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『 泉が歌う』

作者: 小川敦人

『 泉が歌う』


雨の音が窓を叩く。

「あぁ、またこの音か」

六十八歳になった私は、リビングの窓際に座り、外の雨を眺めていた。

ダンボールの山に囲まれた部屋の中で、一人黙々と古い書類を整理する。

退職から二年。妻とは五年前に死別し、子供たちはそれぞれの家庭を持ち遠方で暮らしている。

定年後の人生設計として、この家を処分し、より小さな住まいへ引っ越すことにした。

私はボールペンを手に取り、古いノートを一冊一冊丁寧に開いては、捨てるもの、残すものと分けていく。

大学時代のノート。四十年以上も前の記憶だ。

「懐かしいな…」

指先でノートの黄ばんだページをそっとめくる。当時二十歳だった私の、今では少し幼稚に感じる丸文字が並んでいる。

ページを進めると、突然、きれいに書かれたドイツ語の詩が目に入った。


>「Die Quelle singt.

>Ich höre ihren Ton,

>ganz tief in mir

>und draußen.

>Wie wenn mein Inneres Wasser wär,

>das sich

>spiegelt

>im Äußeren.」


その下には日本語訳も書き添えられていた。


>泉が歌っている。

>その音が聞こえる。

>とても深く、私の内側と

>外の世界の両方で。

>まるで、私の内側が水だったなら、

>それが

>外の泉に

>映っているように。


そして、さらに下には講義での解説メモが走り書きされていた。

「リルケの詩はとても美しいですが、たしかに抽象的で哲学的な表現が多く、読み手に『内面の想像力』や『感性』を求めるところがある。ナルキッソス的な要素(自己との対話・水面・美・孤独)を含む」


私は思わず笑みを浮かべた。「なんだ、意外と真面目に聞いていたじゃないか」

ドイツ語の講義は必修でもなんでもなかった。教養科目として何となく選んだだけだ。単位を取ることだけが目的で、卒業後は一度も使うことはなかった。それでも、このノートを見る限り、講義には熱心に出席していたようだ。

さらにページをめくると、教授のコメントが書かれていた。


「内なる世界と外なる世界の共鳴。これは森有正が『経験と思想』で述べた「内部と外部の交感」に通じるものがあります。西田幾多郎の「場所」の概念と重ね合わせて考えてみてください」


この部分には赤ペンで下線が引かれている。当時の私がそこに重要性を感じたのだろう。だが、正直なところ、今の私にはその意味が完全に理解できているとは言えない。

雨の音が強くなってきた。私はノートを膝の上に置き、窓の外を見つめた。雨粒が窓ガラスを伝い、複雑な模様を描いている。内側と外側。鏡像と現実。


---------


「内なる水が外側に映る…か」

しばらくぼんやりと考えていると、ふと学生時代のアルバイトのことを思い出した。

大学に入学した頃、私は勉強よりもアルバイトに明け暮れる日々を送っていた。実家は地方の小さな町。東京の大学に通うための仕送りはあったが、十分とは言えず、生活費の足しにするためにいくつものアルバイトを掛け持ちしていた。

中でも一番長く続けたのは、中野サンプラザの建設現場でのアルバイトだった。今では完全に姿を変えてしまったが、当時は新しいランドマークとして建設が進められていた。私がそこで働き始めたのは、鉄骨が組み上がり始めた頃。地下の基礎工事が終わり、ようやく地上に姿を現し始めた段階だった。

その現場での仕事は主に「ネコ」と呼ばれる一輪車でがれきを運ぶ単純作業。ときには、完成したフロアの清掃作業もあった。力仕事ではあったが、時給がよかったので、週末を中心に二年間ほど通った。

現場には様々な人がいた。正社員の監督、下請けの職人たち、そして私のような学生アルバイト。だが、最も多かったのは出稼ぎの人たちだった。東北や九州から、時には海外から来た労働者たち。彼らは日本語が不自由な人も多く、言葉よりも体で仕事を覚えていった。

建設現場は危険と隣り合わせだった。私がバイトを始めて三ヶ月ほど経った頃、忘れられない事故が起きた。地下の作業場で、同じアルバイトの学生が酸欠で倒れたのだ。名前も知らない人だった。彼を助けようと飛び込んでいった別のバイト仲間も、同様に酸素不足で命を落とした。二人の死は現場全体に暗い影を落とした。安全管理の徹底が叫ばれ、しばらくの間、地下作業は完全に止まった。バイト仲間の顔も名前も覚えていなかったことに、後になって自己嫌悪を感じた。彼らは私のように、学費や生活費を稼ぐために命を懸けていたのだ。

私は当時二十歳。若さゆえの体力と、田舎育ちの勤勉さで、与えられた仕事を必死にこなしていた。「ネコ」に廃材を山盛りに積み、現場内を全力で走り回る。一度に運べば運ぶほど、効率がよいと思っていた。

あの日も、七月の炎天下、汗だくになりながら「ネコ」を押して駆け回っていた。

「おい、若いの!」

突然、声をかけられた。振り返ると、六十代くらいの作業員がいた。細い目に皺の刻まれた顔、日に焼けた皮膚。東北のどこかの訛りがある声だった。

「なんですか?」私は息を切らしながら答えた。

「そんなに急ぐな。この現場はまだまだ先が長いんだ」

彼はゆっくりと「ネコ」に近づき、私の積みすぎた廃材を少し下ろした。

「少しずつでいいんだ。自分を大切にして仕事をするんだよ」

私は当時、その言葉の意味を完全には理解できなかった。若さゆえの焦りと、認められたいという気持ちから、目の前の仕事をとにかく早く終わらせることだけを考えていた。

「でも、早く終われば次の仕事に取りかかれますよ」

老人は小さく首を振った。

「若いねぇ。建物ってのは、急いで建てるもんじゃないんだ。時間をかけて、一つ一つ積み上げていく。人生もそうだ」

その後も私は相変わらずのペースで働いた。だが、時々、あの老人の言葉を思い出しては立ち止まることがあった。


---------


「泉が歌っている…」

ふと、私はもう一度ノートの詩に目を落とした。内側と外側。若い頃の私と、今の私。

大学を卒業した後、私は旅行会社に就職した。英語と地理の知識を生かせる仕事がしたかった。ドイツ語はすっかり忘れてしまったが、旅行業界で働くうちに、英語は徐々に上達していった。

はじめは国内旅行の添乗から始まり、やがて海外ツアーも担当するようになった。ヨーロッパ、アジア、アメリカ…様々な国を訪れる機会に恵まれた。

二十代後半で結婚し、二人の子供にも恵まれた。生活は安定し、仕事も順調だった。だが、忙しさのあまり、自分自身を振り返る時間はほとんどなかった。

五十代になり、子供たちが独立した頃から、少しずつ変化が訪れた。妻が病に倒れ、三年の闘病生活の末に他界した。その悲しみから立ち直る過程で、私は初めて自分の内側と向き合うことになった。

六十五歳で定年退職し、海外添乗の経験を生かして、フリーランスのツアーコーディネーターとして細々と仕事を続けていた。そして二年前、完全に引退を決意し、終活を始めたのだ。


---------


雨はさらに強くなっていた。私は立ち上がり、台所でお茶を淹れた。窓の外では、水たまりが雨粒の衝撃で小さな波紋を広げている。

再びリビングに戻り、ノートを手に取る。不思議なことに、この詩が私の心に響いてくる。四十年以上前に書き写した言葉が、今の私に語りかけてくるような感覚。

泉が歌う声。内なる水が外なる水に映る。

ふと、あの建設現場での出来事が、より鮮明に蘇ってきた。


---------


あれは中野サンプラザでアルバイトを始めて半年ほど経った頃だった。真夏の猛暑の日、コンクリートを流し込んだばかりのフロアの清掃作業を任された。

私はいつものように、効率よく早く終わらせようと必死に働いていた。ほうきを手に、広いフロアを端から端まで掃き清める。汗が目に入り、視界がぼやける。それでも、手を止めなかった。

「おい、若造」

またあの老人だった。名前は菊池さんといった。東北の岩手から出稼ぎに来ていると聞いていた。

「なんですか、菊池さん」

「そんなに急いで、どこに行くんだい?」

「早く終わらせて、次の仕事に取りかかりたいんです」

菊池さんは静かに首を振った。

「見てごらん」

彼は窓の外を指さした。建設中のビルの窓からは、東京の街並みが見渡せた。高層ビル、住宅街、そして遠くに見える山々。

「この景色、どう見える?」

私は景色を眺めながら、ふと、あの事故のことを思い出していた。

「きれいですが...時々、あの事故のことを考えてしまいます。地下での酸欠事故...名前も知らなかった人たちなのに」

菊池さんの顔が曇った。

「ああ、あれは痛ましかったな...」彼は深くため息をついた。「建設現場は命懸けなんだ。だからこそ、無理は禁物。自分の命も、仲間の命も大切にしなきゃいけない」

菊池さんは続けた。「だからこそ、焦らないことが大事なんだ。安全を無視して急ぐと、取り返しのつかないことになる」

「え?…きれいですね」

「そうだろう。でも、この景色が出来上がるまでに、どれだけの時間がかかったと思う?」

私は黙って彼の言葉に耳を傾けた。

「東京という街は、一日で作られたわけじゃない。何年、何十年、何百年もかけて、少しずつ形を変えてきた。建物一つ取っても同じだ。基礎工事から始まって、柱を立て、壁を作り、内装を整える。全部が順番通りに、必要な時間をかけて作られる」

菊池さんは自分の手のひらを見せた。大きく、荒れた手。長年の肉体労働で鍛えられた手だった。

「人間の体も、一日では作れない。この手だって、長年かけて今の形になった。仕事も同じだ。急いでやれば終わりが早いかもしれないが、その分、見落とすものも多くなる」

私は黙ってほうきを握りしめていた。

「若いうちは、先を急ぎたくなる。わかるよ。でも、人生は長い。この建物が完成するまでにも、まだ時間がかかる。少しずつ、自分のペースで進むんだ。自分を大切にしないと、途中で倒れてしまうぞ」

菊池さんはそう言うと、自分のほうきを手に取り、ゆっくりとしたリズムで床を掃き始めた。私も、少しペースを落として、彼と一緒に掃除を続けた。

不思議なことに、二人で掃除をすると、私一人でやるよりも心地よかった。急かされることもなく、焦ることもなく、ただ目の前の仕事に集中する。

掃除が終わった後、菊池さんは水筒からお茶を注ぎ、私にも分けてくれた。

「若いうちは気づかないかもしれないが、仕事には二つの側面があるんだ。一つは外に現れる成果。もう一つは、内側で育まれる経験や技術だ。どちらも大切だが、内側の成長を無視して外側の成果だけを追い求めると、いずれ破綻する」

当時の私には、その言葉の深い意味が理解できなかった。ただ、菊池さんの言葉に何か真実があるように感じただけだった。


---------


雨の音がさらに強くなっている。窓ガラスを伝う雨粒が、リルケの詩にある「内なる水」を思い起こさせる。

六十八歳になった今、私はようやく菊池さんの言葉の意味を理解し始めている気がする。

人生を振り返れば、常に何かに追われていた。大学時代は卒業と就職に、社会人になれば昇進と収入に、家庭を持てば子育てと教育に…。常に先を見据え、目の前のことを「早く終わらせる」ことに注力してきた。

しかし、今、静かに雨音を聴きながら古いノートを眺めていると、菊池さんの言葉が響いてくる。

「少しずつ、自分を大切にして仕事をするんだ」

それは単なる仕事の心得ではなく、人生そのものへの姿勢だったのだ。


---------


その日以降、私は菊池さんと親しくなった。彼は六十三歳。若い頃から建設現場で働き、全国各地の建物に携わってきたという。故郷の岩手には妻と、既に独立した二人の息子がいた。出稼ぎの収入で、孫たちの教育費を援助しているとのことだった。

「俺はね、若い頃は君と同じだったよ。必死に働いて、家族のために稼いで。でも、気づいたら子供たちは大きくなって、俺の姿はほとんど覚えていなかった」

彼の言葉には後悔の色が滲んでいた。

「だから今は、孫たちには違う姿を見せたいんだ。ゆっくりと、一つ一つの瞬間を大切にする姿をね」

その後の数ヶ月間、私たちは時々一緒に昼食を取りながら話をした。彼は東北の自然や、若い頃の冒険、家族との思い出を語ってくれた。そして、建築の基本や、材料の扱い方、安全管理の重要性など、仕事に関する知恵も惜しみなく教えてくれた。

「この建物はね、完成したら多くの人が集まる場所になる。コンサートや展示会、結婚式まで行われるだろう。俺たちは、その人たちの人生の一部を支える場所を作っているんだ」

彼の言葉には誇りがあった。一見すると単純な肉体労働に見えるが、その先にある大きな意義を見据えていた。

ある日、地下作業場の近くを通りかかった時、菊池さんが花を手向けているのを見かけた。あの事故の犠牲者を弔っていたのだ。

「彼らのことを覚えているんですね」と私が言うと、菊池さんは静かに頷いた。

「名前は知らなくても、同じ現場で働いた仲間だ。彼らの分まで、しっかりと建物を完成させないとな」


その言葉に、私は胸が締め付けられる思いがした。名前も知らない彼らの死が、この建物の一部となっている。完成した後も、誰も彼らのことを覚えていないかもしれない。でも、少なくとも私と菊池さんは忘れない。


私は次第に、仕事に対する姿勢を変えていった。「ネコ」で廃材を運ぶ時も、以前のような焦りはなくなった。適切な量を積み、安定させ、周囲に気を配りながら運ぶ。一度に運べる量は減ったが、こぼすことも少なくなり、結果として全体の効率は上がった。

「良くなってきたじゃないか」

菊池さんは時々そう言って、私の肩を叩いた。その言葉が嬉しかった。


---------


大学三年の夏、私はアルバイト先を変えることになった。旅行会社でのインターンシップの機会が得られたからだ。最後の日、菊池さんは私に小さな木彫りの熊を渡してくれた。

「岩手の木で作ったんだ。俺の故郷の守り神みたいなもんだよ」

「ありがとうございます。大切にします」

「これからどんな建物を作るんだい?」

私は少し考えてから答えた。

「建物ではなく、思い出を作りたいと思います。旅行会社で働いて、人々の人生に残る経験を提供したいんです」

菊池さんは満足そうに頷いた。

「それもまた、建築の一種だな。思い出という名の建物を、一つ一つ丁寧に積み上げていくんだ。焦らずにな」

それが菊池さんとの最後の会話となった。その後、中野サンプラザは完成し、私は大学を卒業して旅行会社に就職した。菊池さんがどうなったのかは知らない。おそらく、また別の建設現場へ移ったのだろう。


---------


窓の外では、雨が少し弱まってきていた。私は立ち上がり、本棚に向かった。そこには、長年保管していた小さな木彫りの熊があった。手に取ると、木の温もりが伝わってくる。

「泉が歌っている…」

もう一度、リルケの詩を読み返す。

若い頃に聞いた水の音と、今聞こえる雨の音。

内なる世界と外なる世界。

過去の自分と現在の自分。

全てが一つにつながっているような感覚に包まれる。


---------


建設現場での経験は、その後の人生に大きな影響を与えた。旅行会社での仕事も、菊池さんの教えを活かす場となった。

新人の頃、私はツアーの添乗で常に完璧を求めていた。スケジュール通りに進めることに固執し、予定変更があると焦りを感じていた。

ある日、イタリアツアーで大きな遅延が発生した。ローマからフィレンツェへの移動中、高速道路で事故があり、予定より三時間も到着が遅れてしまった。

「今日の美術館見学は諦めましょう。ホテルにチェックインして、明日に予定を調整します」

そう団体に伝えると、案の定、不満の声が上がった。特に強く抗議したのは、中年の男性客だった。

「せっかくウフィツィ美術館を楽しみにしていたのに!ちゃんと仕事してください!」

その時、不意に菊池さんの言葉が蘇った。

「急いでやれば終わりが早いかもしれないが、その分、見落とすものも多くなる」

私は深呼吸をして、落ち着いた声で話し始めた。

「皆さん、確かに予定通りにいかないことは残念です。でも、イタリアという国は、何百年、何千年もかけて築き上げられてきた歴史と文化の国です。一日や二日で全てを見ることはできません」

宿泊先のホテルに電話をかけ、夕食の時間を遅らせてもらう手配をした。そして、バスの中で簡単なイタリア文化のレクチャーを始めた。

「今から向かうフィレンツェは、ルネサンスの中心地でした。この町の美しさは、一日で作られたものではありません。何世代もの人々が、少しずつ、丁寧に築き上げてきたものです」

バスの窓から見えるトスカーナの風景を指さしながら、私はイタリアの歴史や文化、食について話を続けた。

「旅も同じです。時には予定通りに進まないこともありますが、それもまた旅の一部。むしろ、思いがけない出会いや発見が、後々最も印象に残る思い出になることがあります」

不思議なことに、私の話を聞くうちに、乗客たちの表情が和らいでいった。特に最初に強く抗議した男性客は、やがて質問をするようになり、バスの中での即席レクチャーに熱心に耳を傾けるようになった。

フィレンツェに到着すると、予定より遅れていたにもかかわらず、乗客たちは落ち着いた様子でホテルにチェックインした。夕食後、私は明日の予定変更について説明し、今夜はフィレンツェの夜景散策を提案した。

「ウフィツィ美術館は明日の午前中に行きましょう。その代わり、今夜はアルノ川沿いを歩いて、ヴェッキオ橋からの夜景を楽しみませんか?」

多くの乗客が賛同し、予定にはなかった夜の散策が始まった。星空の下、ライトアップされた古い町並みを歩く時間は、思いがけない感動を生み出した。

翌朝、朝食時に例の男性客が私に近づいてきた。

「昨日は失礼しました。実は、妻とフィレンツェに来るのは長年の夢だったんです。だから焦ってしまって…。でも、昨夜の散策は素晴らしかった。あんな美しい夜景は見たことがなかった」

彼の言葉に、私は菊池さんのことを思い出した。

「焦らなくても、大丈夫ですよ。この街は何百年も前からここにあって、これからも何百年も残り続ける。少しずつ、ゆっくりと味わうのが一番です」

その日のウフィツィ美術館見学は、当初の予定よりも充実したものになった。十分な時間をかけて、ボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」やレオナルド・ダ・ヴィンチの作品に向き合うことができた。

ツアー終了後、例の男性客から手紙をいただいた。

「最初は全てを見ようと焦っていたが、あなたのおかげで『見る』ことと『感じる』ことの違いを学びました。時間をかけて一つ一つの作品と向き合う大切さを教えてくれてありがとう」

その経験から、私は添乗の仕事に対する姿勢を変えていった。予定通りに進めることよりも、旅の質を大切にするようになった。時には予定を変更し、時には立ち止まり、その場所や瞬間を深く味わう機会を提供するようになった。

「少しずつ、自分を大切にして」

菊池さんの言葉は、いつしか私の仕事のモットーとなっていた。


---------


雨はすっかり上がり、夕暮れの光が窓から差し込んでいた。私は木彫りの熊を手に、立ち上がる。今日は十分な整理ができた。明日も続けよう。焦ることはない。

大学時代のノートを段ボール箱に戻す前に、リルケの詩のページを一枚だけ切り取った。この詩だけは、新しい住まいにも持っていきたいと思った。

「泉が歌っている。その音が聞こえる」

六十八年の人生を振り返れば、常に何かの音が聞こえていた。忙しい日々の中で聞き逃していた音も多いだろう。しかし、今なら聞こえる。内側と外側で響く、泉の歌声が。

木彫りの熊を窓辺に置き、夕暮れの空を見上げる。

「菊池さん、あなたの言葉を今でも覚えています。少しずつ、自分を大切にして生きてきました。これからも、そうあり続けます」

窓の外では、雨上がりの水たまりが夕日に照らされ、小さな光の輪を作っていた。まるで、内なる水が外なる水に映っているかのように。

ふと、あの建設現場で命を落とした名前も知らないバイト仲間のことを思い出した。彼らの命は、中野サンプラザという建物の中に、今も息づいているのだろうか。名前は忘れても、その存在は確かにあった。彼らの分も、私は少しずつ、自分を大切にして生きてきた。そして、これからもそうあり続けるだろう。

「安らかに」と、私は心の中で祈った。

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