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白銀の髪

「毅然とした態度でいるんだ。そうしないと、馬はお前たちを信用しないぞ」

 先輩騎士直々に教わる乗馬と馬上訓練。フィッツジェラルド家でも馬には乗っていたが、初めての馬となるとまた扱いが難しい。

 シャーロットに宛がわれた馬は白く、比較的穏やかな性格をしていた。ジャンヌと同じ牝馬で、初めこそ手こずったものの、慣れるまでにそう時間はかからなかった。

 あぶみで腹の辺りをぽんぽんと蹴ると、駆け足になる。まだ日が浅いとはいえ、すでにシャーロットのことを信じてくれているようだった。

 問題なのはヨーランのほうだった。

 ヨーランの馬は珍しい青の毛色をしていて、一見すると優雅に感じるのだが、これがどうにもいたずら好きで、冗談が通じない性格のヨーランにはなかなか難儀する相棒だった。

「……俺は馬なんて要らないのに」

 訓練中も、時折そうこぼすヨーランを傍目で見ながら、苦笑を浮かべる。

 その途端、なんの前触れもなくヨーランの青馬が竿立ちになったので、ぎょっとする。

 しかし、予想に反して、ヨーランは竿立ち状態の馬に動じることなく、両脚を使って体勢を維持した。驚いたのはシャーロットだけでなく、青馬自身も、いたずらが失敗して顔をしかめているように感じた。

「こいつは本当にじゃじゃ馬だな」

 イーシャーが微苦笑を浮かべながらそう言うが、もし振り落とされていたら大変なことになっていたと内心ひやりとする。

「チャールズ、名前は決めたか?」

 白馬に顎をしゃくりながら問われ、そういえばそろそろ名前をつけてやらないとなと思い至る。

(少し臆病なところがあるけれど、この子はいい子だし、そうだなあ)

 イーシャーの黒馬のジャンヌが脳裏によぎって、うんと頷く。

「マリアンヌにしようと思います」

 フローレンス王国の隣国、ロシュフォール王国には、かつて美しい双子の姫がいたという。姉のジャンヌと、妹のマリアンヌ。性格も馬たちに似ているらしく、この上ない名前ではないかと思った。

「マリアンヌか、いい名前だな」

 イーシャーも満足そうに頷いたので、そっとその白いたてがみを撫でる。

「よろしく、マリアンヌ」

 そう言うと、白馬が喜んだようにいなないた。

「ヨーランはなににする?」

 こちらが問いかけると、言うことを聞かず、その場をぐるぐると回る馬に苦戦しているヨーランが、恨めしい顔をして見つめてきた。

「俺は、馬は、要らない」

「そういうわけにはいかないよ。これからの任務でイーシャー先輩についていくことが多々あるんだから。馬がいないと、話にならない」

「だから別に馬がいなくても――はあ、もういい」

 大きく溜息をついて、手綱を操るが、青馬は相変わらず言うことを聞かない。

「ヨーラン、馬は背中に乗せている相手の心がわかるんだ。お前が真摯に向き合わないから、そいつも信用に足る相手か見定められないんだろう」

 イーシャーに咎められ、ヨーランは一瞬表情を曇らせたが、すぐに真顔になり、青馬と向き合うことに決めたようだ。

(おや)

 仕えるべき先輩騎士ということを差し引いても、ここ最近のヨーランはイーシャーの言うことをよく聞いている。

 ――ヨーラン、お前はいい剣士になる。

 シャーロットでさえ、あのときのイーシャーの笑みは眩しく感じた。逆光の中にいたにもかかわらずだ。正面に立っていたヨーランには、さぞ輝いて見えただろう。

(私だったら、ヨーランをその気にさせられなかった。やっぱり優秀な騎士なんだな、イーシャー先輩は)

 ヨーランにつきっきりのイーシャーが、予想に反して盛大なくしゃみをした。


 浴室から出る間際、人の気配がないことを入念に確認する。ヨーランのことだから、わざわざ驚かしに来るわけもなく、せいぜい歯を磨きに来るくらいだろうけれど、念には念を入れても罰は当たるまい。

 寝間着に着替えて洗面室を出ると、寝台の上で白銀の髪を梳いているヨーランが目に入る。

 途中で引っかかりもしないさらさらとした長い髪だったが、ブラシを扱う手が雑で、思わず手を伸ばしてしまう。

「そんな梳き方をしたらせっかくの髪を傷めるよ。ほら、貸して」

 彼が抵抗する暇もなくブラシを取り上げて隣に座り込んだので、ぎょっとはさせたものの、わりとすんなり髪を梳かすことを許してくれた。

「髪はまず毛先から梳くんだよ」

 ブラシを通すと、意外にも引っかかる。見た目からは判断できなかったが、近侍のいない生活が続いて、髪が傷み始めているようだった。

「ここに近侍はいないんだから、髪くらい自分で梳けるようにしないとね」

「お前だって髪なんて梳いたことないだろう」

「それくらいあるよ」

 ははっ、と思わず笑ってしまう。侍女のセーラに習って、自分でも何度か梳いているのだ。

「どこでだ?」

 しまった、という顔をしていないといいのだけれど。

「えーっと……妹の髪をよく梳いていたんだ、うん」

 ヨーランが鼻を鳴らした。

「また妹か。よっぽど好きなんだな」

「そりゃあ好きだよ。大切な妹だからね」

 弟のチャールズが、実際に妹にどんな感情を抱いているのかは知らない。けれど妹のクローディアは、自身の母と、兄のことを大切に思っている。

(今頃、どうしているんだろうなあ)

 懐かしみ、白銀の後ろ姿に話しかける。

「ヨーランは? 兄弟はいるの?」

 ぴくっと頭が動いて、無言が続く。長い付き合いではないけど、ヨーランがこうして無言になるのは決して寝落ちているからではないと断言できる。

 悪いことを訊いてしまったかな、と正面の窓ガラスを見つめると、案の定、一点を見据えて顔をしかめるヨーランが映っていた。

 自分だって、根掘り葉掘り訊かれたくない立場だ。自身のことをあまり語らないヨーランだからって、詮索していい理由にはならない。

 そう、謝罪しようと口を開けたら、「お前は」と問われる。

「……お前は、俺の長い髪を、変に思わないのか?」

 眼前でさらりと落ちていく、白銀の髪を見下ろす。ヨーランはどちらかといえば幼さの残る女顔だから、髪が長いと女の子にしか見えない。

 厩舎の件のように、からかいの対象にされることだってままある。

 けれど、それをおかしいと思ったことは、一度もない。

「ヨーランの髪は、夜空を流れる星の川みたい。光に当たればきらきらと光って、動けばさらさらとそよぐ。イーシャー先輩と手合わせしていたとき、動きに合わせて動くこの長い髪を、とても美しいと思ったよ」

 髪を見下ろしながら、訊かれたことをただ正直に答えただけなのに、なぜだか窓ガラスに映ったヨーランは信じられないというような顔をしていたので、目をぱちくりしてしまう。

「……お前、気持ちの悪い奴だな」

「えっ、そんな変なこと言ったかな」

 戸惑っていると、ふっ、と笑うような息がこぼれた。

「でも、面白い奴だ」

 呟くような、囁くような、そんな微かな声で。

 気のせいかと錯覚するほどの刹那に、ヨーランの小さな笑声を聞いて、思わず胸が高鳴る。

「ヨーランが笑ったところ、初めて見たよ」

 驚き半分で笑いながら口にすると、真一文字に結んだ声でヨーランが反駁する。

「笑っていない」

「笑ったろ。この目でしかと見た」

「嘘をつくな。背後にいるのに、お前の目はどこについているんだ」

 人差し指で正面の窓ガラスを指差すと、ヨーランと目と目が合う。

 少年はしばし目を瞬いていたが、やがてすべて見られていたという事実に気がついて、かーっと顔を赤らめた。

「もういい!」とブラシをひったくって毛布の中に潜り込んでしまう。

 唖然とし、それからくすくすと笑いが込み上げた。

 さらさらとした長い髪の感触が、まだこの手に残っている。

 もう慣れたと思っていたけど、自身の首筋が薄ら寒かった。

「ねえ、ヨーラン。よかったら、また髪を梳かさせてよ。しばらく、長い髪を梳くなんてこと、ないからさ」

 返答は聞かせてもらえなかったけれど、どこか寂しげに聞こえたのか、蓑虫のような毛布の中からブラシだけがぽんっと投げられた。

 思わず微苦笑を浮かべながら、「ありがと」と、シャーロットは礼を述べたのだった。

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