婚約破棄なんてしません、そのまま自滅してください。
クラーラはここ最近もうどうしたらいいのかわからなかった。
婚約者のフロレンツの隣にはテレージアという名のかわいらしい女性が微笑んでいて、楽しげに彼は話す。
「そもそも俺は言ったんだ。魔法使いなんて野蛮な職業、伯爵夫人にふさわしくない、同じ土地持ちの貴族として恥ずかしくないのかって」
「うんうん」
「誇りはないのかって、それでもコイツもクリーゼル子爵も聞く耳を持たなかったんだ。今思えばそういう部分から統治者としての資格に欠けていたことがわかるだろう」
「その通りね、格上のアンテス伯爵家跡取りの言葉をないがしろにするんですもの!」
フロレンツとは、良好な関係だったとは言えなかった。
それでも婚約者としてクラーラは誠実に対応していたつもりだし、定期的にこうしてアンテス伯爵家にやってきて、コミュニケーションもとっていた。
関係が悪くなり始めたのは、クラーラが魔法学園に通い始めた頃だった。
今思うと父が入学を勧めてきたのは、こういうことを想定していたからかもしれない。
「だから、立ちゆかなくなるんだ。真剣に土地と向き合っていないから、神に見放されたんだ。まったく俺の時間を奪っておいて、本当に腹立たしい」
フロレンツは黙り込んでうつむくしかないクラーラをチラリと見てそう吐き捨てた。
クラーラはその言葉に反論することができない。
もちろん悪気があってそんなふうにしたわけでもないし、父もフロレンツの若い時期を奪ってはいけないからと早く決断をした。
クラーラの生家であるクリーゼル子爵家は近いうちに爵位と領地の返上を検討している。
というのも、領地の大半を占める森の魔力が異様に高く、魔獣の被害が後を絶たない。
領民を守るために騎士や魔法使いを雇い、なんとか駆除をするものの、一介の地方騎士がいくら束になってもかなわない強さの魔獣も出現する。
中央から騎士や魔法使いを派遣してもらうと報酬を出さなければならない。
そのせいでいつも領地経営は赤字で、土地持ちの貴族として恥ずかしいといわれようとも技術を磨いて王城で努めて王族派閥の貴族として認めてもらいなんとかやってきた。
しかし、ここに来て、不作続きだ。
父はクラーラが結婚して家庭に入ってから後ろ盾がなくなった女として冷遇されるぐらいならば、爵位返上して新しい人生を歩む方がいいと判断した。
「これなら最初から婚約なんてせずに、とっとと途絶えていればよかったものを。ここまで俺を縛り付けていたくせに、爵位返上を決めると自分たちは誠実だとアピールするように相談を持ちかけてきて馬鹿馬鹿しい」
「まったく邪魔者よねぇ、本当に。いつになるのかしら、最初からいなければよかったのに」
「その通りだ。いくら文句を言ったって言い足りない」
それに対する反応がこれであり、すでに隠す気もない浮気相手のテレージアとともにクラーラを罵る。
「魔法使いの仕事だってどうせ長くは続かないだろ、所詮子爵家の魔力だ、すぐについて行けなくなる」
「家も失って仕事も失うなんて、惨めすぎますわ。早く消えてフロレンツを自由にしてほしいわ」
「はは、そうだな。せめて、もっとクラーラが愛嬌のある女なら第二夫人ぐらいにならしてやったって言うのに、生意気で言うことを聞かなかったからそうなるんだ!」
「え~、わたくしはいやよ、あなたと二人がいい」
かわいげのない女であることを引き合いに出されて、悲しいのか惨めなのかわからない。
これでも、父も母も手を尽くしたし、爵位継承者ではない人間と違って、若い間に婚約をしていた期間があってもフロレンツのような爵位継承者は機会は多くある。
それほどの損失になっていたとは考えられないが、こちらの都合で婚約が白紙になる。
その過失を鑑みて気持ちとして支払う金銭もフロレンツの両親と話をし合意をとってある。
しかし、だからといって大きな顔はやはりできない。ただ、じきに婚約は白紙になるとしても形式的にはまだ婚約は解消されていない。
フロレンツとテレージアの関係は不倫関係で、誠意のない対応ともいえる。
「なんだよ。俺を独り占めしたいのか? テレージア」
「そうに決まってるじゃない。わたくしだけを愛してほしいのよ。……それにわたくしたちの子供もきっとそう思うはず」
「はー……好きだ。……本当によかった。クラーラのような女をめとることにならなくて。少しの愛嬌もなく、女としての愛情も与えてくれないやつなんて結婚してもつまらなかっただろうし」
「そうよ。わたくしだけにして」
けれども浮気を堂々とクラーラの前で行い、見せつけて楽しんでいる。
そしてきっとこれは当てつけだ。フロレンツの婚前交渉の誘いを断ったことにたいしての。
女としての愛情を与えてくれないという言葉がわかりやすかった。
フロレンツとテレージアは隣同士でイチャイチャとして、彼女の腹に手を添え、体をくっつけて熱く熱烈なキスを交わす。
しかし、婚前交渉などリスクしかないし、それこそ仕事もしている人間にとっては責任を欠く行為だと思う。
だから断った。それは当然の権利だと思うし、フロレンツのすべてを拒絶したわけではない。
間違ったことはなにもしていない。
(でも反論できないです。フロレンツの時間を奪ったのは事実ですし、非がある。だから……)
「ああ、本当にあなたと幸せな家庭を築くのが待ち遠しいわ。身持ちが堅いだけのつまらない女なんて意味がないのに。早く子供を産んで早く幸せなるのが一番なのにね」
テレージアは睨みつけるようにクラーラを見つめて忌々しげに言った。
彼女にはそんなに憎まれるようなことをしていないはずなのに、あまりに強い敵意だった。
「大丈夫だ、テレージア。きちんと婚約は破棄される。もうわかりきったことさ、子爵家に余力はない。コイツが黙り込んでいるのがその証拠だ。心配なんて何もない。二人で幸せになろう」
「フロレンツ……」
テレージアを安心させるようにフロレンツは言って、彼女が笑みを見せて抱きつくと、得意げにフロレンツはクラーラに視線を向けた。
まるでこれがクラーラが、フロレンツの言葉すべてに従って従順でいなかったことの報いかと言うように。
(非があるのは私の方……でも、これが正しい行いですか? それって許されることなのですか? 私は……)
惨めなだけだった気持ちが色を変える。正しくはない感情かもしれないけれど彼らだって、度を超えている。
相手が悪辣なことをしたからと言って、自分がそうしていい理由にはならない、けれどもこの仕打ちを受け入れてはきっと後悔する。
それだけはいやだった。
あと一年でいい、爵位の返上を遅らせてほしい。
クラーラの願いはその一つだった。
父は難しい顔をして『話し合いの段階だが、合意はとれている。その無理は体裁が悪くなる』とクラーラに丁寧に説明した。
しかしクラーラの中では、テレージアとフロレンツと話をして一つの可能性を見いだしていた。
加えて、彼らがクラーラにした行いを父に話すとそこまでされて誠意を見せるだけではたしかに気が治まらないのも無理はないと同意してくれた。
幸い、フロレンツの両親であるアンテス伯爵や伯爵夫人はテレージアのことをきちんと把握していない様子で、寛容に対応してくれた。
爵位継承者は婚活の相手も機会も多い、急いで婚約を白紙にする理由もないとのことだった。
そしてその一年を持ちこたえるために、クラーラは生活の本拠地をクリーゼル子爵領へと移した。
元々魔法使いというのは、要人の護衛業務もこなすことがあるし、研究職で本部に詰めている人もいる、けれど基本的には魔獣討伐に特化した技術を持っている。
そして王宮魔法団の一員はその依頼を王家から請け負い達成するという目標があるのが特徴だ。
なのでクリーゼル子爵領を中心に依頼を受けて仕事をしつつ、領地の魔獣を討伐し、その素材を販売して持ちこたえる予定だ。
魔獣というのは強いほど、その素材は高価になり高値がつく。
魔力がこの土地だからこそ、そしてこの土地で育って幼い頃から魔獣の危険にさらされて強くなったクラーラだからこそとれる戦法だった。
ただし、手はいくらあっても足りないのが現状だ。
事情を聞いた魔法学園時代からの同期の友人が一人手伝いに来てくれることになった。
「俺は、ここまでしてくれなくてもいいんだけど……」
友人のマティアスは応接室にて少し難しい顔をしていた。
「友人として手を貸してくださるのはうれしいです。マティアス、でもあなたの時間を奪う行為になりますし、なにより取り決めておいて損はありません」
「……クラーラがそう言うなら、それでいい。……ただ、ここに世話になる分の費用は引いてくれよ」
「これでも、それを差し引いた上での報酬の割合です」
「……」
二人の間にはいくつかの書類が置かれていて、そこにはこの期間で得た魔獣の素材の取り分が記載されている。
「でも五分か……これじゃあ手伝いに来た意味がないんじゃないか」
「いいえ、マティアス。魔獣の素材を売り払ったお金で領地の資金繰りをどうにかすると伝えましたが、そもそも魔獣の被害がなければ領地の収益は不作を差し引いても釣り合いがとれています」
「……」
「あなたが来てくれる分、人を雇う必要がなくなり、魔獣の素材を売ってもまかなえない報酬を払う必要がない。そういう理由があっての金額です。お願いします」
「……わかった」
きちんと理由を説明すると彼は観念して、書類にサインする。
それにマティアスがいればクラーラも心強い。彼は公爵家の出身で本来ならば友人になることもおこがましいような人なのだ。
それが学園という機会があって出会うことができて、今も関係を続けている。
実際に魔力も多く、強いのだ。これ以上ない助っ人である。
そんな人に、誠意を欠くような行動をとりたくない。
数枚の書類にサインをすると、マティアスは「それにしても」と話を切り出した。
「この、クリーゼル子爵領は不思議な場所だな。妙に居心地がいいというか……魔力の回復も早いような?」
「! そうなんです。魔法の練習にはもってこいなんですよ。理由はわからないですけど、昔かららしいです」
「そうか。君が低級貴族の出身でありながら妙に魔力が多いのもそれが原因だったりしてな」
「どうなんでしょう。魔石の鉱山があるような場所は魔力豊富で土地の貴族も魔力が強いと聞きますが、なんせ小さい領地ですから生活で手一杯で危険な魔獣ばかりの森の中に何があるかなんてわからないんですよ」
「本当に大変な土地だな、君の父上が、あんなに老衰……いいや人当たりがいいのもうなずける」
「加えて不作がありましたからね。父には同情しています」
何気ない会話をして書類をまとめて侍女に渡す。
マティアスは紅茶を飲んで、それから背もたれに体を預けた。
「爵位返上も仕方のないことだろうな。……ただ、延期はたった一年だろ? その意味について俺はまだなにも聞いてない」
「……」
「なにをするんだ? 本当はなにか隠している秘策があるんじゃないか? 俺にも教えられないのか?」
マティアスは少し寂しそうな顔をして、首をひねる。
「俺は君を信頼しているのに?」
さらに加えて彼はそう言って、その瞳は少し責めているみたいだった。そういう顔をされるとクラーラはつい弱くて、うっと心が痛む。
しかし確証がないことだ。
「それはうれしいですし、私もあなたを信頼しています!」
「うん」
「でも、外れていたら恥ずかしいので言いません。ただ、それでも、ただの直感だとしても、されたことの仕返しぐらいはしたいと思ってしまったんです」
「……」
「たしかに、私たちはアンテス伯爵家に謝罪をするしかありませんし、申し訳ないとは思っています。けれど……それでも、あの人たちのことモヤモヤしていてどうしても許したくないんです」
うまく言葉が出なくてふんわりとした言葉になってしまったが、罵るのもまた違う気がした。
そんな難しい感情だった。
「……だからこれは私の悪あがきです。もちろん誠意は尽くします、でも……」
「……そこまで言葉を選ばなくてもいいだろ。そもそもクラーラ。俺は君の友人というひいき目を抜いたとしても、クリーゼル子爵家が全面的に悪いとは思わない」
言葉に詰まって眉間にしわを寄せるとマティアスはクラーラの気持ちをくんで、話をする。
「必死にやっていても状況によって立ちゆかなくなるときもあるし、クリーゼル子爵家は誰がどう見ても厳しい状況だった」
「……はい」
「婚約というのは契約でそういう相手と取引の契約をするということは、リスクがあることも承知しているはず。さらに言うと……俺からすればアンテス伯爵家は得しかしてない」
「……」
「むしろ、狙ってたまであるだろ。近接領地だし、クリーゼル子爵家は王族に顔が利く、その後のクリーゼル子爵家がなくなって、領地を手に入れるのはアンテス伯爵家だろ」
彼の指摘はとても鋭いものだった。たしかにアンテス伯爵家は、その後の領地の振り分けについて、王族に対する働きかけを父に要求している。
魔獣が多い土地だがアンテス伯爵家ならば、所有している騎士団の規模が大きく、自分たちで狩りをして素材を山ほどとれる素晴らしい場所に早変わりだ。
領地が小さかったから苦しかっただけで、他の大領地から見れば潰れるならばほしい手札だったのかもしれない。
「むしろクリーゼル子爵家が、慎ましすぎるぐらいだ。その上、婚約中の浮気に侮辱……クラーラが許しても俺は許せないぐらいだな」
「……ですが、形式上は爵位の返上とそれに伴う婚約白紙です。迷惑をおかけしています」
「ふーん、そうだな。俺は君のそういう真面目なところは別に嫌いじゃないけど」
「ありがとうございます」
クラーラの言葉にマティアスはそれ以上の言及はやめて、嫌いじゃないと締めくくってくれる。
うれしい限りだが、少し含みはあるようだった。
「なにはともあれ、協力はする。君の策がどんなものか知らないけど、頑張ってくれ。俺は君に報われてほしい、君に酷いことをする人間は死んだらいい」
「苛烈ですね、マティアスは」
「そうでもない」
そんなふうに適当に会話をして、二人はさっさと仕事に取りかかった。
幸い、やってみると忙しいながらも充実した日々になったのだった。
マティアスとクラーラは個人主義だった。
なのでお互いがどこでなにをやっているかわからない日が多かった。しかし概ね仕事をこなしているだろうという信頼のようなものは存在していたので、心配もしていなかった。
なにはともあれ自分のやるべきことをやる。
それに集中していると、ドラマは生まれず、黙々と作業する日が多くなる。
途中、森の中で遭遇してランチをともにしたというエピソードがあったがそれ以外は、お互いメキメキバリバリ頑張っていたので、同じ屋敷に暮らしていても特に意味はなし。
たまに、屋敷の使用人になついている猫の話や、屋根裏部屋の話なんかを適当に共有するだけの日々だ。
そうして半年が過ぎた頃。
フロレンツから会いたいという連絡があった。
なんだか手紙の内容もしおらしく、以前言った言葉に対する謝罪も記載されていて、これはもしやと思い、クラーラの策は実ったかもしれなかった。
うれしさそのままマティアスに報告すると、彼は彼でちょうど話したいことがあったらしい。
そしてそれなら、クラーラもすっきりした後に話したいからとフロレンツにさきに会うことにしたのだった。
「……悪かったと、思ってる」
フロレンツは出会い頭にそう言って、馬車を降りて顔を合わせたばかりの玄関ポーチから動かずにうつむいた。
使用人に支えられて降りてきたテレージアは顔が青白くげっそりとしていつつもゆったりとしたドレスを着ていて下腹が少し膨らんでいて、歩みは少し不安定だった。
顔は青ざめていて、無言でフロレンツを見つめていた。
「俺があんなことをしたばかりに、君が爵位返上を一年も遅らせるとは、ほんの少しも思っていなかった」
「……」
「そんなことができるとも思っていなかったし、あ、侮っていた。……見ての通りテレージアは妊娠している。もう隠しきれない」
フロレンツの声は震えていて、感情を抑えて必死に言葉を紡いでいるのだとわかる。
「あのときは、どうせ婚約は白紙になるのだから、タイミング的にもちょうどいいと思っていたが、このままではもう手遅れになってしまう」
「婚約している最中に別の女性をはらませた。そして生まれてしまえばそれは不義の子だと一生汚名がついて回る」
「そうだ。君と婚約破棄した後にはテレージアを伯爵夫人に据えようと考えてそれとなく両親にも紹介していた!」
「……」
「それで全部うまくいくと思ってた。それなのに……ここまで体型に変化が出ていて、もうテレージアのご両親にも隠し通せない。疑いの目は確信に変わりつつある」
そんなことは当たり前だろう。大切に育ててきた娘をけがされて一生ついて回る汚点をつけられた可能性があるのだ、敏感になるだろう。
「これ以上婚約が維持されていたら、俺もテレージアも人生終わりだ、もう貴族としてやっていけない」
フロレンツはそうして頭を下げて、「頼む!!」と怒鳴りつけるように言った。
「許してほしい。君を侮辱したことを許してほしい。頼む!! 爵位返上か君からの婚約解消を、どうかっ」
頭を下げたまま、フロレンツは必死になって願いを口にした。
テレージアは静かにフロレンツを見つめているだけでピクリとも動かなかった。
(……まぁ、予想通りの展開ではありますね)
クラーラは下げられた頭を見ながらそう思う。
クラーラの直感は当たっていたのだ。テレージアがやけに時期を気にすることや、婚前交渉や子供のことを引き合いに出す様子。
そういうものから、テレージアはすでに妊娠の兆候が出ているのではないか。
以前彼らに会ったときにクラーラはそう考えた。
だから一年、遅らせることにした。
二人はこのままタイミングよく婚約を白紙に戻し、すぐに多少強引だったとしても縁を結んで子供を産む予定だったのだろう。
むしろ二人は、婚約白紙の話が出て時期が決まってから、それならもう我慢する必要はないと喜んでそういう行為をしたのかもしれない。
だから婚約白紙の時期が前後することなど考えていなかったのだ。
すでにテレージアの状態では結婚しても婚前交渉があったのではという追及や、婚約中の不貞行為について疑われることからは逃れられない時期まできている。
クラーラがここで彼らに応じたところで、彼らの両親はテレージアの次第に大きくなるおなかを見てこれは結婚させて子供を生ませたとしても汚点にしかならないことを理解するだろう。
それこそ、二人の要望に応じるだけではなく、日付を遡って婚約解消をしていたとクリーゼル子爵のサイン入りで書類を作らない限り彼らは詰んでいる。
つまり、どちらにせよ、クラーラの気持ち次第で、ギリギリなんとかなる可能性もあるというわけだ。
フロレンツは顔を上げて、テレージアの方を見た。彼女が一切頭も下げずに微動だにしないことに目くじらを立てて、ぱっと彼女の手を引いた。
「君も謝れ! もうこれしか方法はないんだ!」
「っ、なんでわたくしが」
「出発する前に話しただろ!」
「っ! ……あんなに馬車の中ではグチグチ言っていたのに、なっさけない。出会ったとたんこれだもの、つくまでは殴ってでも言うことを聞かせてみせるって言ってたのに」
「っお、おいっ!!」
「きゃぁ! 怒鳴らないでよ! こっちはあなたの子を妊娠してるのよ!」
「だからこうやってお前のために謝ってやってんだろ!」
テレージアはフロレンツの手を振り払って、おなかを抱えて彼を責めるような顔をした。
しかしフロレンツは頬を引きつらせて、拳を握ってテレージアを責める。
「だからそれが情けないって言ってるのよ! あんなに馬車の仲間では威勢がよかったのに! わたくしに安心しろっていったくせに! こんな性悪なことをするコイツがわるいんでしょう!」
テレージアはビシッとクラーラを指さして、髪を振り乱して文句を言った。
「でもじゃあ、どうするんだよ! お前が下手にはらんだりしなければそもそもこんなことにはっ」
「あなたが避妊なんてしなくていいって言ったんでしょぉ!!」
先ほどの真剣な謝罪の雰囲気から一転して、二人はやいのやいのと言い合っている。
そしてクラーラはそれに少しぽかんとしていた。
さすがに子供のいる女性と、それを守るため気持ちとしても父親になったフロレンツから誠心誠意の謝罪を受けて、あの日のことが消化できたなら、この悪あがきはやめようと思っていたのだ。
どんな状況でも、お互い尊重してやっていく方が賢明であり、たとえ領地を狙ってアンテス伯爵家が婚約を申し込んでいたとしても誠意のある対応をする。
場合によっては相手の言葉を聞いてできる限り柔軟に解決策を模索する。
そういうお互いに、大人として一人の人間として、そうして尊重し合う姿勢があれば今回のことは起こらなかったし、クラーラも婚約を逆手にとってこんな悪あがきをしなかった。
それが伝えられたらよかったのだ。
しかし彼らには教訓も学びも何もない。
自分の快楽しか考えず、買わなくてもいい恨みを買うようなことをするし、立場が悪くなれば今度は、愛した人すらせめて自分を保とうとする。
「どうするのよ! 全部、あなたたちが悪いのにわたくしはどうしたらいいのよ!」
「それを言うなら、お前が俺の人生をめちゃくちゃにしたんだろ!」
折り合いも、体裁も、落とし所もなにもなく、自分のことだけをお互いに考えているから二人の会話はどこにも進まないし、彼らの争いは泥沼だ。
相手を責めるだけで、自分を守るだけでとめどない。
やはりそう考えると、クラーラは自分の生き方を深く肯定できるような気がした。
きちんと誠実に、相手のためを思って動くのは大切なことだ。
傲慢な振る舞いと自分勝手はいつか自分に返ってくる。
そう思えた。
「あの」
そうしてとても穏やかな気持ちで声をかけた。
二人は本来の目的をはっと思い出したかのように見えたが、怒りを急になくすことはできなかったのか、いらついた表情でクラーラのことを見た。
「……婚約解消なんてしません。爵位返上の前倒しもません。アンテス伯爵家の方々とも合意は得ています」
「……」
「……っこの、性悪女!」
テレージアは堪えられずにクラーラを罵った。
(性悪……ですか、そうでしょうか。私が性悪だとすればそれは……)
「誰のせいで性悪になったと思いますか? あなた方が、円満に関係を終えられると言うときに、立場を利用して、私を侮辱しおとしめて笑ったからこうすると決めたんです」
人にしたことは自分に返ってくるものだ。
「二人がなにもしなければ、私だってなにもしなかった。私が性悪なことをしたのはあなたたちのせいですよ。自分がしたことを棚上げして、他人ばかり罵るのは醜いです」
テレージアは押し黙りぐっと涙を堪える。
「間違いも認めず、人を責めるばかりでいては一生そのままでなのでしょう。かわいそうにすら思います」
「な、何様のつもりよぉ……」
テレージアの悔しそうな言葉に、クラーラは苦笑して返した。
「少なくともあなた方の今後の運命を握っている人様のつもりですが、それでも心から謝罪をしてくださるということはないんですよね。わかっています」
「っ、」
「いいんです。それで苦労するのはあなたがただけで、私にはもう関係がありませんから、気にしなくていいんです」
そして、クラーラは彼らに説教をしてやる義務もなければ心を折る義務もない。
テレージアとフロレンツの二人は、ただこのまま一年後までクラーラが頑張って爵位を維持していれば勝手に自滅して、どうとでもなる。
彼らはやったことを謝る気がないし、思い知りそうになっても逃げてまた他人を責めて生きていくだけだ。
関わるだけ嫌な思いをして損をするだけだ。
「そうして泥沼の中で揉み合いながら生きていってください。それでは」
言うだけ言ってクラーラは屋敷の中に引っ込んだ。
ずっと玄関扉の外で話をしていたので彼らを追い出すのは簡単だ。ただ扉を閉ざせばいい。
しばらく外からは彼らがお互いを罵る声が聞こえてきたのだった。
後日、アンテス伯爵と伯爵夫人が報告へとやってきた。
フロレンツの不貞行為によって、他家の娘をはらませてしまったこと、子供までこさえてもう跡取りとしては遇することができなくなったこと。
体裁のためにも慰謝料をきちんと支払わせてほしいこと。
それらを丁寧に伝えられ、不誠実なことをしたことに謝罪を受けた。
特にクラーラの気持ちを心配されて、救いになるかはわからないけれど、テレージアは母子そろって修道院に入れられることになったと教えてくれた。
そして、フロレンツも領地の端の小さな村で監視されて生活を送るらしい。
それで溜飲を下げてもらおうと思っているらしかった。
しかしクラーラはすでに二人のあの罵り合いを見てから気持ちに曇りはないのである。
ところで、マティアスがクラーラに報告しようとしていた内容だが、森の中に怪しい洞窟を発見したということで、調査に行くとどうやら魔石の地下鉱脈が眠っていたらしい。
美しい泉と魔石が広がる光景は絶景で、まったく現実味がなかった。
父もぽかんとしていて、現実的な話し合いに至るまでしばらくかかった。
そしてどちらにせよ、苦労の多い土地ということに変わりはなさそうだし、弟はまだ小さく、跡取りとして教育もされていない。
このチャンスをものにするなら、魔力が潤沢で魔石の採掘業務を父や母と共同ですぐにでも行えるクラーラの助けが必要だった。
魔獣であふれかえらないように討伐も以前よりも多く必要だ。
そういう理由があって、決断はクラーラに任せると言う結論が出た。
クリーゼル子爵家が存続して、豊かになる素晴らしいチャンスだと思う。
それにマティアスが頑張って見つけてくれた道筋だ、選びたい気持ちがある。
しかし……ととても揺れていてそのまま日がたってしまったのだった。
ある日のこと洞窟に視察に行った帰り、クラーラが悩みのせいで言葉少なでいるとマティアスが言った。
「手伝ってくれって一言言えば、いいだけなのに」
「?」
「だから、俺を頼ればいいのに。見つけたのは俺だし、このままクラーラが俺を引っ張ってくればクリーゼル子爵家だってずっと楽になるし、別にそんなに悩むほど苦労しない」
サクサクと雑草を踏みしめながら彼は先を歩いて行く。
クラーラはマティアスの言葉が聞きたくて、少し駆け寄ってそばに行った。
「むしろなにをそんなに悩んでるかもわかんないな。俺は」
マティアスは声音からして少しすねているらしかった。
しかしマティアスにはこの一年で返しきれないほどの恩を受けたし、普通に友人をしていてこれから一生かけて返せるかどうかというところである。
その上、領地運営まで手伝ってもらうなんて苦労はかけられない。
「……これ以上の助力は無用です。それにこれ以上手を貸してもらっては、私はあなたの友人だと胸を張っていえません」
「……」
「やはり自分の力でどこまでやれるかと考えると私は――」
マティアスの背中に向けて、クラーラは一生懸命話していた。
でこぼこしていてたまに、木の根が飛び出している獣道はマティアスのような身長が高くて足が長い人はずんずん進めるけれどクラーラは小さいのでついて行くのに必死だった。
そんな彼が、ばっと振り返って、今度はクラーラの方に向かって二歩進むそれだけで、彼は見上げるほどすぐそばに来た。
驚いていると、がっしり両肩を捕まれた。
「っ」
「俺はクラーラとそばにいられるなら無理したってうれしいのに。クラーラは友人にこだわるんだな?」
「う」
「俺とは誰よりも一番仲がいいっていっていたくせに、こういうときには頼ってくれないんだな。俺はクラーラが好きだから、結婚できるなら過労死したっていいのに!」
「え?」
クラーラの声は本気で困惑していて、しかしぐっとのぞき込まれて、目が合っても逃げ出しはしなかった。
さわさわと風が頬をなでて、木々がざわめく音がする。
マティアスに落ちている葉の陰が形を変えて彼の瞳に光が差し込む。
(そんなこと一度も聞いてません……)
しかし彼は怒っている。
一番仲のいい友人だと言っていたのに、こんなチャンスがあるのに自分の手を拒んで一緒にいる機会を棒に振るなんてその程度だったんだと。
それはなんだか子供の嫉妬みたいだった。なんで私のことが一番大事なのにお仕事行くの? みたいなそんなことだ。
だっていくら友人でも、節度というものがあるはずで、一般的には友人は対等でなければ成立しない。
だからこういうときには頼らないことが友情を長続きさせる秘訣だと思う。
「……それとも俺は友人だけの関係だったんだな。そうやって俺のこと弄んだんだな! 面白いだろ情緒不安定で」
「……」
「せっかく……クラーラとそばにいられると思ったのに」
太陽の光がキラリと反射されて、なんだか涙目みたいに見えてしまった。
その様子があまりにもクラーラに対する気持ちがあふれすぎていて、とっさにクラーラは聞いた。
「どうしてそんなに思ってくれるんです」
「君は絶対裏切らないから。まっとうな人を利用しようとしたりしないし、俺を大事にしてくれるから」
「……驚きました、そんなふうに思っていたんですか。ありがとうございます……」
「いい。べつに振る前の慰めとかいらない」
言われて、クラーラは自分の真面目さとか、誠実さも、多少は人に影響を与えていたんだなと思う。
人にしたことは自分に返ってくる。それはきっととてもみじかなことなのだろう。
「……振ったりしません。ただ……あなたの気持ちを私は正しく知らなかったみたいです」
「早く振らないと、抱きしめてしまいそうだ。君がかわいくて」
「……確かに情緒不安定ですね」
マティアスは眉間にしわを寄せてそんなことを言って、クラーラはそう返して抱きしめられた。
おかしな告白とおかしな了承の仕方だったが、お互い友人よりも相手を大切に思っていて、ずっと一緒にいたかった。
そのぐらい、信頼していて大切だった。
クラーラはその気持ちはきっと愛に近いなと自覚して、自分からも抱きしめたのだった。
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