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サン・ルイーズ墓地

「招待状に関しては、すでに殿下もご存じかと思います。エミールなる人物が何者なのか定かではありませんが、まずはこの招待状のもとに行ってみるしかありません」

「今はそれにすがるしかないか。――魔法の封蝋だな」

「紋章院に登録されていないでしょうか」

「調べてみよう」

 しかし、悠長にしている時間はなかった。ディアーヌの容体が急変したのだ。姉妹の一人が手を切り、ディアーヌはその血に反応した。幸いにも我を忘れることはなく、吸血鬼化したディアーヌに襲われた者はいなかった。

「時間がない」

 歯噛みしたアントワーヌ王子は、ついに決意した。ロシュフォールの主要騎士団、ローラン騎士団から宮殿に騎士が派遣され、レイモンドが指定したサン・ルイーズ墓地まで赴くことになった。

「吸血鬼の知識はございます。差し支えなければ、われらをお使いください」

 イーシャーの進言により、アントワーヌは感謝の言葉を述べた。

「フローレンスのライオネル騎士団には心から感謝する。妹を、ディアーヌを頼む」

 三人で、深くこうべを垂れた。

 アントワーヌ王子はくるりと向き直ると、そばに控えているデュランダルに鋭いまなざしを向けた。

「ディアーヌが吸血鬼になるのを止められなかった、だなんて報告してみろ。お前の首を、文字通り切り落としてやるからな」

「御意」

 肝が冷えそうなことを口にする王子に、シャーロットは思わず苦笑した。

「皆さま、お待たせいたしました」と、宮殿からディアーヌが出てくる。馬車のそばに控えた従僕が動き出すよりも早く、アントワーヌが妹に駆け寄り、両手を握りしめた。

「ディアーヌ、護衛ばかりで心細かろう。やはり、私も一緒に参ろうか」

「お兄様、大丈夫ですわ。ライオネルの騎士たちはうわさにたがわぬ紳士ですのよ。それにシャルルとは話も合って、一緒にいてとても楽しいんですの」

 ディアーヌは、シャーロットのほうを見てほほ笑んだ。途端に、背筋がぞわりとした。顔半分だけをこちらに向けたアントワーヌの目が、猫のようにシャーロットを見つめていた。

「そうか、それはぜひとも詳しい話を聞いてみたいな」とほほ笑むアントワーヌの目は、とてもじゃないが笑っているようには見えなかった。

 このお方と絶対に二人きりになってはいけない、とシャーロットは深く肝に銘じた。


 グランシェの六区にあるサン・ルイーズ墓地。町のはずれにあるそこは日の光の中にあっても薄暗く、不気味に感じた。

 白薔薇と称されるライオネル騎士団と違い、黒薔薇と呼ばれるローラン騎士団は名の通り、黒い制服に身を包んでいた。

 彼らと墓地を深く進んでいくと、墓標が居並んでいた。その間を、黒い影が漂っている。何事かと目を凝らすと、黒い犬の姿をしていることに気付く。

 騎士たちが身構えると、その気配を感じたのか、犬がうなり声をあげる。そこで、はたと気付く。

「後ろ!」

 シャーロットが叫ぶと、背後からもう一匹の犬が飛び出してきた。鋭い牙を細剣でかわすと、数人の騎士がディアーヌを守るように固まった。

「ただの犬ではありません。墓守犬チャーチ・グリムです」

 デュランダルが言うように、二匹の黒い犬はこうこうと輝く赤い目をしていた。まるで、吸血鬼のそれのように。

「手を出してはなりません。ここは彼らの土地なのですから」

 ディアーヌが騎士たちに命じるが、敵意がないことを墓守犬に伝えるにはどうしたらいいのか。

 二匹の墓守犬は、騎士たちの周囲をぐるぐると回る。普通の犬に比べて大柄な二匹は、闖入者である彼らに敵意をむき出している。

 騎士の一人がにじり寄る。追い払おうと剣先を向けるのだが、それが墓守犬たちを刺激する。ばっと飛び出した墓守犬からディアーヌを守ろうと、騎士が剣を突き出す。

 血が、ぽたぽたと滴った。

「デュランダル!」

 墓守犬の牙が、デュランダルの腕に食い込んでいた。

「お前たち、王女殿下は墓守犬に手を出すなと仰せだ」

 デュランダルの言葉に、黒ずくめの騎士たちはぐっと奥歯をかみしめた。

「なんてことを……」とつぶやきながらディアーヌが寄ってきて、かみついている墓守犬を引きはがそうとした。

「危険です、殿下」

「お前が傷ついているのに、じっとしていられません」

 墓守犬は、引きはがそうとこちらに手を伸ばすディアーヌを警戒して、低いうなり声をあげた。

「殿下!」

 デュランダルと騎士たちが叫ぶと、唐突に墓守犬がうなるのをやめた。血のように真っ赤な目を見開いて、ディアーヌのことを不思議そうに見つめる。

「この子……」

 つぶやいて、ディアーヌが墓守犬の頭をなでた。意外にもおとなしくなでられる様子に、騎士たちは驚いたような声を上げた。

 もう一匹の犬もディアーヌが手を上げて近づくと、黒い鼻をひくつかせて、ディアーヌの周りにまとわりついた。

 二匹の墓守犬が、飼い主にするようにディアーヌの白皙の手をなめた。当のディアーヌも、理由は分かっていないが、墓守犬たちが心を許してくれたことを喜んでいた。

(一体、何が起こったんだろ……)

 考えていると、二匹の犬が騎士たちの背後に向かってほえた。振り返ると、闇色のローブを目深にかぶった男が立っていた。ランタンを持ったその姿にピンとくる。

 墓守だ。

 ぴゅうっと甲高い口笛を吹くと、墓守犬たちが男に向かって駆け出す。

「サン・ルイーズ墓地の墓守殿とお見受けする。私はローラン騎士団の近衛騎士デュランダル」

 墓守から返事はなかった。様子をうかがっていたデュランダルも、少し眉根を寄せながら懐から招待状を取り出した。

「この招待状を見せれば、エミールなる人物のもとに案内してもらえると聞いたのだが、事実か?」

 問いにもこたえることはなく、墓守はくるりと向きを変えるとランタンを掲げて歩き出した。

「ついてこい、ということだろうか」とイーシャーがつぶやいた。

 デュランダルたちとうなずきあって、墓守と犬たちの後をついていく。

 ランタンの明かりに照らされる墓標は、ほんの少し薄気味悪く感じた。さまざまな種類の墓標と、そこに刻まれた名前。死者と生者が結びつく土地に、産毛が逆立つ。

 墓地の奥へ向かうと、墓標の群れが途絶えた。木々に囲まれた石畳を歩いていくと、門の外で馬車が待ち構えていた。豪華な御者付き、二頭立ての馬車だった。

 御者の顔を見ようにも、周囲が薄暗くてうかがうことはできなかった。

 開かれた扉を見て、墓守がランタンをゆすった。乗れということなのだろう。問題は、だれが乗るのかということだった。

 デュランダルが動いて、騎士を選抜する。指示に従った一人の騎士が乗り込もうとすると、ランタンで前を遮られた。墓守のほうを見ると、墓守犬たちが騎士を見てうなっていた。

「どうやら、だれでもこの馬車に乗れるわけではなさそうだ」

 イーシャーの言に、デュランダルがため息をついた。

「では、イーシャー卿」と、馬車に手を向ける。イーシャーがうなずいて墓守のほうを見やると、墓守は何も言わず彼が馬車に乗るのを見守った。

 デュランダルは、次にシャーロットとヨーランを指定した。ローランの騎士たちがざわつくのをデュランダルが遮った。

「おそらく、ディアーヌ殿下をさらった吸血鬼レイモンドとかかわりのある者だけが乗れるのだろう」

 イーシャーが乗れた時点で、シャーロットも同じことを考えていた。しかし、他国の騎士に王女を守らせるなど、ローランの騎士たちは気が気ではないだろう。

「案ずるな。この者たちは私が駆け付けるまで王女殿下を命をとして守ってくれた。信頼のおける騎士たちだ」

 ほかならぬデュランダルの言に、騎士たちは互いにうなずきあった。

 ヨーランとともに馬車に乗り込む。やはり、墓守は何も言わなかった。

 ディアーヌが乗り込むとき、墓守犬たちがさみしげな声を上げた。寄ってきた犬たちに向けて、ディアーヌが手を伸ばした。

「大丈夫ですわ……また会えますわよ」

 どうして、墓守犬たちがディアーヌになつくのかは分からない。けれど、ずっと待っていた主に会えたかのように、犬たちは離れがたい声を上げてずっと鳴いていた。

 従僕のようにディアーヌが馬車に乗るのを手伝い、自らはためらうように御者の隣に乗り込むと、デュランダルは騎士たちに命を下した。

「王女殿下は私が命をとしてお守りする。馬に乗ってついてこられるものがいたらついてこい」

 手綱の音が高鳴って、馬のひづめの音とともに馬車が緩やかに動き出す。遠ざかる騎士たちの姿が、急な霧によってかき消された。

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