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赤い瞳

 馬に乗って、駆ける。

 影は馬と同等の速さをしていたが、捉え切れずにすうっと森の奥へ消えていく。

 思わず舌打ちすれば、木々の隙間から影が垣間見える。ゆらゆらと、獲物を待つかのような動きに、眉を寄せる。

(この動きは、なんだ)

 まるで、その方向へと誘き出したいかのようだった。

 馬の足を止めると、影はこちらを眺めるように、木々の間で静止していた。

 火の魔法を寄せ集め、影に向かって投げる。炎の塊が飛んでいき、黒々とした影に触れる。しかし、火の玉はそのまま影の中を通り越していった。火の玉がぶつかったはずの影は、ゆらゆらと静止したままだった。

(幻影か)

 馬の手綱を強く握り、反転させる。これ以上追っても、的外れな方向に連れていかれるだけだと、そのまま元来た道を戻っていく。

 宿に着くと、騒ぎを聞きつけた主人や村人たちが外に集まっていた。危険なので家に戻るよう促し、部屋に入る。

「チャールズ? ヨーラン?」

 呼びかけても、反応がない。囮として少女の振りをしていたヨーランも、彼を介抱しているはずのチャールズも。

 部屋の中には、チャールズが常日頃身に着けているはずの剣が投げ捨てられていた。それが、すべてを物語っているかのように。

 指を鳴らす。ぱちん、と高らかに響いた途端、その手の上には真っ白いハトが止まっていた。

「騎士団に通達。吸血鬼が団員を拘束。応援を願いたい」

 ハトに言葉を託して、星空の先へ飛び立っていくのを見送る。これで、近場にいる騎士団員が駆けつけてくれるはずだ。

 それから宿を飛び出し、再び広大な森の中へと入っていく。時折馬を降り、吸血鬼が残していった痕跡を探すが、夜であることもあいまって、一向に進まなかった。

 瞬間、森の奥から、一筋の光が上がった。

 馬に飛び乗りながら、イーシャーは呪った。二人を危険に晒してしまった、自分の不甲斐なさを。

「チャールズ……! ヨーラン……!」

 光の上がった場所へと駆けながら、イーシャーは願った。大切な二人の盾持ちが、無事であることを。


「まあ、この子はイェオリですの?」

 玲瓏な少女に「この子」と呼ばれ、ヨーランのこめかみがぴくりと震える。まあ、ディアーヌから見れば年下なことには変わりないが。

「奇遇ですわね、わたくしの知人にもおりますのよ」

「へえ、そうなんだ」

 イェオリの民は祖国を失ってから各国に散っていったのだ。当然、ロシュフォールにいてもおかしくはない。

「ええ。けれどその者は、さまざまな血が混じっていて、この子のように色白ではないのですけれど」

 へえ、と感心していると、前を歩くヨーランがくるりと振り返る。

「この子この子とうるさい。お前もそう変わらないだろうが。それに俺は好きで色白なんじゃない」

 嫌悪感あらわになじられ、ディアーヌは瞠目した。

「まあ、気にしていらっしゃったの。それは申しわけありませんでしたわ」

 ふんっ、という声でも聞こえてきそうな態度で、ヨーランはずんずんと前を歩いていく。

「ごめん、そういう年頃なんだ」

 謝罪すると、ディアーヌは琥珀色の瞳を細めた。

「わたくしは気にしていませんわ」

 ヨーランを先頭に階下の脱出経路を探していると、ディアーヌが告げた。

「ああ、そこは書斎ですわ」

 えっ、と扉を開くと、本棚に囲まれた部屋が現れた。奥には机が置かれており、ディアーヌの言うとおり、書斎に間違いないようだった。

 どうして知っているのかと問うと、ディアーヌは肩を竦めた。

「探検したのですわ。お屋敷を巡っているうちに、覚えてしまいました」

 改めて、まじまじとディアーヌを見つめる。太ももまで届く長い髪は、艶を放っていて、汚れているようには見えない。体臭はなく、石鹸のいい匂いが辺りに漂っている。

 とても、放置されているとは言いがたかった。

「ねえ、ディアーヌ、君はどうしてあそこにいたの?」

 同じ囚われの身でありながら、自由に動き回れた理由。

「どうしてと言われましても……あの者から、外に出る以外は自由に出歩いてもいいと言われて。あまり顔を合わせることはありませんが、食事や入浴など、定期的にわたくしの世話を焼こうとするのです」

 レイモンドがそこまでするということは、他の少女と違って、ディアーヌは特別な存在ということだろう。気品漂う彼女は、間違いなく貴族の娘であるだろうし。

「君とレイモンドは、どうやって知り合ったのかな?」

 尋ねると、ディアーヌの瞳がかげる。話したくないのかと黙っていると、意を決したようにディアーヌが口を開いた。

「わたくし、もうすぐ十五になるんですの。でも、どうしても誕生日を迎えたくなくて……」

 亜麻色の髪の少女は、あの夜のことを夢想する。月明かりに照らされたバルコニーに出て、ロシュフォールの街並みを見下ろした日のことを。

 少し肌寒いような夜風が、長い髪をあおっていた。誕生日を迎えるのが嫌で、嫌で、けれどその思いを誰にも打ち明けることはできず、ディアーヌの胸の中でいつまでも燻っていた。

「……誕生日なんて、来なければいいのに」

 囁くような独白が、風に乗って飛んでいく。

 こつ、と軽やかな靴音が、すぐ隣で聞こえた。手すりに預けた身を起こすと、コートを着た男が立っていた。風に飛ばされぬよう押さえていた帽子を取ると、男は恭しく礼をした。

「では、年を取らない旅をいかがです」

 男には見覚えがあった。ここ数年、晩餐会や舞踏会で目にしてきた顔だった。

 いちいち名前なんて覚えていないが、あの甘い榛色の瞳には吸い寄せられるような印象があった。

 思わず、差し伸べられた手を、取っていた。年を取りたくないという現状から唯一逃がしてくれる相手だったから。

 ――馬鹿なことを。

 男の手を取ったとき、耳の奥で、よく知る騎士の声が聞こえた。

 記憶の中でも変わらず、小さな妹を叱るような口調だった。


「そんな甘言につられて、わたくしはあの者に……でも、あのときは藁をもつかむ思いだったんですの」

 今はついていったことを後悔している、とディアーヌは告げた。

 細く小柄な体を包み込むように、背中を撫でる。そうすると、自分でも気づかず震えていたディアーヌは、ふと我に返り、自嘲するような笑みを浮かべた。

「大丈夫だよ、ディアーヌ。なにか、のっぴきならない事情があるみたいだね。誕生日を迎えたくなかったのは、どうして?」

 優しく尋ねると、亜麻色の髪の少女は深呼吸した。

「それは――」

「おやおや、こんなところでご歓談かな、紳士淑女諸君」

 ぞわりと怖気立った。甘い声は獲物を誘惑するのに適していたが、惑わされないシャーロットには意味がなかった。

「レイモンド……!」

 咄嗟にディアーヌをかばうようにすると、目の前を歩いていたヨーランも吸血鬼の前に立ちはだかった。

「あれほど世話して差し上げたのに、他の騎士にうつつを抜かされては困りますな」

 レイモンドの榛色の視線は、ヨーラン、シャーロットを通り越して、小鹿のように身をすくませているディアーヌに向いていた。

 実際に触れられたわけでもないのに、頬をするりと撫でる感覚がして、ディアーヌは一歩後ずさった。

「走れ!」

 レイモンドを睨みつけ、こちらに背を向けたままのヨーランの怒声に、はっと我に返る。弾かれたように踵を返し、ディアーヌの手を引いて、走り出す。

 背後を振り返ると、ヨーランがレイモンドと対峙していた。

「ほう、生娘のような君が残るのか。そんな細腕で、僕が倒せるかな」

 レイモンドの言葉に反駁するように、ヨーランは腕ではなく自身の脚を繰り出した。右脚、左脚、と間髪入れず繰り出される攻撃に、目がついていかない。瞬きするたびに、次の攻撃が始まっているのだ。

 ヨーランの蹴りは、人ならざる動きをしていた。けれど、レイモンドは彼の攻撃を巧みによけていた。吸血鬼であるレイモンドが、人ならざる存在だと証明するかのように。

「淑女の格好で足を出すな。下品じゃないか」

 綺麗な顔にヨーランの蹴りを食らった吸血鬼は、口の端から流れる血を舐めとり、にやりと笑った。

「さては毒を出したな。人の屋敷で、はしたないぞ、少年」

 人の体に牙を突き立てておいてなにを言っているんだ、と顔を険しくさせる。同じことを思ったヨーランが、もう一発蹴りをおみまいしていた。

「その白銀の髪に、高い戦闘能力……どうやらイェオリの末裔らしい。少し僕に分が悪いな」

 言うが早いか、レイモンドの手が一閃する。少し遅れて、ヨーランの白皙から鮮血が飛び散った。

「くっ……!」

「ヨーラン!」

 ヨーランの頬から、たらり、と赤い滴が落ちていく。瞬間、それをじっと見ていたディアーヌが息を呑み、唐突に踵を返した。

「ディアーヌ⁉」

 この場から少しでも離れられるようにと階段を駆け上がってしまった彼女を慌てて追いかける。

 階段を上りきったところで、細く白い手をつかまえる。その手は震えていて、ひどく冷たかった。

「一体どうしたの、ディア――」

「……おかしいんですの!」

 こちらを拒絶するような背中に、かけるべき言葉が飛んでしまって、その場に立ち尽くしてしまう。

 ディアーヌは、つかまれた手をすっと抜いて、震えるその手を反対側の手で包み込むようにした。

「わたくしの体……おかしいんですの」

 小さな声で、ディアーヌがうわごとのように言う。

「前みたいにお食事が美味しくなくなって、ワインばかりが美味しくて……さっきも、ヨーランの……」

 震える彼女に近づこうとすると、唐突に獣の唸り声が聞こえた。どこからかと見渡すが、どこにも獣の影はない。

(いや、むしろこの声は……)

 目の前の少女から、聞こえてきてはいないか。

 ディアーヌ、と呼びかけると同時に、視点がぐるりとした。胸に衝撃があって、体が、階段に投げ出されていた。

 胸に飛び込んできたディアーヌは、我を忘れているようで、琥珀のようだった瞳は、血のように真っ赤だった。

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