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黒髪のリュカ  作者: ash
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招かれざる客

 


「よお、諸君。楽しんでるか」


 厄介ごとは何の前触れもなくやってきた。背後から突然投げかけられたその声に、あたしは髪が逆立つのを感じる。無遠慮に隣に座る一人の男。きつい香水のニオイがぷんと鼻をつき、あたしは半身ずらして嫌悪感を態度で示した。提督の表情が険しい。たぶん、あたしも似たような顔をしているだろう。最悪だった。久しぶりに我が家に帰ってきたというのに、また「この男」と鉢合わせるなんて。


「船長さん、俺にこんな真似させるな」


 差し出される男の手。指には趣味の悪い装飾品が光っている。これっぽっちも似合ってないと、あたしはその言葉をエール酒と一緒に無理やり飲み込んだ。提督は黙って男のその手に、じゃらじゃらと音のする皮袋を渡す。鼻歌混じりにその重さを確かめ、中身を覗き込む男。あたしは堪らなくなって目を逸らす。


「おいおい、ちょっと少な過ぎやしないか」


「――っ」


 その一言に思わず指がぴくりと動く。何かを制するように咳払いする提督をあたしは鋭くめ付けた。何故止めるのか。その気になればこの男――ベケット・カラヤンの喉を一瞬で掻き切って、血だまりの中に沈めてやれるのに。お望みとあらば、この世で考えられうる全ての苦痛を、生かしたまま味わわせてやってもいい。


「ま、これ以上、はたいたところで綿埃が舞うだけか。次の納期にはくれぐれも遅れるなよ、船長どの。それとリュカ、またよろしく頼むぜ?」


 ベケットは懐に皮袋をしまうと席を立った。気安く肩を叩かれてもあたしは無視を決め込む。提督も黙ったまま、招かれざる客を見送った。金髪碧眼に白い肌の中年のカトゥス人。ぱりっとした服を着こなしたベケットは、控えていた数人の連れを伴い去っていく。盛り場には似つかわしくない身なりの男を怪訝そうに眺めている他の客たち。半分はそれ。そして残りの人間は苦々しく顔をそむける。事情を知る者たちだ。


「ちょっと、やめてよ!?」


 よく知る女の悲鳴が聞こえた。見ればニーチェが客からのチップをベケットに取り上げられている。給仕服の間に潜り込む無骨な手。いやがるニーチェがベケットを突き飛ばすと、その勢いで何枚かの銅貨が音を立てて床に散らばった。

  

「フン、それで化粧品でも買え。もう少し女臭くなったらまた抱いてやるよ」


 唇を噛み締めながら、なけなしの小銭を拾い集めるニーチェ。あろうことかその手をにやけ顔で踏み付けるベケットに、あたしは目の前が真っ赤に染まった。腰に下げた短剣を躊躇いなく引き抜く。果物ナイフなどではなく、皮を剥ぐような本物だ。周囲の客が騒然とするが構いはしない。今この場で殺してやる。


「リュカ!」


 提督の一喝が飛ぶ。数年前のあたしだったら耳を貸さなかっただろう。けれど、その一喝であたしの中の獣はどうにかして牙を剥き出すのをやめた。まるで躾の行き届いた犬のように。今は自分の体がひどく鈍く感じる。何かを引き摺っているような、そんな錯覚を。青ざめるウェイトレス、静まる飲み仲間、そして哀しげに笑って首を横に振るニーチェと視線が絡む。皆があたしを見ていた。一様に同じ目で。ただ一人、面白そうに事の顛末を眺めていたベケットに一瞥くれると、あたしは静かに短剣を鞘に納めた。


「エール、もう一杯だ」


 毒づくようなあたしの一言で再び提督館はさっきまでの喧騒を取り戻す。それは一層と賑やかに、余所者を追い立てるように。ベケットたちもいつの間にか姿を消していた。あたしはふっと息をつくと、財布代わりの皮袋を提督に乱暴に放った。


「おい、リュカ……」


「今日は好き勝手に飲み食いさせてもらうよ。それで足りなきゃ、またいくらでも稼いできてやる」


 オノール銀貨が数枚。一年は遊んで暮らせる額だ。面食らう提督には構わず、あたしは手近なウェイトレスを怒鳴りつけると、厨房泣かせの大量注文を早口に捲くし立てた。あたしは今苛立っている。何よりも無力な自分自身に。

 例えどんなにこの提督館が繁盛したところでベケットの懐が潤うだけ。あたしの今日の稼ぎだって、次までの僅かな延命処置に過ぎないことは解っている。あの男が憎い。いっそのこと、この手で殺してやりたかった。それはきっと息をするよりも容易い。だが結果としてあたしは街を追われ、一生を懸けて逃げ続けなければならない。不運な一組の親子をも巻き込むことになるだろう。やつは、ベケット・カラヤンはあたしの雇い主であり、このベルクトの街を統べる商工会ギルドの重鎮だったからだ。


 かつてベルクトの始祖である開拓民たちが最初にオノールの遺跡を発掘し、その遺物は巨額の富をもたらした。国家、教会、そして商工会ギルド。貧しき開拓民たちは武力と信仰に並ぶ大きな権威を手に入れる。それはかねだった。自治都市ベルクトが大陸の交易の要となってからもう随分と時が経つ。先立つモノがなければ、戦うことも説教を垂れることすらできない世の中だ。ゆえに金の流れを仕切る商工会ギルドの人間は、一国の王を凌ぐような力を持つ。今のあたしは理由わけあって商工会に雇われている身だった。「雇われている」そう言えば聞こえはいいかも知れない。実際のところ、扱いはそこらの飼い犬と大して変わらなかった。


 何気なく彷徨わせた視線の先に、厨房の隅でニーチェが肩を震わせ顔を覆っている。提督館は莫大な借金を抱えていた。そしてその原因のほとんどは彼女、ニーチェにあった。



 


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