ハザリク市市街戦 1
第十四章 「ハザリク市市街戦」
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「やはりやはり、ゴッサーダめ、エルメタインと気脈を通じておったか、おのれ許さぬぞ!」
ファルファッロ男爵は秀でた額を怒りで真っ赤にしている。
この怒りは故なきものでもない。確かにゴッサーダは彼の計画を狂わせたのである。もちろんその計画が正義にもとるものかそうでないかは、この際問題ではない
「ええい、だが物は考えようよ。今ここで彼奴らを皆殺しにすれば後顧の憂いもなくなるというもの」熟したトマトみたいになった男爵は、あまり品が良いとは言えない笑顔未満の表情をその面に浮かべた。
なんといっても高価な買い物であったのだ『亡霊騎士団』三十騎というものは。
魔法装具を一人二つ以上装備し、精強無比。そのうえで命を惜しまず、名誉などなお求めず、ただ依頼をこなす存在。
ファルファッロ男爵の私兵は総数で百名あまり、正直あの憎き小娘一人に皆殺しにされかねない。領民たちを徴収するわけにもいかないし、西王国国軍を動かす権も(今はまだ、ではあるが)彼にはない。
であるならば、この「地上帰り」の子孫たちで作られた卑しき傭兵団を用いるのが最善であろう、と「英雄宰相」バタフリンは彼に親書を宛てたのだ。
痛い出費(それは彼の一年分の総収入に匹敵した)ではあったが、それだけのことはあった。バタフリンが(そしていま彼の隣にいる、西王国の大使が)念を押したように、ケチらなくて正解であったろう。
なにせ敵はあのゴッサーダとなったのだから。
つい十分前までは過剰な買い物であったと後悔していたファルファッロであったが、まさに現金なもので、この守銭奴は、困難な状況を費用対効果で見ているのだ。
黒一色の板金鎧で全身を堅く守った男爵は、侍卒から兜を受け取ると、その緒をあごの下で留めた。
「ゴッサーダ子爵よ!何ゆえ逆賊に与するか!」
意外なほどの大音声が矮躯から発せられる。
二階の窓から軽やかに街路へと降り立った達人は、カリオン青年から『巨神之戦杵』を受け取ると、その覆いを外す。いくつもの傷のある、木製の黒い竪杵がその姿を見せる。
「逆賊とは異なことを! 私は姫君にも正当な釈明の機会を与えるべきとの考え、それだけだ!」
「ふざけたことをぬかすな!」
ふふ、とゴッサーダは笑う。この件に関しては、確かにふざけているのは自分だとの自覚もある。
「まあ良い、どのみち貴公も死ぬし、姫君も、魔女も死ぬのだ」ファルファッロ男爵には地上世界から来た男どものことなどもはや眼中にはない。
街路には今や人っ子一人いない。扉を閉ざし、窓を閉じ、鎧戸があればそこも閉め、このただならぬやり取りを、息をひそめて注視しているのみだ。
「貴公らを誅殺する! 正義が奈辺にあるか、ナストランジャ大神もご照覧あれ!」
男爵は右手を挙げ、それを振り下げた。
「吶喊!」
哄!
と『亡霊騎士団』の一群が鬨の声を挙げて殺到する。羚羊馬、騎鶏、に跨った兵たちはそれぞれ剣、槍、様々な鉾、を掲げ必殺の意思を示した。
その背後から、黒い線が走る。
その数およそ五十。
矢だ。
矢は明らかに異常な軌跡を描き、あるものは急角度で曲がり、あるものは稲妻のようにジグザグに走り、亡霊騎士を避けると、一点に集中する。
ゴッサーダのもとへ。
魔法の矢だ。半分ほどは自動追尾をさえするであろう。武芸者はしかし一切動かなかった。
ぴたり、と矢が中空に止まる。ゴッサーダをヤマアラシのごとくしようとした矢は、ある種の障壁によってそれを阻まれたのだ。
魔法の力場。
リリナの魔法である。
見事なものであった。だが、
「それは承知の上!」
叫んで一人の少年が一騎駆けをしてきた。
ゴッサーダは『巨神之戦杵』を一閃させ、矢を破壊すると、先行する敵の顔を見た。
「子供だな」
ぼそりとつぶやく。
リリナとほぼ同じほどの年恰好だった、だが、彼女は超一流の魔法使いである。年齢によって相手の実力を計る愚を犯すわけにはいかない。
ゴッサーダは自らの得物を持ち上げ、迎撃の姿勢をとる。
*
リリナはそれら凡てを見ていた。
人口精霊二十体。急ごしらえであるが、見て、聞けて、しゃべれる。
ゴッサーダたち四人に一体ずつ、そして残りを上空に位置して、戦場を俯瞰で見ている。
だからこそ魔法の弓矢を使う亡霊騎士を見てとった瞬間に、魔法障壁を張り巡らせていたのだ。
寝台の上で結跏趺坐とあぐらの中間ほどの座り方をして、その周囲には白い魔法円が幾重にも張り巡らされている。それらの魔法円は「キリキリ」という音を発しそうな(当然無音ではある)動きで何事かを魔法使いの少女に伝えているようだった。
それを悠太は視界の端に認めて、部屋の隅に立っている。耳は外の叫喚を、肌は扉の外側に神経をとがらせて、だ。
それにしても、と少年は場違いにもしみじみ思う。
カーテンを閉め、薄暗い部屋の中、魔法円の光に照らされているリリナの綺麗なことと言ったら!
少年はつい見とれそうになるのを何とか押さえつけ、もう一度集中せよ、とおのれを叱咤する。
さて、フォーダーンにおける戦争の基本とは、まず超長距離の魔法攻撃があり、次いで長距離の飛び道具による兵たちの戦闘が始まり、軍同士の距離が縮まる中距離にいたって騎兵による槍突撃が行われ、そして歩兵同士の激突が最後に行われる。ここまではほとんど双方呼吸を合わせて行われる。
ただ、このやり方に従えば、強力な魔法使いが一方にのみ存在した場合、最初の一撃で勝負は決まってしまうことになる。だが、まずそうはならない。
攻城用であるのならばともかく、およそ百人以上の人間を一度に殺せる魔法は多々あれど、それらを戦場で人間相手に使用することは魔法協会でも、国際条約でも禁止されているからだ。実際兵の損耗率が三割になることなどほとんどないし、どちらが負けるのか、陣を敷いた時点でほとんどもう決まっているから、あとは敗者が面子を失わないように、勝者側が気を遣うというほどである。
すべてが「ほどほど」、それがフォーダーンにおける戦争なのである。
だが、今日戦う相手はそうではない。傭兵相手にどれほど強大な魔法を用いようとも違法ではない。
ではないが、現実問題として、機動力の高い騎兵で、その上、魔法使いではないとはいえ、対魔法戦に長けている集団が相手ともなると、よほど強力な魔法でなければ一撃で終わらせるなどということはできない。
それでもリリナの調子が完璧ならば、まとまったところを一撃で、ということも可能であっただろう。少なくともゴッサーダと連携がとれれば不可能ではない。
そう、そこのところだ。普段の七割の能力とはいっても、それは七割の出力しか出せないというわけではない。彼女が出せる最大の破壊魔法は今ここでも発顕させえる。時間さえあればこの都市の四分の一ほどを吹き飛ばす能力はある。
だが、微調整が効かない。
「七割」の意味は、調整が七割にまで落ちている、ということなのだ。
これは恐ろしい。三割の確率でヘマをする大量破壊兵器、とそう考えた時、その兵器を使用できる人間はいないだろう。 そしてそのレベルの魔法を使えば、物的、人的被害がどれほどでるのか、正直そら恐ろしいほどだ。
少女が完璧にコントロールできる魔法。という意味では、今やその種類は半数以下にまで落ち込んでいる。
しかしそうであってもなお。
リリナが一流の魔法使いであることに変わりはない。
「光の箭を」
少女は魔法の若枝を一振りする。
緑色にぼんやりと光る人工精霊は、昼日中にあってはほとんど視認できない。生後半年ほどの赤子に最もよく似ている人工精霊の半数が、腹部にきゅうっと光が集めると、そこからオレンジ色の光を吐き出す。
かつて少女が羽生秋人と事を構えた際に使った、爪から出した熱線と同じものである。
もちろんすべての人工精霊が熱戦を発射できる能力を有してはいるが、石造りの家屋ですら易々と貫く高温の光は無関係な者を巻き込まないように、入射角を厳密に計算したうえで、無理のない範囲で照射しているのだ。
そしてその計算は、人工精霊がしている。そのための精霊である。
亡霊騎士の弓兵にとっては実に災厄であった。
対魔法の魔法道具を所持していても、リリナの魔法には抗しきれなかった。四人全員が熱戦の直撃を受けた。
熱線は一人の男を乗っている羚羊馬ごと両断した。貫かれただけでも、周囲直径五センチは炭化し、腹であったら内臓丸ごと、腕であったらかすめただけでも腕一本が熱変性、つまり「焼きあがる」。
当たったらその瞬間に戦線離脱ということだ。
四人中三人までが即死、そして右ひざを撃ち抜かれた一名は石畳にしたたか身を打ち付けた。受け身もできない。右足がそのほとんどの機能を失っているからだ。
少女の眉はほんの少し、そう、髪の毛の太さほどしかめられた。
死んだ。殺した。
だが、これはほんの始まりに過ぎない。
この戦いにおける「死」の口火を切ったに過ぎなかった。
2
ゴッサーダは空中に留まる矢を叩き折った。通常の矢であれば一度止まればそれきりだが、魔法の矢であればその限りではない。用心しておくのにしくはなかった。
そしてその通常では無駄な一動作の隙に。
「ゴッサーダアアアアアァ!」
美少年、スハールが満腔の気迫を込めて長剣をゴッサーダに叩き付ける。
騎乗から徒歩への一撃。羚羊馬の運動エネルギーと、高さによる位置エネルギーの差で、それは生身の人間には受け止めえない重さと鋭さを持っていた。
通常ならば。
ゴッサーダは「ほう」とその戦士の並々ならぬ腕前に感心してから、戦杵で剣を逸らし、その動きのまま羚羊馬の脚を二本、叩き折る。
哀れな羚羊馬はその衝撃に血を吐いて即死したが、しかし騎上のスハールはそれすらも計算の内と、鞍を蹴って飛び上がる。
その両腕の中指に一本の紐。
腰のポーチから「何か」が飛び出してきた。
手の中に納まるほどの金属製の鼓。
その胴体中央部に紐がかかっている。地上世界のおもちゃであるヨーヨー型の魔法装具であった。
「雷鼓」
スハールは声に出さずその魔法装具の名を呼ぶ。
両腕の軽やかな動きによって「雷鼓」は恐るべき速度で滑空し、左右から弧を描いてゴッサーダへと殺到する。
長大な刃物二振りと同じ攻撃方法であった。この紐に触れた者は超高電圧によって感電する。
感電といっても、その被害は致死性が高い。接触面はアーク放電により瞬間的に高温となり,シダの葉状に火傷を生じさせ,衣服などに着火して広範囲に火傷をきたす。もちろん所有者の意思と指先によって回転する本体は自由に動き、紐の長さは最大で二〇〇メートルにもなる。
それらの性能を知るはずもないが、ゴッサーダは的確な対応をとった。
戦杵を用いてその紐をからませたのだ。
ぶん!
と風を引き裂いて幾重にも紐が「巨神之戦杵」からまる。次の瞬間、巨獣でも一秒と持たぬ必殺の電流が流れる。
だが、そのさらに一刹那前に。
ゴッサーダの手は未練なく戦杵を離すと、腰の片手剣を抜き放ち、スハールへと刃を走らせる。
フッ!
息を思いきり吐き、スハールはそこで「雷鼓」を用いて、空中で軌道を変えた。そしてこちらも思い切りよく魔法装具を捨て去って自由を手に入れると、達人の片手剣を辛くもかいくぐる。そのかいくぐった動きと速度を生かしたまま、腰をひねって頭部へ左足を蹴りだす。
空中で何度体を入れ替えたであろうか。人にできることではない。
そしてその神速の蹴りがゴッサーダに迫る。
しかし白髪白髯の武人にその攻撃はいささか単調であった。
余裕をもって後方に身を反らして躱した――かに見えたその時!
スハールの脚が脛の分伸びた。
否、伸びたのではない。だがそれは同じことだろう。脛に隠してあった隠し剣が飛び出てきたのである。
その長さはちょうどゴッサーダが避けた分だけ。
――とった!
魔法の弓矢も、大剣での一撃も、「雷鼓」を用いた奇襲も、すべてがこの一瞬の勝機を得るための布石であった。
いかに「巨神之戦杵」を無力化し、いかに剣の間合いを潰して、その上で想定外の一撃を放つか。
むろんスハール少年とて一切の策なくしてゴッサーダを討ち取れるとは思っていなかった。だが、この一連の動きがあれば、彼の鋭い脚と、さらに鋭い刃はこの男の首に届く!
*
――そうか。
とゴッサーダは気づく。正確にはもちろん言語化するような余裕などないが、気づいたことをあえて語ればこのようになる。
――この蹴りの冴え、この男は「自在なるフサイアン」の弟子筋か。
かつて自分が殺した男の執念が、この少年の身に宿り、彼を冥府へ連れゆかんと、手招きするようであった。
*
しかし。
ゴッサーダの動きはなおその上を行った。
見えない位置からの蹴り、そして想定していない隠し武器の一撃を、なおこの武芸者は「読み」切ったのだ。
身を躱す、という行為はすでにこの男にしてみれば「攻撃」に他ならない。何が起こるかわからない戦場にあって、ただ避けるなどという行為は死亡時刻を一秒か二秒伸ばす程度の行為にしかならないからだ。
ぶん、とゴッサーダは片手剣を持っていない左手を振るった。
その手には革紐が一本握られている。
その先は、スハールの右足首。
どっ!
スハールは背に受ける衝撃をもってその現実を受け止めた。いつの間に、あの一刹那で、この男は自分の脚に紐をからめたのだ?
格が、ケタが違う。
彼の小細工などものともせず。魔法の道具などではなく、ただの革紐一本で。少年の攻撃は封ぜられたのだ。
くん、と紐は生き物のように動くと、スハールの首を、肩を、腕を、あっという間もなく縛める。
すっかり「梱包」されたスハールは文字通り手も足も出ずに地面に転がされる。
その端正な顔は屈辱に歪み、血の気が引いて紙のようだ。
「お前は若い。フサイアンの技を継ぐ者よ、もう少し腕を上げて出直してくるのだな」
ゴッサーダはそう言いたかったのかもしれない。
しかし亡霊騎士たちが殺到し、そのさばきに忙しいゴッサーダは当然そんな言葉をかける余裕などない。
血煙と叫喚、剣と槍と魔法装具が舞う戦場をにらみ、ただスハールは悔し涙を流すのみだった。




