遺棄せられし魔法使いとの対話 4
5
「聖騎士の鎧」は次々と衛兵たちをなぎ倒す。階段は種々雑多な物を運ぶ用途にあるから、塔の地上階にあるそれとは違って、悠々たる大きさを持っていた。ライムグリーンとペールホワイトの巨人が自由に動ける、ということである。物のたとえとして「千切っては投げ、千切っては投げ」というその表現がぴたりであろう。対魔法特殊装備のない兵士に「聖騎士の鎧」を傷つける術はない。
剣を受け止めると、タオルでも投げるように前か後ろにぶん投げる。もはやそれは戦闘とさえ呼べない。一方的な蹂躙だった。
大人二人の出番は無い。
「あー、楽」
「駿介はいいよな、俺は自分の足で上ってんだぜ」
秋人はヒイコラ言いながら、今しがた下ってきた階段を上る。魔法装具、「バネ脚」を装着した駿介にとっては、どれほどの急勾配も鼻歌交じりの散歩にすぎない。
ガコン!
「聖騎士の鎧」の肩が壁のでっぱりに触れるが、巨人の出力は石とモルタルをものともせずに突き進む。
やがて、抵抗が止んだ。
悠太が不思議そうに振り向く。
「あらら、これは」
秋人がむしろ苦い声だった。
この状況はまずい。何者かが指揮を執ったということだ。戦力の逐次投入は狭い通路にあっては多数側の悪手である。
まず間違いなく出口で待ち受けられているだろう。袋のネズミ、というやつだ。
「まあ、しょうがない。予想はしていたんだけども」
それは最初からの方針であった。策を弄している時間がない。タイムリミットが夜明け、となれば急ぐしかない。急ぐのならば、やれることは――そう、「血路を開く」ことしかない。結局力技で乗り切るしかないのだ。
「例えばさ、黒い鎧には自分の意思で変形できないのか?」
「無理です。僕の頭の中の『仕様書』の中には一切そんなものは書かれてないです」
「悪鬼の鎧」は攻撃に特化した存在だ。秋人との戦いの際には、ほぼ完全に悠太の意識が飛んでいたために敗北を喫したが、あのバージョンが自由に使えるのであれば、戦力のバリエーションが増える。
だが、帰ってきた答えは、予想の範囲内であった。
――あれは最後のとっておきだということなのだろう。ある意味では特攻兵器という位置づけなのかもしれない。
「だとしたら、そもそも使えねえなあ」
だが考えている暇はない。敵の攻撃がないので進みは早くなる。出口はもうすぐだった。
秋人は記憶をたどる。地上階、石造りの大きな空間があった。そこはまさに格好の武闘場となるであろう。
――処刑場にならなきゃいーんだけども。
次は魔法装具を用いた戦闘が待っているはずだった。だが、並みの魔法装具ならば彼らの敵ではない。それは過信ではなく確信であった。
秋人たちの魔法装具はそれぞれ強力なものだ。「着こめる戦車」とでも言うべき悠太の「鎧」は剣も槍も通さない。「バネ脚」の機動性は人間のそれをはるかに超える。そして秋人の「呪霊刀・無限式」は白兵戦で無類の強さを誇る。
「制圧」「占拠」「占領」を行わねばならない正規軍同士の戦争となればまた別だろうが、脱獄や威力偵察と言った少数精鋭の戦いにおいて、これは最強の布陣と言えるだろう。
だが、問題がある。
あの白髪白髯の戦士だ。
三対一ならばあるいは――と秋人は甘い考えだと知りながらも願わずにはいられない。
あの男が己の強さに絶対の自信を持っていて、俺たちの事を過小評価してくれたならば、勝ちの目もあるのか?――いや、それはないな。何しろここは魔法の王国、むしろ我々の魔法装具に匹敵した戦闘員がひしめいている可能性だってある。
だとしたら?
秋人はそこで悠太に止まれと声を出す。
「皇帝の鎧を使う。駿介は悠太を守ってやってくれ」
「僕は!」
「いや、逆だよ」
『僕はまだ戦える』と言おうとした悠太の言葉を遮ると、
「ジッサイ逆で、俺が弱すぎるんだ。俺の魔法装具は人の域を出ない。一発で事が終わっちまう。だが、『皇帝の鎧』。あれは、強い。あれは俺を生かしておくためのものだ。あれを着ている限り俺を殺すことはなかなかできない。そして呪霊刀があればどれほど強力な敵であっても、最終的には斬り殺せる」
それは恐るべき提案であった。いつ「電池」が切れるともしれない魔法装具の能力を頼みに、自らの生命を掛け金として差し出す戦い方だ。
だがしかし、「確かに一番ワリがいいか」駿介は納得したようであった。
「まあ、俺が大暴れしている間にお前さんらが逃げ切れればまだましさ」
それはまったく「死亡フラグ」であると、悠太の耳には聞こえた。
だというのに秋人には一切の気負いは無いようだった。すっと右手を「聖騎士の鎧」に押し当てると、魔法素子を発動させる。ライムグリーンとペールホワイトの巨人が光の粒子に還元され、秋人の周りへと漂いだす。
悠太の肉体は、疲労こそしているが、今度は両足で着地できた。習うより慣れろ、と言ったところだ。そして少年は、黄金色に発光する「鎧」を纏う秋人をしっかりと見つめた。
*
「!そうか、こういうのもあるのか」
秋人は呟くとフェイスガードを下ろす。ゴーズ・ノーブとの戦いの際には着けていなかった装甲だ。
「イケてるだろ?」
不思議なもので、その仮面を被った途端に、鎧は一種の生き物のようにその印象を新たにした。人間的なものが鳴りを潜め、黄金色に輝く金属生命体のようだ。
「いいね、ワンフェスに出品したいぐらいだ」
「だろう~」
言うと秋人は目の前の扉を見つめた。見つめて、腰間の呪霊刀を引き抜く。
引き抜いたと同時に閃光が走る。その様にしか、いまや常人並みの能力しか持たない少年には知覚できなかった。
一瞬の間をおいて、鋼鉄製の扉が八つに分かれて地に降り注ぐ。
それと同時だ。
白髪白髯の、しかしそのような髪を持つにはあまりにも齢若すぎる壮年が独り、丸太のような竪杵を振りかざして、秋人に襲いかかってきた。
*
結果論からいえば、と秋人は冷や汗をかく。
――もしあの時に悠太少年を前衛として出していたら、俺たち三人とも命は無かったってことだ。
よろり、とふらついてそれから『皇帝の鎧』がオートで彼の抗重力筋の代わりを果たした。
疲労もすっと拭い去られる。
結果から言えば、二敗一分け。
たった一分の間に、秋人はゴッサーダの『巨神の戦杵』によって心臓破裂と胸骨粉砕骨折、肝臓破裂と脊髄損傷、最後には眼球破裂と頭蓋骨骨折を負った。
だが、『皇帝の鎧』は秋人が受けた致命傷を全て戦闘継続しながら治し切ったのである。いみじくもあの魔人『ゴーズ・ノーブ』が評したように、今の彼は「殺し切れない」存在であった。
そしてようよう最後の三回目の際に、ゴッサーダの腹部に傷を負わせることに成功したのだ。
さっくりと腹筋を断ち割った呪霊刀の切っ先は、はらわたまで達していただろう。だが、城主が身に着けていた漆黒の鎧もまた特殊な存在であったか、ゴッサーダ子爵は軽やかに跳躍すると死闘の地から逃れたのだ。
今や秋人の肉体に損壊はない。
「まったくもって……」
秋人はやれやれと首を振った。
予想外と言うべきか、それとも「そもそも予想をするほどの情報が無かった」というべきなのだろうか?
黒衣、白髪白髯の戦士は一人きりで地下一階の死地へと降り立った
たった一人でだ。
自信であろうか、それとも実際的な問題なのだろうか?
であるとするならば、あの武人は冷静に判断して己ひとりで戦ったのだ。おそらくは無駄な損害を出さないために。
そして、それは九分どおりまで成功を収めた。
――恐ろしい男だ。
秋人は舌を巻く。そして、ゴッサーダのその自信が、別段慢心でもなかった事実にかぶりを振った。ただ、「皇帝の鎧」の能力がケタ外れだっただけなのだ。
苦笑せざるを得ない。
だが、それでよい。
蔦のからまる、月光が幾筋か差し込む決闘の場からかの恐るべき戦士を退けたのだ。これは、秋人の勝利だった。
「やるねえ!秋人くん」
駿介は嬉しそうに背中を叩く。
叩かれて気付いた、まだ何も解決していないことに。
まずは、リリナ嬢ちゃんと会わなければならない。今現在どうなっているのかは分からないが、おそらく塔を囲む形で兵が配置されていることだろう。そして皇帝の鎧の「電池切れ」も近づいてきている。魔法装具の使い過ぎは人事不省を起こす。
――まあ、「替えの電池」としては悠太がいるし、呪霊刀に必要な魔力はごくわずかだから、まだひと暴れ出来るしな。それに……、
秋人は駿介を見る。相棒のでぶちんは親指を立てた。
この相棒も、頼りになる男だ。
そして秋人が鎧を脱ぐのと同時だ、階段から足音が響いてきた。落ち着いた足音。彼は慌てて手袋を悠太に投げると、刀を構えた。
6
槍の穂先は王女の柔らかそうな腹部を貫く――かに思えた。
しかし、鮮やかな青色に染まったジャケットに包まれた美姫の肉体は、粗暴なファルスの侵入を許しはしない。
カン、と硬い音を立てて、エルメタイン姫の手に握られた手槍は巨漢の顎を打つ。
「ぶふっ……」
と踏み潰された皮袋から出るような声を立て、衛兵は一発で気絶し、ゆらりとかしいで、床と接吻した。
ひどく大きな音がして、姫君は「痛そうね」と加害者らしからぬ感想を述べる。
巨漢の手にしていた槍を姫は奪い取って、その石突きで所有者の顎をしたたかに打ちぬいたのだ。
「無刀捕り」、武術の深奥と言っても過言ではない。
それをこの姫君はこともなげに――否、考えるまでもない。この女性こそが「戦乙女」の再来であるとするならば、むしろ当然の仕儀であった。
「お見事です」
「大したことじゃないわ」
エルメタインはくるりと手槍を回転させると、本来の握り方へ持ち替えて、「さあ、行きましょう」と宣言した。
「ちょうどいいタイミングよ」
それを言ったのがおよそ五分前。
十五階から階段を使って降りてくる。しかし、武神サ・レグの護符を身に着けていた巨漢の兵以外には、塔の中には眠っている衛兵しか姿は見えなかった。リリナは自身がしでかした魔法であるから、十分な自信を持って、カリオン青年をはじめとする、「眠れる塔の衛兵」たちの横を通る。
姫君も彼女の筆頭侍女の能力に疑いをはさむことは無い。
あの双子の女性たちこそいなかったが、そこは予定の範疇だ。そしてはっきりしていることがある。エルメタインと合流した今、この主従の戦闘能力は各々一人の時の比ではない。
そのことに自信がある。
自信だけではない。
リリナはぞくぞくと背筋に電流が走っているのが分かる。昂揚。姫に頼られているという自負と歓喜、姫が自分の背後を護っていてくれるという背徳にも似た安心感。彼女の脳は今や疲労を完全に消し去り、最高のテンションが皮膚にまで作用し、くすぐったいような、風の揺らぎにすら反応するほどの敏感さをその体に与えていた。
先ほどの失態を繰り返すつもりはない。彼女は放射状に魔法の探知網を繰り出している。よほど高位の隠匿魔法でない限り、分厚い壁の向こうに身を潜めようともその姿を隠すことは不可能だ。
そして、その探知網は三人の人影を補足する。
立っている。
一人は九短尺(およそ一八〇センチ)、もう二人はそれより頭一つは小さい。その小さい方の一人はしかし肥えている。さらに残った一人の身体つきは華奢だ。幼い、と言ってもいいだろう。
そうか、と気づく。
ユータは、無事だったのか。
少女はほっと息をつぐ。
「どうかしたのですか」
侍女の異変に気付いた姫君はそうたずねる。
「いいえなんでも……」とリリナはいったん否定しかけて、「いえ、違います、そうではなく、見つけました!地上世界から私が連れてきた殿方たちです。塔の一階にいます。帝国正統の血を引く方と、その……」
そこで彼女はなんと説明したらよいのか、と一瞬悩んで、「その、なんというか、協力してくれる方々です」
「そうですか……、それは良かった。かの方々が居られるのであれば、計画通りということです」
姫君の美しい顔に、美しいほほ笑みが浮かんだ。
*
そう、リリナの後ろでほほ笑んだから、少女からは見えなかった。
見えないのを知っているから、彼女は笑ったのだ。
筆頭侍女には気付かれてしまうから、見せてはいけない笑顔だった。
その美しい顔貌に浮かんだ、凄愴なる気配を。
次章は10月に更新いたします。
しばしお待ちを。
 




