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鋼翅の魔女 3

〈承前〉


 くくくくくく。


 髑髏面は笑う。


 切断された上半身、身長の倍近くまで伸長した両腕。なのに先ほどまでと変わった様子なく笑うその姿は、彼が人でないことをこれ以上ないほど示していた。


「さすがは『皇帝の鎧』、私がここまで傷つけられるのは十数年ぶりですよ。……ま・もっとも、ご想像の通り別に痛くもかゆくもないんですがね」

 死神はそう言うと、手を伸ばして「立ち」上がった。傷口からイトミミズのような、コンビーフの繊維のような金属光沢をもつ細い物質がうねうねとうごめいて上半身と下半身をいとめる。


「機械か」


 秋人が切り裂いたときに走査した結果と、今目の前で起きた再生劇を見てそう断じる。

 断じたほうの秋人はと言えば、こちらはきちんとダメージを負っている。ただ、そのダメージが常軌を逸した速度で修復されているだけだ。「鎧」が、その本分たる着用者の保護という目的をなしえなかったびを入れるように、凄まじい勢いで内臓にまで至った傷を回復させていた。

 だが、秋人はもう一つの事実に汗を一粒かいていた。先ほど飛びのいた際に、彼は「壁」にぶつかったのだ。中空だというのに、堅固けんごで、一切妥協なく硬い、硬い壁を。 


しかり」ゴーズ・ノーブは笑う。

「私の身体は八割以上が魔法装具で出来ています。あそうそう、脊椎せきついの代わりには魔法炉が装備されていますからね、私が気を利かして剣の軌道きどうに沿って切除しなければ危なかったですよ。だいたい……」

 そこでゴーズ・ノーブは舌なめずりをした。この器官は魔法装具なのか否か?

「だいたい、魔法炉を切り落としたりしたら大変なことですよ。このあたり一帯焼け野原になっちゃいますからね」

「嘘だ!」

 リリナが口をはさむ。それは愛しい姫の事とはまた一線を画する真摯しんしさ、あるいは必死さが込められていた。

「人間の体内に魔法炉を埋め込むなぞ、誰も成功していない禁呪だ!どの文献にも記されていないし、不可能なはずだ!」

「お嬢さん、お嬢さん、そうはおっしゃっても現実に私めの命はこの炉によってまかなわれているのですから困りますよ」

「だけど!」


「魔法協会にも裏がある!」


 ゴーズ・ノーブは今度は厳しい声でそうはっきりと断じた。

「お若いあなた様には理解できないことかもしれませんがね、あなたの知っていることがすべてではないということですよ。

「――さて、ここで困ったことに、『皇帝の鎧』の再生魔法を超える攻撃が私にはないということが判明しました。呪霊刀も私の伸腕を見た以上、次はないでしょうしねえ」

 ですから――、と黒衣の死神は楽しそうに笑った。

「ひょっとしたら効くかもしれない攻撃をこれから行います。逃げられるのならばどうぞ、それはそれで――面白い」


 言った途端だ。



 ゴーズ・ノーブの指が伸びた。伸びたと同時に裂けた。長さは各々一メートルほどだろうか、先ほど体内で見せた金属質の線虫が伸びた分を肩代わりしている。生々しい指がその先端についているのがある種の悪趣味さを感じさせた。

 何をする気なのか?

 疑念はほどなく消えた。

 指の一本一本、その爪の先にぽっと緑色の燐光が灯ったのだ。

 そして猛烈な勢いでそれぞれの指がそれぞれの魔法象形文字を描きだしている。

「指一本が魔法の若枝と同じ機能を備えているのか!」

 と驚く暇はない。

 その指が作り出そうとしている魔法の全貌が見えたからだ。


――攻城魔法アランガスト


 通常は二〇人ほどの魔法使いが協働で作り上げる魔法だ。それをただの一人で作り上げる、しかも普通ならば半日はかかるこの魔法をおそらくは――あと一分もかかるまい!

 秋人の刃がゴーズ・ノーブへと振るわれる。しかし死神の肩から生えた、翼竜の羽のように見える盾は、呪霊刀の魔法無化攻撃を完全に防ぎ切った。

 そして、情報が秋人の脳へと送られる。 


――なんて硬さだ、モノが違う。


 秋人は少女に結界について語る。これと同じ「硬さ」があるとするのなら、逃げ場はない。

 リリナは考える。

 今この場でなにをするべきか、と。

 考える。

 三秒。

 そして決断をした。

 少女は腰のポーチから白い錠剤を取り出すと口に放り込んだ。ゴリゴリと噛み潰す。柑橘かんきつ系の爽やかな香気が鼻に抜け、深く濃い甘みが舌から直接脳へと染み込んでいくかのようだった。

 こんな場合なのに、なんと人を陶然とうぜんとさせる美味なのだろうか。

 思わずすべて飲み込もうとして、それを意志の力でねじ伏せる。

 相も変わらずに指一本動かせずに固まっている悠太のところまで駆け寄ると、えりを持って自身の方を向かせる。血まみれの、虚ろな顔だった。目は空いているが、意識は半ば以上飛んでいる。だが、まだ、瞳の奥にひとかけらの精気が残っている。手後れではない。

 リリナは一瞬だけひるむ。

 怯んで、そして泣きそうな顔で微笑んだ。


「ユータで良かったな」


 彼女は心の底からそう思った。ほかの誰かであっても、そんな感想は出なかっただろう。これから行うことが単なる人命救助なら、そんな感想が出るはずもない。


 そしてリリナは、桜色の唇を悠太の唇に合わせる。唇と舌で少年の歯を開けると、口腔こうくうに自分の唾液と混じった錠剤を流し込む。


 ピンダルゥの実。

 砕いて粉末状にしたものをき固めた物だ。水晶の杜から『り』てくる、西王国特産の品で、一粒をコップ百杯ほどにまで薄めて飲ませても、肉体労働者一日分のかてとなる。それを直接これほどの濃度で摂取すれば――。


 少年は目を見開いた。

 何が起こったのか理解できない。

 柔らかな少女の唇の感触と、今まで食べた中で最も鮮烈に美味い、果実のような味覚が混然となり、次の瞬間活力がほとばしる。


 「悪鬼の鎧」に吸われた霊力がほぼ完璧に元に戻っている。


 額の傷の痛みすらもすっと引いた。

 少女は顔を引き離す。

 そして彼女は笑った。

 照れたように。でも、それは夢だったのかもしれない。

 少女の体液を一度ならず二度までも飲み込んだ少年は、明瞭な意識なのに夢心地であった。それは都合の良い幻想だったのかもしれない。


「逃げる!」


 なぜなら次の瞬間リリナは決死の面持ちでそう宣言したのだから。

 そして一瞬後、瞳が燐光を放つ。

 空間に緑色の光が立体的な魔法円を描きだす。彼女の表皮が薄く輝きだした。

 魔法が全身に満ち、その力があふれ出す。

 あふれた力はある種の力場、磁界のように彼女の周りに凝集する。先ほどまで少女の魔力に触れていた釘がその魔力にあてられて再度彼女の周りに結集した。金属片は少女の周りで、魔力のかたちに整然と並ぶ。リリナの魔法の余沢よたくを受けて、彼女の周りを飛び交う釘は、まるで蝶のはねのように見えた。


 そうだ、それは、鋼の翅。


 やがて、そうやがて少女の正面の世界が凍結したように動きを止める。否、何か薄い、ごく薄いオブラートのような半透明の立体が出現した。全てが凧型で構成された多面体、ねじれ双角錐そうかくすいと呼ばれる多面体だ。大きさはおよそ一畳ほどか。その薄い皮膜は、半透明なのに、その後ろに「帰還社」の屋上、そこからの風景を写してはいなかった。その皮膜の先に映し出されている物は――


「まさか、まさかそんな」

 岩風は呆然と呟いた。


 そうだ、それこそが彼らが還ることを望んだ世界。


「フォーダーンへの扉です」

 翅を生やした少女はもはやこの世のものではないほどに美しい。そして有無を言わさぬ迫力がある。逃げるのはこの先しかない。言葉は使わず、リリナは燐光を放つ瞳で悠太に、秋人に、駿介に話しかけた。

 三人は、三人の地上に生を受けた男たちは顔を見合わせた。ほんの一瞬。だが、考える暇はない。

 パリン、と皮膜がまるで不注意で割ってしまった顕微鏡のプレパラートのようにあっさりと割れた。その「向こう」

 悠太が、駿介が、秋人が、その「枠」から吹く風を感じた。熱帯夜の関東平野に吹く風ではない。草の香りのする自然の涼しい風。その枠のその先は、確かに異世界へと通じている。


 相棒二人は顔を見合わせる。駿介はウインクをした。秋人は親指を立てた。

 駿介が飛び込んだ。

 秋人が飛び込んだ。


 悠太も飛び込むその瞬間、リリナの表情を見てしまった。そうだ、彼女の微笑はそういう意味だったのか。今この場で、ゴーズ・ノーブの行っていることを正確に理解しているのはリリナただ一人だから。


――もう、間に合わない。


 少女の可憐なほほえみはそのことを告げていた。

 悠太はそのことを理解した瞬間に、しかし空虚な「穴」へと体が落ちていくのを感じた。

 闇の底へと。


 「門」を正確にコントロールするのにあと十秒はかかる。ここでしくじれば、魔法使いでない男ども三人は虚空の闇に消え去る。そうなれば皇帝の血筋はもはや永遠に消え去ってしまうわけだ。

 そう、もはや、と少女は決意していた。今となっては私にできる姫様への最後の御奉公はこの十秒を完璧に仕上げることだ、否、あと五秒かそこらだろう。事ここに至って、自分が飛び込む意志は彼女にはもはやない。

 だが、やった。やりおおせた。私の使命は果たしましたよ、姫様。

 そう思った刹那だ。


 ドガン!


 と、轟音が響く。

 響いてゴーズ・ノーブが吹っ飛んだ。

 損傷はない。無いが、文字通り吹っ飛んだのだ、呪文詠唱じゅもんえいしょうが一瞬途切れる。

 さらに轟音。

 ゴリラのような男がライフル弾をぶっ放していた。

 男、岩風宏。


 今ここで!

 今ここでやらんでどうする!


 岩風はライフルを撃ち尽くすと、AKMに持ち替えて撃ちだした。

 ダダダダダダ! 

 弾倉一本分、およそ3秒間。ゴーズ・ノーブの体がコンクリートに縫い止められる。

 岩風には分かった。うら若い娘が何をしようとしているのかを。ここで逃げる場合ではない。ここで近衛騎士の家系の俺がすべきことは――撃ち尽くしたAKMを投げ捨てると、巨大なナイフを抜いて吶喊とっかんする。


「うっとおしい!」


 ゴーズ・ノーブはしかし言葉とは裏腹に笑顔を作ると、背中から生えている翼竜の羽を伸ばし、その鋭い翼端で岩風の分厚い胴体を両断した。

 だがしかし、その行為自体が呪文詠唱の遅延ちえんを生んだ。

 そして約束の十秒は、経った。

 少女は自らも故郷へと続く「枠」の中へと跳び込む。

 それと同時だ。

 ゴーズ・ノーブの呪文は完成を迎えた。

 ズン……と腹に響くような音を立てて、髑髏面の足元を中心に凄まじい暴風が吹き荒れる。

 爆発。

 それは熱を一切ともなわないが、音速をこえる衝撃波の浸食しんしょく、爆轟だ。しかも単なる爆発ではない。球状の結界内部で衝撃波が幾重にも重なり、壊滅的な破壊をもたらす。いかに機動力があろうとも逃げることはできない。鎧の防御力がいかに高かろうが、着込んでいる人間が耐えられるかどうか、試してみなければわかるまい。

 一つ言えることは、半径三十メートルの球内の物質はずたずたに引き裂かれ、跡形もなくなっているということ。そして結界が唐突になくなった結果――その一区画は吹き飛んだ。


          *


 翌日のニュースに曰く、建物の被害十五棟、死者、行方不明者十五名。重軽傷者は八十名。被害に遭ったほとんどがオフィスビル、営業の終わった時間の雑居ビルであったことが幸いした。昼日中であればそれぞれのけたが二つははね上がったことであろう。警察は事件事故、テロの可能性も視野に入れて捜査を行っている、云々(うんぬん)。


 そして、その爆発の遺留品が見つかった。

 悠太のスマートフォンが入った、ボディバッグである。

その旨の電話が高橋家にかかってきたのは、爆発事件の翌日、七月三十日の事である。



            5


 冷たい床だ。

 なんだろうここは?

 指先にかかる感触は布団でもなければフローリングでもない。もっと硬くて、ざらざらしたなにかだ。

 なんだ?何が起こった?

 悠太は目覚める。

 目を開けて、夢の続きなのだろうと思った。暗い、獣脂の燃える匂い。ランプが鉄格子の先で燃えていて、それだけが唯一の光源だった。


――鉄格子?


 がばっと身を起こす。

 夢じゃなかった。

 彼は間違いなく、薄暗い石造りの牢に閉じ込められているのだ。

「お、色男が起きたぞ」

 男の声がした。

「よく寝られるってのは、やっぱり若いからなのかねえ?」

「意外と大物なのかもしれないな」

 振り向く。

 ぎょっとした。

 あのビルで対峙たいじした二人の男たちがそこにはいた。

 体育座りで壁に背をもたらせかけている。

 悠太は身を固くする。

「おいおい、もう俺らは敵じゃあないって」

 背の高い、もじゃもじゃ頭の方が両手をひらひらとさせて敵意のないことを示す。

「そうそ、耳の件はもう許した!」

 背が低く小太りの男は包帯の巻かれている右耳の有った場所を指差した。

「!」

 その時、彼は全て思い出した。

 あの「枠」に逃げ込み、それから暗い空間をただ自由落下し、そして、そうして――、


「ここは、どこなんですか?」


 ようやっと声が出た。

「どこって、なあ」

「ねえ」

 二人組は苦笑をして顔を見合す。


『ようこそ!乳流れ蜜あふるる約束の地!仙境フォーダーンへ!』

 二人はハモってこの世界の名を呼んだ。


 はは、と気おされてあいまいな笑いを返した悠太は、そこで初めて自身の左足首に違和感を覚える。

 左手で触る。

 触ってから、見る。

 その足首には、ごつくて太い鉄の鎖と、ソフトボールより少し大きいぐらいの鉄の玉が、黒光りする鉄の金具によって足首にしっかりと繋がれていた。

 振り返ってよく見れば、二人組の足首にも同じものが着けられている。

 ぞくぞくと、牢内の湿った冷気が背筋に走る。

 口内が渇いていた。

 吐き気とはまた違う胃のせりあがる感覚。


――なるほどそうか、


 と少年は思う。

 これが、絶望って感情なのか、と。

第2部「赫髪の姫君」は8月中の更新を予定しております。

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。ぜひ2部もご愛顧ください。

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