鋼翅の魔女 2
3
髑髏面は目を剥いた。
剥いたように思えた。
*
岩風宏は自衛隊員であった。レンジャーの資格を持つ。
父も自衛隊員。そして祖父は大日本帝国海軍士官であり、明治維新以前は北陸の小藩にあって武芸師範の家系であった。
そのさらに過去は、フォーダーン「帝国」の皇帝付き近衛騎士団団長。
父も祖父も、そして彼もそのことを一瞬たりと疑ったことなく、いつかは「帰還」を果たし、帝国の光輝をもう一度天蓋世界にあまねく照らすことを念願としていた。
そんな彼ら一族の年頭の行事において、正月、鏡餅と一緒に実家の床の間に掛けられるある絵絹があった。
さる狩野派の絵師によって描かれたその仏画には墨痕鮮やかに「帝釈天」と書かれていたが、これはキリシタン禁教令後の日本において余計な疑いをかけられぬようにという知恵であったろう。
確かに仏のようにも見えるが、明らかに伝統的なそれとは趣を異にする。
毎年、正月の三が日だけ開かれるその掛け軸を飾ると、祖父は「これは皇帝陛下の戦場でのお姿なのよ。陛下はいつでも戦場で先陣を駆けておられた。そしてそんな陛下をお守りするのが我ら『いわーくぁぜ』家の本分とするところ」と彼に説明し、「いつの日か、皇帝陛下の御為に働く事こそ我らの運命と知れよ、宏」と結んでいた。
そうだそ。の絵姿の真の名こそ――
「『皇帝鎧』!」
岩風は愕然とした面持ちでそう叫んだ。
*
黄金に輝く半物質半エネルギーの構成物は、一見すると天部の仏像のようにも見える。岩風家の絵姿は実に写実的な物であったと言えるだろう。
光背を背負い、絢爛たる兜、瀟洒な胸甲、煌びやかな籠手、脛当て。さらに裳裾や天衣のようにも見える「色彩」、ゆるゆるとオーロラのように変化するエネルギー体が中空に浮かんで秋人の身を纏っている。 「聖騎士の鎧」や「悪鬼の鎧」のように三メートル越えではない。等身大の鎧は、闇夜を貫くかがり火のように煌々と黄金の光を発していた。
呪霊刀・無限式。
彼の愛刀もまた「鎧」の影響下にあるのだろう、伸びている。およそ1メートル50センチ。白磁の輝きではない、内側から光を発した、黄金の光輝に包まれていた。
一閃。
「妖蚤」どもは、その一振りで全て消失する。切断ではない、消滅だ。
「なるほどな、『反魔法生物』か。色々あるんだな、魔法も」
「妖蚤」の本質を見抜いたその一撃は明らかに遠距離射撃だ。自動追尾エネルギー弾による攻撃、その上で対象物を精査できる。今までの「鎧」とも「刀」とも桁の違う武装であった。
「素晴らしい……。これが運命と言う物でしょうね。」
最初に失調から立ち直ったのは黒衣の髑髏面であった。
この男の知識の中には秋人の纏う鎧の「この姿」はあったものと見える。
「そうかそうか、『聖騎士の鎧』なぞと呼ばれているから分かりませんでしたが、言われてみればリリンボン家は帝国の祐筆であった家系。皇帝の側近中の側近と言っても過言ではありません。西王家に忠誠を誓ったように見せながらも、帝国復古を志していたということだったのでしょうね。
「いやはやまさしく奇縁!
「『勅令』が効く帝国期の魔法装具なぞフォーダーンのありとあらゆる宝物庫をひっくり返しても三十個あるかないかと言ったところなのに、こんなことってあるのかあ……」
感に堪えないように髑髏面は天を仰いだ。
「帝国皇族直系の子孫をぶち殺せる、そんな日が来るとは、嗚呼、なんと佳き日でしょう!」
髑髏面の瞳が文字通り爛と輝いた。ルビーのような美しく透き通った紅い光が眼窩から放出される。
ギイイン、と耳障りな反響音を起てて光線を黄金の鎧は弾いた。しかし弾いたのは鎧だけだ。
「ひいっ」
岩風が眼前を通り過ぎる赤い線を認めて情けない声を出す。どのような仕組みかそれは知れない。しかしその効果はまさに切断光線。ズルリ、とビルの一辺が豆腐のように切断され、地上へと落ちた。
見た者に「災いをもたらす」邪眼。さすがに魔法使いが扱うともなれば、その威力は既に兵器に近い。
「我が名はゴーズ・ノーブ」
髑髏面は慇懃にそう名乗ると礼をした。
軽やかな舞のような礼、古式の七跪礼である、と混乱した頭でもリリナは理解した。
「ワタシ…」
秋人も下手くそな「フォーダーン普遍語」で返そうとした。商売柄、完璧とは言えないが普遍語での日常会話ぐらいは読み書きともにできる。だが、一人称を発話したその途端に彼は気付いた。
「……我が名は羽生秋人。どうやら、皇帝の血筋だったらしい」
古めかしいが完璧な普遍語が秋人の口から滑り出てきた。鎧の中に「言語」がワンセット入っていたらしい。まったく至れり尽くせりだ。
ゴーズ・ノーブが腕を振るう。手甲の部分から半透明の刃が出現した。握っているのではなく、手首と前腕で固定されている両刃の剣。
先ほどの邪視を歯牙にもかけなかった鎧の強度は理解しているだろう。だが、黒づくめの死神は、なおにやけるのを止められないようだった。そしてその事が、刃の危険性を雄弁に語っていた。
*
髑髏面が切り落とした「帰還社」ビルの数トンに及ぶ切れ端は一人の不幸な魔法使いを潰した。それはすなわち、音響結界が切れたことを意味する。
テレビリモコンのミュートボタンをもう一度押したかのように、ぱっと都会の喧騒がリリナの耳に届く。車のエンジン音、クラクション、遠くから聞こえるサイレンの音。今まで遮断されてきた音はしかし、少女の鼓膜を振るわせこそすれ、脳にまでは浸み透らない。
――そうか!
とリリナは理解する。思考の配線が繋がった。一連の不可思議に合点がいった。
『まさか、探し出そうとするその相手に監視されていて、その都度逃げられていたとは!』
普通に考えたらば、エルメタイン姫とリリナ嬢の計画は穴だらけである。第一に、見つけるのが至難の業だ。そもそも三百年前、皇族たちは民族的特徴が良く似ているこの島国で、隠れて生きていくために地上に堕ちたのだから。
否、地上に『帝国皇族』の末裔が今も生きているのかどうかが問題である。家系の断絶などよくある話だ。そうなってしまえばそこですべてが終わる。そしてなお厄介なことに、継続しているのであれば、子孫の数は増えているはずだ。誰をその正統と認められるだろうか?
いやそもそも、「地上に棲まう者ども」と混じり、もはや高貴な血など一滴も残っていないのではないか?
その時リリナが(そして王女が)考えたのが、「勅令」と呼ばれる魔法素子の存在である。
帝国期のありとあらゆる魔法装具のマスターキーにして王権の源。
場合によっては人の意思さえも自由に操ったとされる「勅令」はあまりにも危険であるという理由で、皇族とともに地上にもたらされた。魔法への依存度がほぼゼロである地上においてその素子は無用の長物なのだ。
だからこそ逆に、「勅令」は残されているであろうとも考えられた。そもそも一切の価値がないのだ、売却すらできない。
そしてその素子が発する微弱な、しかし特徴的な霊波は帝国正統のあかしと考えて間違いない。
かくしてそれは見つかった。
見つけたがしかし、探しにその場に行くと、霊波の痕跡のみを残して当の「勅令」はなくなっていたのである。
それはそうだろう、彼女は秋人たちに監視されていたのだから、だからこそ「勅令」の持ち主である秋人はリリナたちと遭わないように急いでその場を離れたのだ。初日に電車に乗って行ったその先が「帰還社」のビルであった際に気付くべきだったのかもしれない。
だが、いかに少女が聡くてもまずそれは無理な注文と言うべきであった。
秋人の御先祖はあえて子孫に自身の出自を伝えなかった。情報を途切れさせることによって、完璧なカモフラージュに成功していたのだ。しかしいつか来るかもしれない帰還の可能性に賭けて、直系の男子に「勅令」を受け継がせることを営々と三〇〇年間続けていた。
そして、その努力は実ったというべきだろう。
少女は呆然と黄金に輝く剣士を見つめていた。
見つけたのだ、と。
とうとう見つけた、と。
その灰色の瞳は金の光を受けて虹色の光輝に映える。その双眸からは涙がこぼれていた。彼女は、見つけ出したのだ。
本人すら知らなかった、皇帝の血筋を。
4
秋人は油断なくゴーズ・ノーブを観察する。
普通に考えれば、呪霊刀に加えて、一介の男子中学生を一騎当千の兵士と化したこの鎧だ。まず負ける道理もない。ないはずだが、しかし、髑髏面は余裕綽々(よゆうしゃくしゃく)と言う風情だ。
実際余裕があるのか?
演技なのか?
それとも、頭の螺子が何本かぶっ飛んでいるのか?
――ままよ!
秋人は自身からつっかけた。
そうだ、先手必勝はいつの時代も、どのような戦いでも真理である。
「先手」が、真に「先」であるならば、の話だが。
「呪霊刀・無限式『タイプゴールド』」とでも呼ぶべき魔剣の一刀がゴーズ・ノーブの首を狙い繰り出される。
いかにも遠い間合いだが、「鎧」の推進力を計算に入れてのものだ。その加速力はニトロメタンエンジンのドラッグレース車に匹敵した。
その必殺の一刀をしかし髑髏面は余裕を持ってかわす。
否。
かわし切れていない。かわせるものではない。「呪霊刀」は避けられると分かった瞬間に刀身をなお伸ばしたのだ。その長さおよそ三メートル。人間の手には余る代物ではあるが、鎧の腕力であれば文字通り「物干し竿」の長さを持っていようと自在に操るのに何の問題もない。
さくり。
いつものように何の手ごたえもなく、どれほど硬くても切り裂く量子力学の刃が髑髏面の魔人の肉体を両断した。
時間がスローモーションに感じられた。
髑髏面の口元には微笑すら浮かんでいる
微笑を消す暇すらない。
武器を持った、武器の扱いに習熟した者同士の戦いとはこういうものだ。先に刃が届けばそれで勝ち。フィクションのように何合も刃を交えたりはしない。
ゴーズ・ノーブの上半身はコンクリートの床面に激突する。
しかしその肉体はやはり人ではない。血の一滴すらこぼれないのだ。
――怪物だな。
秋人は自身が斃した男の肉体に目をやると、呪霊刀をもとの打ち刀の長さに戻し、まるで最初からそのためにあったかのような腰のホルダーに掛ける。
振り返った。
二人の人間がかしこまっている。
今まで死闘を繰り広げていた少女は立て膝で、端然と顔を秋人に向けて座り、ゴリラに似た顔を持つ男はヘルメットと目出し帽を脱いで同じく立膝で、しかし顔を伏して、尻を地べたに付けている。
――古いやり方だ。
とリリナは横目で見つつ気付いた。
貴人に対して礼を失した態度を取った者が、首を切り落とされやすいように取る礼式である。
秋人は「つい先ほどまで」そんなことを知らなかったが、今は知っている。鎧が教えてくれたからだ。
「まったく、まさか、だな」
秋人自身もおかしいなとは気付いていた。
どうして自分が遠くから監視している場所にわざわざ少女は向かってくるのか、と。何らかの手間違いがあるのでは、と駿介と別行動をしてみたり、部下を使ってみたりもしたが、効果はない。
リリナはまっすぐ彼へと向かってくる。
しかし直接の交渉権は秋人にはない。あくまでも監視せよとの命令だ。
らちが明かないというのはこのことである。
だから、彼はリリナが帰還社に来るのを待つことに決めた。決めたその当日に来るとまでは思わなかったが、それは願ったりと言うことである。
来るなら来い。
そう思っていた。そして有無を言わさずに戦いになった。少女一人だけではない、少年とも戦いになった。室長たち(死者の魂の安らかならんことを!まあ一応)も戦いに参加した。
ある意味では全て想定の範囲内だ。
この黒衣の死神が現れるまでは。
そして何よりの想定外と言えば、もはや考えるまでもない。
「これまでの御無礼の段、平にご容赦を!」
岩風はゴリラと言うよりも蜘蛛のように這いつくばる。
ついさきほどまで人を顎でこき使っていた男のこの変わりよう!
――まったく、ご先祖様も少しぐらいは言っといてくれよ。
彼は苦笑する。
苦笑して相棒の方を見る。
おそらく彼と同じ表情を浮かべているであろうと予想していた、相棒の目と口は三つのOの形に見開かれていた。
なんだ?と思う間もなく、その視線の先にある物を思い出す。
両断された魔人の肉体を。
そして異変は既に起こっていた。
ゴーズ・ノーブの両腕がずるりと伸びた。さらに延びる、その長さは軽く三メートルを超えた。
予想外にもほどがある。速度は拳銃弾ほどもあるだろうか。まるでコントロールを失ったロケットのように左右の腕が全く別の軌道を描いて、手甲の刃を秋人に突き立てる。
意外なほどあっさりと、「皇帝の鎧」はその刃を受け入れる。そうだ、ゴーズ・ノーブの見せた余裕も故なきものではない。その刃の底知れない切れ味。
「ッ!」
リリナは息をのむ。
灼熱感。
秋人は異物が胴体に突き入れられた痛みを、熱として感じ取った。
悠太からの一撃に続いて、まさか五分も経たずにもう一度腹をえぐられるとは、とんだ厄日である。
だが厄日であっても「鎧」は仕事をした。
凄まじい勢いで後方に跳躍すると間合いを取る。
鎧からほんの少しだけ血が零れ落ちた。
ゴーズ・ノーブの腕はさすがにそれ以上は伸びず、しゅるしゅると収縮する。収縮した先の胴体、そこにつながる髑髏面、そこで爛々(らんらん)と光って秋人を見つめる、赤い目。
 




