これが、彼の最期 1
第四章「これが、彼の最期」
1
駿介は降伏した。
それについては仕方ない、と思う。手取りで二十万円弱。命を懸けるには十分とは言えない給料だ。文句などなかった。
だが、と思う。
高所にたたずむリリナの指揮を受け、秋人を襲う銀の奔流の動きはおおざっぱだ。
安全策に距離を取り過ぎた結果、細かい指示が行き届かないのだ。
――前戦指揮官ってガラではないからな。
しかしそうは言ってもこちらにも打つ手はない。ブーメランで攻撃、は向こうも警戒しているだろう。そうそう上手くいくものでもない。彼女に捕られでもしたら目も当てられない。
糸による攻撃も、相手が動いてこそ初めて意味のあるものだ。空中で浮遊しているだけではどうしようもない。
ではどうする?
降伏か?
否。
降伏など、思いもよらない。
秋人は釘の蛇を避ける動作を用いて後ろを向いた。エアコンの室外機がウオオン、と唸っているその先、駿介が武装解除させられているその先。
緑に光る巨人のその中。
あの小僧を人質にとるのならば!
合理的な思考と呼べるのだろうか?猛獣を人質にとるという思考は?
いや例えそう呼べるとしても、それは「効率的」で「なあなあ」をもっぱらとする羽生秋人の思考にそぐう物であろうか?
男の唇が喜悦に歪む。
ぞわぞわと、身の毛がよだった。
恐怖だ。
だが、恐怖だけではない。脳の奥底で沸騰するような快楽が湧きおこってくる。
『あの巨人を斬りたいのだ』
と、誰かが叫ぶ。
秋人か?
秋人だろう。秋人しかいない。
だが違う。
だが、違う。
それは、秋人の思考にそぐわない。
空っぽな意思をしかもたない秋人の物ではありえない。
その男の人生の中になんとしてでも成し遂げたいモノやコトは無かった。
だからその強烈な思念、怨念は――。
秋人は走った。
走力は人間だ「鎧」とは比較にもならない。
しかし彼我の距離は十メートルもない。なら巨人も小人もない。つるっと、まるでコケつまろぶような動きで――無論完璧にコントロールされた擬態だ――秋人は「聖騎士の鎧」に斬りつけた。
切断の魔法をかけられた刃を、ライムグリーンの掌は止めた。止めたのは正確に言えば鎧ではない。紙一枚、その分、刃は届いていない。なんらかの斥力が刃を押しとどめているのだ。
――なるほどな!
しかし秋人の身体はそのことを頭が理解したころにはもう次の攻撃へと移っていた。脛切り。古流の、鎧を着ている武者同士の戦いにおいてはよく使われた手である。巨人が相手であるなら、むしろ胴を薙8な)ぐのとこれは変わらない。
バツン、と脛甲の半8なか)ばまで食い込んで、呪霊刀・無限式はその動きを止めた。表面装甲は硬いが中はそれほどではない。切ったことはないが、先ほど食べた硬いグミほどしか手ごたえはなかった。しかし止まったのだ。摩擦ではない、吸着でもない、それらには対処してある。だからそれ以外の方法で刃は止まったのだ。
そして秋人の手はその現象を正しく認識した。
運動エネルギーが食われたのだ。
「切る」とは何か。意外と難しい質問ではあるが、端的に言ってしまえば「楔を打ち込む」ことである。ピラミッドを作る際に楔を打ち込んで巨石を割る。あれをミクロのサイズで、連続して行う事こそが「切る」という行為である。
切断魔法は分子間力に干渉して仮想の、量子力学レベルまで細く鋭い刃を作り出す。しかも物質ではないから刃こぼれもしなければ血脂で切れ味が落ちることもない。理想的な、というより魔法が理想に具象を与えた「刃」なのである。
しかし、いかに鋭かろうが楔を打ち込むのは秋人の両腕である。「刃筋」が立っていなければ、さらに途中で勢いが止まってしまっては、呪霊刀の切れ味がいかに利どかろうと。
切ることはできない。しかも、圧し切るために再度力をこめようとしても――相手は置物ではない。それどころか、これ以上ないくらいに動く!
轟、と巨大な拳が頭上から落ちてきた。秋人は刀身を使ってその攻撃をいなすと、胸甲、その中で巨人と同じ動きをしている悠太を狙って刀を走らす。
その峰に巨人の拳が叩き込まれた。
さすがに砕けたり折れたりこそしなかったが、たまったものではない。全身、脳天からつま先まで衝撃が走る。力まかせに握っていたら、肩関節が外れていただろう。
力の差などと言うのもバカらしい。秋人はその勢いを殺すために三回転を必要とした。そしてまさにフィギュアスケーターのごとくに腕を伸ばして殴られた勢いを乗せた一撃をもって、肩口に斬り込む。
斬りこもうとした。
煌々(こうこう)と、虹色の輝きを持つオーロラ状の幕が展開し、その刃を受け止めた。
白い稲光が飛ぶ。魔法破壊魔法を電気の形で相殺させているのだ。このような攻撃も想定済みなのか、凄まじいものだな、と思う間もなく秋人は殺到する巨人の膝蹴りを足裏で受け、そのまま中空高く跳んだ。
高さおよそ五メートル。
ふわり、一瞬、無重力を感じ、天地が逆さになった。
おおお、と総毛立つ。
月と、夜景。
眠らない街、というわけではないが、それでもいくばくかのネオンと、街灯。そして住居から洩れる明かり。その明かり、そして闇に沈んだ家の中に寝息を立てる人々。彼はそのすべてを鳥瞰した。
その頭部へと巨人は拳を突き上げる。
人体比率からするとかなり大きい拳だ。殺意も十分。その迫力たるや凄まじいものがある。しかし事ここに至っても秋人の肉体は正確無比に動いた。呪霊刀の刃を、拳に向ける。その刃は――通った。
籠手の拳頭――指の底部、人を殴る部分――の突出した鋲。そこには手の平から発せられる魔法の斥力も、胴体部を覆う虹色の外套も発生しない。ただひたすら硬く、重いだけだ。ならば――切れる。
その通りだった。秋人の呪霊刀は中指と薬指の間に滑り込むと、巨人の前腕を、ななめにそぎ落とすことに成功した。
どうだ!
秋人は、秋人の中に巣食う物は言葉にならない鬨の声を上げる。
――どうだ、見たか!まだこれからだぞ!
*
リリナは震える。
釘の蛇を扱う指先にも迷いがある。
今の戦闘。
まさか、と思った。
「聖騎士の鎧」、乗り込んだ人間がずぶの素人であることは関係ない、とそう思っていた。禍々(まがまが)しい謂れはあっても、魔法装具としては紛れもなき最高峰。だというのにあの男は刀一本で突っ込んで、あまつさえ右腕を使用不能にまでした。
なんなのだ、あの男は?
なんだ?あの闘志は?
「ヤバいな」
いつの間にか足下に来ている駿介がこちらに聞かせるようにひとり言を言った。
「秋人のヤツ、呪霊刀に『呑まれ』てやがる」
ちゃっかりともう一度「バネ脚」を装着している駿介だったが、こちらを攻撃する気は無いようだ。する気なら、今のタイミングこそ絶妙であったろう。
「お嬢さん」
こちらを見上げた。
「このままだと俺の相棒が死んじまうんで、何とかあいつを足止めする魔法とかありませんかね?そんでもって、あのロボに乗っている少年に、相棒を殺させないようにしてもらえりゃあありがたい」
少女の美しい無表情にピシリと亀裂が入る。
冷たい汗が一筋流れた。
目の前では二つの獣が己のアイデンティティーをかけて殺し合っている。ある種の舞踏のようにも見えるのはそれぞれが最高の武術を備えているからだ。
そうだ、悠太少年も「聖騎士の鎧」に呑まれている。
あるいは酔っているのか。
躊躇なく殺人ができる。その様な心根をあの少年は持っていなかった。あの鎧は「使い方」を、つまりは「戦い方」をインストールする仕様だとは知識として知っていた。
だが、一冊の書物との出会いが人を変えるように、インストールされた知識とはいえ、その「知」はまた人を変える。だがその変え方が想像よりも苛烈な物であるとしたならば。
「それは、不幸を呼ぶ魔法装具なんだ」
寝物語に父から聞かされた苦い響きが思い出される。
2
リリナの目的はもちろん人殺しではない。そうではない。
彼女の探査魔法を引っ掻き回す、「何か」を確認して、それを確保、問題なければ破壊することだ。
駿介にしろ秋人にしろ、戦わないで済むのならばそれに越したことはない。とはいえ穏便に行くかもしれない、というのは甘い予想であろうと思ったから、自身も、そして悠太にも武装を施してきたのだ。
だがその武装が裏目に出た。
甘い、あまりにも。
だが、だが、だ。
聖騎士の鎧はまさに完璧な戦闘者を作り上げる。今秋人の足にでも怪我を負わせ、その俊敏さを一割でも殺したのなら、その隙を、そのほころびを聖騎士の鎧は、悠太は見逃すまい。
そしてその結果は、――そうだ、あの男は殺される。
いかに剣士が奮闘しようとも、所詮は人の身。「聖騎士の鎧」に勝利し得るはずもない。ただの一発、攻撃をもらえばそれで戦闘不能になるのだ、それに比べて、見よ、「鎧」の切られた腕はもうすでに使用に耐える形にまで再生している。
勝てるはずもないのだ。
殺される。
殺して、しまう。
あの少年が、人を殺す。
あの優しい少年が、人を殺すのだ、しかも自分の意思で!
「……ッ」
「人は人を傷つけたくない」。この命題はエデバールであろうが、地上に棲まう者どもであろうが変わらない事実である。
例外はいついかなる場合も存在するが、九割以上の人間がそう感じているのなら、それは事実であるといってよいだろう。
だから、武術は、戦闘の訓練は、無意識のうちに人を殺害できるところまで体に覚え込ませるのだ。。間合いに入ってきた人間は親だろうが神仏だろうが切り殺す、というのが剣術の神髄であるし、茂みで何か音がしたら、確認するより先にそこに銃弾を叩きこむというのが現代の歩兵である。
そしてそのような訓練、あるいはもっと言えば「パブロフの犬」的な条件付けを「聖騎士の鎧」は着装者に行う。果断に、情熱をもって人を殺せるように。
だから、リリナは動けない。彼女の助勢は確実に悠太を殺人者にしてしまうから。
だが、だ。
リリナはもう一つの。そして最悪の予想に身悶えた。
魔法の使い過ぎによる死亡事故は決して珍しくはない。魔力は人間の生命力である。そして世界に満たされている霊力である。だが、それはフォーダーンでの話だ。
空間に霊気のない(正確には火星の大気のように希薄な)地上では、生物(植物も含む)を摂取することでしか魔力は再チャージされない。
そして放出しすぎれば悠太を救った日のリリナのように気絶してしまう。だが、あれは彼女が自分の中で限界を超えた場合に「ブレーカー」を落とすように訓練していた成果であるともいえる。だからもし、機械的に魔力を吸い取られる装置に入れられて、遠慮なく魔力を吸い取られるのだとしたら――、それこそが「聖騎士の鎧」の呪いの秘密なのだとしたら、私は――、
逡巡は、三秒にも満たなかったであろう。
その思惟を打ち破るように、駿介の声がリリナの耳朶を打つ。
「危ない!」
次の瞬間。
「地上に棲まう者ども」が作り上げた、死を、効率的な殺戮をもたらす為だけに産みだされた機械の火箭が少女を貫く。
*
小さな大量破壊兵器。世界を変えた発明。
「小銃」AK47とそのバリエーションたちはそう呼ばれることもある。まさにそれは真実で、第2次世界大戦以降、最も多くの人命を奪ってきた「装置」であることは論を待たない。モザンビークの国旗にはこの銃がデザインされ、国家の出自を物語っている。
威力が高い。堅牢。整備が簡単。初心者でも扱いやすい。三拍子も四拍子もそろったその銃は、今も世界のどこかで死をまき散らしている。そしてそれは今ここ、日本国は神奈川県でも行われた。
凄まじい音だ。
ほとんど爆弾に近い。拳銃などとはモノが違う。その衝撃は隊員たちに己が抱えた物体の危険性を雄弁に語っていた。
轟音である。近隣住民の安眠を妨げないわけはないが、その音は虚空へと消え去っていく。建物の四すみに灰色のローブを着た「帰還社」の魔法使いが立ち、遮音の魔法を建物全体へと張っていた。
岩風が右手を挙げて斉射を止める。
白い硝煙が夜の帳に溶けていく。
ほとんどの隊員が三〇発入りの弾倉を打ち尽くしていた。竹槍型に切られた銃口は、ベーコンを乗せればジュウジュウ焼けるほどに熱せられている。
それは死の火箭だ。そして悠太にとっては何よりの冷水であった。
「なんで俺は!」
戦いに溺れた少年は目の前の剣鬼をまったく無視して、リリナの元へと跳躍する。その背へ槍に姿を変えた呪霊刀が突きこまれるが、委細構わない。悠太自身の背中に数センチ、刺さりはしたがそれ以上に「鎧」の推進力が高い。追いつけるものではなかった。
あの魔女は「帰還社」の独自基準においてはグレードA、つまりは最高位に位置する。おそらく拳銃弾では本当の意味で無傷。AKMに使用している弾丸のエネルギーはおよそ二〇〇〇ジュール、最も広く使用されている拳銃弾、9ミリパラベラム弾は500ジュール以下であるから、四倍以上という差がある。ミュンヘンオリンピックで起こった「黒い九月事件」において、レスリング選手の肉体は数発のAK47から発射された弾丸によってほとんど切断された。
もちろん防弾チョッキなど意味はないが、グレードAの魔法使いならば、この弾丸の斉射にある程度耐えられる。だが、耐えられるのはあくまである程度までだ。
「待て、慌てるな!」
魔法使いを殺しては元も子もない。
岩風は逸る隊員たちを抑えると、隊員の弾倉を換えさせる。ここは慌てるのは得策ではない。それよりも、だ。
隊員たちは隊伍を組むと、「聖騎士の鎧」の、ライムグリーンとペールホワイトのあまりにも鮮やかな巨体に銃口を向ける。




