遺棄せられし魔法使いとの対話 2
さて、魔法は電気のようなものであるとは以前述べた。だがこれが実際働く段となるば、これは大いなる違いが表れてくる。
電灯やクーラー、ヒーター、と言った「機械装置」は存在しない。その代わりに、陶器や金属板に契まれた魔法象形文字がそれらの代わりを果たす。
これも最初に「活性化」させるためには魔法使いによる生成の魔法が必要であるが、こちらは物理的に破壊されない限りはメンテナンスフリーで半永久的に使える。魔法が使えななくても、スイッチ代わりの魔法象形文字をなぞるだけで点けたり消したり、強くしたり弱くしたりもできる。
もちろんオーブンのように「箱の中に熱源を入れる」装置は箱を別途作った方がはるかに効率的であるから、そのような「ガワ」は作るが、内部の機械装置は全て魔法が肩代わりしてくれるのだ。
余談となるが、この「効率」、を逆側に突き詰めると「仙人」と呼ばれるある種の魔法使いの存在に行きつく。彼らは家も服も持たず、飯も食わずに魔法だけですべてをまかなって生きているし、それで千年二千年と生きられるのだが、そうやって知識を貯め込むのにすべてを費やすのはやはりとんでもない変わり者か、ある種の偏った思想に凝り固まっているだけの無能者、というのが現実のところだ。
ただし、バッテリーのようなものは存在しない。先ほども言ったように時間によって消失してしまう上に、常に管を通って供給される魔法はその場で使用しなければならないからだ。「魔法をこめる」のは魔法使いにしてもなかなかに骨の折れる魔法なのである。
そうだ、そもそも、「魔法使い」とはなんであろうか?
彼らは体内で霊素を高濃度に濃縮し、貯めておける。先ほど言った言葉と矛盾するようだが、魔法使いは霊素そのものを血と骨の中に積層構造で貯めておけるから、そう簡単に魔力は無くならない。逆に、一般人は霊素を自然に摂取した分しか貯められないので、その貯蓄量の差は数百~数千倍に上る。
そして高濃度になった霊素を励起させて魔法を生み出す。ここまでは魔法炉と同じだ。
魔法使いは励起状態になった「生の魔法」を肉体の中に循環させて、いつでも使えるようにしている。魔法使いの体内にある限り、魔法の励起状態は止まらない。そして脳内の「魔法構成式」によって魔法をコントロールし、呪文、魔法象形文字と言った「この世に確かに存在する物」として定着させて、魔法を顕現させるのだ。
つまり魔法使いは体内に魔法炉を持った存在。自律する魔法炉、と称されることもある。
――では、とここで思考を加速させた者がかつていた。
魔法使いでないものに魔法炉を移植したなら、と。
魔法炉を人間の血管と繋げ、魔法を体内に循環させる――帝国中期の大魔法使い、ゾロス・ドーガーヴァレンは動物実験の試みの後、魔法使いではないが、優秀な数学者にして魔法学者であった息子のゾロス・ビスビンティアにこの実験を行った。
結果は、悲惨な物であった。
無限に増殖する肉体は最終的に三十メートルを超すところまで瞬く間に巨大化し、数ダースの目鼻口手足、数十トンに及ぶ内臓と血と骨片が数キロにわたって大地を汚染した。爆心地は百メートルほどのクレーターが穿たれ、実験の協力者はほとんどが死に絶えた。
そしてなお恐るべきことに、ビスビンティアであったモノは、破片となり、血の一滴となってもなお生きていた。生きて、(ここからぐっと怪しい「お話し」になるのだが)怪物の一大軍勢の苗床となり、帝国属領であった一国を滅ぼしたという。
さすがは大魔法使いと言うべきか、ゾロス・ドーガーヴァレンは無傷であったという。だが、大魔法使いは生き残りこそしたが、それからの長い長い余生を後遺症によって禁治産者として過ごすこととなる。
リリナは思う。
つい先日までの彼女なら、ビスビンティアの肉体から「何か」が発生したという「お話し」を一笑に付していたであろう、だが、今は違う。
彼女をハメるのに用いられた反魔法生物の「妖蚤」。アレはなんなのだ?もしアレが大繁殖したとしたなら、それだけで魔法文明の根幹を揺るがす大惨事になるであろう。
帝国期は今より魔法学は進んでいなかったが、魔法文明の爛熟期でもあった。
魔法自体は「才能」が物を言う。魔法使いの絶対数が減り、神のごとき大魔法使いがいなくなった代わりに、魔法学が発達することになったのだ。
だがその根底に間違いが挟まっていたのなら?
リリナは硬い石畳が不意に自らの作り出した煙と同じようなものにでもなったかのような失調を感じる。
彼女の師匠をはじめ、多くの先達が生涯をかけて研究してきた成果があの小鬼一匹で崩れ去る。その様な砂上の楼閣なのだろうか?
「くっ」
少女はかぶりを振ってその考えを頭から振り払う。今はそんなことを考えている場合ではない。今は姫様のことが第一だ――、と、その時彼女は気付いた。
細身の小柄な兵が、二人、いる。
何やら怪しい兜、というよりはお面を付けて、細身の短剣を両手に携えている。
吻の長い狗のようにも見える白い面を被った二人組は、背中合わせに見えない煙を見渡そうと、水中にいるかのようにゆっくりと旋回しながらこちらへと向かってきている。
階層の中央を斜めに突っ切る廊下の幅は四メートルほどだ。わざわざ動いてくれているのならば、その動きに合わせれば戦闘をする必要すらない。
――あの男のように、出入り口で踏みとどまってくれた方がよほど厄介だ。
彼女は薄く嘲笑すると小柄な二人組の横をそっと通る。もちろん細心の注意は払ってだ。
だが、どこか緩んでいたのも事実だろう。
りん。
鈴が鳴る。小柄な兵が投じた音だ。
リリナの注意は一瞬、音とその発生源に引きつけられる。
次の瞬間!彼女はゆらりと優雅に舞う二人組の兵士に前後を挟まれてしまった。
首を両側から短剣で留められる。
「!」
見えなかった。毛筋の先ほどの油断。その隙を突かれた。
その隙を突ける技倆と、何よりも彼女の魔法を無化したとしか言えないあの動き!
「エンリリナ嬢、動かないでください。魔法もお使いにならぬよう」
仮面越しの声。若い女のものだった。
「その通り、わたしたちの剣で首をかき切らせないでください。あなた様は三時間後に絞首刑になってもらわねば困ります」
その声には聞き覚えがある。ゴッサーダ子爵に侍っていた双子の姉妹。滑らかな動きは、ゴッサーダ子爵と同じく東王国の武術を修めているのだろう。
しかしこの「束縛烟」の中でこれほど滑らかに動けるというのは――
「広範囲魔法影響下用抗魔法兵装」
リリナは無感情にそう呟く。双子の細い目が、白い面に嵌められたレンズ越しに光る。
おそらくその面と双剣、あるいは身に纏っている手甲足甲だけの黒装束にも何らかの対魔法式が仕掛けられているのだ。戦場においてこのような特殊装備は高価ではあるが、必須のものだ。もちろん数を揃えられるものではないから、これを使用しているという事実が双子の能力の高さを物語っていた。
いや、そんなことはどうでもいい。
そもそもこの状況に追い込まれたという一点を以って彼女らにリリナは舌を巻く。
「参ったな」
低く呟いた。
「それは『呪霊刀』?」
然り、それは呪霊刀・八式。精神交感の魔法が付与されたその短剣は、四振りで一つの魔法装具であった。しかし双子は無言だ。無言で剣の柄頭をリリナの首筋へと叩き込む。麻痺の魔法がかかっている、彼女らのように隠密行動をするのであれば必須のアイテムであった。
しかし――
「きゃああ!」
柄頭をリリナに叩き込むその寸前、双子は可憐な叫び声をあげると、二人同時に壁の方へと弾き飛ばされた。否、壁の方から伸びてきた半透明な何かにからめ取られて、石壁に磔にされたのだ。
「蛸蛇」
その名を与えられているモノは血の魔術によって召喚され、リリナの移動とともに影のように壁を這いずって随いて来ていた「手」の集合体である。
名前通り、蛸ほどの知能が仮初に与えられている。つまり犬より少し頭が悪い、という程度だ。
「殺さないようにね」
リリナは蛸蛇に向かって微笑む。
邪気のない、いたずらっ子の笑みだった。
いかな達人とはいえこれほどの「手」に数十本責めさいなまれては脱出不可能だ。
「うわばかやめろ!」
「なんで服の中に入ってくるのよ!」
仮想の粘液がしかし現実に滑りを良くして、リリナより二つ三つばかり年上の少女たちを責めさいなむ。
何やら色っぽい声が出ているのは予想外の事態ではあったが(実験として盗賊団の荒くれ男たちに使った際は、一瞬で骨を複数本砕き、それで終わった。このように優しく使うことなどかつてなかったから、なかなかに興味深い)、まあ死ぬことはあるまい。
リリナは後ろも振り向かずに階段を上る。上りながら考える。おそらくこの双子がゴッサーダ子爵の隠し玉というところだろう。あとは本人が出てこなければ彼女の能力で何とかなる。
では、かの子爵が出張って来たならば?
正直、そこで思考は止まってしまう。あの戦士相手に必勝の自信などない。こちらが先手を取り、常に戦況を作っている今だからこそ彼女は有利であるのだ。だが姫様を取り戻し、地上世界の男たちと合流していずこかへと逃げる――と、そこまでの思考は誰だって読む。ましてや歴戦の将であるゴッサーダ子爵ならばなおのことだ。
彼女と姫様のみならば逃げ出す算段も着く。
だが、皇帝の血筋に連なるあの男を見過ごしては、今までの努力が水の泡であるし、今後の名誉回復についても彼は切り札となる存在だ。
合流し、城塞の外に出る。
でも、どうやって?
3
秋人は人影を認めると、両の拳を顎の位置まで上げて、臨戦態勢を取った。
心の中で舌打ちする。
そもそも気付くのが遅い。この地下庫が「ほの暗い」時点で気付くべきだったのだ。獣脂を燃やしている灯火とは明らかに違う、地下牢にに入れられてから初めて目にする魔法の明かりだった。つまりここは特別で、そして使用中の人間がいるということに他ならないではないか!
剣はストッパーとして相応の働きをしている。今抜き取るわけにはいかない。
「誰だ!」
普遍語で彼は尋ねる。
その人物は様々なガラクタ、あるいは宝物、あるいは本、あるいは骨、毛皮、瓶詰め標本といった種々雑多な品物がうずたかく積まれた庫の一隅にうっそりと立っていた。
不思議だ、と緊張にごくりとつばを飲み込んで悠太は感じる。
その人影のたたずまいには、何やら現実感が乏しい。だから男三人組は気付くのが遅れたのだ。およそ教室ほどの広さの庫の中は、あまりきちんと整理がなされていないようで、身を隠すのに適している。敷物や屏風、あるいは竜の首(今にも吠えかかってきそうなその瞳の生々しさ!)の後ろに身を隠していたならば、今でも発見できなかっただろう。
だがその人影は、隠れるどころか最初からそこに佇んでいた。佇んで、書物を見ていたのだ。
まるで、置物のように
だが置物ではないことを証明するかのように、その人影はゆっくりこちらを向いた。
痩せた、老婆だった。
気品のある半白の髪をひっつめた女性。年のころなら七十といったところか。
三人と一人は、しばし見つめ合い、その後老婆が「あら」と何かに気づいたらしく秋人をしげしげと見つめる。
それから老婆は少し微笑むと、両手を胸の前において、深々とお辞儀をした。
「これはこれは皇帝陛下、お久しゅうございます。地上よりのご帰還、めでたき仕儀にございます。弥栄!」
随分と芝居がかったしぐさだ、まるで、茶化すかのような。
だが、そんなことは問題ではない。秋人は拳を下げると、ほぼ呆然と言った表情で尋ねる。
「……あなたは、一体誰なんですか?」
自然と口調が丁寧になったのは、この老婆が何らかの理由によって彼を「皇統に連なる者」だと看て取ったからだ。只者ではない。そしてなによりこの状況下で、敵を作っている場合ではなかった。
「妾ですか?妾は『遺棄せられし魔法使い』です。ここに仕舞われている多くの文物と同じようにね」
そう言うと老婆は羽の生えた犬の剥製をいとおしむように撫でた。
明日も更新いたします
 




