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ロシュフォール王国

 貴族の令嬢だとは思っていたけれど、まさか隣国ロシュフォールのお姫さまだなんて夢にも思っていなかった。

 ディアーヌは隠していたことを恥じるように、鼻の頭を赤らめて苦笑を浮かべた。

「黙っていて、申し訳ありませんわ」

「いや、僕がディアーヌの立場でも同じことをするよ」

 王族なのだ。しかも、自国ならまだしも他国の。フローレンスとロシュフォールははるか昔からの友好国であるとはいえ、警戒するのはやむを得ない。

「お前、どうやってわたくしの居場所を突き止めたのです」

 ディアーヌが近衛騎士に向き直る。

「村の近場で、フローレンスの騎士たちがこちらの報告を受けるのを見たのです。急いで向かっていると、光が打ち上がったので、そこに殿下がおられるかもしれないと」

「……そうだったのですね」とディアーヌは目元を赤らめた。

「心配を、かけましたね」

「まだ、不安の種は取れていません。毒を、流し込まれたと」

 こくん、とディアーヌはうなずいた。

「なぜ、そんなことに」

「本当に、愚かなことをしましたわ。お前たちには迷惑をかけました。もう、あのような甘言に惑わされたりいたしません」

 目を伏せて、柳眉を寄せるディアーヌの表情は痛々しく、自らの行いで他者を巻き込んでしまったことを悔いているように見えた。

「とりあえず、ディアーヌ殿下もお疲れのようですから、一度村に戻りませんか。騎士たちも駆け付けてきているので」

 イーシャーが言うと、森の奥から馬が駆ける音が聞こえてくる。木々の間から白い制服が垣間見えて、ほっと胸をなで下ろしている自身に気付く。

 屋敷には火を放たれて、取り壊された。もう二度と、吸血鬼や化け物たちのねぐらにならないように。

 燃える屋敷を背中に、馬に乗って村へと戻っていく。急ごしらえの宿を借りて、全員のケガを治療する。一番ひどいケガをしたのはシャーロットだったが、幸運なことに、動いても大した痛みはない。

「相変わらず、お前はバカみたいに体力があるな」

 ぼろぼろになった寝間着から白い制服に着替えたヨーランが、あきれたような顔でそう言った。

「ディアーヌ殿下、あなたには吸血鬼の毒が流し込まれている。つまり、あなたの体は吸血鬼になりかけているということ。まだ、日に当たっても大した痛みは伴わないかもしれませんが、それも時がたてばどうなるか。……食事は取れそうですか」

 イーシャーが問うと、ディアーヌは小首をかしげた。

「……分かりません。けれど、前ほど人の食事が喉を通らなくなってきたのは確かですわ。食べられないことはないけれど、おいしいとは感じない」

 ううむ、とうなったのはイーシャーだけでなく、近衛騎士が誰よりも不安げに主君に言い募った。

「殿下、一刻も早く毒を癒やしましょう。あなたが吸血鬼になってしまったら、陛下たちが悲しまれる」

 ディアーヌは、大きな琥珀の瞳で騎士を見つめていたが、ふと瞑目して自身の手を見下ろした。手のひらのしわをなでるように、指先をなぞらせる。

「……そうね。お父さまやお母さま、お兄さまたちを悲しませることはできませんわね」

 決意はこもっていたが、どこか物憂げな印象を与える。なにか、心に引っかかるものでもあるのだろうか、と気になって声をかけようとしたところで、イーシャーが口を開いた。

「あなた方がよければ、ロシュフォールまで同行したい」

 騎士は、同じ褐色の肌のイーシャーを見つめて、うなずいた。

「助かります。正直、ロシュフォールの騎士たちを待っている時間が惜しい」

 イーシャーが手を差し出した。

「フローレンス王国、ライオネルの騎士、イーシャー・グジャラート」

「ロシュフォール王国、ローランの騎士、デュランダル」

「デュランダル……変わった名だ」

「わが国では近衛に拝命されると、伝説の剣の名を賜るのです」

 言って、デュランダルはほほ笑んだ。

 ローラン騎士団の名には覚えがある。バソリー村へと訪う前、駅で黒い制服の男とぶつかった。顔はあまり覚えていないが、大きな剣を背負っていたのを思い出した。

(あのときの男は、この人だったのか)

 一体、この異国の地までどんな任務を負っているのだろうと思ったが、まさか祖国の王女を捜していたとは。

「夜が明けたら、すぐにグランシェに向かいましょう」

 応援に来てくれた騎士たちに案件を引き継いでもらった翌日、身支度を整えてバソリー村を後にした。レイモンドに吸血されて血を失くしていた少女たちには、鉄を含んだワインを飲ませるように指示した。彼女たちの血を失わせていた当人がいなくなったのだから、あとは時間が解決してくれるだろう。

 用意された人数分の馬に乗り、平原を駆ける。ディアーヌは、親鳥に守られるヒナのように、デュランダルの両腕の中に収まっていた。

 どこか物憂げだったディアーヌも、汽車に乗り、車窓から見える草原から動物たちを見つけると、少し表情を和らげた。

「ディアーヌ、ビスケットはどう?」と問うと、一瞬首をかしげた姫だったが、すぐに菓子だと理解する。

「まあ、ビスキュイは好きでしてよ」

「へえ、ロシュフォールだとそう発音するんだ」

「あなたの名前も、こちらでは『シャルル』と読みますわ」

「自分の名前じゃないみたいだ」

 ロシュフォール語の響きは、優雅で、聞き心地がいい。フローレンスの至る所で、ロシュフォール由来の言葉が残っている。侍女にも、格式高いロシュフォール風の名前を名乗らせることがあるほどだ。

 シャーロットの愛馬、マリアンヌのことを思い出して、苦笑を浮かべる。かの王族を連想してつけた名前だが、当の王族が眼前にいる。

「どうかなさいまして?」

「いや、騎士団に置いてきた愛馬を思い出して。イーシャー先輩の馬がジャンヌという名前だったから、それに倣って『マリアンヌ』と名付けたんだ」

「まあ、グランシェ家の姫たちですわね、確か双子の」

「僕は歴史に疎いものだから、軽い伝聞でしか知らないのだけど」

 頭をかくと、ディアーヌはふふっと笑って、居住まいを正した。

「まだロシュフォールが、グランシェという小さな国だった頃の話ですわ。ジャンヌとマリアンヌの姉妹は誘拐されましたの、今のわたくしのように」

「そうなの?」

「ええ。いにしえの竜を従えた、伝説の竜騎士によって救い出されたと。姉妹はその後、ルカニア王国とアーデルハイト帝国に嫁いでいったそうですわ。わたくしにとって、二国は姉妹のようなものです」

 けれど、とディアーヌの顔が陰った。

「ここ最近の帝国の情勢は芳しくありません。信仰に狂った皇帝は、聖霊教会の傀儡ともいわれています」

「聖霊教会って、あの?」

「ええ、異能を求める宗教団体ですわ。明確な目的は定かではありませんが、異能ある所に聖霊の御霊が宿ると信じているのです。彼らは、異能の中に眠る聖霊の力を欲しているのですわ。けれど、その力を得るためには手段を選ばない」

 名前を知らなかったわけではないが、聖霊教会の存在は身近ではなかった。手段を選ばないという教会のやり口は、暗い表情のディアーヌを見ていると一目瞭然だ。

「自分ありきの教会の言いなりでは、アーデルハイト帝国は衰退の一途をたどるでしょう。皇帝は周囲の言葉に耳を貸しませんし、実に残念でなりませんわ」


 ロシュフォール王国首都グランシェ。花の都と呼ばれる美しい街並み。豪奢な馬車に揺られながら、王家の住まう宮殿へとたどり着く。

 大広間で、緊張した面差しのディアーヌたちを出迎えたのは、カラスのように艶のある黒髪を持つ青年だった。

「ディアーヌ! ああ、よかった」

 青年が駆け寄ると、腰まで垂らした長い三つ編みが、尾のように揺れる。

「アントワーヌお兄さま」と、ディアーヌが青年を抱き留める。青年の後ろからは、ディアーヌによく似た雰囲気の女性たちがやってきて、同じようにディアーヌを抱きしめた。

「無事で本当によかったわ、ディアーヌ」

「フランソワーズお姉さま、ジョゼフィーヌお姉さま、オルタンスお姉さま、ご心配をおかけして、申し訳ありません」

 安堵したようなディアーヌの顔を見ていると、自分の意志で吸血鬼の手を取ったのを後悔しているのだと分かった。

「お前はなにも悪くない。すべてはお前を唆した吸血鬼が悪いのだから」

 アントワーヌの黒檀の瞳が、優しげに末妹を見つめた。しかし、姉たちに連れられてディアーヌが退室すると、その双眸を鋭くさせた。

「吸血鬼はどうした」

「……逃がしました」

「その名は飾りか、デュランダル」

 妹に対するのとは打って変わって、冷たく突き放すような言いざまに、デュランダルは深くこうべを垂れた。

「申し訳ございません」

「恐れながら」と、イーシャーが声を上げる。

「ディアーヌ王女殿下の毒の癒やし方を聞き出すため、あえて深追いはしませんでした。私の落ち度です」

「いや、客人の前ですまなかった。毒を癒やす方法を聞き出してくれたのだったな。報告には聞いていたが、実に腹立たしい」

 かわいい妹がさらわれただけでなく、吸血鬼にされようとしているのだ。アントワーヌ王子のいら立ちは当然のことだ。

「それで、ディアーヌを人間に戻す方法はあるのだろうか」

 所作ひとつひとつが美しい王子が真顔になると、空気がぴりりとする。ディアーヌに似た顔立ちだが、奥に秘めた冷徹さがときおり垣間見える。

「こちらです」と、イーシャーが例の招待状を差し出した。

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