遺棄せられし魔法使いとの対話 1
第七章 「遺棄せられし魔法使いとの対話」
1
「うわわぁわわわわあぁ!」
悠太は先ほどまで足に取り付けられていた鉄球を振り回していた。
否、より正確に言うのならば、振り回されていた、と評するのが正確だろう。二十キロ以上ある鉄のかたまりだ、筋力はもとより単純に体重が、質量が足りない。
だから、余計に危ない。
短槍や棒、剣を持った五人の牢番もうかつには近づけない。というよりも、無視しておけば遠からず行動不能になるだろうから、わざわざ近づく必要もないのだ。
そして、それこそが秋人と駿介の狙いだった。
裸足の駿介は音もなく牢番の懐に潜り込むと、鉄球を男の足に落とした。
あわてず、騒がず、慎重に。
ごとん。
「!」
牢番が履いているのは革製のごつい靴だが、秋人のように特別な「安全性能」は無かったようで、あまりの痛みにのけぞる。のけぞった喉仏を駿介は固めた指の関節部で打った。
たまったものではあるまい。
牢番はそのまま失神する。
秋人は突きだされた剣、その必死の一撃の上に鎖を乗せた。すっと横に避けると、からませるでもなく、叩きつけるでもなく、純粋に置いた。
ただでさえ剣を突き出したバランスの悪い体勢であるのに、このような重りを乗せられてはたまった物ではない。無精髭の番兵は思わず全身の力をこめて剣を把持しようとして――顔面から倒れた。
もちろん秋人が抜け目なく足を引っ掛けて、後頭部に手刀を入れている成果だ。
二人目が、昏倒する。
かかった時間はわずかに四秒。
牢番たちはあっけにとられる。しかしあっけにとられたままの暇はなかった。
「っ!」
とうとう悠太の手からすっぽ抜けた鉄球が、それでも相当の威力で一番年嵩な牢番の脇腹を直撃したからだ。胸部なら革製の防具もあったのだが、運が悪いとしか言いようがない。肋骨が何本かイっただろう。無論、立っていられるものではなかった。
グッジョブ!
と駿介が親指を立てて大股にもう一人の牢番へと迫る。
秋人は薄い笑いを浮かべて倒れた牢番の剣を握った。
*
――強い。
悠太はこの男たち二人の持っている暴力の凄味にようやっと気付いた。
秋人が剣を拾い上げてから十五秒。残った二人の牢番も完全に戦闘能力を失っている。
うめき声をあげて床に這いつくばっている五人の男たちも、決して素人ではないのだ。ましてやきちんと武器も持っていた。なのにここまであっさりと。
秋人はズブリ、と躊躇なく前歯の欠けた(秋人が割った)牢番の肩に剣先を差し込み、普遍語で問いただす。
「俺たちの魔法装具はどこだ?」
と。
獣脂のゆらめく灯明に照らされたその顔は、いかにも凶暴に見えたことだろう。
牢番の忠誠心(あるいは城主への恐怖心)は、三回目の刺突によって破られた。
そうして三人はさらに地下へと進んでいる。地上ではなく袋小路へ自ら歩を進めるという行為について、あの男が嘘言を吐いた可能性について考えると心が冷えるが、「まあ、拷問されて嘘の言える奴なんか滅多にいないよ」という、秋人の経験から出たであろう心温まるお言葉を支えにするしかない。
階段を駆け下り、幾つかの曲がり角を曲がり、すでに明かりは秋人の持っている即席の松明だけだ。だが、上の方からは何人もの叫びが聞こえてくる。
――どうやらビンゴってことのようだな。
秋人はむしろその騒ぎようにこの先に何があるのかを確信した。ただの行き止まりならば、慌てる必要などないからだ。
そして、最下層。正確を期するのならば、おそらくは最下層であるはずの場所、黴臭い、空気の淀んだひんやりとした空間に、その部屋はあった。
鉄で補強のなされた分厚い木の扉に、頑丈そうな錠前が据えられてあるが、このようなときのために、彼はプラスティック爆弾を残しておいたのだ。
轟音。
耳を閉じていた三人にしても相当な衝撃なのだから、近づいていた追跡者たちにとってはまさに音の爆弾と言ったところだろう。
こうして彼らはまたもや貴重な数秒を稼ぐことに成功したのだ。
扉を開ける、閉める。
剣を扉の下にはめ込み、更に目についた戸棚でバリケードを作る。ここまで来たら――そうほっと人心地着いたところだ。
何者かが、その庫の中には、いた。
2
「嘆きの塔」のはめ殺しになっているガラス窓が、内側からの圧力に負けて砕け散る。その砕けた窓枠から、白い煙が漏れ出てきた。
煙?
それにしては妙だ。その物体は、ただもこもこと窓から膨れ上がって外に垂れ落ちていくだけで、決して風に千切れて消えたりしない。
煙にしては匂いもしない。呼吸に異常も起こさない。そもそも煙とは不完全燃焼の結果できる物であるから、熱を伴うはずだが、それもない。
霧?だが水分を含んでいない。
綿、確かにそのようにも見えた。しかしそれは神の視点を持つ者の目からそう見えたのであって、現実にはそこまで冷静な観察者は皆無だ。
それは天然自然の産物ではない。
束縛烟。
「束縛」の名を持つが、がんじがらめに動けなくさせるのではなく、視界をゼロにして、水の中にいるほどの「抵抗」を空気に生じさせる魔法だ。無論室内、密閉空間でしか意味をなさないが、逆に言えば室内で使えば強力な魔法ということになる。
魔法の明かりを最大限にしているのだが、視界はゼロ。両腕を前に出すと、肘から先は完全に見えなくなる。とはいえ未だ夜明け前の石造りの塔、これで光源が無くなれば、鼻をつままれても分からない暗黒が訪れるだけだから、まだましと言うべきなのだ。
そう、まだましだ、としか言えない。
牢番と比べて、錬度も武装も格段に上の衛兵たちが手も足も出ない。
できることと言ったら文字通りの盲滅法に得物を振るうぐらいのものだ。しかしその速度すらも、自ら焦れるほどにスローモーであった。
彼も、ノーギス・カリオンも焦れている一人だった。
西王国一の武人、と名高いゴッサーダ・イン・ハルザット子爵に憧れて家出同然に衛兵の試験を受けたこの金髪の若者は、『なかなかである』、と滅多に人を褒めぬ白髪の城主に武の才を認められた一人である。だからこそ塔の中階層、九階の責任者に置かれたのだ。
だがしかし、魔法使いの相手は、やはり一介の剣士では荷が勝ちすぎる。
ただ、カリオン青年を責めるのは筋違いと言う物だろう。
自身が囚えられていた四階の牢からここまで、全ての階層に「束縛烟」を充満させられる――それもたった一人で――魔法使いなど、想定の範囲外だ。
しかし想定の範囲外だと言って、やることをやらないわけにはいかない。
彼は上階への階段を背にして、隙なく剣を構えていた。
塔の階段、その入り口は、保安上の観点からそれほど大きくない、成人男性二人が並んで立つのがやっとというところだ。さほど体の大きくない彼のサイズでも、十分塞げる大きさだ。そのうえ階段はフロアの対角線上に配置されて、目の前の一本道の廊下を通らなければいけない造りになっている。つまり、見えなくても何とかなる。
足音!
彼は剣を(出来うる限り、ではあったが)素早く右から左に薙いだ。
薙いだのだ。
確かに、剣の軌道はそこを通った。
だというのに。
ずいっと左手が煙の向こうから彼の顔面を鷲掴む。華奢と表現すべき白い手なのに、その手をはがそうと反射的に弾いたカリオン青年の鉄籠手の一撃を受けても、その細く白い腕はびくともしない。
やがて、その腕に続いて、白く、驚くほど整った顔の少女が煙の中から姿を見せた。
少女は魔法使いだ。
しかし、今や彼女は「歴戦の兵」である。地上での五日間は少女を戦士へと変えていた。
リリナと――親しい者はその少女を呼ぶ。
*
我々の棲む地上世界では魔法が補給できない。正確には補給が極端に難しくなる。そして欠乏した魔法量は完全には戻らず、直近の魔法貯蓄量までしか戻らない。それはピンダルゥの実を食しても同じことだ。
さらに厄介なことに、総魔法量の三分の一まで消費したならば、フォーダーンへと還るための「門」を作ることができなくなる。
つまり少女はいつだって「ガス欠」を気にしながら戦っていたのである。
だが、天蓋世界では違う。
水には水精が宿り、空気には風精が舞う。特殊な呼吸法と瞑想によって、彼女の失われた魔力総量はこの三時間あまりで満タン近くまで回復していた。
その上、魔法の使用量すら減るというおまけつきだ。真空の宇宙を飛ぶロケットには、燃料タンクの他に酸素のタンクも必要である。魔法の霊素が満ちているとは、つまりはそういう事だ。
そう、今や彼女はその能力を全開にして戦える。
「姫様はいずこにおわす?」
魔法使いの問いに、カリオン青年は抗することが出来なかった。すでに魔法に掛けられていたのだ。
「十五階……最上階の、貴人の間です」
「なるほど、ありがとう。……おやすみなさい」
青年はすとんと崩れ折れ、すやすやとした寝息を立てる。その罪のない寝顔を無表情で見下ろすと、少女はまたも烟の中に紛れ消える。
コツコツと、足音すらもが烟に紛れて消えてゆく。
リリナは自らの作り出した「束縛烟」の中でも自由に物が見えるし、一切の抵抗なしで動ける。そうでなければほぼ意味のない魔法だ。
実際、迂遠な魔法であると言えた。もっと強力で、効率良く対象を無力化できる魔法もあるにはあるのだが、そうなればその魔法は死者を出さずにはすまされない。
彼女とて王国の禄を食む者、決してここで戦っている衛兵たちを「敵」とは思っていない。上司の命令に従っているだけのことなのだ。
――できる限り、殺したくはない。
そう思っている。
とはいえ、その思いはあくまで「できる範囲で」だ。
姫様のためならば、この身が砕けようと、味方殺しの汚名を着ようとも恐れることは何もなかった。
更に今の彼女が用いている魔法は、障壁を表皮に添わせて展開し、その上に「念動力」で仮想の筋肉を作り上げる。悠太が着装する「聖騎士の鎧」の簡易版とも言えた。地上世界ではあまりにも燃費の悪い魔法であったが、フォーダーンでは十分実戦の用に足りる。
あまり正確ではないが、「鋼鉄の鎧を着込んだ大柄な戦士」ぐらいの強さ、が今のリリナの状態と言えるだろう。
その上で自分だけ視界が効く。
ズルい、といっていい。ほとんど勝負にはならないだろう。
ならない、はずだ。
*
石造りの塔は、現在こそ牢獄であっても、もともとは城塞であり、更には「鶴の城」とさえ呼ばれていた優美な城なのである。現在われわれがこの城に感じる薄気味悪さのうち九割までが、不吉な「情報」のもたらすものに他ならない。
モータリゼーションを拒否したフォーダーンの地において運輸の要は水運である。シャボリー運河は内陸にある西王国王都へと物資を運ぶ大動脈であり、中継地点にして、この運河を作った男の名を冠した商業都市「シャボリア」を衛るのにこの城は必要である、とそういう名目で建てられた。
そう、名目だ。戦争のためというよりも「土木王」オルギーン二世が作り上げた趣味の城と言うべきだろう。
愚王と呼ばれることも多いオルギーン二世ではあるが、建築された二百年前に流行していた瀟洒な作りのレリーフ、あえて左右非対称な幾何的複雑さを良しとした部屋の作りは現在の目から見ても美しく、歴史的建造物としての価値も高い。さらに壁を這う真鍮製の細い管は、実用品ながら金色のアクセントとして、抜群の効果を生んでいる。
真鍮管は象嵌のように壁に半ば埋め込まれ、万が一にも折れることのないようになっていた。
文字通りの意味で、この管は城の中を縦横に巡る血管なのだから。
この管の中には、「魔法」が中を通っている。
城の一隅に置かれた「魔法炉」から引き込まれた「魔法管」は、建物にくまなく据え付けられ、明かりや動力、冷暖房や煮炊きに使われている。
地上界で言うところの「電気」にもっともよく似ているのだが、扱い方はガスの方が近かろう。
魔法は霊素、あるいは魔素、と言った実体のある粒子が媒介して因果律をコントロールしている。だから、魔法炉で生成された「生の魔法」は管を通らなければならない道理だ。
魔法炉。
フォーダーンに充満している「霊素」を取り込んで魔法へと変換する機械である。
濃縮する、でもおおむね間違いではないが、濃縮した結果、励起状態へと転換が行われてもいるので、やはり変換炉と言った方がよいであろう。
魔法使いが一度「火」を入れれば、平均半世紀余りにわたって魔法を作り続ける。作られた魔法は金属管を通って、各家庭、各部屋へと送られる。ここまでは地上界の電気とあまり変わりはない。
とはいえ遠隔地にある巨大な発電所から「送電」、と言うわけにはいかない。魔法状態は時間に応じて消失してしまうからだ。
だが地上世界の発電施設と違うのは、大きさによる効率の差がほぼないという点である。千世帯当たり四メートル四方の立方体で充分賄えるし、通常の使い方をするならば爆発も汚染もない。メンテナンス料だけのフリーエネルギーなのである。
煤煙も、二酸化炭素も、放射性廃棄物も、もちろん一切排出しない。(余談ではあるが、二十一世紀の地上世界においても薪や石炭による調理、暖房によって発生する煤煙によって400万人超の人間が死んでいる。これに旧式火力発電の煤煙を含めれば死者の数はさらに100万ほど増加するだろう。この数字は二酸化炭素等温暖化促進ガスの影響による死者も、放射性廃棄物による死者の数をもはるかに――ケタ外れという言葉が意味をなさないほどに――超える)
明日も更新いたします。




