赫髪の姫君 3
禿頭で、赤子のようにころころと太った一人の男が歩を進めてきたのだ。
宮廷魔術師ベン・ジーアルフ。
「申し訳ありませんねぇ、リリンボン・ゼ・クシャーナ・エンリリナぁ」
愛想笑いを浮かべて、独特の粘りつくような物言い。普段でもそうだが、このような状況下では全く癇に障る。
「あなたにはぁ、いくつかの疑惑がもたれているんですよぉ」
リリナは年上にして格上の魔法使いに獰猛な目つきで答えた。
「なに?」
「禁忌魔法の研究ですぅ」
「何をバカな!」
身に覚えがない。
「うんうん、確かにぃ、あなたのお師匠さんとあなたとは違いますもんねぇ。けれどもぉ、疑いがあるのは事実なんですよぉ」
そう言うとベン・ジーアルフはゴッサーダと目くばせする。「失礼します」と言うと糸のように細い目をした双子の少女が、リリナの腰にとめてあるポーチを外す。
双子の一人は主人であるゴッサーダにそのポーチを渡すと、もう一人が盆を持って傍らに立つ。
ゴッサーダはポーチを開け、中身を盆の上につまんで置きだす。
宝石、ピンダルゥの実、書付とちびた鉛筆。小さな切り出しナイフ、金貨を加工した護符。そして……、
「!、なんだこれは」
剛毅な城主が絶句して宮廷魔法使いに渡した何かの詰まっている瓶。
「!おお、わたくしも『魔法協会』の資料室で見たことがございます!これは!これは!」宮廷魔法使いの話し方も変わる。
リリナも見た。
愕然と。
「妖蚤」
反魔法生物。あのとき秋人の「皇帝の鎧」がなかったならば、どう対処すればよいのか、想像すらできない怪物だ。
「ゴッサーダ様、お気を付け下さぃ。この怪物、まさに禁忌中の禁忌。魔法に反する存在でございますぅ」
ベン・ジーアルフの声には本物の恐怖が混じっていた。
そしてリリナの脊髄に氷が突き刺さる。
――やられた!
ゴーズ・ノーブ、あの髑髏面。あの魔人はどのようなトリックを使ったものか、彼女のポーチにこの禁忌の存在を忍ばせていたのだ。
あの時代がかった拳銃は囮。いや、殺そうという意思は本物であったのだろうが、それが成らなかった際にも彼女が不利益になることを抜け目なく行っていたのだ。
だとしたら、これは最悪の効果を生んだ。
逃げるべきか?
「逃げだしたらば、この三人は問答無用で処刑する。だが、裁きを受け入れれば、釈明の機会を与えよう」
ゴッサーダの低い声は冷徹に彼女の選択肢を削る。
「それは、……私の持ち物じゃあない、ってことを信じてもらえるかしら?」
絞り出すような少女の問いに、白髪の亡命貴族は冷ややかな声で返した。
「信じろという方が無理だな。エンリリナ嬢、これは貴女が持っていたものだ」
少女はぎりり、と切歯する。
「おおゴッサーダ様、彼女ほどの魔法使いともなりますと、決して牢に入れたからとはいえ安心はできませぬぞ」
ベン・ジーアルフは愛人でもあるかわいらしい弟子に持たせてある籠から、白い貫頭衣を取り出した。
ゴッサーダはじろりとその衣服を見る。
いくつもの革ひもと金具が着けられたその服は、魔法使いを捕らえた際に必須の物体であることを彼はよく承知していた。
軽くうなずく。
「では、エンリリナ様ぁ、お着替えくださぃい」
宮廷魔法使いはにやにやと笑いながら拘束衣を広げる。
「もちろん、衣服は全て脱いでからですよぉ」
装飾品、衣服に魔法の物品を隠しておくのは魔法使いならば一般的な行動だ。だからベン・ジーアルフの言葉はまったく正しい。
正しいがしかし、今ここで、となると意味は変わる。
この場には二〇人からの人間がいる。正確には(ゴッサーダの両脇にはべる双子の少女を除けば)人間のオスが。
その真ん中で裸になれと言っているのだ。
ゴッサーダの金色に光る目はまさに鷹のように感情が知れない。
ベン・ジーアルフは男色家であるから、そこに欲情の光は無い。あるのはただ、若く煌びやかな才能に対する嫉妬と、それを蹂躙する機会を与えられた嗜虐の喜びだけである。
だが、拒めるものではなかった。
彼女とて、戦場であったなら同じことをするであろう。
リリナはちょっと悠太の顔を見た。意識は未だ戻っていない。心配といえば心配だが、今はそれだけが救いだ――と感じて、少女はそう感じた自分に少し驚いた。
そして、首飾りを外す、ワンピースを脱いだ。
羞恥の色は無い。
上の下着を外した。
まだ発達途中の白くて丸い乳房がまろび出る。
約三十四の視線が彼女の胸に集まった。
ゴッサーダは相変わらずどこを見ているのか分からないが、視線の少ない分、残りの四つは秋人と駿介であった。
彼らは唯一自分たちにできる抵抗として、しっかりと目をつぶっていた。正直なことを言えば、このような状況下でも男の心情として見たい気持ちは充分ある(少女はまったく完璧に美しいのだ!)。だが、見てしまったらこの少女に生涯軽蔑されるだろう。
それは、リリナと先ほどまで命がけで戦っていた二人にとってあまりにも「割に合わない」話しであったから、地上生まれのエデバールたちは、まるで示し合せたかのように、彼女のストリップティーズを見ることを自ら禁じていたのだ。
絹の下着を下ろそうと、少女が両の親指を腰の位置に持っていったその時、細い目の少女たちが上から拘束衣をすっぽりとかぶせる。彼女を白い木綿の被膜で覆った後、後ろで髪を一つに結んである方の少女が彼女の下履きを脱がせた。
ゴッサーダは双子の働きに軽く頷く。
双子は優雅に一礼した。
兵士たちの盛大な溜息と舌打ちが聞こえたが、ゴッサーダの眼光一閃、兵たちは伸び切った鼻の下を縮めると、直立不動の体勢を取る。
そしてゴッサーダの視線はリリナと交錯する。
怒りに、真っ白くなった皮膚は月の光を浴びて青いとさえ言ってもいい。少女の瞳は冷たい激情を孕んでなお情報を欲しているかのように彼を睨みつける。
この男には裏があるのか。それとも職務に忠実なだけなのか。
少女の視線を受けても少しもひるまずに見返すその瞳に揺れは感じられない。少女には斟酌しきれない。それはこの男の何よりの鎧であった。
リリナは諾々(だくだく)とベン・ジーアルフの促すままに指を留められ、歯を縛り付けられ、足枷をはめられる。それから獣に付けるような革製の目隠しを付けられると、一切の自由は奪われ暗黒がもたらされる。
さすがの少女の心も恐怖に押しつぶされそうになった。
だがしかし、ゴッサーダの魔法装具に頭部を押さえつけられている秋人が日本語でこう言ったのだ。
「待ってろ」
もじゃもじゃ髪の男は恨みがましい響きを持っていた。日本語話者でない者には、泣き言に聞こえただろう。
「こっちから行動を起こす、だから、それまで待っていろ」
日本語を理解している者はいない、と想定したうえでのコミュニケーションだった。内容と感情を乖離させて少女に情報を伝えているのだ。
なるほど、少女は理解する。
「分かった!」
ふざけるな!とでも言ったかのような怒声であった。
*
現状がどうなっているのか、少女には分かりようがない。しかし、「これ」が「それ」なのだろう。
リリナは拘束衣を一度脱いでから、すっぽんぽんのまま切断の魔法で袋状になっていた袖を切り落とす。そのあと皿に張ってあった飲み水で顔を洗うと、シーツを引き裂いて即席の帯とした。
――まあ、服は、服だ。
拘束衣を再度着ると、今度は腰のところにシーツの帯をまく。そうなれば確かに服らしくなった。
「……待っていてください、姫さま」
少女はそう呟き、扉を吹き飛ばした。
4
ライガ・デマルは今年六十五歳になる。
大きなわし鼻に、左足はびっこを引いている。
このシャボリー城塞の「嘆きの塔」に女性の貴人が囚われてきた際に身の周りの世話をするために雇われている女性だ。
いったいどのような人生を歩んできたのかは誰も知らないが、実年齢より軽く十歳は老けて見える、という事実が彼女の履歴ということなのだろう。
かつて、サラーン大公夫人が殺人罪で(不貞を全て愛人のせいにして殺したのだが、残念ながら不幸な青年は大公その人の愛人でもあったのだ)収監されていた際に、妹であるバンジュ侯爵夫人に出した手紙の中で手ひどく描かれている。
曰く、いつも不潔な衣装を着て、気が利かず、嫌味を言い、言われたことの半分もしない。そのくせ何か事あるごとに対価を要求し、手持ちの金銭が無くなったとみるや掃除なども三日に一度から半月に一度になった。ついては至急送金をしてほしい云々、と。
城主のゴッサーダ子爵がなぜこのような女性を雇用しているのかは誰も知らない、そしてこの苛烈な主の人事について質問しようなどとは、誰一人つゆとも思いはしなかった。
そのライガが、笑った顔など誰も見たことのない老婆がしかしよく磨かれた銀のポットで、木の実を入れた蜂蜜ケーキを茶うけに、囚人と楽しくお茶をしていた。
彼女の淹れた紅茶は完璧で、手製のケーキも玄人はだし、というよりも王都で店を出したなら人気店になれるほどの腕前だ。
そのことを囚人が言うと、ライガは照れたように「いやですよ、おだてないでください」と笑って答えた。
この老婆がシャボリー城塞に勤めるようになってやがて八年は経つ。しかしこのような笑い方をするのを見たら、誰もが目を丸くするだろう。いつも不機嫌で金にうるさい。それがこの老婆の個性なのだと誰もが思っていた。
もちろんのこと、その様な面もまた彼女の真実ではあるのだろうが、やはりそれは一面でしかないのだ。
老婆はにこにこと相好を崩し、紅茶を白磁のカップに注ぐ。
完璧なマナーで、しかしぱくぱくと彼女の作ったケーキを完食し、飲み干した囚人のためのお替わりだった。
「――本当においしいわ」
にっこりと笑ったグリーエルナーサ・ファル・グ・エルメタイン西王国第一王女殿下は、オレンジ色の魔法の明かりに照らされて、サファイアのような瞳を輝かせると、二煎目ではあるが、ライガの技倆によりむしろ穏やかさ方面へと舵を切った香りのお茶を楽しんだ。
――なんとまあ、華のある方なんでしょう!
ライガ・エマルは「茶を飲む」、という王女の一連の動作を、うっとりとした目で見つめる。
背中まである、燃えさかる焔のように赤い髪は豪奢に顔を飾り、意志力を感じさせる眉の下にある大きく、そして知性と自信に満ちた緑の瞳はそれ自体が発光するかのように澄んでいる。鼻は高いが完璧なバランスとフォルムで高貴な印象を人に与え、その下にあるぽってりとした肉厚な唇は艶やかに濡れている。そちらの気のないライガにしても思わず唾を飲む色っぽさだ。
褐色の肌は名君の誉れ高い祖父のゲンジッド二世と同じ色で、赤い髪とは好対照である。背は女性にしては高く八・五短尺(約一七〇センチメートル)、手脚は長く、服から出された肩は決して華奢ではなく、若鹿のようにはつらつとした筋肉と女らしい脂肪が控えめについている。
そして、控えめどころではないのがその胸のボリュームだ。
ライガの六十五年の人生の中でこれほど巨大なふくらみを持つ者は――大兵肥満のカーツハルム族の女(体重が二百斤=百二十キログラムはあった)を除けば――初めてこの目で見たほどだ。
引き締まった腰周り、肥満ではなく鍛えた結果大きく丸いお尻。長い脚は八頭身強と言う抜群のプロポーションを彼女に与えている。
今着ているのは絹の、しかし豪華とはほど遠い普段着以下のドレスであったが、このまま晩餐会に赴いても、もっともその場で光り輝く存在になることは疑いえなかった。
――この方が明日の朝、毒を盛られるとはなんとおいたわしいことでしょう。
老婆はおそらく生まれて初めて囚人に同情する。
だが、努めて明るく振る舞うと、干し棗を一つ手に持ち、甘酸っぱいその実をまるでつまみ食いするいたずらっ子のような表情で口に放り込んだ。
くすり、とエルメタイン姫は笑う。
「私も良くやりましたわ。――いいえ、白状しますと今でもやっていますの。でもそのたび見つかって、意地の悪い筆頭侍女に叱られるんですよ」
「おやまあ、姫様を叱るとは、ずいぶんと礼儀を知らない侍女もいたものだ」
「ほんとうですよ、私よりずっと小さいのに」
ぷっと姫君は頬をふくらます。
絢爛たる花のような女性なのに、その所作のどこかに子供っぽさが残っている。そのことがむしろ彼女の出自を物語っているようだった。
もう少し、世界の仕組みを理解していたならば。とライガは思わざるを得ない。
彼女とて、いや彼女こそゴシップを人並み以上に楽しんでいる。だからこの姫様の活躍に快哉を叫んだり(もちろん表面上は眉をほんの少し上げただけだったが)、彼女の悪い噂に意地の悪い笑みを(むろん表面上は口の端をごくわずかに歪ませただけだが)作ったりもしたが、こうやって喋ってみればなんという純粋で優しく、そして聡明であることか、そのことが誰よりも多くの苦難を経てきた老女には理解できた。
彼女に、もう少し世間知が、もう少しこの世界が意地の悪い物であるのだということを誰かが教えてくれたのならば――そう思わずにはいられない。
だが、おそらくこの姫君にはその時間が与えられることはもうあるまい。
そのことを、この人の形をした奇跡が失われることを思えば、彼女は沈痛な気持にならざるを得ない。
せめて最後のこの夜を、ほんのささやかな慰めとなれば――そこまで思考して、彼女は地上の――この場合は我々が「地球」と呼んでいる地上世界の事ではない。姫君が囚われている塔の最上階から見て下、という意味だ――騒ぎに気付いた。
怒号が飛び交い、衛兵たちが剣を持って走り回り、灯火が着けられていく。
「なんでしょうね?」
はめ殺しの窓から下を覗いた老女の素直な疑問に、エルメタイン姫はカップをそっとソーサーに戻すと、
「先ほど話した私の筆頭侍女が『こと』を起こしたんですよ。そうなると信じていましたから」
にこりと笑う。
それはまるきり自分の宝物を自慢する童女のような表情だった。
そして姫君はライガの手を両手で握ると、花のかんばせをぐっと突き出して、心苦しそうに眉根をひそめてこう言った。
「お願いしたいことがあるんです」
ライガにしろ誰にしろ、彼女の「お願い」に聞く耳を持たない者はいるまい、そう思わせるなにかをグリーエルナーサ・ファル・グ・エルメタインは持っていた。
赫赫と、光り輝くように燃える赤い髪を持つ姫君は。
第2部スタートしました。よろしくお願いします。
次章「遺棄せられし魔法使いとの対話」 は9月更新予定です。




