ヨーランと剣
盾持ちたちの渾身の雄叫び。
各々得意な魔法で、火や、水や、風や、雷を細剣に纏わせ、ひたすら振るう。
「次!」
教官の声に、自分の番が回ってきたので、腰から細剣を抜く。弟の使える魔法がどの程度だったか必死に記憶を呼び起こすが、あの子が魔法を纏わせながら剣を振るう姿は、記憶にあるかぎり見たことがない。
そんなときは、少しだけ切なくなるのだが、今は感傷に浸っている場合ではない。
深呼吸をして、「イーシャー・グジャラートの従騎士、チャールズ・フィッツジェラルド三世です」と名乗る。教官が頷いたのを見て取り、細剣を構える。
おや、という目で教官が見ている。どの属性にしようかと迷った挙句、火を纏わせることにした。弟が、蝋燭の火のようにか細い魔法を使っていたのを思い出したからだ。木でできた人形に竜のブレスのように波動をぶつけると、人形の胸の中心にぽっかりと穴が開いた。
おお、と盾持ちたちから歓声が上がる。
人形の右手、左手、両脚を斬り落とし、細剣を納める。
礼をして、踵を返すと教官に呼び止められる。
「その剣筋、剣聖ギャレット・アディンセルを彷彿とさせる」
「はい、手ほどきを受けておりました」
言ってから、手ほどきを受けたのはシャーロットのほうだったと気づいたが、時すでに遅し。
教官は納得したように顎ひげを撫で、もう行っていいと手を振った。
「チャールズ・フィッツジェラルド、見事だった」
滅多に人を褒めないことで有名な教官に褒められて、自分だけでなく盾持ちたちも驚いている。
「次!」
教官の怒声に前に進み出たのは、ヨーランだった。相変わらずの仏頂面だが、心なしか、どこか不安そうな様子が見て取れた。
(ヨーラン? どうしたんだろう)
腰から細剣を抜き、ひたすら手元の剣を見つめている。
「名は!」
教官から怒声が飛んで、ヨーランはいつもの声音で名を名乗った。
「声が小さい!」
あからさまに顔をしかめるヨーランに気が気でなかったが、彼も深呼吸をすると「イーシャー・グジャラートの従騎士、ヨーラン・シュネーヴォイクトです」とはっきり答えた。
教官が頷き、ヨーランが剣を構えるのを見ていると、背後からひそひそと話す声に気を取られる。
「例のシュネーヴォイクト家だ。あの白銀の髪、間違いない」
「なんだ、それ? 初めて聞く名だ」
「知らないのか? イェオリの末裔だよ。たかが傭兵のくせに、たまたま王の護衛を賜ることになって、運よく男爵位を与えられた下級貴族さ」
「そこ! 静かにしないと家に送り返すぞ」
教官やヨーランからはなにも聞こえなかっただろうが、こそこそと話しているのを見られていたようである。
シュネーヴォイクトのことも、イェオリのことも、自分は疎い。ただ、かつてこの世界にはイェオリの国があって、祖国を失った彼らは各地に散らばり、傭兵として生計を立てていると小耳に挟んだことはある。
ヨーランは祖国のことも、自身のことも語らない。なんとはなしに訊いたことはあった。けれど、いい顔をしないものだから、それ以上、尋ねることもなかった。
「どうした、シュネーヴォイクト。得意な魔法を使い、人形に攻撃しなさい」
教官に促され、細剣を握る右手に力を込めるヨーランだったが、額に汗をかき、微動だにしない。ざわざわと、周囲がさざめき立つと、教官が叱責する。
「……えません」
構えたはずの細剣を下ろしながら、ヨーランが呟くように言った。
「……俺は魔法が、使えません」
一同が、目を見開くのがわかった。騎士団において、それは致命的とも言える。けれど剣術が魔法を上回れば、挽回することは充分可能だ。
しかし、ヨーランは諦めたように、両腕をだらりと下げたままだった。
「……おーい、ヨーラン」
馬の体を診ながら、ブラシをかけるヨーランに呼びかける。
話したくないのか、ヨーランは無心になってブラシをかけ続けている。
その瞬間、黒馬のジャンヌがいなないたので、ヨーランが瞠目する。
「ヨーラン、同じところばかりブラシをかけすぎだよ。あとはやるから、先に馬房に行って、寝藁を変えてきてくれる?」
ヨーランは黙ったまま、踵を返して厩舎に向かう。
思わず、はあ、と溜息をつくと、後ろから声をかけられる。
「ヨーランは一体どうしたんだ?」
「イーシャー先輩」
ジャンヌを走らせたので、短い黒髪と褐色の肌の境目に汗をかいている。
ヨーランが魔法を使えないこと、教官に促されても剣術を披露しなかったこと、それ以来、ヨーランの様子がおかしいことなど、事のあらましを説明すると、イーシャーは澄んだ空のような碧眼を細めた。
「えっ、先輩?」
ずんずんと先に進んでいくイーシャーを追って、ジャンヌとともに小走りすると、彼は厩舎のそばに立てかけてある木剣をつかみ、中へと入っていく。
馬房で寝藁を変えているヨーランに近寄っていくと、「ヨーラン」と名を呼んで、木剣を放り投げる。ヨーランは驚いて寝藁を落としながらも、上手いこと剣をつかんだ。
なにごとかわからず、瞠目しているヨーランに、イーシャーが告げる。
「先輩命令だ、来い」
そう言って、イーシャーは微笑を浮かべながら、外にくいっと顎をしゃくった。
慌てながらジャンヌに飼い葉を与え、抜け出たイーシャーとヨーランを追いかける。剣を持って行ったということは、恐らく練兵場だ。
辿り着くと、かけ声がした。
「右足を前に、左足を後ろに、肩幅に開くんだ。爪先は相手に向けて――そうだ。構えはできるか? もう少し肘を曲げて――おい、顔面の防御を忘れてるぞ」
言ってからイーシャーは、はっとなにかに気づき、にやりと笑った。
「お前は防御しなくてもいいのか」
意味深な言葉に首を傾げてしまうが、わかるのは二人だけのようで、入る余地がない。
「なんだ、基本はできているじゃないか。家で剣は習っていたのか?」
「……少しだけ」
その言葉にイーシャーは頷くと、そばにあった木剣を構えた。
「手合わせ願いたい」
ぎょっとしたようなヨーランに向かって、先輩騎士はただ碧い瞳を細めた。
「手加減するから、安心しろ。ただ、お前の実力が知りたいんだ」
優しげな声音。けれど、ヨーランは迷うように後退った。
「ヨーラン、お前はなんのために騎士団に入ったんだ?」
少年の見事な翠玉の瞳が、イーシャーを見上げる。
「少なくとも俺は、今までの自分を変えたくて、騎士になろうと決意した。世のため人のため、女王陛下のためなど、初めは詭弁でしかなかった。それらの名目は、自分の願いが叶ってからでもいい」
夕日が、練兵場を照らす。太陽を背にしているイーシャーと、日の光を体に受けるヨーラン。その、彼の宝石のような瞳が、きらきらと光って、イーシャーを見つめていた。
ヨーランの顔つきが変わったと思えば、木剣を強く握りなおす。凛とした佇まいは、名立たる剣士のようで、少年らしさがどこぞへと消えていく。
しかしそれ以上に、構えたイーシャーの姿は美しく、ヨーランを飲み込むように、足元の影が伸びていく。
「用意はいいか?」
イーシャーの言葉に、白銀の少年は頷く。
長い時間が流れたかのようだった。砂埃も、夜を告げる鳥の声も、静かな風の音も、なにもかもがゆっくりに見えた。
ヨーランが踏み出す。おぼつかない足取りだと思ったのに、まっすぐにイーシャーを狙っていて、迷いがない突きだった。
跳躍したかのような踏み込みが、一瞬でイーシャーとの距離を詰める。
それを、受ける。剣を弾く音が高鳴るが、流れるようにイーシャーの剣がヨーランの顔目がけて突き出される。
斬れないにしても恐ろしくて、思わず目を瞑りそうになってしまう。
しかし、シャーロットでさえ避けられるか定かではない攻撃を、ヨーランは身をひねって避けてみせたのだ。
思わず目を瞬かせながら見守っていると、イーシャーの攻撃が繰り出される。しかしそのたびに、ヨーランの足が巧みに動いて、下がりながら華麗に避けるのだった。
(先輩の攻撃もすごいけど、ヨーランの避け方もすごい)
どうなるのかと刮目する。剣戟の音は凄まじかった。
けれど、勝敗はすぐに決した。
「あっ……!」
そう発したヨーランの手から、ひゅるひゅると音を立てて、木剣が吹き飛んでいった。
地面に突き刺さる自身の剣を、ヨーランは呆然と、徐々に悔しく、見つめていた。
木剣を戻しながら、イーシャーが真摯な顔で告げた。
「お前の突きは動きが速い。剣の動きを読んで、咄嗟に避ける動作も悪くない」
肩を落としていたヨーランが、褐色の騎士を見上げた。
「魔法が使えないのは、お前の足枷にはならない」
言って、イーシャーはよく焼けた肌にかいた汗を拭って、破顔した。
「ヨーラン、お前はいい剣士になる」