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赫髪の姫君 1

第二部



第六章「(かく)(はつ)の姫君」



      1



「いやはや参りましたな」


 ゼルエルナーサ・イーハ・カロン侯爵は首を振った。よわい八十を超えているというのに、肌つやといい、引き締まった堂々たる体躯たいくといい、壮健その物である。

 歴戦の勇者にして「西王国」の元老会議の座長を務めている大貴族は、だが旗色の悪さをその顔に浮かべていた。


 「失礼ながら――」額のやけに突き出た、陰険な目つきの男が慇懃いんぎんに言い添える。やけに派手派手しい服装がこの男の内面を問わず語りに語っていた。

「ゼルエルナーサ侯爵は『轟名竜』との契約で『不殺生戒』を起てていると仄聞そくぶんいたしております。エルメタイン姫殿下の沙汰につきましてもまさかご自身の『かい』を優先なさっておるのでは?」

 派手な服に身を包んだ陰険そうな男――ファルファッロ・アーチスタイン・ゴロメイア男爵は口角を上げた。獣が牙を剥くのと同じような効果を人に与える、笑みによく似た表情だ。


「いやいやいや、轟名竜・ソルダとの戒はあくまで私一個人のそれ、訴訟に関しては例外となっておりますよ」

 ゼルエルナーサ侯爵は痛いところをかれた、とぴしゃりと額を叩く。


「ファルファッロ男爵、口が過ぎますぞ!ゼルエルナーサ侯爵が私情で動かれぬお方だということはここにいる全員が知っておいででしょうに」

「――いや、これはとんだ失礼をいたしました。」

 ザガード・ロスハング・クロフエナ女伯爵にいさめられたファルファッロ男爵は素直に己の非を認めた。

 胸元を大胆に露出した紺のドレスに身を包んだザガード女伯爵は四十三歳。今でも十分になまめかしい。二十代の愛人たちが三十人からいる、という噂はおそらく真実であろう。

 ゴロメイア男爵は、女伯爵の白い肌の下から蒼い静脈が透けて見える豊かな胸元に目をやると、ごくりと生唾を飲み込んだ。


「それよりもぉ、問題なのわぁ」


 のんびりとした口調で禿頭とくとう、肥満の青年が葡萄果汁の入った杯をなめながら論点を戻した。

「やはりぃ、エンリリナ嬢が持っていたぁ、『妖蚤アガード』の乾眠体かんみんたいですよぉ」

 ぞろりとした白い簡素なローブを身に着けている宮廷魔法使い、ベン・ジーアルフが丸まっこい指で水晶の瓶に詰められた赤黒い鬼を透かすように見る。


「……それは、やはり『禁忌』の魔法生命体なのか?」

 ゼルエルナーサ侯爵は、忌まわしそうにその小鬼を見ながらもう一度尋ねた。


「はい、それはもぉ、間違い無いですぅ」

 魔法使いはためすつがめつ小瓶を見る。西王国最高の魔法使いであるところの彼でさえ目にするのは二度目、「生きて」いる物という意味ならば初めてだ。


 「となると、」前髪の一房以外は雪のように真っ白い髪のゴッサーダ・イン・ハルザット子爵は渋い声で割って入る。「やはりあの噂は本当だったということになるでしょうな。姫様とリリンボンの小娘が邪道に淫していたという」

「残念ではありますが、火のないところに煙は立たず、とも申します」

 ファルファッロ男爵は少しも残念でなさそうに語りだす。


「そも、兆候は既に出ていたのです。そう、それは二年前――」



 ――二年前、毎年秋口には必ず「降りて」くる〈ピンダルゥの実〉が、その年は降りてこなかった。


 降りてくる。そう呼ぶのがまさに正しいだろう。大きめの一軒家ほどもあるピンダルゥの実は毎年秋、ふわりふわりと、この世の天蓋「水晶のもり」より西王国の南西部へと降りてくるのだ。

 発泡した中空の真っ白なその実は、不老不死の秘薬――というのはうたい文句だとしても、少なくとも百薬の長、あるいは最高の美味として同じ重さの金の十倍の値で取引されていた。

 年ごとに降りてくる量の増減はあっても、四王国期三〇〇年、否、『帝国』時代を含めた歴史上、降りてこなかった年はたったの三度だけだ。


 ズバリ帝国末年に一回。

 そして一回は「暗愚王」カンリスが即位した(そして死亡した)年。

 もう一回は記録からその名が抹消された「名無しの宮廷魔法使い」が禁忌の魔術である「魔法炉」の人体移植を行い、自らとその弟子、および付近に住む村民二〇〇人を道連れに死亡した年、である。


「……ご存じの通りカンリス王も禁忌魔法に並々ならぬ関心を示していました」

 ファルファッロ男爵の口舌はいよいよ滑らかだ。


 実際問題として、一度だけでもピンダルゥの実が降りてこない、というのは大問題である。その実は、大規模金鉱山と同じだけの収益を西王国にもたらしていたのだから。

 もちろん王国はそれだけで屋台骨が揺らぐような不健全な財政ではないが、想定外であることは言うまでもない、そしてそれが二年続く、となれば異常事態は倍ではなく二乗となる。

 まず王とその周りの予算が切り詰められ、廷臣の不興を買った。福祉も切り詰められて臣民の不満が募った。

 しかもピンダルゥの実の安定供給が止まると、フォーダーンでのピンダルゥの実の価格はうなぎのぼりに上がった。すでに高かった時のさらに十倍。金の百倍の価値がある、庶民どころか、貴族、豪商であってもおいそれとは口に入れられない値段だ。

 そしてピンダルゥの実は最高の薬であるとは先ほども記したとおりである。これは文字通りの意味で、ありとあらゆる疾病に効き目があるし、傷の治りも早くなる。

 ピンダルゥの実を飲むことで命を繋げている者もいるのだ。

 たとえば腎臓を病で壊した者は、週に一度は血の中の毒を消すために一定量飲まなければならない。ピンダルゥの実が黄金の十倍であっても、必要な処方はほんのわずかであるから、今までは中流家庭以上であればまかなえていた。しかしさらに十倍となるばこれは訳が違う――、しかも事は命に直接かかわるのだ。

 血液浄化魔法もあることはあるが、費用はさらに高価だ。そもそも上級者向けの魔法であるだけでなく、ピンダルゥの実によって代替可能であったのだから、習熟している者の絶対数が少ない。

 かくて家計は破綻し、病人は死に、一家は離散する。決して少なくない数の家庭がそうやって壊れていった。

 不満は蓄積する。


 ――なぜだ? 


 どのような理由により、水晶の杜はピンダルゥを「降ろし」てくださらないのか?


 そのような折に流言が西王国の首都に流れた。


 曰く、エルメタイン姫殿下は父王と不義の関係にあり、それだけでなく侍女の魔法使い、エンリリナを用いて禁じられた魔法の研究を王宮深くで行っている、と。

 出所は不明だ。しかしエルメタイン姫は人気者であったが、その分多くの妬みそねみを買う性癖で、それを意に介さない行状の持ち主であった。

 おつきの侍女とともに犯罪組織を壊滅させたり、悪代官を罷免ひめんさせたりしている。

 それ単体で見れば善行と呼べるかもしれない。しかし、より大きな目で見れば政治にも司法にも混乱に拍車をかけただけ、ともとれる。

 法で裁けぬ悪、と言うモノは確かにあるであろう。しか犯罪組織もワイロを受け取り私腹を肥やす官吏も、法で裁ける存在だ。

 庶民は喝采を浴びせるが、当局は実に苦々しく見ていたに違いない。

 そして「庶民」なるものの人気はいつの時代も、どんな場所であってもうつろいやすい。財政の逼迫ひっぱく流言蜚語りゅうげんひご、二つは絶妙と言っていい化学反応を起こした。


 かつてあれほどの人気を誇っていたエルメタイン姫の評判は地に堕ちた。今や希代の悪女、法を踏みにじり、父と交わり、禁じられた魔法をくする。

 さらに悪いことは続くものだ。父王陛下が薨去おなくなりなされた際に、通例にのっとった国葬が華美に過ぎると批判が立った。いや、それだけならばまだいい。突然の死の真相は彼女のベッド)での腹上死だ、いやいや、姫に毒を盛られたなどとさんざんである。


 もちろん事の真相はいつだって面白くもない。執務中に突然のめまいとともに急死してしまった王の死に、不審な点は一つもなかった。


 しかし、そんなことはこの際どうでもいい。



「今回の私の提訴がいささか過激に思えるのも仕方がありません。しかし今ここで彼女を抑え込まねば、南王国につけ込まれる隙を与えるだけです」


 男爵は伝家の宝刀を抜いた。

 南王国との武力衝突。それは西王国の為政者にとって悪夢以外の何物でもない。

 「海と見まごう」ガーゼフ河によってへだてられている北王国とは国境線がはっきりしているが、南王国とはウライフ山につながるシャルルハ高原によってぼんやりとした国境の策定しかできない。その地に住む民衆の帰属意識も確かではない。必定、国境線を巡っての紛争も多くなる。

 しかもここ数年、何やら南王国の動きがきな臭い。エルメタイン姫が矢傷を負いながらも南王国軍を粉砕した戦いも、この百年で最大規模の戦であった。死者の数が三桁を超えたのは、実に一五〇年ぶりの事である。


「はっきりと言いましょう、王女をしいたてまつる以外にこの苦難を乗り切る道はない、と」


 ファルファッロ男爵はそう言うと、ねえそうでしょう、とおもねるような視線をゴッサーダ子爵に送る。中年に差し掛かった白髪公は軽くうなずくと、


「禁忌魔術の研究は世界を破壊する。断じて見過ごすわけにはいかない」

 と、猛禽のような黄金色の目を光らせて硬い声でそう断じた。


「し、しかし!」

 老ゼルエルナーサ侯爵は慌てて声をかぶせる。

「リリンボン家の長女が連れてきたあの男、『帝国』正統の男はどうするのだ?」


「あんなもの」

 男爵は(大きな)鼻で笑った。

「『皇帝』の血であれば、私にも、侯爵閣下にも一滴や二滴入っております。『勅令ハイレン』は確かに着装していたようではありますが、たかが魔法素子一つを以って王にとって成り変わろうなどと……」


 そこで冷笑を一つ。



「まこと図々しいと言うよりほかにございませんな」 



 2


 秋人はくしゃみを一発した。

 特に気温が低いわけでもないが、地下牢だ。湿気が多いし、それが石壁によって冷やされている。こんなところに居たら風邪の一つもひこうと言うものである。

 男ども三人はさてどうしようか、と頭を突き合わせている。

 既に自己紹介は済み、情報のすり合わせ作業も終わった。


「これからどうなるのかねえ」

 秋人は皮肉っぽく笑うと鉄格子の外を見やる。鉄格子の先に木の扉があり、その先に番兵が詰めている、という状況だ。

「どーにもこーにも、手詰まりったあこのことだよ」

「リリナが言っていたみたいに、お姫様の婿むこ、って扱われ方じゃあないですもんね」

 駿介の発言に悠太がかぶせる。二人して秋人を見た。


 皇帝の子孫、と言われてもなにがしか変わるというわけでもない。ごく普通の三十歳になろうという日本人男性の姿がそこにはあった。


「いやいや、俺に言われても困るっつーの」

 秋人はバツが悪そうに頭をかいた。


 そこに番兵が重々しい音を立てて木の扉を開け、入ってくる。

 鉄格子越しにしげしげと三人を見ると、にやっと小汚い歯を見せて笑う。その手には木の椀と、ひらぺったいパンが三組、木製の盆に載せてあった。

 番兵の男はそれを床に置くと、隙間から足で押し込む。食事だ、という意味の言葉を言ったのだろう。だが、それから口に出た単語に、秋人の顔色が変わる。


 秋人は鉄格子を掴むと男に向かって叫んだ。

 流暢なフォーダーン普遍語に驚いた素振りの男だったが、しかしむしろ意味が分かるのならば、と虜囚りょうしゅうと言葉を交わし、最後には大笑いをして出て行った。


「どうしたんですか?」

 悠太は薄暗い地下牢の明かりの中でも確かに青白くなった秋人の顔色に気付いて尋ねた。

「あいつ、こう言ったんだよ」

 きりり、と歯噛みする。

「『さあ食えよ、最後の晩餐ばんさんだぜ』、ってな」


 野菜くずの浮いたぬるいスープを、悠太は見詰めた。


         *


 悠太が最も気になっているのは無論リリナの事である。少年は目を覚ましてすぐに、そのことを聞いていた。


「いやはや、お恥ずかしい限りだがね、俺らが人質になって嬢ちゃんは拘束されちまったんだ」

 秋人は面目もない、と言ったが、悠太自身はついさっきまで気絶していたのだから何も言えた義理ではない。


 「世界」を超える衝撃は、魔法使いでない者にとって相当なものである、という事なのだ。


 待ち構えていた兵士、そして白髪の戦士に叩き伏せられた二人は、禿頭とくとう肥満の魔法使いによってあっと言う間に武装解除させられ、牢へとぶち込まれた。しかしとはいっても、リリナは生きて故郷であるフォーダーンへと帰ってこられたのだ、という事であろう。


 だがその安心も、さきほどの番兵がもたらした情報によって一転する。

 彼ら「地上に棲まう者ども」三人に加えて、エルメタイン姫、リリナの死刑が夜明けとともに執行されるというのだ。具体的にはあと六時間ほど。


「一難去ってまた一難とはこのことだよ」

 駿介がげんなり、という顔でかぶりを振る。そしてそのままスープを飲もうとするのを秋人が慌てて止めた。

 「毒や睡眠薬が入っていたらどうする」とのことだが、まあわざわざこんな地下で殺したり、人事不省に陥らせたりしても意味はあるまい。

「死刑囚には自分の足で十三階段を昇ってもらいたいって思うはずだよ」

 駿介はまったく動じずにパンをちぎって口に運ぶ。


 「美味い!」味の評論まで加えた。


 それからおよそ十分。

 食べきった駿介の身体に異変が起こらないのを見て取った秋人は、自身も食べだす。悠太もスープだけすすってみた。酸味と辛みと野菜のうまみ。ピンダルゥの実で栄養自体は充分摂取していたが、喉が渇いていたのに気付き、飲み干してしまった。


「さて、と」

 秋人は無醗酵のパンを平らげると、「皇帝の血統」につながる者とも思われぬ大きなげっぷを一つしてから、


「じゃあ、逃げるか」と提案した。

「そうだね」

 駿介も何食わぬ顔で同意した。


 まるで「じゃあ、そろそろこのファミレスから出よう」というみたいな語調と、同意の仕方だった。






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