ティア嬢の十倍返しは恐ろしいーー好きでもない三人の貴族令息から「三股をかけていた」と私は糾弾された。挙句、「慰謝料代わりに妹を紹介しろ」だと?初めから妹狙いか!ざけんな。私を貶めた罰を受けなさい!
私、ティア・グレンターノ伯爵令嬢は、十八歳になった。
学園生活最後の年を迎えようとしていた。
今朝も自宅のテラスで、妹フレアと一緒にお茶をしていた。
妹、フレア・グレンターノ伯爵令嬢は、青い瞳を伏せて、嘆息する。
「残念ですわ。
ティアお姉様と一緒に馬車に乗って通学するのは、あともう僅かの日数になってしまいました」
お茶を一緒にしてから、妹と馬車で通学するーーそうした日常も、近々、終わる。
姉である私、ティアが、学園を卒業するから。
私はティーカップを皿の上に置いて、微笑む。
「あら。美貌の妖精フレア様は、引き立て役がいなくなって、お困りかしら?」
妹フレアの美貌に、学園中の男子が夢中になっている。
私に目を止める男性は、ほとんどいないというのに。
それほど、妹の美しさ、可愛らしさは際立っていた。
「意地悪言わないでください、お姉様。
化粧をするのは貴族令嬢の嗜みですのに、お姉様ときたらーー」
「別に私の不人気が化粧の仕方ひとつで決まっちゃうわけないでしょ?
貴女だって、化粧だけで、ここまでの人気は得られたんじゃないでしょうに」
学生の人気のバロメーターは、異性からの手紙の量で測ることができる。
今、私の目の前のテーブルの上には、妹宛のラブレターが、山のように積まれていた。
私は紅茶を啜りながら、それらを眺める。
「ーー相変わらず、凄い数ね。
幾つか、覗いてみても?」
興味津々な私に対して、興味なさげに妹は答える。
「ええ。お姉様なら、幾らでも」
妹の許可を得たので、封を開けてみれば、こっちが赤面してしまうような、恥ずかしい文言が踊っていた。
『ああ、フレア嬢。ぜひ、一目でも、お会いしたい』
『フレア様。貴女の姿が目に焼き付いて離れない』
『おお、フレア。この世に舞い降りた天使のようだ……』
学生ならではの熱い言葉が溢れている。
それにも理由がある。
貴族は、学園時代の若いうちに縁付いて婚約に漕ぎ着けないと、親同士が勝手に、都合の良い家柄の者に、息子や娘を縁付かせてしまう。
だから、自分の想い人と結婚したい貴族の若者にとって、学園時代に想い人に告白することは必須の手続きとなっていた。
両親や教師も、学園時代の自由恋愛のみは黙認する慣例になっている(もちろん貴族のみが通う学園だからこそだが)。
「ほんと、熱烈ですわね。
さすがのフレアでも、こんなに崇められると、ちょっと怖くなりません?」
私、ティアが問いかけると、我が妹、フレア・グレンターノ伯爵令嬢は、平然と嘯く。
「常套句ですよ、こんなの。
文面通りに汲み取るものじゃないですわ。
そうした文章よりも、見るべきは自己紹介履歴です」
この時期のラブレターには、肖像画の他、簡単な履歴を書き添えることが礼儀とされていた。
妹宛の手紙を出した殿方は、上は王族の子弟から、公爵家、侯爵家、辺境伯家、伯爵までと、錚々たるお家柄の出自だった。
我が家、グレンターノ伯爵家よりも爵位が低い子爵家、男爵家の令息からも、チラホラ手紙が舞い込んでいた。
私は、これらの手紙に記された履歴にサッと目を通して、嘆息する。
「たしかに、なかなかの人材の方ばかりですわね。
あら、この人ーーお顔を見知っておりますけど、随分と盛られた肖像画が描かれておりますわ」
私の指摘を受け、妹も手紙に目を通して、笑う。
「ほんとうに。ほほほ。
でも、お姉様は、このような『釣書』に興味ないでしょ?」
ラブレターを「釣書」呼ばわりするのは、どうかとも思う。
が、貴族の令息と令嬢とが交わす手紙には、履歴や肖像画を添えるのは当たり前になっており、たしかに「釣書」的な側面が強いのも事実だ。
でも、書き手が宛先の者に深く興味を持つからこそラブレターは書くわけで、親掛かりの見合い釣書とは違う面もある。
私は妹宛のラブレターの幾つかを眺め終えてから、苦笑いを浮かべた。
「それにしたって情熱的な台詞ねえ。
私、男性の知人はそれなりにいますけど、告白されることは滅多にありませんのよ。
教室でも、サークルでも、分け隔てなく接してしまうからかしら。
私に気があるんじゃないかしらっていう男性もいるんですけど、なかなかお声をかけてくださらなくて……」
私が自分の恋愛事情に思いを馳せていると、妹フレアが一通の手紙を山の中から引っ張り出した。
「あら、お姉様宛の手紙もあったわ」
私、ティア・グレンターノ伯爵令嬢宛の手紙が、一通あった。
妹が私に手渡す。
差出人は、アックス・ダイバー公爵令息と記されていた。
「どれどれ……あら。
街中のレストランで、個室での会食のお誘いだわ」
夜の時間に、男性から、個室でのディナーに誘われた。
会食にかこつけた「お見合い」である。
妹、フレアは身を乗り出して、騒ぐ。
「お姉様!
このレストランーー王都の目抜通りにある、なかなか小洒落たお店ですわ。
ひょっとして、婚約指輪が頂けるんじゃないかしら?」
婚約指輪をくれる?
そんな深い仲の男性が、果たして、私にこれから出来るのか?
それは、ない、ない!
私は手紙を手にしながら、頭をブンブンと横に振る。
「でも、この方ーー同級生で、顔をよく見知っておりますけど、それほど深い仲ではございませんよ?
たしかにジロジロと、まるで粗探しをするかのように、私を見詰めてくることもありましたが……」
彼、アックス・ダイバー公爵令息とは、学園祭の実行委員を共に担ったことがある。
でも、大抵は、出し物の選別や、班分けのあり方を巡って、言い争ってばかりだった気がする。
彼からは、捨て台詞的に、
「強情な女だ。もっとお淑やかにしたらどうだ?」
と悪態をつかれた記憶がある。
そんな「強情な女」である私を、どうして会食に誘うのか。
私が小首をかしげる。
が、妹の方は、私の手を取って、明るい声をあげた。
「それ、お姉様に気があるから、強がってるだけですよ!
素敵じゃない?
そういう、気軽に言いあえる仲って。
いかにも自由恋愛ってかんじですわ。
それに、ダイバー公爵家のご令息なんでしょ?
嫡男でしたら、玉の輿じゃありませんか!」
我が家のグレンターノ伯爵家よりも、公爵家であるダイバー家の方が、家格が上なのは言うまでもない。
「あらあら。
随分とはしたない物言いですこと」
「お姉様ったら、
『私はモテない、オトコ受けしないのよ』
なんて言っていながら、今まで、密かに想っている男性に気づかなかっただけですわ。
お姉様の隠れた魅力に気づく男性もいるのよ」
「なによ、『隠れた魅力』って。
ーーでも、そうね。
ここのところ、クラスでもサークルでも、必要以上に、男性から距離を取られがちな気がしてるので、ここら辺で、親しい男友達でも作っておく方が良いかも。
この人に、会ってみようかな」
同じクラスの男性から、言い寄られたのは初めてだ。
教室で見慣れた男と、夜に街中のレストランで会食するというシチュエーションは、考えてみると、ちょっと新鮮な気がする。
それに、あまり親しくない男性の同級生から、自分がどう見られているか、興味があった。
◇◇◇
王都の貴族街にあるレストラン『梟の天秤』ーー。
一階はホールになっていて、大勢の人が食事を楽しみ、エールを酌み交わしている。
私、ティア・グレンターノ伯爵令嬢は、二階の個室へと向かう。
このレストランは、個室を多く備えて、秘匿性を高くしている。
そのことが、店が繁盛する秘訣になっていた。
個室は、これからお付き合いするための顔見せの場として使われることが多い。
大きな個室は集団の仲間内で会食したり、飲んだりするのに使われたりするが、狭い個室は男女の逢引きに良く使われる。
お酒や食事を先に注文したら、それを手に部屋に入り、それ以降、誰も入らない。
たしかに、こうした場は、想いを告白する舞台として打ってつけだ。
ほんとうに、婚約指輪を差し出されるかもしれない。
私、ティアは両拳を握り締めて、気合を入れた。
(雰囲気次第で、どうなるかわからないけど、気を引き締めなきゃ!)
さすがに異性と個室で会食するとあらば、いつもよりはドレスアップしている。
紺色ドレスの胸元も広げて、ちょっと砕けたかんじにして、性的アピールにも抜かりない。
化粧も念入りにしてある(妹に言わせれば、ヘタというより、わざとおかしな方向へと持っていってる、ということになるらしいけど)。
私、ティア・グレンターノ伯爵令嬢は、期待に胸を踊らせながら、手紙で指定された個室へと足を踏み入れた。
部屋の中に入ると、なんと、三人組の男性がいた。
「あら? 私、部屋を間違えました?」
戸惑う私を見て、真ん中にいる男性が席を立ち、胸を張る。
いかにも貴族然とした、金銀の刺繍が施された衣服をまとっている。
「いや。間違っちゃいない。
ティア嬢。君を会食に誘ったのは俺だ。
両脇の二人は、俺の付き添いーーというか、同じ恋のライバルだ。
とりあえず、席に着いてくれたまえ」
金髪で容姿端麗な彼が、私に手紙をくれたアックス・ダイバー公爵令息だ。
彼の両隣の席に着く男たちも、私の見知った顔だった。
一人は同級生のドレイク・ラーバイト伯爵令息、もう一人は乗馬サークルの仲間、メッシュ・スイプ男爵令息だ(意外と物覚えは得意なのだ)。
それでも、いずれも、顔見知り程度といった人たちだった。
私は勧められるままに、空いてる席に腰かける。
テーブルの対面に、男が三人、並んで座っている。
対して、女性は私、ティア・グレンターノ伯爵令嬢一人だ。
「『恋のライバル』って……。
ちょっと待ってくださいます?
お三方が同時に、私に、ですか?」
マジで婚約指輪でもくれるのか? と緊張する。
ところが、そうではなかった。
三人を代表して、アックス公爵令息が座った姿勢のまま口火を切った。
「ティア嬢。
君は罪な女だ。
俺たち三人をその気にさせて、面白がるとは」
「はい? 面白がる?
私が、ですか?」
私が小首をかしげると、ここぞとばかりに身を乗り出す男がいた。
アックスの右隣で、褐色の髪を掻き分ける、今にも服がはち切れそうな肥満男ーードレイク・ラーバイト伯爵令息だ。
「そうだ。僕は君と付き合ってただろ?」
「は? 失礼ですが、同級生のお一人としか……」
「期末試験の際、僕は筆記用具を落とした。
このままでは試験が終われば、落第しかねなかった。
焦って何もできなくなっていたとき、君が僕の代わりに手を挙げてくれて、
『ドレイク様が、筆記用具を落としました』
と先生に報せてくれた。
おかげで先生が気が付いて、僕に筆記用具を拾って渡してくれた。
僕が進級できたのは、君のおかげだった」
ああ、思い出した。
私はポンと膝を打つ。
「そんなこともありましたわね」
さっさと拾えば良いのに、ドレイクったら、キョロキョロと周りを窺って、挙動不審になるばかりだったから、見ていられなくてーー。
「その後、僕が感謝の言葉を述べたら、君は言ったよね。
『お気遣いなく、また困ったことがあればお互い様、いつでもお助けしますわ』と」
「ええ。言ったかも」
「ちなみに、僕は婚約者がいなくて困っていた。
だから、君はそれを承知していたから、『いつでもお助け』ーーつまりは『私が婚約者になってあげる』ということを言ったのだと理解した」
「はあ?
それはちょっと、飛躍しすぎじゃーー」
「試験を助けることで、僕にアプローチ仕掛けるとは、なんと根暗な君らしい告白だと感じ入ったよ。
でも、君はメッシュ君にもモーションを掛けていたというではないか!
まったく裏切られたよ」
「ち、ちょっと待って。
筆記用具が落ちたことを先生に報せただけで、どうして私が、
『婚約を前提に付き合っていた』
ってことになるわけ?
それに、メッシュ様とは、乗馬サークルの仲間ってだけで……」
私の発言を受け、今度は、ひ弱なヒョロガリ男が立ち上がって、黒髪を掻き分ける。
メッシュ・スイプ男爵令息だ。
「何を言う!
僕が落馬したとき、君が抱え上げてくれて、救護室まで運んでくれたじゃないか。
しかも、お姫様抱っこで!」
「それは、急いで救護室に運ばないとって思ったから……。
貴方はヒョロっとして軽いのでーー」
「お姫様抱っこをする仲ってのは、親しい間柄だけに決まってるだろ!?
だから、それ以来、僕はずっと陰ながら君を見守っていた。
君が困ったとき、今度は僕が助けようと思って。
なのに、ドレイク君から聞いたんだ。
君はドレイク君にも、
『困ったことがあれば、いつでもお助けしますわ』
って言ったって」
「そんな、単なる社交辞令をーー」
と、私が抗弁するより先に、アックス公爵令息が言葉をかぶせてきた。
「だいたい、ティア嬢。
君は尻軽すぎるんだ。
男なら誰でも良いのか?
俺からモーションをかけられて、浮かれていたくせに」
「はい?」
「授業中、俺はずっと君を見詰めていた。
知っているだろ?
顔はともかく、銀色の髪が美しい、と思って。
言っておくが、君の顔もそんなに悪くない、と俺は思っている。
肌が浅黒くて不健康そうで、目の下の隈が濃すぎるし、ソバカスがみっともないが、顔の造形自体は結構、良いんだ。
君も俺の視線に気づいて、頬を染め、顔をそむけていたじゃないか」
(そりゃ、他人のーーしかも男性からの不躾な視線を感じたら、顔をそむけるわよ!)
私は頬を膨らませる。
そんな私を無視して、アックスの熱弁は続く。
「学園祭の実行委員を共に担ったときも、折に触れて、俺が意見してやっても、君は素直に受け入れず、言い返すばかりだった。
『強情な女だ。もっとお淑やかにしたらどうだ?』
と忠告しても無視した。
挙句、俺からの恋のメッセージを受け取っておきながら、試験中にドレイク君を助けたり、乗馬サークルではメッシュ君をお姫様抱っこしたりと、浮気ばかり。
君がこんなにふしだらだとは思わなかった。
だから、俺たち三人で、クラスやサークルで広めたんだ。
『ティア・グレンターノ伯爵令嬢は、俺たち三人を弄んで得意になる、ふしだらな女だ』と!」
(ああ、それで!)
私、ティアは、ようやく合点が入った。
アックス公爵令息から「恋のメッセージ」とやらを受け取った記憶はまったくなかったが、クラスでもサークルでも、男性から遠巻きにされがちになっていたのは、この三人の男性から、私が「三股をかけている」と噂されていたからか!
私には、この三人の誰とも付き合ってるつもりがなかったから、ビックリだ。
迷惑この上ない。
私が困惑しているのをよそに、目の前で居並ぶ男どもは、「言ってやったぞ!」と、どこか得意げな表情をしている。
なによ、これ!?
考えてみれば、ムカついてきた。
この三人による悪評が流布していなかったら、妹のフレアほどではないにしろ、私にもそれなりの数のラブレターが舞い込んできたかもしれない。
(ほんと、私の薔薇色の学園生活を返せよ!)
ますます膨れっ面になる私とは対照的に、男どもはサバサバした表情になっていた。
そしてテーブルに手を突き、身を乗り出すようにして、矢継ぎ早に言い募る。
「とりあえず、紳士らしく、ここは礼を述べておこう。
ティア嬢。今日は食事会に来てくれてありがとう。
でも、はっきり言って君ではなくて、君の妹フレア嬢に、俺たちは興味があるんだ。
君には失望したから、慰謝料代わりに君の妹、フレア・グレンターノ伯爵令嬢を紹介しろよ、な!」
「そうそう。君の浮気性を広めていくうちに、君の妹、フレア嬢のことを知ったんだ。
二学年下のクラスながら、学園全学年に渡って、絶大な人気を誇るって。
噂に釣られて見に行ったら、美しいのなんのって。
僕は、あんなに可愛らしい女性を見たのは初めてだ。
な、この場は奢るからさ、恋の橋渡しをしてくれよ」
「フレア嬢は人気があるから、そのまま彼女に手紙を送っても、埋もれるだけだろう?
だから、一番家柄が良いアックス・ダイバー君に代表してもらって、姉である君、ティア宛てに手紙を書いたんだ。
そしたら案の定、君、ティア嬢が物欲しそうに、この場にやって来た。
どうだ。見事に君を釣り上げたぞ。
今度は妹のフレア嬢だ。
僕たちは賢いだろう?」
(はあ!? マジで言ってんの、コイツら?)
私、ティア・グレンターノ伯爵令嬢は、深く溜息をついた。
自分の方から、私の悪口を吹聴したと暴露したうえに、妹にアプローチするためのダシに使ったと姉本人に告白するようじゃあ、とても「賢い」とはいえまい。
今日は、なんてハズレな日だ。
婚約指輪でもくれるのかと思ってレストランに出向いたら、三人の男が待っていた。
いずれもクラスやサークルで見知った人たちだったので、私に恋して取り合うのか、と思ったら、「君がこんなにふしだらだとは思わなかった」と非難された。
驚いたことに、三人ともが、勝手に私と付き合ってると思っていて、さらには勝手に私が「三股をかけていた」と思い込んで、悪い噂を広めたという。
そのうえで、「君には失望したから、慰謝料代わりに妹を紹介しろ」と脅迫するーー。
たしかに、私の妹、フレア・グレンターノ伯爵令嬢は、とても美しく、可愛らしい。
礼儀作法を完璧にこなすだけでなく、相手の爵位が上だろうと下だろうと、分け隔てなく接する優しさがあった。
しかも、愛嬌がある。
それでいて、成績も抜群で、運動もできる。
それに比べて、姉である私、ティア・グレンターノ伯爵令嬢は、妹フレアほどの成績ではない。
礼儀作法は無難にこなし、分け隔てなく人に接しているつもりだが、表情に柔らかさがないせいか、冷淡で愛嬌がないと言われる。
(そりゃあ、学園のアイドルである妹には、私は敵わないわよ。
でも、だからって、姉である私に、言いがかりをつけすぎじゃない!?)
私は男どもに向かって、改めて念を押した。
「では、お三方とも、妹のフレアを狙っていて、私、ティア・グレンターノには用がない、と?」
「当然だよ」
とアックス・ダイバー公爵令息が声をあげると、男が三人がかりで捲し立てる。
「男なら誰だって、君ではなく、妹のフレア嬢を狙うさ。
だって彼女は、妖精みたいな華奢な容姿で、ほんとうに美しくって愛らしいんだもの。
肌が浅黒く、ソバカスが残る君とは大違いだ」
「フレア嬢は愛らしい。
君も少しは彼女を見習って、愛嬌を持ったらどうだい?
そんなツンツンしてたら、声もかけられないよ。
これから先に、苦労するだろうね」
「ごめん、君はハッキリ言って、僕の好みのタイプじゃないんだよ。
根暗女は、苦手なんだよなぁ。
やっぱり女の子は、愛らしくて、明るくなくっちゃ。
なんていうか、フレア嬢がいるとパアッと周りが華やかになるんだよ。
それに引き換え君は、なんていうか……」
アックス・ダイバー公爵令息が、まとめとばかりに、鼻息荒く断言する。
「妹のフレア嬢より、君はオバサンだし、地味で暗い。
成績もフレア嬢の方が上じゃあ、根暗の言い訳もできないよね?
容姿もイマイチだし。
体力はあるようだけど、女性としちゃ逞しすぎるんだ。
女のくせに、男性をお姫様抱っこできる腕力ってどうよ?
あの妖精のような妹さんと、同じご両親から生まれたとは到底思えない。
だけど、姉妹なんだから、僕らと妹、フレア嬢との橋渡しぐらいはできるだろ?
役に立ってくれよ、奢るからさ」
男どもは笑顔で、揚げ物の皿と、エールが注がれたジョッキを、私に押し付けてくる。
それにしても、何なの!?
この失礼な物言いと態度ーー。
(なんで私が、アンタたちに、そんなにまで詰られなきゃならないんだ!?)
さすがに、腹が立ってきた。
この男どもは、私のクラスメイトで、サークル仲間だ。
断じて、彼らが言い募るように、私は「付き合って」はいない。
だが、見知った顔だし、アックス公爵令息に至っては、学園祭を共に仕切った仲である。
そんな私に比べると、妹のフレアとは、彼らはほとんど接点がないはず。
舞踏会やらパーティーやらで、何度か顔合わせたときがあるかもだけど、そんな程度のはず。
それでいながら、妹のフレアは持ち上げて、私、ティアをサゲまくる。
そうした振る舞いだけで、噂だけで流される軽薄男ーー粗忽な男どもだとわかる。
しかも今回の会食は、はじめから妹のフレア狙いで、私を呼びつけたのは確実なようだ。
そこまで舐められたら、女として、退き下がるわけにはいかない。
私、ティアは、グビグビとエールを一気に飲み干し、ドン! とジョッキをテーブルに叩きつけた。
「よろしい!
ならば言わせてもらうわ。
途中で『やめてくれ』は、なしですよ!?」
◇◇◇
まず、ドレイク・ラーバイト伯爵令息とメッシュ・スイプ男爵令息ーーデブとガリの凸凹コンビに向かって、私は扇子を振り向けた。
「お二人は、私にそんなことを言えた口ですか。
貴方たちこそ、妹に、そして私に釣り合うような男かどうか、鏡を見て、よく考えなさいな!
学力も体力も、女である私よりも劣るくせに」
「な! 貴族家の令嬢が、なんて口をーー」
「そうだぞ。僕たち、貴族の令息に対して失礼だ。
君が男性だったら、手袋を投げつけて決闘を申し込むところだ」
決闘!?
貴方たちのような、ブクブクと太った肥満男と、お姫様抱っこされるようなヒョロ男が?
やれるもんなら、やってみなさいよ。
どうせ、決闘と言ったって、自分でサーベルを握らず、代理人にさせるだけのくせに。
(私は逃がさない。
キッチリと、私を貶めた罰を受けてもらおうじゃない!)
学園では、成績が発表されることはない。
なので、自分の成績を詳しく知られることはないと思っているらしい。
だが、甘い。
私の実家、グレンターノ伯爵家は、隠密活動を生業としている。
すでに、何度かお父様の仕事のお手伝いをしている私、ティアにとっては、学園時代の個人成績を窺い知ることは容易いことだ(ほんとはイケないことだけど)。
もちろん、今夜の会食の場に、ドレイク伯爵令息、メッシュ男爵令息が顔を連ねるとは思わなかった。
だけど、彼らほどデキの悪い学生の成績は、返って目立って、おぼろげながらも記憶しているものだ。
私、ティア・グレンターノ伯爵令嬢は、扇子を閉じ、二人の男に向けて突き立てた。
「何が決闘よ。
無礼を働いたのは、貴方たちの方なんだからね!
そもそも、ドレイク様のご実家が同等の爵位なのを除けば、貴方たちには、私より優れた点は、なに一つないんですよ。
学園卒業を間近に控えた私たちの中には、すでに親御さんを手助けして自領の運営に携わっておられる方も多いはず。
特に男性は、いずれ家督を継ぐのですから、領主としての習い事は欠かせません。
なのに、ドレイク・ラーバイト伯爵令息、メッシュ・スイプ男爵令息ーー貴方たちは、親御さんの領地経営を手伝うこともせず、連日、ブラブラし通しだそうですよね?
それもそうでしょう。
貴方たちは数字に弱く、頭の回転が遅い。
貴方がたの学園時代の成績を、私は詳細に知っています(「詳細に」というのはハッタリ)。
こう見えても、私は、学業は言うに及ばず、運動の成績ですら、貴方たちより遥かに上です。
絶対の数字においてそうなのです。
男女別の順位と言うレベルではなく、です。
数学を例に取りますと、貴方がたはせいぜい平均の50点ーーいや、ドレイク様に至っては30点そこそこではありませんか?
一方で、私、ティア・グレンターノは、常に70点以上はキープしてます。
もちろん、常に満点近くの妹フレアほどではありませんが。
数学のみならず、あなた方の学業成績は、言語も歴史も、すべての科目で私より点数が悪い。
さらにいえば、お二人とも、体力までが、男性とは思えないほど脆弱で、私よりも走るのは遅いし、握力すら弱い。
特にメッシュ男爵令息は、私にお姫様抱っこされるほどなんですから、私より非力なのは言わずもがなです。
そんな無能、最低レベルの貴方たちが、たとえ妹のフレアを引き合いに出そうとも、この私、ティア・グレンターノ伯爵令嬢を嘲ることは許されないですよ。
それに、私のことを「根暗女」だの、「ツンツン」だのとか言いますが、実際、私には友達がそれなりにおりますし、少ないとはいえ、男性からも言い寄られたこともあります。
ですが、貴方がたを好む女性を、寡聞にして、私は聞いたことがありません。
私の友達で、お二人のことを話題にすることがあるといえば、『なんか、キショい』と言うときぐらいでしょうか。
友達といっても、今現在、私の目の前でつるんでいるお三方同士ぐらいしかいないんじゃないの?
ほんと、たまにはご自分の容姿を、鏡でとくとご覧になってはいかがですか?
醜い、あるいは、これといった特徴もない、凡庸なキショい男が、目の前にいるだけと気付くでしょうから。
ほんとに私をディスる暇があったら、少しは多くの貴族令嬢を見習って、自分磨きをなさいな」
立板に水とばかりに、私は男どもに向かって一気に「厳しい現実」を叩き込んだ。
すると、痛いところを突かれたからだろう。
デブとガリは血相を変えた。
「ぼ、僕のことなんか、どうだっていいだろう!」
「そうだ、そうだ。
君が『妹のフレア嬢に比べて、情けない』と言ってるだけだ!」
頭も体力も劣る男が凄んだところで、怖くも何ともない。
私、ティアは扇子を広げて、口許を隠した。
「そうですね。
私は妹に比べたら成績が悪いし、作法の完璧さも、なにより愛嬌でも、劣っています。
ただ、それがどうして問題だと言うのです?
『妹の方が可愛い? はい、そうですか。それが何か?』
というだけの話です。
たしかに、私の妹フレアは、客観的に見て、私より遥かに優れた人材かもしれません。
でも、そんな私でも、貴方がたよりは上等な人間です。
根暗と言いますが、お二人のことを明るいと思っている人なんかは一人もいませんよ。
貴方たちこそ、根暗ですよね。
女をクサすことで、自分の能力の無さに目を瞑ろうとする卑怯な男なんですから」
肥満男と痩せ男は、額に汗を浮かべて、口を噤んでいる。
明らかに気後れしていた。
二人とも、顔を真っ赤にするだけで、口をモゴモゴさせるばかり。
言い返そうにも、適切な言葉が見つからないようだ。
だが、最後に残る一人、アックス・ダイバー公爵令息は、余裕の笑みを浮かべていた。
取り巻きの二人がやり込められるのを、不甲斐なさそうに見てはいるようだが、今の所は、私と二人のやりとりに嘴を挟むつもりはないらしい。
この隙に、一気に畳み掛けてやる!
私は拳に力を込め、気合を入れた。
まずは二人に、私を貶めた罰を受けてもらおう!
まずは、メッシュ・スイプ男爵令息からだ。
私、ティアは扇子をパチンと閉じて、ガリガリ男に振り向けた。
「この際だから、ハッキリさせておきますけど、メッシュ様。
貴方のご実家であるスイプ男爵家にとって、我がグレンターノ伯爵家が寄親貴族なのは、ご存知ですよね!?
それなのに、寄親貴族家の令嬢である私、ティア・グレンターノを嘲るとは、相当な胆力ですこと。
当然、罰が下されると、覚悟の上のことなのでしょうね?」
「ば、罰だと!?」
「そうです。
寄親貴族が寄子の家に対して行う、もっともスタンダートな罰です。
まずはお父様にお願いして、スイプ男爵家を我が家の寄子筋から外させていただきます。
つまり、貴方の実家スイプ男爵家ごと、派閥から外れてもらうことになります。
ああ、念の為に言っておきますが、我が家、グレンターノ伯爵家から貴方の家、スイプ男爵家に行っていた融資もすべて取りやめになりますので、親御さんによろしくお伝えください」
メッシュ男爵令息の顔が、サッと青褪める。
不健康そうな痩せ男が、さらに血色を悪くさせていた。
その表情を眺めつつ、私、ティア伯爵令嬢は話を続ける。
「スイプ男爵家が行っている鉱山開発事業も、我が家からの融資を失えば、資金繰りが上手くいかず、遠からず破綻するでしょうね。
でも、グレンターノ伯爵家は構わない。
鉱山開発をやりたがる貴族家は多数ありますから。
別の家に融資先を替えるだけです」
メッシュ・スイプ男爵令息は、激情に駆られて、ダン! とテーブルを叩いた。
「や、やめろよ、この人でなし!
実家にまで、嫌がらせをするのはーー」
私、ティア・グレンターノ伯爵令嬢は、扇子を広げて自らをあおる。
「嫌がらせーーとは心外な物言いですね。
今まで、我が家がスイプ男爵家に与えてきた厚遇を停止するだけのことです。
貴方、メッシュ・スイプ男爵令息から、私、ティア・グレンターノ伯爵令嬢が、無礼千万な態度を受けたのですからね。
お姫様抱っこまでして、救護室に連れて行って、落馬の怪我からお助けしたのに、なんて恩知らずなのかしら。
この話をパーティーの席上で誰かに話すだけで、貴方の立場はなくなってしまうでしょうよ」
メッシュ・スイプ男爵令息は、涙ながらに土下座し、痩せ細った身体を震わせた。
「お、お許しください。
ティア・グレンターノ伯爵令嬢。
身の程知らずな態度を、お詫びいたします……」
私ティアは扇子をパチンと閉じると、ツカツカと前へと踏み込む。
そして、土下座する彼、メッシュの頭を、ガツッと足で踏みつけた。
「気分次第では、許すこともあるかもしれません。
が、まだわかりません。
ご両親に、自分が私になした振る舞いをお伝えして、首を洗ってお待ちなさい」
次いで、ドレイク・ラーバイト伯爵令息へと、私は扇子を向ける。
「今度は、貴方の番ですよ。
ドレイク・ラーバイト!
覚悟なさい!」
額に汗を浮かべながらも、ドレイク伯爵令息は腕を組み、顎を突き出す。
「ティア伯爵令嬢ーーふん、根暗女だと思っていたが、じつは性悪女だったか。
こんなのが姉だとは、フレア嬢もお可哀想に。
でも、僕を好きにすることはできないぞ。
僕も、君と同じ家格の伯爵家の者だ。
侮蔑しただけで罰することもできまい。
しかも、我がラーバイト伯爵家は、君の家と寄親寄子関係ではない。
同じ派閥ですら、ないのだからな」
その程度の反論は、とうに想定済みだ。
私はバッと扇子を広げて、口許を隠す。
「もちろん、そうです。
が、言わせていただきます。
貴方は私のことを、妹と比べてあれこれ騒いでおいででしたが、『貴方に、そんなゆとりは、ないはずです』と。
私は貴方のお兄様、パックス・ラーバイト伯爵令息を存じあげておりますが、貴方こそ、お兄様に比べて、情けなくはないのですか?」
私の挑発を受けて、ドレイクは、鳩が豆鉄砲を喰らったように、目を白黒させた。
「あ、兄貴?
ぼ、僕の兄貴なんて、今、関係ないだろ!?
僕は、君が嫁き遅れることを憂慮しただけだ」
私、ティアは、口の端を綻ばせる。
「では、私も、貴方、ドレイク・ラーバイト伯爵令息の身の上を憂慮させていただきます。
成績も体力も、容姿までも、お兄様のパックス様より遥かに劣る貴方に、嫁の来てがあるとは思えませんので」
以降、涙目になったドレイクを、私、ティアが軽くいなすだけの会話が続いた。
「う、うるさい。
パックスの兄貴は、僕にとって自慢の兄だ。
兄は学年首席なんだぞ。
君の妹と同じくな。
でも、兄が弟より優れていても、なんの問題もない。
家督を相続するのは兄だからな。
だが、君は姉のくせに、妹に劣る。
年長者のくせに、年下よりも劣るんだ。
さすがに、恥ずかしいだろ?」
「別に。
同じ男性を好きになるなどして、直接、比較されるような状況にはなっておりませんので。
でも、貴方は、お兄様とじかに比較されても、仕方ないのですよ。
貴方のお兄様、パックス・ラーバイト伯爵令息は、貴方と同じように、私の妹、フレア・グレンターノ伯爵令嬢に言い寄ってきておりましたので」
「なに!? あ、兄貴が!?」
「ええ。
私の妹フレアが、半年前に、貴方のお兄様、パックス様からラブレターもらってますよ。
その後、お兄様は直接告白なさっておられましたが。
姉である私を介して告白しようとする、弟の貴方とは違って、ずっと男らしいですね」
「そんな!
どうして、そんなプライベートなことを知って……!」
「妹のフレアと私は、殊の外、仲が良いのです。
自分の身の周りで起こった出来事を、妹はよく話してくれるんですよ。
おかげで、貴方のお兄様が言い寄ってきたのも、私は知っているのです。
ラブレターの文面も拝見いたしました。
正確には覚えておりませんが、たしかーー
『ああ、フレア嬢ーー貴女が恋しい。
寝ても覚めても、貴女のことばかり。
貴女こそが、私の伴侶に相応しい。
ぜひ私を、貴女の傍らで侍らせてください……』
といった、持ち前の知性をまるで感じさせない、発情した文章でした(いかにもラブレターめいた文章を適当に言い連ねただけで、よく覚えてなんかいない。これもハッタリ)。
ーーあら、ごめんなさいね。
身内が異性に宛てたラブコールを聞いたら、さすがに恥ずかしいでしょう?
でも、お可哀想に。
結局、私の妹は、貴方のお兄様をフッたみたいですけどね。
そうなんです。
貴方より優れたお兄様ですら、フラれているんです(これは事実)。
それなのに、お兄様より劣った貴方が妹に選ばれるとでも思ってるのですか?
あ、お兄様の名誉のために言っておきますが、顔が良いし、頭も良い貴方のお兄様、パックス・ラーバイト伯爵令息は、たしかに女性からおモテになりますよ。
最近ご婚約なされたそうで、私の友達なんかには、泣いてしまった子もいたほどに、貴方のお兄様は人気がありました。
でも、そのお兄様ですら、私の妹に言い寄ったら、蹴られているのです」
弟のドレイク・ラーバイト伯爵令息にとって、兄がフレア・グレンターノ伯爵令嬢に告白してフラれたという出来事自体が、初耳だった。
ドレイクは自慢の兄の失恋が、我がことのように恥ずかしく思い、耳まで赤くなって、身を震わせる。
私、ティア伯爵令嬢は、扇子を広げて悠然と自らをあおぐ。
「でも、そんなお兄様も、身を固める決心をなさったようで。
近々、ご結婚のご予定だと伺っております。
でも、お可哀想に。
貴方のような愚弟のおかげで、結婚話が流れてしまうでしょうね」
ドレイクは両目を見開く。
「な、なぜだ!?」
私、ティアは冷然と言い放った。
「それはもちろん、私を怒らせたからですよ」
「!?」
「貴方のお兄様、パックス・ラーバイト伯爵令息のご婚約のお相手は、メリル・トップ子爵令嬢であると伺っております。
そしてメリル嬢のご実家トップ子爵家は、我がグレンターノ伯爵家の寄子貴族家です。
それゆえ、我が家に遠慮して、トップ子爵家のご令嬢は、貴方のお兄様ーーラーバイト伯爵家の者とは結婚できないでしょう。
おそらく破談になるでしょうね」
すでに席を立っていたドレイクは、太った体躯で、私に迫ろうとする。
「や、やめてくれ!
兄には迷惑をかけたくないんだ」
ドレイク・ラーバイト伯爵令息は、泣いていた。
気持ちの悪い顔が、さらに醜く歪んでいる。
私は扇子で口許を隠す。
「悪いけど、壁の方を向いて泣いてくださる?
鼻水を垂らすようなブ男の顔なんか、間近で見たくはありませんもの」
痩せた男はすでに土下座させられ、女である私に頭を踏みつけられていた。
今度は、肥満男が壁に顔を向けて、鼻水を啜りながら泣く羽目に陥っている。
二人の男のプライドは、とうにズタズタになっていた。
だが、私、ティア・グレンターノ伯爵令嬢の復讐は、まだ終わっていない。
最後に、アックス・ダイバー公爵令息が残っている。
彼は顎を撫で付けながら、感心する声をあげた。
「ほんとに凄いな、ティア・グレンターノ伯爵令嬢。
君の性格は、相当暗く歪んでいる。
貴族家のご令嬢とは思えないほど、エゲツなくて、下劣だ。
出来の良い妹を持つと、姉はこうまで歪むものかね」
アックスのゆとりある態度に、私、ティアはイラッとしながら言い返す。
「妹を理由に、私を貶める行為の方が下劣では?」
「事実を言ったまでだ。
君が嫁き遅れにならないよう、気を遣ってやっただけだ」
「私も事実を言っただけですよ?
女性を品定めする暇があったら、自らの品性を高めるようにと、貴方たち、モテない男性に忠告しただけです」
「ほう。だったら、俺にも言ってみろよ、『忠告』とやらを」
アックス公爵令息は、自信満々に胸を張る。
今晩だけで、何度、彼が胸を張る場面を見たことだろう。
取り巻きが潰されても、彼が動じることはない。
たしかに、それだけの高スペックを、彼は持っていた。
アックスは成績も体力も容姿も、すべてトップクラス。
おまけに、王族の親類でもある、名門ダイバー公爵家の長男だ。
それは認めざるを得ない。
認めたうえで、私、ティアは、敵の首魁アックスに問答をしかける。
「たしかに、アックス様は、私よりも上等な、貴族のお子様ですわね」
「そうだ。貴女の妹にも引けを取らん。家柄も上だしな」
「でも、あの子は、貴方のように傲慢ではありませんよ。
少なくとも、面と向かって異性を貶めたりしません。
可愛いし、性格も良いわ。私よりもね」
「モテる妹に嫉妬かよ?」
「まさか。
だって、あの子は、私を好いてくれているもの。
それで十分。
あの子は、『私は私、お姉様はお姉様』とよく言っているわ。
お互いの個性を尊重し合って、大切に思っているの。
それなのに、私が妹の真似なんかしたら、さぞガッカリするでしょうね。
それも、愚かな男どもに唆された結果だと知れば、彼女は私を許してくれないでしょう。
それに、私が悪し様に言われたと知ったら、妹のフレアは、我が事のように怒ってくれるわ。
だから、とうに貴方たちは大失敗をしているのよ。
貴方たちは、フレアと大の仲良しである、姉の私を怒らせたのですよ?
その意味を理解できてます?
妹に紹介するもなにも、自らの言動で、妹とは脈無しになったことくらい、気付きなさいよ。
三人とも、馬鹿なの?」
私から指摘されて、ようやく思い至ったのか、アックス公爵令息は顔を顰める。
が、「ここで折れたら、ダイバー公爵家の名折れだ」とばかりに、彼はイキリ立った。
「ティア・グレンターノ伯爵令嬢!
我がダイバー公爵家は、テロス王家親類の名門。
君の実家グレンターノ伯爵家の派閥よりも、強大な寄親寄子関係を築いている。
だから、君の恫喝めいた振る舞いの犠牲になった、我が友を救済することぐらい簡単にできることを示してやろう。
まずメッシュ・スイプ男爵令息からだ。
明日にでも、私が父上に言って、スイプ男爵家を、我がダイバー公爵家の寄子として、派閥に組み入れるよう、お願いしよう。
続いて貴女の実家、グレンターノ伯爵家に抗議文を送りつけてやる。
我がダイバー公爵家に加えて、ラーバイト伯爵家、スイプ男爵家を不当に貶めたと。
我々は、妹のフレア嬢に取り次いでもらおうと、君に持ちかけただけだ。
それなのに、君ときたら、我らを愚弄し、挙句、実家の力を誇示して、
『スイプ男爵家への融資を停止して派閥から追放する』とか、
『ラーバイト伯爵家の嫡男の縁談を破壊する』
と脅しをかけてきた、と。
君の父上であるザノバ・グレンターノ伯爵なら、きっと我が家と事を構えたくないから、穏便に済ますよう取り計らうだろう」
「貴方がたが、先に私、ティア・グレンターノを貶めたというのに?」
「君個人はともかく、我らはグレンターノ伯爵家は貶めてはおらん。
それに、この場にいるのは、我々のみ。
我ら三人の言い分が通るだろう。
そうだな。君が俺たちに対して、
『妹のフレアより、私と結婚して!』
とあられもなく縋ってきた、とでも証言してやろうか?
加えて、君の妹フレア嬢に、正式に婚約を申し込んでやる。
『婚約に応じてくれたら、姉の不祥事について不問としてやろう』
と申し添えてな。
もし妹のフレア嬢が、俺の申し出を断ったら、
『姉のティアが、妹のフレアに嫉妬して、妹の悪口を言っていた』
と世間に向かって吹聴してやろう。
それから、父上にお願いして、ダイバー公爵家からグレンターノ伯爵家に対して苦情を入れてやる。
どうだ!?」
アックス公爵令息の堂々とした反論に、取り巻きたちは俄かに活気を取り戻した。
メッシュ男爵令息は、頭上にあった私の足を手で払って、立ち上がる。
汚れたズボンをはたき、安堵の表情を浮かべていた。
そして、取り巻きの主人であるアックス公爵令息に、露骨に媚びる。
「ありがとうございます、アックス様。
僕の家を、ぜひご実家ダイバー公爵家の派閥に加えてください」
次いで、ドレイク伯爵令息も壁から身を翻して、ニヤニヤしだした。
「仕方ない。僕はもう、妹さんのことは諦めたよ。
兄貴ですら落とせなかったっていうんだったら、僕には無理だ。
たしかに釣り合うのは、ダイバー公爵家の長男であるアックス様ぐらいだろうよ。
それに、こんな怖い姉のティアを御すことは、僕には無理だ」
取り巻きどものお追唱を受けて、アックス公爵令息は得意げに笑う。
「生意気なお転婆の調教は任せておけ。
はっははは!」
主人が笑うと、取り巻きも付き添って笑い始める。
なんとも、見苦しい男どもだ。
でも、とりあえず、ここはいったん、退くしかないようだ。
何を言おうとも、攻撃するには決定打に欠けている。
だが、私、ティア・グレンターノ伯爵令嬢は、受けた屈辱は十倍返しにするのが信条だ。
復讐を諦めはしない。
私はスカートの裾を摘みあげたうえで、お三方に向けて、丁寧に頭を下げた。
「わかりましたわ。
それでは、アックス様。
貴方が言っていたことを、そっくりそのまま妹のフレアに伝えることをお約束します。
そのうえで、一週間後、この場で、お返事させていただきますわね」
◇◇◇
そして一週間後、三日月の夜ーー。
再び、私、ティア・グレンターノ伯爵令嬢は、レストラン『梟の天秤』に出向いた。
そして、二階にある個室に足を踏み入れた。
今回の私は、一人ではない。
妹のフレア・グレンターノ伯爵令嬢と、有能な老執事を伴っての来店である。
一方、男どもは以前と同様、三人揃って顔を出してきた。
アックス・ダイバー公爵令息は、私、ティアを言い負かし、妹のフレアにアピールするために。
あとの二人、ドレイク・ラーバイト伯爵令息とメッシュ・スイプ男爵令息は、「生意気な女」である私、ティア・グレンターノ伯爵令嬢が、アックス公爵令息にやり込められるのを見るために。
普通なら、ギスギスした雰囲気になるはずだったが、そうはならなかった。
男どもがぜひ逢いたいと念願していた〈美しき妖精〉ーー我が妹、フレア・グレンターノ伯爵令嬢が、白いワンピースをまとって登場したからだ。
彼女を中心にして、パッと周りが華やいだ。
が、今晩に限っては、妹の美貌だけでなく、私、ティアも部屋の雰囲気を凛としたものにするのに一役買っていた。
実際、男どもが驚いて両目を見開いたのは、妹フレアの容姿を見たときではなく、姉である私、ティア伯爵令嬢の容姿を目にしたときだった。
私、ティア・グレンターノ伯爵令嬢は、今までになく、毅然とした装いをしていた。
綺麗にお化粧して、男装と見紛うばかりのスーツをパリッと着こなし、颯爽と登場してきたのだ。
後ろに、従者のごとく、妹のフレアと老執事を引き連れて。
私は、正面からアックス公爵令息と対峙する。
「アックス様。貴方が、
『婚約に応じてくれたら、姉の不祥事について不問としてやろう』
と言っていた、と妹のフレアに伝えたところ、
『私にも参加させてください』
と言うので、フレアも同席させます。
よろしいですね」
やや気後れしつつも、アックスは頬を引き攣らせながら答えた。
「ああ。構わない。
ーーが、それにしても、ティア嬢。
随分と雰囲気を変えてきたな」
「地味で暗くしていましたけど、そう演じていただけですので。
わざわざ、顔色が悪くなるよう化粧するのは、なかなか面倒なことなのですのよ。
とはいっても、今ではすっかり慣れてしまって、今日のように美しく化粧して装うことの方がよほど戸惑ってしまったわ。ほほほ」
「ふん。でも、悪いな。
俺の狙いは相変わらず、妹の方だ。
容姿なら、君でも合格だが、性格がな」
ここで、私、ティアが何か言う前に、妹、フレアが進み出る。
ワンピースの裾を摘み上げた姿勢で、ちょこんとお辞儀をする。
「アックス様。
私、貴方とお付き合いしても構いませんわ。
なんだったら、婚約を交わしても。
ただし、条件があります」
「条件?」
「そうです。
私のお姉様は凄いの。
本気になったら、お父様でも歯が立たないくらい、手強い女性なんです。
私なんか、一度も言い争いに勝ったことがないくらい。
ですからね、そんな私自慢のお姉様の追求を躱して、やり返せる殿方がおられ ましたら、私、無条件で婚約いたしますわ」
アックスは得意げに鼻を鳴らした。
「だったら、俺はもう貴女と婚約したも同然だ。
俺はすでにドレイク君とメッシュ君を助けている。
貴女の姉の攻撃は、すでに無効化しており、フレア嬢ーー貴女を俺の目の前に呼び出すことにも成功した」
アックスは、私を無視して傍らを通り過ぎて妹の前に立ち、やおら片膝立ちになって、懐から指輪を取り出す。
「フレア嬢。
将来の結婚を見据えて、俺と付き合ってくれまいか」
妹フレアがやって来るのを見越して、アックスはダイヤの婚約指輪を仕込んできた。
随分と用意が良い男である。
でも、フレアは再びワンピースの裾をあげつつ、身を退かせた。
「気が早いですわ、アックス様。
まずは、お姉様をやり込めてくださいな」
アックス公爵令息は、「やれやれ」と吐息を漏らしつつ、指輪をテーブルの上に置いて、席に着く。
対面には私、ティア・グレンターノ伯爵令嬢が座る。
妹のフレアは後ろで、私の執事と並んで立っていた。
私、ティアはスーツの襟を正しつつ切り出した。
「では、さっそく始めましょう。
アックス様。
貴方が、妹フレアの結婚相手として相応しいかどうか、調べさせてもらいました」
鋭い目付きの老執事が、私に書類を手渡す。
「この資料によるとーー貴方、かなりの問題児ですわね」
テーブルの上に、私はバサッと資料を投げ出す。
「アックス様。
貴方は、ダイバー公爵家の力に物を言わせて、小遣い稼ぎをしすぎです。
それに、随分、足が付くヘタなやり口で、少々、呆れました」
アックス・ダイバー公爵令息は資料に目を通すと、身を震わせる。
やがて、「どうして、我が公爵家内部のことをーー」と喉を詰まらせ、グシャッと資料を手で握り潰す。
全身から冷や汗が流れ出ていた。
そんな彼に、私は追い討ちをかける。
「まず、お出入り商人のバリア商会から賄賂を貰って、他の商人がダイバー公爵家に出入りするのを拒んでますね。
でもまあ、こんな程度はお目こぼしもありましょう。
被害があるのは、ダイバー公爵家とバリア商会以外の商人に過ぎないのですから。
でも、我がテロス王国に損害を与えるのはどうかしら?
お父様のダリウス・ダイバー公爵が内務省にお勤めなのは周知の事実ですが、ダイバー公爵邸にお伺いを立てる内務官僚から国家機密を買い取って、その情報を外国へ売り払うーーそんなことを息子である貴方、アックス様がしていると、お父様のダリウス閣下はご存知なのかしら。
仮想敵国に国家機密を情報漏洩するなんてーー悪くすると、お父様の進退問題にまで発展しますよ?」
妹フレアから軽蔑の眼差しが、アックスに注がれる。
アックスは青褪める。
それを見据えながら、私、ティアは、さらなる資料を老執事から受け取る。
「もっとも、これらの事実だけでは、図太い貴方の息の根を止めるにまでは至らないでしょう。
被害を受けるのは、商人やダイバー公爵家、そして国家ぐらいで、貴方自身ではない。
ですから、私は徹底的に調べましてよ、貴方の過去まで遡って。
そうしたら、驚くべき事実が判明いたしました」
一枚の紙切れをテーブルに広げる。
「これは貴方、アックス・ダイバーの出生記録です。
貴方は、ダイバー公爵家の正室であるメイア・ダイバー公爵夫人の実子ではありませんでした。
ご存知でした?」
アックスは、身を乗り出し、バッと資料を取り上げる。
「貴方の実母の素性を調べましたら、かつて王都で一番名が通った、高級娼館ナンバーワン遊女サロメ・テンダー元男爵夫人でした。
つまり、貴方、アックス様は、お父様のダリウス閣下がお若い頃、娼館に通い詰めた結果、出来た子なんです。
あら、そのお顔を拝見しますに、ご存知ではなかったようですね、自分の出生の秘密を。
そろそろ、お父様のダリウス公爵から、真実が打ち明けられるかと思いますよ。
心の準備をしておいた方がよろしくてよ」
私が上から目線で「忠告」すると、アックスはすっかり血の気が失った顔で、
「嘘だ!」
と叫ぶ。
が、私、ティアは、攻撃の手を緩めるつもりはない。
テーブルの上に広げられた資料を、トントンと指で叩く。
「真実ですよ。
なんでしたら、お役所でお調べになられては?
お父様のダリウス公爵閣下に、直にお尋ねするのも悪くないでしょうね。
ちなみに、貴方の弟さんのトロン様は、正室であるメイア・ダイバー公爵夫人の実子ですので、彼がダイバー公爵家を相続するのでしょう。
それは、そうでしょう?
娼婦が産んだ子が、名門公爵家を相続するはずがありませんものね」
アックスは俯いたまま、つぶやく。
「お、俺は認めないぞ。こんなデマ。
俺はダイバー公爵家の長男で、跡継ぎだ……」
出生記録を前にしても、アックスは、自分の出自を認めない。
そんな彼に対して、私、ティアはトドメとばかりに追撃する。
「もっとも、貴方は私、ティア・グレンターノ伯爵令嬢を嘲り続けたという大罪がありますからね。
しかも、大好きな私の妹フレアをダシにして貶めたのは、許し難い。
ですから、本来なら、他所の家の家督争いになんか、首を突っ込むつもりは毛頭ありませんでしたが、貴方が関わる争いには、私は存分に介入させていただきます。
何かの手違いがあって、もし将来、貴方、アックス様がダイバー公爵家をお継ぎになりそうになったら、私、ティア・グレンターノ伯爵令嬢が全力を挙げて阻止いたしますわ。
この出生記録の写しとともに、貴方が「娼婦の子だ」という噂を世間にばら撒きます。
貴方たちが、私の悪い噂を、勝手にクラスやサークルで流したように、ね。
もっとも、これは貴方たちがやったような虚偽に基づくデマとは違って、真実を伝える行為なのですから、非難されるには当たらないと思いますけど。
それが、私の復讐です」
妹のフレアが悪戯っぽく笑う。
「ほらね。
私のお姉様は、ほんとに怖いんだから。
私よりも体力も学力もおありになるのに、お顔や容姿同様に、お隠しになってるのよ。
そうやって人を欺いては、楽しんでいらっしゃるんですもの。
私には無理。
せっかくの人生、自分らしく生きなきゃ損じゃなくて?」
妹がからかうように言い添えるのを耳にして、姉は苦笑する。
「人聞きが悪い言い方しないでちょうだい。
できるだけ目立たぬように、群衆の中に隠れるように振る舞うのは、〈隠密の家〉であるグレンターノ伯爵家の長女として生まれた宿命ですから。
本来なら、フレアも、同じ家の次女なんだから、それなりにしてもらわなきゃいけないのにーーもう、すっかり手遅れですけど」
ティアとフレア姉妹の実家、グレンターノ伯爵家の主人は、代々、テロス王家直属の特務機関の責任者を勤めてきた。
国家の安全を守るために、情報の秘匿や、極秘捜査などの隠密活動をする組織の指揮を執ってきたのだ。
現在のグレンターノ伯爵家には男子がいないこともあって、長女のティアが家督を相続することが、一族では当然視されていた。
スーツ姿をした次期「隠密の家」当主ティア・グレンターノは、背筋を伸ばして、対面にいる若い男性を見据える。
「ということで、おわかり? アックス様。
貴方は、もう終わりなの。
私の妹フレアに言い寄ることはおろか、もうこれ以上、貴族生活を送ることはできないわ。お可哀想に」
ティアの背後にいる妹のフレアは首を振り、溜息をつく。
「仕方ないですわね。
お姉様がお相手なんですもの。
私との婚約はなかったことに……」
「いや、まだ手はある!」
アックス公爵令息はやおら立ち上がると、テーブル上にあった指輪を摘み上げ、テーブルを回り込んで、グレンターノ姉妹の前に立つ。
そして、再び片膝立ちになり、若い貴族令嬢に向けて指輪を差し出す。
が、彼が指輪を捧げたのは、妹フレアの方ではない。
姉のティア・グレンターノ伯爵令嬢に、指輪が差し出されていた。
「ティア嬢、どうか俺と結婚してくれ!
そうすれば、万事、解決なんだ!」
「は?」
私、ティアは、しばらく思考停止に陥った。
目の前の男ーーアックスを、今まで散々に打ち据えたつもりだった。
数々の証拠資料まで持ち出して、商人や官僚を相手にした小遣い稼ぎを明らかにし、なおかつ出生の秘密を暴露して、もはや「公爵令息」として立ち行かなくなるほどに追い詰めた。
貴族男性としてのプライドは、ズタズタになったはずだ。
実際、取り巻きだったドレイク伯爵令息やメッシュ男爵令息は、青褪めた顔になりながらも、汚い物を避けるかのように、アックス「公爵令息」から距離を取り始めている。
それなのに、そんな危機的状況にあるアックスから、指輪を差し出され、プロポーズされるとは!
でも、しばらくしてから、思考回路が機能し始めて、このアックスのような男なら考えそうなことに思い至った。
自分が犯した犯罪や、出生の秘密は、今のところ、この場で明らかにされただけだ。
だったら、このままこの場で、真実を封印してしまえば良いーーと。
アックスが考えているのは、おそらく次のようなことだろう。
ドレイクとメッシュは、自分の利益のためには、秘密を共有してくれる可能性が高い。
秘密を公表する危険が最も高いのは、告発者である私、ティアだ。
彼女が秘密を守ってくれたら、この場にいる妹も老執事も、自分の罪と出生の秘密を守ってくれるだろう。
だから、必要なことは、今すぐ、私、ティア・グレンターノを味方にーー利害を自分と共有する存在にしてしまうことだ。
今現在のティアは、自分を貶められたことに激昂し、アックスがダイバー公爵家の跡継ぎとなるようなら、出生の秘密を暴露する、と脅している。
だが、アックスがティアと結婚さえしてしまえば、状況は大きく変わる。
彼女、ティアが俺、アックスと結婚すれば、俺がダイバー公爵家の後継者となることは、妻である彼女の利益にもなるから、賛同してくれるはずだ。
夫となれば、俺の不祥事は、出来るだけ秘匿してくれるはず。
もちろん、俺、アックスとの結婚は、彼女、ティアにとっても利益はある。
いくら「隠密の家」といった特殊事情があるにせよ、グレンターノ家は伯爵位に過ぎないが、アックスと結婚すれば、ティアは筆頭公爵ダイバー家の奥方となる。
王家の親類で、政府や官庁での重鎮を多く輩出しているダイバー公爵家の奥方となれば、より効果的な隠密活動もできるはず。
とにもかくにも、ティア自身に、俺、アックスの秘密を守った方がお得だと思わせれば良い。
そのためには結婚して、彼女を公爵夫人に仕立て上げるしかない。
実際、俺、アックスにとっても、ティアと結婚するのは、悪くない話だ。
普段のティアは肌が浅黒く、ソバカス顔をしていたが、じつはわざと汚く化粧していただけで、今、目前にある彼女は、透き通るような白い肌をしているし、銀色の髪は美しく輝き、青い瞳は理知的な光を宿している。
スーツ姿が良く似合う、美貌の令嬢だ。
うん、まさに筆頭公爵ダイバー家の奥方に相応しいーー。
ーーなどと、アックスは考え、今こうして、婚約指輪を、私、ティアに捧げているに違いない。
そうに決まっているーー。
今、目の前で跪いて指輪を捧げる男ーーアックス公爵令息が、罪の揉み消しを図っていることに、私、ティアはようやく気がついたのだ。
私、ティアは閉じた扇子で、男が捧げる指輪を、バシッと叩き落とした。
驚いて目を丸くするアックスを、私は冷ややかに見下ろしながら、吐き捨てた。
「ったく、なんて小賢しいのかしら。
貴方はこれから何をしたって、私は許すつもりないわ。
これに懲りて、少しは女性への口の利き方を覚えることね。
貴方は、我が国最高の爵位を担う公爵家を名乗る資格はない。
相応しい場所へと、お移りすることをお勧めいたします」
◇◇◇
その日の夜遅くーー。
アックス・ダイバー公爵令息は、馬車を走らせ、急いで家に帰った。
一刻も早く、父親のダリウス・ダイバー公爵に問うて、自分の出自を確かめたかったからだ。
だが、帰宅早々、逆に父親から怒鳴られてしまった。
「アックス!
貴様、何をした!?
内務省から被害届が、司法省と外務省からは告訴状が来ておるぞ。
商会から賄賂を受け取り、私の部下と癒着して、外国に国家機密を情報漏洩ーーこれでは、庇いきれん!」
ティアがすでに手を回していたことを察して、アックスは父親の前で這いつくばった。
「そ、そこを、お父上のお力で、なんとかーー。
ああ、親類のーーテロス王家のお力に縋れば……」
我がテロス王国では、王家の力が突出している。
王家が仲介に立ってくれれば、グレンターノ伯爵家の令嬢の「暴走」も、押し留められるかもしれない。
が、不祥の息子の提案は、父親のダリウス・ダイバー公爵の更なる怒りを誘発し、金髪を掻き毟らせるだけになった。
「愚か者め!
その王家からも、我が家に苦情が入っておるのだ。
カーク・テロス王太子殿下が、
『余の自慢の婚約者を愚弄しおって!』
と激怒なさっておられる」
アックスは呆気に取られた。
あの、「女に興味がない」と評されていた王太子に「自慢の婚約者」がいる?
初耳だった。
「カーク王太子殿下がご婚約!?
初耳ですがーー相手は、まさか……!?」
ダリウスは、苦虫を噛み潰したような顔をする。
「そうだ。ティア・グレンターノ伯爵令嬢だ。
私は知っておったが、王家から固く口止めされておったのだ。
カーク王太子殿下が、
『まだティア嬢から、正式には了承を得ておらん』
と言うからな。
殿下が一方的にティア嬢に言い寄っておる、とのことだ。
なにせ、グレンターノ伯爵家は、昔から『王家の懐刀』として、秘密が多くてな。
私にも、おいそれとは手が出せん」
なんと、姉のティア・グレンターノ伯爵令嬢は、テロス王国のカーク王太子と密かに婚約していたのだ。
ティアの意向で、公表は控えていたらしい。
アックスは、両膝を地に着けたまま、呆然とする。
そんな息子に、父ダリウスは口髭を震わせながら厳命した。
「とにかく、アックス、問題はお前の処分だ。
成人したら、実の母親について明かして、そのうえで職を世話してやって、いずれは別家に取り立てて、貴族家として独立させてやろうと考えていた。
が、取りやめだ。
このままお前を抱え込んでいては、我が家が危ない。
言っておくが、お前の実の母は、我が妻ではない。
お前の実母は元々は貴族の令嬢だったが、犯罪歴があって、平民に落ちた女だ。
今では貴族相手の娼館を営んでおる。
ゆえに、当然ながら、お前にダイバー公爵家は継がせられん。
弟のトロンが家督を継ぐ。
お前は勘当だ。
これから先、我が家の敷居を跨ぐことは許さん。
生家に送り返してやる!」
ダイバー公爵家当主がそう言い放った途端、扉が開いて、外から衛兵が何人も飛び込んできた。
アックス公爵令息は後ろ手にされ、衛兵に取り押さえられる。
「父上、ご再考を。父上ーー!」
息子の叫び声を背に受けながらも、父親の名門公爵家当主は振り向くことはなかった。
◇◇◇
王都の街中レストランで、貴族令息三人を叩きのめしてから、一週間後ーー。
私、ティア・グレンターノ伯爵令嬢は、王宮の中庭で、カーク・テロス王太子とお茶を愉しんでいた。
もちろん、今日は綺麗に見えるように化粧を施し、貴族令嬢らしく、白いドレスをまとっている。
私より七年も年長のカーク王太子殿下は、今日も軍服を着こなし、威風堂々とした佇まいを崩すことなく、カップを傾けていた。
碧色の瞳に悪戯っぽい色を湛えながら、精悍な顔つきを少し崩す。
「ティア嬢の耳にはとうに入っていると思うが、無礼者どもの顛末は、まずは満足するものとなったようだ。
スイプ男爵家の爵位は取り上げられ、来年には家族ごと平民となろう。
加えて、グレンターノ伯爵家からの資金援助が途絶えた結果、相当な借財を抱えることとなったようだ。
ラーバイト伯爵家は、子爵か男爵に格下げといったところか。
兄のパックスの縁談は流れて、弟のドレイクは勘当され、平民に堕ちたと訊く。
で、肝心のアックスの奴は、どうなった?
生家ーーつまりは、娼館に戻されたとは聞いているが……」
私、ティアはカップに口を付けながら、微笑みを浮かべる。
「詳しくは、存じませんがーー。
娼婦のお姉様やお嬢様たちのお世話係をなさっておられるようですね。
湯浴みのお手伝いや、身体を拭いたりーー三助と言うんですの?
様々な雑用をこなしておられるとか。
とにかく、彼は娼婦の方々に人気のようですわ。
貴族のお坊ちゃん育ちでしたから、仕草がそれなりに美しいとのことで」
とはいえ、アックス元公爵令息の置かれた状況は過酷なものだった。
実母である娼館主サロメ・テンダー元男爵夫人は、実の息子アックスを男娼にしようと画策していたからだ。
すでにアックスは、何人もの娼婦から、女性相手の性技を伝授されている。
加えて、娼館主サロメは、アックスを屈強な男どもに襲わせて手籠にし、男相手に媚びる仕草を叩き込んでやろうと機会を窺っていた。
「なにせ、つい最近まで貴族の学園の優等生だったんだ。
アックスは、すぐにも売れっ子になるだろうよ」
と、娼館の遣り手婆も、乗り気になっているという。
が、これはカーク王太子には言わないでおいた。
まるで私、ティアが、そこまでアックスを追い込んだと思われたら、心外だから。
私、ティア・グレンターノ伯爵令嬢は澄まし顔で紅茶を味わいつつ、吐息を漏らした。
「アックス様も私を必要以上にいじめなければ、こんなふうにはならなかったのに」
ハッハハと、殿下は笑う。
「ティア嬢が気に病む必要はないぞ。
アックスのヤツには、何かと悪評が立っていたからな。
掃除ができて助かったよ。
で、ティア嬢。
改めて、余に提案とは?」
私はティーカップを皿に置いて、居住まいを正す。
「まだ間に合います。
殿下は私ではなく、妹のフレアとご結婚なさればよろしいかと」
カーク王太子殿下の顔から笑みが消え去り、真面目な顔付きとなった。
「また、それか。何度も言わすな。
余は其方の冷徹で果断な性格を愛しているのだ。
それに、其方のような、棘のある薔薇の花は、自分の手元に置いておかないと、安心して眠ることができない」
「ほほほ。寝首を刈られるご心配はなさらないのですか?」
私が扇子を広げて笑みを隠すと、殿下も笑顔でおどけた。
「おお、怖い、怖い。
其方と結婚すれば、気の抜けない日々になりそうだ」
自分と王太子との関係が、恋人同士と言えるかどうかはわからない。
だが、似た者同士の関係は長続きするというし、悪くない間柄だと思う。
とはいえ、カーク王太子の意向に合わせて、婚約を公表するつもりはない。
このまま、水面下での関係継続を、私、ティアは望んでいた。
「冷静にお考えください、殿下。
殿下との婚約を世間に向けて発表なんかしたら、私はもう隠密活動ができないじゃありませんか?
それって、王家として、どうなんです?」
私が王太子殿下と婚約したら、貴族間で大いに話題とされ、いくら地味女を装おうとも、一挙手一投足が目立ってしまい、もはや私には隠密活動ができなくなる。
その結果、私、ティアは、将来、王妃になることができたとしても、グレンターノ伯爵家の当主となることはできなくなるだろう。(妹のフレアは、もとより目立ちまくって隠密活動は不可能)
となると、王家に代わって、数々の汚れ仕事を担ってきたグレンターノ伯爵家は後継者を失い、父の代を最後に、「王家の懐刀」として暗躍できなくなる。
結局は、安定した国家運営が難しくなり、不都合な結果をもたらすだろう。
しばし瞑目して、そうした現状に思いを巡らせたカーク王太子は、やおら席を立って白い歯を見せ、私に身を寄せる。
「わかった、わかった。
王家としての返答はしかねるがーー余、個人としてなら言える。
余は其方が心から楽しんでいるさまを、これからも見たいのだ。
ゆえに、好きにするが良い、と」
「ありがとうございます、殿下」
今の二人は、こうした距離感で付き合っていくのがベストだろう。
そう思いながら、私、ティア・グレンターノ伯爵令嬢は、カーク・テロス王太子殿下の端正な顔を見詰めながら、砂糖とミルクがたっぷり入った紅茶を口にするのだった。
(了)
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