遺棄せられし魔法使いとの対話 3
「遺棄せられし魔法使い?」
「そうです。とうに本名は捨て去りました。――たまに変わり者の弟子が――そちらの少年、ちょっとこちらにいらっしゃいな」
秋人に通訳された悠太は恐る恐るではあるが、老婆の手の届く位置まで近付く。老婆はそっと少年の口元を触ると(さらっと乾いた木材のような指だった)、「驚きましたね」とあまり驚いていない様子で笑った。
「エンリリナの気があなたの中に混ざっています。あの弟子とまぐわったのですか?彼女もやることはヤっているのですね」と感慨深げに頷いた。
「そうなの?」
通訳した秋人はそのまま聞く。
外から扉の前に集まった衛兵たちは、堅固な扉に阻まれている。金庫室のように分厚い扉は、剣や斧で叩き壊すのにはあまりに難儀だった。とはいえ時間が有り余る、というわけではないのだが――秋人も駿介も悠太に事の真相を聞きただそうと楽しそうに肘をつつく。この老婆がリリナの知人であると判明したことも緊張を緩める一因だった。
「ちっ……違いますよ!僕はリリナとは、その、なんでもないですし……」
ごにょごにょと言いよどむ。まぐわい――秋人はセックスと直截的に訳したのだが――などは夢のまた夢だ、しかし。
しかし、悠太に女の子とキスをしたなんて経験はあるはずもなく、リリナとしたそれをカウントするのならば、悠太のファーストキスということで間違いはない。
それは、何でもなくはない。
「おや、まあ、じゃあこれから何でもなくなるのかしらねえ」
魔女は意地の悪そうな、しかし上品な笑みを作った。
「え、いや、それは」
あわあわと真っ赤になって悠太はしどろもどろだ。だが、成人男性二人は、その異変に気付いた。今、魔女は日本語で話したのだ。
「まあ、地上世界の言語も学んでいますから」魔女は何でもなさそうだ。
それはそうか、と秋人は己の中にある「フォーダーン普遍語一式」を思う。語学勉強の必要がないというのはいいものだな、と思うが、しかし言語とは意識の仕事だ。この言語が入ったことで、彼の中の何かが変わってしまったことは事実だろう。それがなんなのか、は本人には察知しえない類の物だけに厄介だ。
――ま、このピンチを乗り越えた後にアイデンティティークライシスに対応するさ。
秋人は思考を切り替える。
「では日本語で聞かせていただきます。魔法使い殿、この窮地を切り抜ける魔法をお持ちなのですか?」
もちろんそこまで期待はしていなかった、だが、多少なりとも甘い夢を持っていたのも事実だ。だから、
「妾は今この場では一切の魔法が使えないのです」
という答えには消沈を覚えざるを得なかった。
「妾の実体はこれより一〇〇里(およそ三〇〇キロメートル、だがこの場合は遠隔の地である、という慣用句的な使い方である)も北にある草庵にあります。この肉体は妾の作った『ただ観るためだけの』あやつり人形」
そう言うとその体は、一瞬だけ単なる木人形の実態を顕わにした。プロジェクションマッピングとでもいうべきか、老婆の姿は映し出されていただけなのだ、悠太は先ほどの指の感触を思い出していた。
「これは遠隔地からこの庫の中身を研究するためだけの体なのです。それ故に『観る』能力は高いですが、それ以外の事は何もできません。大変申し訳ないのですが」
あまり申し訳はなくなさそうだった。
「研究、といいますと?」
「この庫は、――いいえ、この城塞全てが、と言った方がいいでしょうね、この城塞は、西王国の厄介ごとを閉じ込めておくための装置なのですよ」
「厄介ごと?」
「そう、目障りな姫様、はねっ帰りの貴族、魔法の道具、禁忌の書物、死んでいるのにそれと気づいていない骸」
竜の首は口角をゆがめて何か言いたそうに魔女を見つめた。
男たち三人は情けなくもかすかに悲鳴を出す。
「そして何より、白髪白髯、東王国生まれの亡命貴族もね」
秋人は白髪の武人の事を思い出す。『皇帝の鎧』こそ機能を失っていたが、『呪霊刀・無限式』はしっかりと彼の腕の中にあったのだ。しかしあの男は棒(と呼ぶにはあまりにも太い)を用いてあっという間に彼を叩き伏せた。その時の打ち身は肩にまだ違和感を残している。おそらく痣が出来ているだろう。
あの男、ゴッサーダ子爵とのリターン・マッチの機会があるとして、今度は勝てるのか?
正直、怪しいと言わざるを得ない。
「ああ、あのヒゲの人はこの城で一番偉い人なのね、納得納得」
同じように翻弄された駿介は、意外というか彼らしいというか、遺恨は持ちこさずに、しかしなにがしかを考えているようだった。
おそらくは、次やる時のことを。
だが次、を考える前にやることはある。
「私たちは今まで私の使っていた魔法装具がここにあると聞いたのでここに来たのですが、ご存じでしょうか?」
入口の扉は今や相当に揺れている。おそらくは破城槌を用いているのだろう。それでも扉前には詰めても二、三人しか立てないから、威力もたかが知れている。だが、これら物品であふれている庫の中から、自身の魔法装具を見つけ出すとなると、一時間ではきかなそうだ。
魔女は何でもない事のように指で示す。
まさに今揺れている、バリケード代わりの戸棚の中に、それはあった。
「聖騎士の鎧」の手袋。
「呪霊刀・無限式」
「バネ脚」
そして秋人、駿介が着けていた防弾チョッキ。
「あなた方に埋め込まれている魔法素子と魔法装具は対になっていますからね、あなたたちがイの一番にそのことを尋ねないから、いらないのかと思いましたが」
ポウ、と魔女の姿を持った人形は一瞬その目に燐光をともす。
笑っているようにも見えた。
――時間は無いか。
秋人は床を蹴って歩き出すと、悠太に手袋を渡す。
「僕でいいんですか?」
「それを付けなきゃ、お前さんはただの中学生。それを付けたら、一番頼りになる」
「くれぐれも暴走しないでね」
秋人と駿介は各々の魔法装具を身に着け、ベストを着こみながらそう答える。
「帝国の末裔よ」
秋人は振り向いた。
「おそらく妾の想像通りなら、あの馬鹿弟子はおぬしをこの国の王に据えるつもりなのでしょう?」
「多分、そうです」
実際彼女と話し合った時間など一分に満たない。悠太の話しと答え合わせをしたから出る結論だ。
「ならば、ウライフ山を目指しなさい」
「ウライフ山を?」
「ええ、聖なるウライフの半ばにある帝国の霊廟、今や誰も訪れる者のないさびれた天空の墓。そこには『勅令』でしか動かぬ魔法装具が眠っています」
「はあ」
「その魔法装具を使って何をするかはあなた次第。ですが、その力こそあなたの求める物でしょうね」
「力、ですか」
「そうです、今やこの世界は何かが変わろうとしています。三百年の眠りより覚めて、戦乱がまたもや、……いや、これもまた『ヒ』の謀なのかもしれぬ……いやだが……」
弟子であるリリナの師匠らしく、魔女は自分の思考に潜り込み、慌てて現実世界へと戻ってきた。
「墓廟の場所はエルメタイン姫がご存じです。彼女を見捨ててはなりませぬぞ」
「もちろん!」
悠太は叫んだ。リリナが命がけで守ろうとしている人なのだ。守らないでどうする。
ガシャン!
バリケードに使っていた棚が倒れた。
もう一刻の猶予もない。
秋人は魔女を見る。
もはやその目は傍観者の瞳であった。
彼女は真実、『観る』こと以外はできないのであろう。
と、駿介が明るい声を出す。
「あー。あったあった!」
チョッキのポケットから出てきたのは熊の形をした、「ハリボー」のグミであった。
自身が口に入れてから、秋人と悠太に渡す。
魔女にも渡してから、「おばあちゃん、食べれるの?」と当然の疑問を発した。
「いや、無理ですね、しかし……」そこで魔女はある意味はじめて素の感情を見せる「口惜しいものですね。ずいぶんと綺麗な食べ物だこと。味見が出来ないのは無念です」
それから一拍置いて。
口に出さずにおこうと思っていたある言葉をついもらす。
「……馬鹿弟子を、頼みます」
男たちは「おう!」と応えた。
*
「セグ・ラヴァ―ス!」
悠太の声に応じて、ライムグリーンとペールホワイトの光が少年の身を覆うのと、扉が破壊されるのが同時だった。
4
「はあっ、はあっ、はあっ、はあっ……うかつ…………」
息を荒げて双子の髪を二つに束ねている方――ラグアがようようリリナの作り上げた魔法の触手を斬り倒した。
「ひぃぃ……もう…やめてぇ……」
息も絶え絶えに体を痙攣させている姉のルギアを見ると、動かぬ体に鞭打って、呪霊刀を魔法の呪核に叩き込む。姉は全身を汗にまみれさせて、どさりと床にくずおれた。
魔法を破壊したラグアもその場にぺたりと座り込む。やってくれたものだ。「くすぐりの拷問」は、横隔膜と腹筋に過剰な反応を引き起こし、酸素を欠乏させる。いかに鍛えてあっても即座に戦列復帰など不可能だ。
「あの、小娘……」
無様である。
ルギアは床に落ちたまま大きく息をするが、小刻みに震えている。痙攣して、意識も混濁しているのだろう。彼女の敏感な鼻に姉の洩らした尿の匂いが届いた。
彼女は心の中で頭を抱える。
だが、ラグアにしても五十歩百歩であるということは言うまでもない。
どの面下げてゴッサーダ様に復命せよというのか。
「クソッ!」
床にたたきつける拳の勢いも甚だしく軽い。と――そこで気づいた。
烟が、束縛烟が晴れていくのだ。狗を思わせるマスクは既に脱げているから、先ほどまでは完全に視界が無かった。だが、考えてみれば姉のもとまで迷いなく辿りついたのは、烟が薄れてきたからだ。
どういう事か?
考えて、二つの可能性があると思う。
一つはあの小娘が何者かに討たれたということ。しかし、彼女たちがなすすべなくやられた相手を、ゴッサーダ様が西翼で指揮を執っておられる今、誰が倒せるのだろう。
では可能性としてはもう一つだ。
あの魔女は、目的を遂げたのだ。だからこの魔法に用が無くなったということ。
つまり――
*
「遅くなりました、姫さま」
筆頭侍女は囚われの主の前で片膝を突き、遅参を詫びた。
「構いませんよ、リリナ。今が、今こそがちょうどなのです」
エルメタインは豪奢な赤い髪をレースのリボンで一つに結び、衛兵の格好で優雅に笑った。
リリナはその格好にほんの少し面喰らったものの、なるほどと合点もいった。動きやすく、相手の認識を一瞬だけでも晦ませられるのならば、この扮装には大いなる意味がある。
「それよりも、ごくろうさま」
そう言ってエルメタインはとびきりの笑顔で彼女のもっとも信頼する部下をねぎらった。
両手で少女の身体をかき抱く。
「はい」リリナの目に涙が浮かぶ。「……はい、はい、わたしの力が……足りないばかりに」
「そうではありませんよ」
王女は優しい声で耳元にささやく。
「あなたがこうやっていてくれること、それだけで私は百万の味方を得た思いです」
そして、太陽のように力強いほほえみ。
振り返ると、「さあ、行きましょう!」
宣言した。
してから姫殿下は思い出して、テーブルの上に一切れだけ残しておいた木の実入りはちみつケーキを侍女に渡す。
「おいしいわよ」と。
――リリナは慌てて食べて、喉に詰まらせた。
*
危うく窒息死を免れたリリナは、束縛烟の魔法を解く。より正確には煙の生成を止めた。あとは時間とともに消失してゆく。
彼女の策としてはこうだ、飛翔の魔法を用い、夜陰に乗じて姫様を逃がす。その後で悠太たちの加勢に赴こう、という算段であったのだが、姫君は冷めた紅茶をリリナに差し出しながら、その計画に待ったをかけた。
「地上界から来た方々は思ったより有能なようですよ」
確かに、彼女がここまで抵抗らしい抵抗を受けずに上ってこられたのは地下での脱獄が先だったからだ。二正面作戦。作戦とさえ言えない偶然の産物だが、守るほうからすれば困難であったことは疑いえない。
だが、それも時間の問題だ。衛兵をどれほど倒したとて、ゴッサーダ子爵とかの有名なる魔法装具、『巨神の戦杵』がひかえている。高い壁に四方を囲まれたシャボリー城塞は表門と裏門しか出入り口は無い。門扉をぶち破ることはリリナの魔法ならば不可能ではないが、さすがに魔法消費量が多すぎる。であるならば、いまいる塔の高度を利用して、飛翔魔法によって逃れるのは悪くない策のはずだ。
「と、誰もが思うでしょうね」
エルメタイン姫はそう言うと、テーブルクロスをばっとはがし、リリナにこれを飛ばすように命じた。
命じられたリリナは既にその意味を理解しつつも、言われたとおりにテーブルクロスを宙に舞わす。
まるでドレスを着た女性が宙を飛んでいるかのように見えた。
ふた呼吸の時を置いて、その麗しき人影は光り輝く火箭に貫かれた。それも十数本。
矢は布に火を点けると、舌炎があっという間にテーブルクロスを舐めつくす。
それは指向性の光を用いた長距離攻撃魔法。
「ベン・ジーアルフがこの場に居るのです。であるのならば彼の『弟子』たちも」
少年好みの宮廷魔法使いは、常に十人以上の美童を伴って行動している。そして彼らはもちろん有望な魔法使い、あるいは魔法使い見習いである。なんといっても西王国一の魔法使いの薫陶を直々に受けているのだ。
魔法戦もまた戦であるのなら、その勝敗は数によって決まる。リリナの結界ならばあるいはすべての攻撃魔法を無化できる可能性もあるが、それは「イチかバチか」と言う行動だろう。
そのような博打を打つのは今ではない、と姫は言っているのだ。
エルメタイン姫の瞳には涼やかなものが宿っている。南王国からすら『戦乙女サラファンディーナの再来』と呼ばれた将器である。この状況にあっても常に彼我の戦力に心を砕いている。
「では、いかがいたしましょう?」
リリナの問いに、エルメタイン姫は白い歯を見せた。
「もちろん、正面から出るのです。慌てることなく、みんなそろって、ね」
と、その瞬間だ、扉が大きな音を立てて開く。目を血走らせた巨漢の衛兵が手槍を構えて突っ込んできた。首から提げられた抗魔法の護符が輝く。
エルメタイン姫まで扉からおよそ一長尺(二メートル)。
あっと思う間もなかった。
魔法の発動も間に合わない。
鋼の穂先が、姫の引き締まった腹部へと奔った。
明日も投稿いたします。




