナの援護によって弟子と合流した子爵は、「一呼吸だ」と弟子に言い放つ。
「はい!」
金髪の青年はここを先途と長剣を振るった。
一呼吸。だがその時間は永遠にも似た一瞬だ。左右上下、彼はその一呼吸で四つの傷を負った。だが古いとはいえ鎧の加護はあるもので、戦線離脱するほどではない。なおかつここで彼は亡霊騎士一人の左手首をすら切り落としている。これはこの戦いにおいて、彼が挙げたささやかな、しかし確固たる初めての武勲である。
見事だ。
とは口に出さず、ゴッサーダは自らの代名詞たる魔法装具を励起させた。
「巨神の戦杵」、その真の能力。
およそ直径十メートルの円形に、通常の三千倍ほどの重力がかかる。その重力の杵を受けて、破壊されぬものなど「四神機」を除けば何一つない。八王器であるところの「竜化兵」といえども、損傷を受けずにはすまされない
その攻撃は双子の周囲で立て続けに行われる。
ズン!と腹に響く重々しい音。それは人間がものすごい勢いで石畳に叩き付けられる音だ。単純な比較はできないが、断崖絶壁から落ちる、それと同じ衝撃が身長と同じ高さで行われている、ということになる
「散れ!」
誰が言ったのか、亡霊騎士は退却した。一瞬。ほんの間髪、亡霊騎士団は石畳にぺちゃんこの死にざまを見せて、九名の死者を出した。
流石というべきだろう、その数はゴッサーダの予想よりも少なかった。
だが、これで死者は二十三名。
否、まさに今カリオンが死闘を制し、一人を屠った。これで二十四名。そして縛められ、何もできずに悔し涙を流している少年が一名。
二十五名が戦闘不能である。
圧倒的な強さ、と呼べるだろう。
だがしかし、とゴッサーダは気を抜かない。ラグアの傷も心配であるが、彼の勝利条件は、亡霊騎士団の全滅であり、そして、亡霊騎士団の勝利条件は、そうだ、たった一人、リリナを殺せばそれでいい。あの姫君唯一の股肱の臣。彼女を殺せば、エルメタイン姫の精神はもはや持つまい。そうでなくとも彼女は、彼女の心は真実――ゴッサーダは親友と呼べるかつての主君から聞かされた王女の精神の秘密を思い出し、痛切な顔にならざるを得ない。
フォーダーンにおいてありあらゆる性的少数者は「そういうものだ」として認知されている。もちろん嗜虐殺人者などというほかの法規に引っかかるものは規制されるが、セクシャリティによる差別というものは「へえ、地上世界にはそんなのがあるんだ、訳が分からないね」とお茶の間のテレビを見ながらリリナがアホ臭そうに言い放ったその一言が、フォーダーンの意見を集約しているのだ。
性別や、セクシャリティで区別を受ける場面はほとんどない。もちろん戦闘において筋力の少ない女性は中心にはいないが、それでもラグアやルギアを見ればわかるように、魔法装具や魔法の支えがあれば(それは当然男性でも受け付けられる権利だ)男性と何の変りもなく働ける。
しかし、そんな中でも唯一女性が差別されている職種がある。
西王国の国王だ。
それでも、エルメタインが単なる女性であるのなら話はまだ簡単だった。だが、彼女の心は男性のそれだったのだ。『王の妻になる。』おそらくフォーダーンすべてを探しても、それは、それだけはエルメタインが就くのに最もふさわしくない職業であろう。
ただ一人彼女しか就くことを許されない職業なのに、それをすることは彼女の魂を壊すことなのだ、だとしたら。
ナストランジャ大神も罪なことをなされる。
もちろんゴッサーダは姫君の秘密をただの一人にも(今は亡き彼自身の細君にも、だ)漏らしたことはない。そしてそれゆえに彼の行動は必然複雑なものにならざるを得なかった。
だが、今ここでは難しく考える必要はない。ラグアの命もリリナの能力に、即ち彼女の生死にかかわってくるのだ。
そして同時に気づく。
はっと気づき、臍をかむ。
突出している。
いつの間にか少しずつゴッサーダたちは少しずつ前進していたのだ。
分断という最も単純な策にうまうまと乗ってしまった。だが、これもまた、亡霊騎士団の恐ろしさに他ならない。たった数百メートルのために、たかだか一分かそこら彼らの動きを遅らせるために、二十四名もの犠牲を出して動じないのだ。
なんということか。
4
「ええい!何たる体たらく!もはやほとんど死んでいるじゃあないか!」
ファルファッロ男爵は怒りに震えている。
いいや違うな、と、亡霊騎士団を斡旋した南王国の大使が冷徹に観察をしている。
これは、怒りに見せているが、純粋な恐怖だ、と見切っている。
――だが、それも仕方ないか。
まったく、ファルファッロ男爵の恐怖も仕方がない。
一騎当千、という言葉があるが、亡霊騎士団は一人を止めるのに二十人を要する、と言われる強者ぞろいなのだ。それをものの十分でここまで仕留めるとは。ゴッサーダ卿はさすが当代最強の武芸者といったところか。
眼鏡をかけた若い大使は「しかし、いまだ戦いの趨勢はわかりませんよ」と平熱の口調で男爵に語り掛ける。基本的に鎖国している四王国にあって、外交官といす職掌は様々な苦難に満ちている。「外交官特権」なるものがある地上世界とは違うのだ。味方が絶滅しつつある、などというのは苦難の内にも入らない。
「彼らの目的はあくまでもエルメタイン姫とエンリリナの捕縛もしくは抹殺ですからね。そのどちらかの仕事をしおおせるための犠牲としては、決して過剰ではありません」
「だが、残り五人だぞ!それで何ができる!」
ふむ、と大使はあごに手をやる。
「確かに、払った金銭は三十人分のもの。だが、亡霊騎士団の恐るべきはなにがなんでも依頼を遂行するという執念にあります。さらに言えば騎士と言えば従者もつきものでしょうが、彼らは何をしているのでしょうねえ?」
その口ぶりもまったくの平熱であったから、ファルファッロは毒気を抜かれた形で戦場となっている血と鋼の巷を見やる。
静かだ。
剣戟の音も今はやみ、戦いは別の局面に移ったことを示唆していた。
*
ふうっ、とリリナは息を継いだ。
戦闘状況は一応治まった。だが、ことがこれで終わったとは思えない。第二幕はどうせまたすぐに始まる。
少女は杯の果汁を一口含むと、緊張した面持ちで部屋の外、すべての物音に耳を凝らしている少年の姿を見る。
青白いその顔は、確かにまだあどけない。
だが、初めて見た(正確には初めて見たときは半死半生の状態であったから、一夜明けてから、という意味になるが)時に比べて彼のその表情のなんと強い意志に満ちていることか。
この女を俺は守るのだ。
と、その意思が少年の総身からあふれていた。
ゆっくりと、一つ。魔法の呼吸法で脳の「コリ」をほぐす。
ああ、悪くないな。
リリナはそう思う。
命がけだ。命も奪った。自分もいつ死ぬか。だが、今この瞬間に悔いはない。実際にはもちろん悔いだらけだ、母との確執もそうだし、かわいらしい(であろう)四歳になったばかりの弟は、ほとんど顔も見ていない。
そしてもちろん何よりエルメタイン姫の行く末に関して、自分は絶対に死んでいる場合ではないと強い気持ちを持っている。
だが、
こうやって暗い部屋で、二人っきりで、静かに過ごす。
その一瞬はとても大切な――そこでリリナと悠太の視線が交錯した。
はにかむような悠太の表情に、リリナはどきんと拍動が増えるのを意識する。
そして少女は、今この部屋が暗いことを感謝する。
たぶん今、私はものすごく赤面している。
そう自覚したから。




