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フェルセン伯爵と共にスウェーデンへ渡っていたら  作者: ローナ


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フェルセン伯爵と共にスウェーデンへ渡っていたら

夜の帳がヴェルサイユの重厚な石造りの回廊を包み込む頃、マリー・アントワネットは冷え切った寝台の端に腰掛け、微かに震える指先で一通の密書を握り締めていた。窓の外では、パリの方向から微かに不穏な民衆の怒号と、革命の嵐を告げる鐘の音が風に乗って運ばれてくる。もはや、かつての絶対的な王権の輝きは失われ、王家を包囲する包囲網は日増しにその締め付けを強めていた。


「マリー、もう時間だ。これ以上ためらっていれば、すべての機会が永遠に失われる」


低い、けれど確信に満ちた声が部屋の影から響いた。振り返ると、スウェーデンから命がけで駆けつけたハンス・アクセル・フォン・フェルセン伯爵が立っていた。彼の纏う軍服の裾は旅の泥にまみれ、その青い瞳には、王妃への変わらぬ忠誠と、それ以上の深い愛の炎が静かに揺らめいていた。彼はフランスの王妃を救い出すためだけに、身の危険を顧みずこの危険な宮殿の奥深くへと潜入していたのである。


王妃の立場、フランスの母としての義務、ハプスブルク家の誇り、そして何重ものしきたりに縛られた重い冠。それらすべてをこの瞬間にかなぐり捨て、彼の差し伸べる温かな手を取るべきか。心を引き裂かれるような葛藤のなかで、マリー・アントワネットの脳裏を過ったのは、ヴェルサイユの冷たい鏡の間ではなく、北欧の澄み切った青空と、どこまでも広がる静謐な森の景色だった。


「フェルセン……私は、本当にすべてを捨てていいのですか? 王妃としての義務を放棄した私を、歴史は許さないでしょう。それでも……」


「歴史がどう裁こうと構わない。僕が守りたいのは、フランスの王妃ではない。一人の女性としての、君だ」


フェルセンは歩み寄り、彼女の冷え切った両手をしっかりと包み込んだ。その手の温もりが、長年の宮廷生活ですっかり凍りついていた彼女の心を優しく溶かしていく。ルイ十六世の優柔不断さと、刻一刻と迫る断頭台の足音。これ以上この場所に留まれば、待っているのは破滅と死の運命だけだ。王妃は深く息を吸い込み、決意の光をその双眸に宿した。


「行きましょう。北欧の果てへ……あなたの故郷へ」


数時間後、夜の闇に紛れてチュイルリー宮殿の裏口から抜け出した二人は、あらかじめ用意されていた質素な旅用の馬車に乗り込んだ。ルイ十六世や子供たちをその場に残す苦渋の選択は、彼女の心に生涯消えない十字架を刻むことになったが、もはや引き返すことは許されない。馬車は泥濘んだ街道を猛烈な勢いで疾走し、フランス国境を越えて、遠く北方の海を目指してひたむきに北上を続けた。


追っ手の影におびえ、時には身分を隠して荒野の宿場町を転々とする逃避行は、かつての贅沢を知る王妃にとって想像を絶する過酷なものだった。しかし、絹のドレスを脱ぎ捨て、素朴な麻の衣服に身を包んだ彼女の表情には、不思議な晴れやかさが満ちていた。隣にはいつもフェルセンがいて、彼女の手を握り、荒涼とした北欧の風から身を挺して守ってくれた。


数週間の過酷な旅の末、二人がたどり着いたのは、バルト海の冷たい海風が吹き抜けるスウェーデン南部の小さな港町、そしてその郊外に佇むフェルセン家の古びた別邸だった。周囲を豊かな森と湖に囲まれたその場所は、ヴェルサイユの喧騒とは対極にある、驚くほどの静寂に包まれていた。


「ようこそ、マリー。ここが、これからの私たちの家だ」


馬車から降り立ったフェルセンが微笑みながら差し出した手を取り、マリーは深く息を吸い込んだ。鼻腔をくすぐるのは、甘い香水の匂いではなく、濡れた土と針葉樹の清々しい香りだった。王妃としての華やかな称号も、莫大な富も、宮廷の権謀術数も、すべてはこの海の向こうの出来事となった。


スウェーデンでの新しい生活は、決して平坦なものではなかった。ヨーロッパの王侯貴族たちは、フランス国王を捨てて逃亡した王妃の存在を冷ややかな目で見ており、フェルセン家に対しても風当たりは強かった。宮廷の社交界から身を引いた二人は、限られた財産と自分たちの手によるささやかな労働で、慎ましくも満ち足りた日々を紡ぎ出していかなかった。


ある朝、マリーは自ら庭に出て、小さなハーブ園の土を耕していた。かつての優美な爪は土まみれになり、手のひらにはマメができていたが、彼女はその痛みをいとおしく感じていた。誰の目を気にする必要もなく、朝の光の中で鳥のさえずりを聞きながら、ただ自分のために紅茶を淹れ、パンを焼く。それは、彼女が生涯で一度も味わったことのない、「自由」という名の極上の贅沢だった。


「また熱心に土いじりをしているのかい、マリー」


背後から声をかけられ、振り返ると、軍服を脱ぎ捨ててシンプルなシャツ姿になったフェルセンが、温かいマグカップを二つ持って立っていた。彼は彼女の隣に歩み寄り、額に滲んだ汗をそっとハンカチで拭き取ってくれた。


「ええ。不思議ですわ、フェルセン。かつて私は、世界で一番豪華な城に住みながら、いつも飢えたように満たされない心でいました。でも、この北国の静かな森の中で、あなたと共に生きる今、私の心はこれ以上ないほど満たされています」


フェルセンは優しく微笑み、彼女をそっと抱き寄せた。二人の頭上を、北国の渡り鳥がどこかへ向かって静かに飛んでいく。


時折、フランスから届く新聞や密航者からの噂話には、恐ろしいニュースが書かれていた。パリの街はさらに血生臭い革命の狂気に飲み込まれ、恐怖政治の嵐が吹き荒れているという。自分たちがもしあの時パリに残っていれば、間違いなくあの恐ろしい断頭台の露と消えていただろう。その冷酷な現実を思い返すたび、胸の奥がチクリと痛んだが、それでも彼女は過去を振り返ることはしなかった。選んだ道の後悔よりも、今目の前にある温かな日常こそが、彼女の選んだ真実だったからだ。


やがて年月が流れ、彼女の髪にはわずかに銀色のものが混じり始める頃には、地元の人々も彼女を「遠い国からやってきた心優しい奥様」として温かく受け入れるようになっていた。言葉の通じない村の子供たちが庭先にやってくると、彼女は自ら焼いたお菓子を分け与え、かつての王宮の作法ではなく、心からの温かい笑顔で彼らと接した。


波乱万丈の運命の荒波から逃れ、北欧の静寂に身を潜めた元王妃の人生は、歴史の表舞台から見ればただの忘却された亡命者にすぎなかったかもしれない。しかし、夕暮れ時の湖面が黄金色に染まる庭のテラスで、フェルセンと並んで腰掛け、温かいハーブティーを飲みながら静かに語り合うその時間こそが、マリー・アントワネットにとってのかけがえのない、一人の女性としての真実の人生そのものだったのである。

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