第二話:死者に縋る生者
意識が緩やかに回復していくのが分かる。
この後、遅れて五感も順番に覚醒していくのだろう。
聴覚、嗅覚、触覚………おかしい。
無理矢理に視覚を覚醒させ目を見開く。
「何だこれは?」
目に映るのは雲一つない青空。
先程感じた違和感は、この鼻をつく草の臭いと、頬を撫でるそよ風の感触だろう。
背中にも違和感を感じる。
ここが柔らかな布団の上で無いことは明らかだ。
とっくに目は覚めている筈なのに、体が思うように動かない。
ぎこちない動きで体を起こした僕の目に、今まで見たことも無い幻想的な風景飛び込んできた。
地平線の彼方まで続く大地、そこには見た事もない花々が咲き乱れている。
青緑ツートンカラーの多弁花等、綺麗な花では有るのだが、流石に違和感しか感じられない。
左を見るとこれまた大きな湖が光を反射してキラキラと輝いている様子が目に映る。
そして、その奥にはジャングルさながらの巨大な密林が、僕の視界を遮るかのように聳え立つ。
だが、それ等の風景を差し置いて目を奪われたのが、前方地平線の遥か彼方に見える大きな塔だ。
そう、地平線の向こうに建っている塔なのである。
最初は天を貫く不思議な棒にしか見えなかったが、よく見ると窓や壁の紋様等がある事が分かる。
これもまたおかしな話だ。
そんな遠くの景色が見える事もそうだが、なにより僕は今眼鏡をしていないのだ。
眼鏡をしていない理由は分かる、寝る時に外していたからだ。
しかし、眼鏡をかけていない事に気づかない程、視力が回復していた理由はどうだろうか。
「まあ、いい。調べれば、分かるだろう」
動揺する気持ちを抑えるように、ゆっくりと自分に言い聞かす。
そう、調べる手段はあるのだから調べればいい。
死者の記憶を喰らってゆく日々の中、習得した借り物ではない自分だけの力。
己が魂のデータベース化とその整理統合技術だ。
バックアップと現状のデータの比較を開始する。
身体能力の項に関しての相違点だけを抽出すればいいのだから、話は簡単だ。
「…何だこれは?」
先刻と同じ言葉が漏れる。
だが、そこに込められた驚愕は先程の比ではない。
おかしい、おかし過ぎる。
まず、第一に相違点があまりにも多い。
身体能力に関しては全ての能力地が若干のプラス修正されている。
とはいっても、元々の能力の低さから考えると、これでやっと通常レベルといった所だ。
視力は1.2、遠くの景色が見えた理由も視力が回復した理由も結局は分からずじまい。
それは良い、実際良くはないのだが、気にしても仕方が無い。
身体能力の強化自体は悪くない、これで使える能力の幅も増える。
いきなり複数の数値が一気に上昇した事に関する疑問は尽きないが、
それに関しては、誰に聞いてもどう調べても分かりはしないだろう。
解決の目処が立たない疑問などさっさと放棄するに限る。
真に問題なのはもう一つの方、明らかに見覚えの無い項目が勝手にいくつか追加されている事だ。
特に異様なのがレベル、保持魔力量、放出魔力量の三つ。
少なくとも僕はこんなアホな項目を作った覚えはない。
データがあるからといって、それが事実というわけではなく、
あくまでも僕が客観的に他者と比較・計測して勝手に付けているだけだ。
身体能力に関しては実感があるので事実だと分かるが、こちらの方は今一信用できない。
まあ、信用できる方がおかしいだろう。
放棄するには大きすぎる疑問なので、一時保留という形にしておく。
結局何一つ疑問を解決出来ていないのだが、このままここにいても解決しない事は分かりきっている。
何しろここには情報が何もない、情報収集をしない事には何も始まらないのだ。
とにかく、誰か人を見つけることが最優先、それが死人であれば尚良し。
死人は決して嘘を言わない、情報を隠さない、情報源としては何よりも優れているのだ。
実を言うと、湖の奥の密林からは死人の気配がビンビン伝わって来ているのだが、
流石に数が多過ぎてそんな危険地帯に足を踏み入れるのは怖い、無理だ。
とりあえずは、消去法であの塔を目指すことに決定する。
別に、あんな地平線の彼方まで行くつもりは無いが、目印になる物が他にないのだ。
若干の気疲れを感じながらも、塔に向けて歩を進め始める。
ここから僕の当ての無い旅が始まったのだ。
その僕の旅は開始2時間半で早くも終わりを告げた。
目の前には大きな街道があり、その先には高い城壁で囲まれた街が見える。
だが、そちらは本命ではない。
そもそも、街の門前では衛兵らしき人達がなにやら検問のような事を行っている。
幾ら入りたいと願っても、流石に今は入れないだろう。
入れる可能性も無い事は無いが、ここで下手に揉め事を起こせば、
また当ての無い旅を始める羽目になる。
まずは何よりも情報収集だ。
前方に見える柵に囲まれた広大な墓地、僕はこの死の気配に惹かれてここまでやって来たのだ。
墓地に入ると一定の間隔で置かれた様々な大きさ形状の墓石が目に映る。
広大な墓地には手付かずの新鮮な死人達が大勢彷徨っている。大当たりだ。
さあ、待ちに待った食事の時間だ。
チラホラと見える参拝者に注意しながら食事を開始する。
「ふむ、なるほどね」
10人程頂いた所で食事を一時中断する。
ひとまず情報の整理が大切だ。
まず、ここはジームルグ大陸最大の王国アリードで、
目線の先に聳え立つ城壁都市の名はヴァングールというらしい。
なるほどね、そこには大して興味が無い。
幾ら何でもここが元居た世界と著しく異なっている事くらいはとっくに分かっているからな。
次に、門前の検問もどきは通行料の回収らしい。
これには本当に困った。何しろここの貨幣なんて持っていないからな。
そして、ここには魔法があり、魔力を消費する事で使用出来るらしい。
保持魔力量とは、文字通り自身が持っている魔力の量であり、
放出魔力量とは、魔法一発あたりに込められる魔力の量だそうだ。
僕の放出魔力量は人並みで、保持魔力量は常人の100倍近いとみていいだろう。
食事の度に保持魔力量も上がっているみたいなので、それも仕方が無い。
つまり、力は普通だがスタミナは無尽蔵だという事か、酷い省エネ仕様だな。
レベルに関しての情報はなかったが、歴戦の戦士は鉄をも切り裂くらしいので、
鍛錬や戦闘経験を重ねる事で上がるのだと思っておこう。
というか、上がってくれないと困る。今のままでは単なるMP馬鹿だ。
当然、戦闘経験なぞ欠片も無い僕のレベルは0である。1ですらない。
最後に、ここには魔物という生き物がいるそうだ。
何を以って魔物とするのかはハッキリしていないそうだが、
魔物図鑑に載っている生き物が魔物らしい。
全く意味が分からんが、情報の所持者達の認識がその程度だったのだから仕方が無い。
とりあえず、せっかくなので、この際魔法の一つでも覚えてみたい。
剣や槍を使った戦闘技術は今回の食事でそれなりに会得したが、持って無いものは使いようが無い。
僕も格闘技に関してはかなりの高水準の物を会得しているが、
流石に素手で魔物とやらと殴りあうのは無理がある。
さて、魔法使いはそこまで希少ではないらしいので、片っ端から食べて行くことにしようか。
今僕は魔法の練習の為に街から少し離れた草原にいる。
放出魔力量が多くない為、使える魔法は多くないが、8種類も使えれば上々だ。
というか、攻撃魔法なんて何種類も使えるは必要なく、
現に何種類も使いわけている人は殆どいなかった。
大事なのは呪文の詠唱速度。そして、魔法と周囲への警戒を並行して行えるだけの視野の広さらしい。
まあ、両方高水準で会得出来ているので問題ない。
そもそも、食事でマスター出来るので練習の必要はないのだが、街への入り方が全く思いつかず、
実際に魔法を使ってみたいという思いもあり、息抜きがてらに遊ぼうというわけだ。
基本的にはイメージ、放出、詠唱。基本的に魔法はこの順で行う。
使う魔法をイメージし、魔力を体から放出する。
それと同時に、呪文を詠唱する事でその呪文に該当する魔法を形成し、使用する。
呪文は古代語だそうで、その解読は出来ていないらしい。
威力こそ落ちるが、無詠唱でも魔法は使える為、魔法の種類から呪文を解読する事はできないそうだ。
さて、最初に使う魔法は攻撃魔法にしようか。
魔法使いが最初に覚える魔法で、炎の矢を飛ばす基本属性魔法だそうだ。
フレイムアローみたいな名前がついてそうな魔法だが、正式名称は「火の魔法 レベル1」だ。
難易度が上がる度に「火の魔法 レベル○」という風に呼ぶそうだが、誰も使っていないらしく、
皆炎の矢とか火の矢とか、勝手にそれっぽい名前を好き勝手に使っているそうだ。
「よし、まずはイメージだ」
色々考えたが、最初なのでゆっくりと丁寧に行うことにする。
頭の中に炎の矢をイメージ、方向は真っ直ぐ前方、数は4本、限界ギリギリの本数だ。
次は体から魔力を放出しながら呪文の詠唱か。
「エル リブーマル コキュード」
突如目の前に4本の炎の矢が現れると、次の瞬間には全弾射出されていた。
実際に使ってみると、思っていたよりも速く感じる。
真っ直ぐ放ってしまったので、威力は分からなかったが、
矢の長さは約1m、射程の方はおよそ20m程である事が分かった。
矢の本数だけではなく、射程や軌道も放出魔力量によって変わるらしく、
優れた魔法使いは数1km以上先から対象に矢を当てる事も出来るそうだ。
どこのスナイパーだよ。
次は無詠唱で試してみよう。
方向は真っ直ぐ前方、数は1本が限界。
どうやら矢の大きさは半分程度、射程距離は5m程らしい。
今度は斜め下に向けて打ってみたが、10cm程の細い穴とその周りに焦げた跡が微かに残っているのみ。
確かに、一長一短だ。
実際に矢を放つまでの時間は、通常なら急いでも2秒近くかかるが、無詠唱ならその4分の1で済む。
戦闘中の2秒は流石にでかい。ソロではとても使えた物ではないという死者達の意見も分かる。
息抜きにはなった。
魔法を使うのは楽しいし、魔法という武器を手にした実感を得て、不安も大分和らいだ。
だが、まだ一つ最大の問題が残っている。
「金だな」
そう、金が無い。
金が無いと食物も得られないし、そもそも街にすら入れない。
異世界でもやはり、最大の問題は金銭問題というわけだ。
そう考えると、この世界も元の世界と大して変わらないのかも知れないな。
中々にファンタジー世界も甘くない。
とても楽観できる状況ではないが、自然と顔には笑みが浮かぶ。
やる事は分かっている。先程の墓地に引き返せば良いだけだ。
いいさ、どうせ僕に出来るのは死人を喰らう事だけなんだからな。
難しい事は彼等に教えて貰えばいい。
異世界に行ってもやる事は変わらない。
死者から身包み剥いで懐を暖める日々が続くだけさ。
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