恋に落ちた日
僕が、本陣爽子という女性に対して恋愛感情をはっきり自覚したのは、イチョウ並木が都心の街を黄色く染め始めた三回目のデートの時だった。
僕は二週間後に開催される参加者が三千人ほどのマラソン大会に初挑戦することになっていた。
後先考えずに東京マラソンにエントリーしたのだが、かなりの倍率の抽選に、来年二月開催の大会の落選通知が届いていた。当選するつもりで練習を開始していた僕は、日帰り可能で抽選なし、申し込みの先着順で出場できるこの大会にエントリーしたというわけだ。
爽子さんにそのことを話すと、彼女も走ることが好きで、偶然にも春先に同じ十キロレースに出場していたことも分かり、二人で完走祈願の参拝に行こうということになった。
夕暮れ時の東郷神社の神殿に二人並んで手を合わせた。東京・原宿にあるこの社の御祭神は、日露戦争でバルチック艦隊を打ち破って日本を勝利に導いた東郷平八郎元帥、「勝利」「強運」そしてなぜか「縁結び」にご利益があるという、まさに今の僕たちにぴったりの神社だ。
お参りの後で、爽子さんは、連合艦隊のカラフルなZ旗がデザインされたこの神社の「勝守」を渡してくれた。
秋の日は釣瓶落とし、茜色だった空が群青色に染まった。原宿駅近くのマンションの地下にある老舗の中華料理店で夕食を取った後、僕はすぐ近くの公園に彼女を誘った。
僕たちは手をつないで公園のゲートをくぐった。
晩秋の公園はそぞろ歩く人もまばらだ。噴水前のベンチに並んで腰を下ろすと、僕たちは長いキスを交わした。
付き合い始めて一か月と少し、僕は、彼女に少しハードルの高いお願いをしてみることにした。
「今日爽子さんがくれたお守りをウェアに縫い付けてマラソンを走る。だから、完走祈願に、お守りの中に女神さまの下の毛をいれてくれない?」
ダメ元のつもりだったが、爽子さんは、少し考えた後、僕からお守りを受け取った。
「少し、向こうを向いていて、こっちを見ないでね」
彼女は、周囲に人がいないのを確かめるとスカートをたくし上げて、右手を中に入れた。
たった今、恋に落ちたと感じる瞬間がある。僕は、僕のために、こんなところで、そこまでしてくれる彼女が、たまらなく愛おしく思えてしまった。
僕は、向こうを向いててという約束を破って彼女を後ろから抱きしめ、スカートの中に差し入れられていた彼女の手のひらの下に僕の手のひらを重ねた。
下着はすでに腰骨の下まで下げられていて、僕の指が彼女の茂みに触れた。
僕は、暴走した。
もう少し下の部分まで触れようと手を進めると、最初は僕の手首を握って抵抗していた彼女の力がふっと抜けた。
「あんっ」
手のひらが目的の個所を捕らえると、彼女の膝から力が抜けた。
「あっ、あっ、あっ」
僕の手のひらの動きに合わせ、彼女が甘い吐息を漏らす。
そこへ、十人くらいの高校生と思しき集団ががやがやとやって来た。慌てて僕は彼女から身体を離した。
「爽子、ごめん、大丈夫?」
彼女は、ふっとひと息をつくと、素早く下着の位置を直しながら言った。
「大丈夫じゃない。豪くん、私、これじゃ電車に乗れないわ」
僕が彼女のことを爽子と、彼女が僕のことを豪くんと呼び合うようになったのは、この時からだ。
僕の悪戯に下着をすっかり濡らしてしまった爽子のために、僕は女子中高生で賑わう竹下通りのランジェリーショップまで女性ものの下着を買いった。
駅のトイレで着替えを終えて出てきた爽子は、少し怒った顔で僕にお守りをくれた。
「入れておいたから、マラソン、きっと完走してよね」
レース当日、僕は、爽子に貰った勝守りをゼッケンに縫い留めてスタートラインに立った。
これで完走できなかったら男が廃る。前半はペースを抑え、三十キロの関門を過ぎたところで、胸のお守りを握って自分に誓った。彼女のために一分、一秒でも早くゴールする! 僕は徐々にペースを上げた。
身体が動く。前を行くランナーを一人ずつロックオンしては抜いていく。ラスト一キロ、ようやくゴールの競技場が視界に入ってきた。さすがに身体はかなり重かったが、それでも僕は残されたすべての力を出し切るべくスパートをかけた。
女神さまのご利益で、僕は、三時間四十六分十七秒という、初マラソンとしては望外なタイムで完走を果たした。




