旅路の果て 3
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秋人は視た。
*
私は男勝りだとよく言われてきました。それは全く正しい意見です。
カガンデラ村での楽しい休暇の時も、女の子たちと花かんむりを編んだりするよりも、男の子たちと野山を駆けまわる方がよっぽど好きでした。
もちろん、幼い子供というものはそういうものですし、そのことをもって私のことをどうこう言う人はいませんでしたけれど。
ええ、大人が求めるいい子供であることを偽装するなど、まったくもってたやすいことでした。
でも、ある日。そうです。私が十二の時、同じ年のミツセとお風呂に入った時のことです。彼女もまたお転婆と呼ばれる種に属していましたから、必然最も仲の良い友でありました。
そんな友達と一緒にお風呂に入った時、私ははっと気づきます。
この、白くてぽっちゃりとした私の親友が女として成熟しつつあるということを。
膨らみかけの乳房、生え始めた陰毛、脂肪のつき方も子供ではなく、女としてのそれに変わりつつあるということを。
私はその時初めて猛然とした肉欲を覚えました。
その翌日、恥知らずにも、彼女の無知と、王女としての権威をもって、友の肉体を蹂躙したのです。
いえ、そうですね。もちろんはたから見れば、そしてミツセ自身にしてもちょっと質の悪い「おふざけ」でしかなかったでしょう。お医者さんごっこ、なるほど、地上世界にはそういう物言いもあるのですか。そうです、そのようなものです。そういうことが幼いうちはある、と。大人になってしまえば軽く笑って済ませるでしょう。
でも、違います。
誓って私は、私は狡猾な意志をもって私の友達を玩弄んだのです。
そうです、誰にもそそのかされず、自らの手で悪をなした。そのことは受け入れねばなりません。
私は己の心根を恐れました。
そして、村を訪れなくなったのです。
ええ、もちろんそうです。同性愛も異性愛も恥ずべきことではありません。しかしそれとこれとは厳然として別のことです。――私は欲望に負けた、愚か者なのです。
それでも、あるいはそれ故にかもしれませんね。私は勉学にも武芸にも励みました。王立学校では主席を取りましたし、そうだ、ゴッサーダ子爵にも覚えが良いと褒められたのですよ。まあ今となってはそれも『戦乙女』の血の故なのだと思えば虚しいものですが。
そうして、いい子として、多くの人に褒められる存在であろうと、そうなろうと、私は自分をそのように規定してきました。そして事実出来てきたのです。
――あの娘に、リリナに会うまでは。
気づいていた?
まったく、あなたは油断のならない人ですね。
隠せるものではない、ですか。……ですね。
そうです。
私はエンリリナを一人の女性として愛しているのです。
だから、ええそうです。もちろんそうですとも。あの日、彼女を一人で地上世界に赴かせたのもそういうわけです。
私はリリナさえ助かればそれでよかったんです。地上世界がそんなにひどい所ではないなどとは、常識があればわかりますからね。
それにあの子は強くて賢い。だから心配はしていませんでした。
でもねえ、まさか本当に、帝国の血筋に連なるあなたを連れてくるなんてねえ。
本当に、あの子は有能です、有能すぎて……。
*
秋人は、目をそらすことが原理的に出来ないことを恨みに思う。
*
それでも、貴方がたとの旅は楽しかったです。それは嘘ではありません。
……はい、それはもう。シュンスケ様の気持ちはわかっていました。けれども、どうすることも出来ないのです。
私は、単に性愛の対象が同性というわけではどうもないようです。そう、私の精神は男なんだと思います。
いえ、違いますよ。無理して女の格好をしているわけではありません。
体は女で心は男、ただし女の格好をするが好きな男です。
ややこしい話ですが、そういうことです。
華やかで女らしい格好をすればリリナにも褒められますしね。彼女はどちらかと言えば男嫌いであったことも影響なしとはいえません。
いえ、男嫌いと言ってもそれはあのくらいの齢の女の子にはよくあることですよ。
――意地悪ですね。……いえ、わかっています。貴方のおっしゃるとおり、そういう意味では完全に私の策は裏目に出たとしか言いようがありません。
そうです、失恋です。
リリナは、私に首ったけだった私のかわいい侍女は、年下の少年への恋心を育んでいました。
そして花開くように美しくなっていくのを間近で見せつけられるのですから、あれほど甘美な拷問があるでしょうか。
ねえ、私は何もかも持っていると人に言われてきました。
でも、本当は何一つ持っていない。
何一つ本当に欲しいものは持っていないんです。
「それはしかし」
秋人は声に出して問う。
「貴方が何も欲しなかったからでは?」
*
そうだ、俺は何も欲しくはない。
水と、食い物と、そうだな、あとはエロ本でもあれば事足りる。
そういう存在だと自身を規定して生きてきた。
「つまらなくはありませんの?」
いやそれはそうだけれどさ、そうでもしないと心が保たない。
殺し屋という仕事は。
「厭なら辞めれば良かったのでは?」
それを言われると辛いなあ。
そうだな、そもそもそんなに嫌でもなかったんだよ。
もっと言うと慣れてくる、ってところもあったしね。
それに戦いはそれだけでもアドレナリンがカッと出て、わりとなんというか――、楽しい。うーん、ちょっと違うなあ。楽しいというのは違う。
人殺しは苦しい。
その日は酒でも飲まなきゃ眠れないくらいさ。
だけど、そうだな。
その瞬間は、濃密なんだよ。
濃密で、それ以外の人生が薄く、無意味に思えるほどにさ。
拳銃が、火を噴く。そんで俺も銃を打つ。あるいは刃物で斬りつける。
そして相手は死んで、俺は生き残る。
悪くないよ。
生き残るのは悪く無い。
それで俺が何かをなす、ってこともないし。そいつが死んだ結果世界が良くなるってわけでもないのが辛いところだけどさ。
いや、結局誰が死んだって、誰が生きたってあんまり関係ないじゃない。一人の死が世界を変える、ってことはままあるのかもしれないけど、たとえこの世で一番偉いやつだって、そいつ一人が死んだくらいじゃ世界は回っていくよ。
まあ、第二次世界大戦で六千万人死んでも、もちろんそれ以前と地上世界の様相は変わったにせよ、人間自体はあんまり関係なかったからなあ。数の問題でもないか。
人はあいも変わらず間違えまくっている。
そりゃあ世界が良くなっているってのは知っているよ。もちろん何をもって「良い」と判断するのかはちょっと考えなきゃならないことだけどさ、それでも少なくとも「人の死」が減ってきている、それも劇的に減ってきているってことは決して悪いコトじゃあない。
でもそれって、結局組織として、システムとして「そうならないようにしよう」と多くの人が頑張った結果であってさ、人間という種がどうにかなったわけでもない。
よく言われるみたいに、大量虐殺をするのに必要なのは殺意とか悪意とかじゃあなくて、純粋に能力の問題だよ、システマチックに問題を解決する力。
この力が上がったことは間違いないけどさ、だから俺が言いたいのは、逆方向を向いたら、今までにないくらいの悲惨な出来事が起こるんじゃないのかい?ってことだよ。ナチスによる絶滅収容所が恐ろしいのはそこのところだ。あそこでは人の「美点」が人を消失させるという一転に結集していたからこそ、人は怖いんだ。軍事学なんかでも言うじゃない。「意図ではなく能力に備えよ」ってさ。
「悲観主義者なんですね」
はは、まあ笑っちゃうよな。
うん、そうさ、俺は間違うのが怖いんだ。
いや、もちろん「ヘマ」って言われる程度の失敗はそれこそ屁でもないけどよ。
間違って、その上で結果が「取りきれない」場合にさ、俺は何も出来ないじゃないか。だったら無為に生きて、無為に死んだ方がよっぽどマシさ。
たまに心がヒリヒリと火傷するような「戦場」に身を置けば、それでまんざら悪くもない。
「だから?」
――そうだな。
『だから私たちは、何も選ばなかった』
*
気づけば、二人は石造りの部屋の中にいた。
霊廟に戻ったのか?
とも思ったが、それにしては空気が吸いやすい。地上と同じ気圧だ。
そうなれば、と秋人が首を回すまでもなく、頭の少し上にそれはいた。
小さな四肢と翼を備えた鱗を持つ者たちの王。
火焔竜ユーソード、その分霊体である。
巨躯たる本体は悠々と遥か高空を飛んでいる。そうだ、天井は存在しない。
それを見はるかした秋人は足元を見た。
石造りの床。その下には何もない。小部屋が一つ、中空にぽつんと浮かんでいるのみだ。
未だここは「天空の涯」、竜の領域である。
ユーソードの分霊体たるチビ竜は楽しそうに語りかける。
「うん、なかなか楽しかったよ。君たちの中身について、良く分かった」
秋人は、そしてエルメタインも「微妙」としか表現し得ない顔を作る。
嘘はない。腹蔵なく話す、などとも違う。彼らは肉体を捨て、そして思考する主体となって語り合ったのだ。
言葉の重み一つ一つが違う。幾つもの意味を内封し、その上での語り合い、ものの五分とかからなかった会話ではあったが、今までの旅路、およそ二週間よりも濃く二人は互いを理解し合えていた。
意識が交じり合った、そう言っても大きく間違ってはいない。
それは少しどころではなく恥ずかしい話ではあったが。だが、その体験は二人の関係性を少し変えたのだろう。
……二つの魂は、あるいは何かを得たのかもしれない。
「もちろんさあ、本当は僕と対話するって形なんだぜ。だけど面白そうだったから、君らに会話させてみた、僕はそれを立ち聞きさせて貰ったってとこだけど。まあ、いいんじゃないの」
気のない口調に、秋人は内容を理解するまで数瞬を要した。
「それは、つまり……」
「合格、ってこと」
ははは。
と乾いた笑い声が出る。
床に座り込みたい気分だった。
あんまりにも軽い物言いだったからだ。
ふと横を見れば、エルメタイン姫もぽかんとした顔だ。身に沁みていない様子であった。
竜は笑う。
「ま、そもそもここに来た時点で、だいたい合格者なのさ。そのうえで、とんでもない危険思想の持ち主かそうでないかだけ見抜けばそれでいい。羽生秋人はそうではなかった。この世界を壊すような精神を持ちあわせてはいない。ってことで合格でーす!さあ、山を降りて……降りて、どうするの?」
三人(二人と一頭?)は顔を見合わせた。
帝国がなくなってすでに三百年強。今このまま山を降りて行っても、状況は何も変わるまい。
「まいったねえ」
「いや、参ったねえじゃないっての!なんつーか、こう、王のシンボル的なものっていうか、身も蓋もなく言えば、なんかすごいお宝を出すとかしてくれよ!」
「お宝?」
「すげえ魔法装具とかだよ!」
チビ竜は「なるほど納得」といった顔を作ると、一切の予備動作無しで光の魔法陣を周囲に展開する。隠し持っていた幾何柄のカーテンを広げるかのようだった。でたらめなまでの瞬間的魔法発現。
魔法に造詣が深ければ深いほど目をむいたことだろう。
「しょうがない、僕の収集品をあげよう。正直『地上世界の人間』の脳を精査したのは久しぶりだからね。なかなか興味深かった、そのお礼さ」
なんとも言えない表情で秋人は右側頭部を掻く。
この頭蓋骨の下に埋まっている脳を全部『見られた』とすれば、とんでもないプライバシーの侵害だ。しかしその自覚も、なにより現実感もない。やれやれ、と男は首を振った。
振ったと同時だ。またもやなんの違和感もなしに目の前の景色が変化していた。魔法なのだから当然だが、瞬間移動と言うのはまさに常識の範囲外にある。目眩を覚えずに入られない。
「人体への影響はないはずだけどねえ」
竜は面白そうに言った。
それから更に楽しそうに男女の周りを舞い飛ぶ。
「ここが僕の収納庫さ。まあ、ちょっと手狭だけど、このくらいがちょうどいいよ」
手狭、の意味を履き違えているのではないか、と秋人は思う。
本日何度目の衝撃だったろうか。
洞窟だ。
足元、壁には気泡が開いたざらついた岩で出来ている。溶岩だ。
広いなどというものではない。サッカーコートが三面は開けるであろう。
そしてそこに整然と並ぶのは!
「ゼロ戦だよ」
秋人は思わず口に出した。それも当然であろう。日本人の元オトコノコならばその形を見間違えるわけもない。零式艦上戦闘機、通称ゼロ戦の、ピカピカの姿がそこにはあった。
「紫電改と烈風もあるよ」
竜の声は心なしか誇らしげだ。
秋人はスゲースゲーと言いながらためすつがめすゼロ戦を見ている。ホコリひとつ落ちていない、真新しい鉄の臭いがする。
「これは、レプリカ?」
「まさか」
竜は落ち着いて笑う。
これが魔法ということか、どのような手段か、『本物』をここに保管してあるのだ。
もちろん、一望しただけで日本の戦闘機だけではない事がわかる。
アメリカのP38ライトニングが独特の三胴式の巨体も晴れやかに鎮座ましましている。空飛ぶ要塞、B29の巨体は未だに見るものを圧倒するし、こちらに見えるのは古めかしい複葉機、あちらに見えるのは流線型のシルエットも鋭いジェット機、F15イーグル。そのライバルであるフィッシュヘッドも獰猛なミグ21が仲良く隣同士で並んでいる。
「最近ラプターも鹵獲したんだよねえ。すっごくすばしっこいから苦労したよお」
嬉しそうに言う火焔竜の声は、ノコギリクワガタを捕まえて誇らしげな小学生のようだった(ちなみにラプター一機の値段は一億四千万米ドルである)。
「パイロットは?」
嫌な予感がしたが、結局「記憶をいじくってほっぽっといたよ。殺してないから、大丈夫だって」とのことだ。
それはあまり大丈夫とはいえないな、と不幸なパイロットについて思いを馳せるが、古今の戦闘機を見るのに忙しくて、そんな感慨はすぐに消え去る。
「凄いものですねえ」
エルメタイン姫が素直な賛嘆の声を上げる。
地上世界の人間とて、これほどのコレクションを一度に見た者はいないだろう。竜は財宝を蔵している、とはおとぎ話によく言われることだが、これは本当の意味で金銀財宝よりも価値がある。
「ま、大したことないよ」
とチビ竜はコレクターの常で謙遜という名の自慢に鼻をふくらませる。確かに、このコレクションは凄いラインナップである。
だが、とはたと秋人は気づいた。
これでどうなるのか、と。
「もちろん本当に見せたいのはこれじゃあないんだな」
してみるとこれは本当にただ自慢したかっただけなのか?
人間のオスメスは顔を見合わせると苦笑する。
「こっちだよ」
チビ竜は目の前をパタパタとお飾りのような(というよりこの翼面積では500グラムも浮力は生じないであろう、明らかな魔法であった)翼をはばたかせて二人を先導する。
溶岩洞は俗に溶岩トンネルとも言われる。溶岩ガスが抜けた跡だからだが、それ故に大きさは数メートルのオーダーだ。この洞窟のように幅五〇メートル、高さ二〇メートルというのは地上世界ではまずありえない巨大さである。
あるいはこれもまた天然自然のものではないのかもしれない。
――まるで蟻の巣だな。
五分ほども歩いただろうか、秋人がそのような感想を漏らし始める頃、ようやっと竜は「ここだここだ」と言って角を曲がった。
やれやれ、と思う間もなく、折れ曲がった先に開けた空間、その先に光り輝く四機の「それ」を見て、秋人とエルメタインは絶句した。
広さは先の大空間の半分ほどもない。だが、そこにあるものの美しさは群を抜いていた。
光っている。
文字通りだ。それ自体が柔らかく発光している。
飛行機、であることは多分間違いがない。だがあるいはそれは見て楽しむオブジェなのかもしれないとも思えるほどに有機的で美しい、ある種官能的とも言える柔らかく無駄のないラインで形作られていた。
四機の大きさはそれほど差がない。十五メートル前後といったところだ。
白磁のようにとろりと輝く機体は溌剌たる乙女のように。
鏡のような銀の機体は堂々たる鎧を纏った甲虫のごとく。
半透明な鮮紅色の機体は優美な巨鳥を思わせ。
黄金色のほっそりとした機体は悠々と静かな湖水を泳ぐ大魚にも似る。
傍らのエルメタインが固唾をのむ音が秋人の耳に届いた。
「これは……」
姫君は知っている。
もちろん見たことはない。だが、絵巻物で、お話しで、母からの寝物語で、もちろん学術的な論文でも。
フォーダーンに住む、「かっこいいもの」が好きな人間ならだれだって知っている。
「四神機」
姫君は頬を紅潮させてそうつぶやく。
四神機。それは、帝国期の皇帝にのみ使用を許された、至高最上の魔法装具だ。




