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黒き大剣

 ヨーランがふと気づくと、同輩がディアーヌごと窓から落下するところだった。すぐに我に返り、駆け寄ろうとするが、その瞬間に吸血鬼の攻撃が繰り出されて、間一髪よける。

「まあ、そんなに慌てずとも……ほら」と言って、レイモンドが壁の穴から外を見下ろし、ふっと笑う。

「どんな魔法か知らないが、ぴんぴんしているよ。まあ、ここは二階だから、打ちどころが悪くなければ骨折程度で済んでいるはずだ」

 その瞬間、かっと全身に血がたぎるのがわかった。その様子を、吸血鬼が面白そうに見ていた。

「不思議だね。誰も信じない、一匹狼のような風体なのに、彼のことは信じているようだ。……知っているかい、彼は女性だよ。君を騙しているんだ」

「とっくに知ってる。お前に言われるまでもない」

 吸血鬼は、意外そうに眉をあげた。

「それは失敬。……なんだ、彼女は君のような幼子に弱みを握られているのか」

 ぴくりと眉根が寄る。確かに、ヨーランにばれたのは予想外だったろう。本来ならずっと隠し通して姿を消すはずだったのだから。けれど、それを弱みと言われるのは不本意だった。あの、どこか抜けている盾持ちの足手まといにはなりたくなかったからだ。

「男として振る舞っているし、見目も麗しいが、こんな子供に正体を露見させているようじゃ、存外たいした騎士ではないのかもしれないね」

「いい加減、あいつを侮辱するのはやめろ」

 地を蹴って、右脚を吸血鬼に繰り出す。女の格好は動きにくかったが、別に慣れていないわけじゃない。この格好で、何度大股を広げられたことか。

「だから、足を出すなと言っているだろう」

「俺を、女扱いするな」

 吸血鬼の綺麗な顔に、足先が触れる。七三に分けられた金色の前髪が、ぱらりと落ちる。その瞬間に窓の外が光って、目を細める。そのすきを狙うように、レイモンドが踏み込んできて、腹に拳を食らう。

「ぐっ……」

「女を知らない君が、彼女ために本気になるところが見たい」

 顔を近づけ、ささやくように言われる。距離を取ろうとすると、腕をつかまれる。

「僕の牙は気持ちよかったろう。この牙が、君の大事な友達の肌を貫いて、快楽に溺れさせたら、君の友達はどんな反応をすると思う?」

 その「友達」に吸血鬼の毒が効かないことを、ヨーランは知らない。汗をかいた白皙の肌に、白金色の短い髪が張りつく。青灰色の瞳が熱で潤んで、赤らめた頬でヨーランを見あげる。白い制服の胸元は平らだったが、熱いからと緩めると、到底男のものとは思えない柔らかな肉が盛りあがる。思わず想像してしまって、顔が上気する。

「君は間違いなく、そんな状況になった『友達』を襲ってしまうだろうね」と、吸血鬼は笑った。

「僕はもう少し年若いほうが好みだけれど、彼女のそんな淫らな姿を見てしまったら、食指が動いてしまうかもしれないね」

 言った途端、レイモンドの視界が白黒した。たたらを踏んでも、脳が揺れる感覚がして、さらに数歩後ずさって窓際まで追いやられる。

 目の前で少年の細い脚があがったのは認めた。しかし、予想以上に速くて、あごにもろに食らってしまった。

 少年の翠玉が、容赦のない眼差しをしていた。駆けてくる少年の足取りは軽やかで、草食獣を想起させる。踊るように脚が飛んできて、腕で受けるが、怒りをたたえた一撃は重かった。焚きつけたのは自分だが、ともすると本当にやられかねなかった。

「……いい顔だね、少年」

 日差しが入らないようにと打ちつけていた板ごと飛ばされた窓は、どんな勢いで突進したのかと疑うほど悲惨なことになっていた。その眼下で、白金色の短髪と、亜麻色の長髪がうかがい知れた。

 思わず口角をあげて、その場で跳躍した。着地した場所で、口の端の血をぬぐい、上着を脱ぎ捨てる。

「どうやら、もう少し本気にならないといけないようだ」


 ディアーヌを背にかばいながら、眼前でらんらんと双眸を光らせている吸血鬼と対峙する。剣さえあればなんとかなりそうなものだったが、丸腰では自分の身を守るので精一杯だ。

 ヨーランとの戦闘を中断してこちらに降りてきたということは、ヨーランは無事なのだろうか。上を見ると、かつて窓があった場所にたたずむ人影が見えた。

(ヨーラン、よかった……)

 ほっと胸をなでおろす。そして、乱れた髪をしたレイモンドを見やって、はっとする。

(まさか、レイモンドは)

 吸血鬼がこちらに飛びかかってきたので、とっさに火の魔法を総動員させて、眼前に火の壁を作る。到底、盾持ちの魔力ではなかったかもしれないが、丸腰の今はそんなこと言っていられない。

 あとは食い殺すだけだった獲物が予想外の反抗をしてきたので、レイモンドは出鼻をくじかれたようだった。それでも、まだあきらめた様子はないので、レイモンドが横に移動した瞬間に火の壁を周囲に展開させる。

「ディアーヌ、熱いかもしれないけど我慢して」

「だ、大丈夫ですわ」

 二人を取り囲むように火の壁ができあがる。これで、どこから飛び込んでこようが、火の攻撃はさけられない。

 レイモンドは、必ずこちらに来ようとする。ディアーヌ、もしくはシャーロットの身柄が必要だからだ。恐らく、レイモンドはヨーランに対し勝機を見出せないのだ。だから、二人を人質にする必要がある。向こうも切羽詰まっているだろうが、こちらだとてそうやすやすと人質になってやるつもりはない。

 すきをうかがうようなレイモンドの動きに合わせて、移動する。火の壁は二人の動きに合わせてついてくるのですきはないはず。ただ、体が燃えあがろうと突っ込まれたらひとたまりもない。

 懸念していると、レイモンドの姿がぼやけた。まばたきすると、火の壁を通り抜けようと迫ってくる吸血鬼の姿があった。とっさに、火の壁から古竜のブレスのように攻撃魔法を繰り出すと、レイモンドがたたらを踏んだ。

 どちらか一人でも人質になれば、その瞬間、ヨーランの足手まといになる。それだけはさけたかった。視界の端でヨーランの様子をうかがうと、少女の格好している美少年が下を見ながら目測していた。

(なにを……)

 疑問符を浮かべた途端、寝間着のすそを片手で引っ張りながら、ヨーランが窓からすべりおりた。途中で壁を蹴り、軽く一回転してから着地する。

 とても人間業には思えず、その場でしばらく目をしばたたいた。無事なのかと見つめれば、ぴんぴんしているヨーランの翠玉の双眸と目が合う。さっと頬に赤みが差したかと思えば、ついと視線をそらされた。まばたいて、眉をしかめる。

(どうしてヨーランは照れてるんだ……)

 ヨーランは地を蹴って、信じられない素早さでレイモンドとの間合いを詰めた。すぐに右脚と左脚が交互に飛び出して、レイモンドに攻撃をぶつけていく。けれど、レイモンドも本気なのだろう。繰り出される左右の攻撃を腕でいなしている。

 爪がきらりと光って、ヨーランの頬をかすめる。綺麗な顔はすでに傷だらけだった。目元に爪がかすると、すぐに鮮血が舞って、血がだらだらと流れていく。

 片目がうまく機能しなくなったヨーランがけん制のつもりで足を繰り出すと、レイモンドが口を開いた。牙が足に食い込んで、ヨーランはたたらを踏む。

(まずい)

 援護のつもりで火の魔法を飛ばすが、それよりも素早く近づかれ、飛びひざ蹴りを食らったヨーランが屋敷のほうへと吹き飛ばされていった。

「ヨーラン……!」

 重い音を立てて壁に激突する。首の関節を鳴らしながら、レイモンドがこちらを振り返った。ようやく邪魔者がいなくなったと言わんばかりに。

 後ろでディアーヌが小さな悲鳴をあげた。燃えさかる火の壁を越えて、レイモンドが眼前にたたずんでいた。シャツやベストがところどころ燃えていたが、傷を負っても気にした風もない。

 すばやく繰り出された腕をつかんで、ひねりあげようとする。反対の手が飛び出してきて、頬に衝撃を食らった。

「おっと、失敬」

 ぶたれた頬が赤く腫れて、心のない謝罪を受ける。しかし、すぐに首をつかまれて、喉の奥からかすれた息が漏れる。体が持ちあがると同時に、レイモンドの鋭い爪が食い込んでいく。

「やめて! なにをするの……!」

 ディアーヌがレイモンドの腕にすがりつく。やめろ、逃げろと声をあげようにも、首を絞められて呼吸さえままならなかった。ディアーヌは細腕で殴ったり、叩いたり、歯さえ立てて抵抗していたが、虫を払うかのように火の壁ぎりぎりまで飛ばされる。

「無駄なことはおやめなさい。すぐに始末して、あなたの晩餐にして差しあげますから」

「彼を放さないなら、ここで燃えて死んでやりますわよ!」

 ふっとレイモンドは笑った。

「ご冗談を」

 その瞬間、ディアーヌの琥珀の瞳がすっと感情を落とした。レイモンドを見据えたまま、一歩火の壁に後ずさる。

 本気だ、とレイモンドが思わず手を伸ばしたところで、木々の間からぶんぶんと重い音が近づいてきた。それは重い音を立てながらくるくると回って、レイモンドとディアーヌの間に突き刺さった。黒く、巨大な剣。

 全員の視線が剣に注がれていると、それが飛んできた木々の間から黒い物体が飛び出してきて、こちらがひとつまばたきをした瞬間に吸血鬼を蹴り飛ばしていた。

 レイモンドの手から解放されて、咳込む。見あげると、褐色の肌をした二十五歳ほどの男が、吸血鬼を睨みつけていた。イーシャーと同じ肌だったが、艶やかな黒髪はヨーランのように長く、後ろでくくられていた。

「ご無事ですか」

 見た目通りの静かな声が、ディアーヌにそう問いかける。少女はしばらく呆然と男を見つめ、それから泣き笑いのような顔を浮かべて、ええ、とうなずいた。

 駆け寄ってきたディアーヌに助け起こしてもらいながら、この男は誰なのかと尋ねた。玲瓏な少女ははにかみながら、力強く断言した。

「この者は我がロシュフォールの――剣ですわ」

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