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黒髪のリュカ  作者: ash
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提督館

 そこはいつも喧騒の絶えない場所だった。「提督館」(ていとくかん)の看板が掲げられた酒場の扉を開くと、懐かしく愛おしい熱気と歓声があたしを迎えてくれる。

 所狭しと並べられた大小さまざまな酒のボトル。男達は豪快に杯をぶつけ合い、旅の吟遊詩人たちが即興の楽団を作っては、雰囲気の良い音楽で場を盛り上げていた。芳しい香辛料と肉の脂が焼ける匂いが鼻をくすぐり、あたしの空腹を手招きで誘う。狭いテーブルの合間を縫うように進みながら顔なじみのウェイトレスとすれ違った。大きく胸の開いた大胆なその給仕服のウインクに軽く手を上げて応えると、見ればどの娘たちも両手いっぱいにエール酒のグラスを抱えて忙しそうに走り回っている。まだ陽も落ちて間もないというのに相変わらずの繁盛ぶりのようだ。

 迷路さながらのテーブル席をすり抜けて、我が特等席たるカウンターの丸椅子の一つに腰を落ち着かせると、ようやく気が休まるのを感じる。


「どうだい景気は?」


 そんなあたしにいつもの台詞と共に一杯のミルクを出してくれるのは、提督館の主であるこの店のマスターだ。生きてるよと、 まるで合言葉のように答えると、あたしは肩をすくめて笑った。


「おかげ様でまたアルテナの祝福にあやかれそうね」


 いつの頃からかひと仕事終えると、あたしは安酒をあおる前にこの豊穣の女神の恵みの一杯を頂くのが日課となっていた。懐かしい友人との再会や家族の無事を祝うとき、必ず彼は最初に一杯のミルクを出す。なにかと縁起を担ぐのが彼の癖のひとつらしい。あたしは神様なんて信じていなかったけど、マスターの満足そうな顔を見ているとこの味もそう悪くない。


 あたしの名前はリュカ。賞金稼ぎだ。迷い猫探しから遺跡探検のお供。隊商キャラバンの護衛に、はたまた危急存亡を賭けた一騎打ちの代行に至るまで、なんでもござれのよろずや稼業である。  

 出会う人間はみな「女のくせに男の名前か」と誰もが一度は笑う。ただしその一度きりだけ。『黒髪のリュカ』の通り名を知って、このベルクトの街であたしを笑える奴は一人もいやしない。 

 いつの間にかそう呼ばれるようになったこの通り名も、提督館のマスターである彼が名付け親だ。噂ではその昔、一国の海軍を任されていたらしく、この酒場の看板もそれに由来する。客もみな、敬意を込めて彼を「提督」と呼んだ。果たしてその輝かしい経歴が本当かどうかは定かじゃないが、色の抜けた赤茶色の髪と、ごつごつした顔に刻まれた深い皺は確かに船乗りのそれだった。本当の名前もいまだに知らない彼だが、あたしがこの街に流れ着いてから何かと面倒を見てくれている。 当時、ウェイトレスにちょっかいを出していたゴロツキを店から叩き出してやってからの付き合いで、今では酒場の裏手の使わなくなった物置小屋にささやかな寝床も提供してもらっている。今思えばあの時は空腹のあまり気が立って暴れただけだったし、店を滅茶苦茶にしたのもほとんどがあたしだった。場所が違えば衛兵にしょっぴかれていたのはこっちの方だったかも知れない。賞金稼ぎが賞金首になってしまっては、笑うに笑えない話だ。


「今回はまた随分と長かったな。くたばったんじゃないかって、ニーチェのやつが心配してたぞ」


「ふえ?」


 何日かぶりのまともな食事にがっついていたあたしは皿から顔を上げる。提督館名物の煮込みは相も変わらず絶品で、当然ながら食べるのに夢中なあたしは提督の話をまるで聞いていない。


「はい、三番テーブルに串焼き四人前追加ねーっ。ソッコーでよろしくぅ」


 よく通る大きな声で一人のウェイトレスが奥の厨房に注文を上げる。疲れたようにため息をつくと、彼女はあたしの隣で倒れるようにカウンターに突っ伏した。ニーチェだ。提督の一人娘である。


「あーもー、忙しすぎ。おまけにどいつもこいつも人のケツばっか触ろうとするしさー」


 ばさりとその長い金髪を振り払うように起き上がると、彼女はうんざりしたように舌打ちした。慎ましさとは程遠いものの、その悪態すらニーチェほどの女なら絵になる。


「いいじゃん。減るもんじゃないし」


 提督館の看板娘でもあるニーチェは女のあたしの目から見ても綺麗でスタイルが良い。決して羨ましいわけじゃなかったが、こんなむき出しの素足をちらつかせられたら、ついつい手を出したくなる男たちの気持ちも分からなくはない。


「これでもわたしは嫁入り前なのよって、ちょっとリュカ! あんた今までどこほっつき歩いてたのよ!?」


 少し怒ったようにニーチェはあたしの髪をぐしゃぐしゃとかき回した。


「どこって、別に今回の仕事場がすこし遠かっただけだってば……」


「いつも行き先くらい教えていけって……ああもう、ほら口のまわりソースでべとべと」


 しょうがないなあと、彼女はあたしの口を拭いてくれる。あたしも黙ってそれに従った。横目に見える提督のにやけ顔がなんだか気に障る。歳の近い姉妹にでも見えるのだろう。実際ニーチェはあたしを実の妹同然に世話を焼いてくれたし、あたしも顔や態度にこそ出さなかったけど、血の繋がった姉のように彼女を慕っていた。


「この前だって足の骨折って帰ってくるし、あんな割に合わないことさっさと辞めてウチで働きなさいって!」


 恐らく提督の趣味であろう、そのひらひらとした給仕服を着て「いらっしゃいませぇ」と笑顔を振りまく己の姿がとても想像できない。ニーチェと自分の体型を見比べて、その差の違いをさらに痛感する。あたしにはきっと皿洗いがお似合いだろう。もっとも、そんな退屈な日常にあたしは興味がなかったし、今の生業から足を洗うつもりも勿論なかった。


「あの時はたまたま解除されてなかった罠にうっかり嵌まっただけで……。それに割に合わないって言うけどね、今日のあたしの稼ぎはここの一晩の売り上げなんて軽く吹っ飛ばしちゃう……ってありゃ?」


 あたしは先ほどギルドで受け取ってきた報酬を探す。腰に吊るしていたはずの財布代わりの革袋がない。


「たまたま。うっかり、ねぇ。で、リュカちゃんの探し物はこれのことかしら?」


「リュカちゃん言うなっ」


 呆れたようにニーチェが小さな革袋を顔の前で振った。見覚えのあるそれを乱暴にふんだくると、慌てて中身を確かめる。


「そこに落ちてたわよ。あんまりに軽すぎて気付かなかったんじゃないの?」

 

 頬杖をつくニーチェ。その父親譲りの意地の悪いにやけ顔を凍り付かせてやるために、あたしは袋の中から油紙に包まれた一枚の銀貨を取り出して見せた。


「……ひょっとして、オノール銀貨か」


 その鈍色の輝きを前にして、まず先に口を開いたのは提督だった。「おのーる?」と、いまいち要領を得ない顔のニーチェを横目に、あたしは得意そうに彼にその銀貨を見せる。手に取ってまじまじと見つめると、ややあって提督はホウと感嘆の声を漏らした。


「何それ、なんかぼろっちいけど価値あるの?」


「馬鹿。これ一枚でウチの一晩の売り上げどころか、一週間分の稼ぎでも釣りが来るくらいだ。ま、俺も本物をこの目で見たのは今が初めてだが、な」


 それはかつての栄華を誇ったオノール文明の遺物。 今では時という名の砂に埋もれ、その英知も殆どが失われてしまったけれど、この大陸には多くの遺跡がいまだ手付かずのまま眠っている。文字通りの宝の山と共に。今回あたしが受けた依頼も先日発見されたばかりの新しい遺跡の探索で、後から入る大学の研究者のために安全なルートを探るのが主な仕事だった。このオノール銀貨は比較的どこでも見つかる代物らしく、高価な割には仕事の報酬としてそのまま渡されることも多い。研究者にとっては昔の小銭よりも歴史的価値の方が優先されるようで、素人の目から見ても明らかに値打ちがなさそうな石ころに狂喜する彼らの心境が、あたしにはいまいち理解できなかった。


「ふぅん、すごいのね。さすがは黒髪のってとこかしら」


 あまり期待した反応を見せなかったニーチェも、少しのあいだ物珍しそうに銀貨を手の平でひっくり返したあと、出来上がった料理を客に出すために仕事に戻った。


「何はともあれ、おかえりリュカ」


 そう言って彼女が去り際に置いていった大皿にあたしは目を丸くする。肉やソーセージ、きのこなどの材料がたっぷりと炒められ、うまそうな湯気を上げていた。ひらひらと手を振るニーチェの背中を見送る。「ただいま」と、あたしは照れ臭そうに小さく呟いた。


「夕べもお前さんの帰りを待ったまま、テーブルで眠りこけちまいやがった。ああ見えて気の弱い女だ。何も言わずにふらっと居なくなるんじゃねえぞ」


「……わかってるよ」


 フンと唸る提督にあたしは苦笑いを返す。彼の言葉の意味を今は深く考えない。自分を気遣ってくれているのは分かっていた。彼だけじゃなく、ニーチェや提督館の皆が余所者のあたしを家族同然に扱ってくれる。嬉しいような、または戸惑いにも似た感情を覚えて、あたしはそれを誤魔化すかのようにミルクの残りを一気に飲み干した。誰かが自分の帰りを待ってくれているなんて、今まで一人で生きてきた人生の中ではとても考えられないことだったから。



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