忘れられた館
月の光が薄暗い部屋を静かに照らしていた。古びたカーテンが風に揺れ、月明かりがシルクのような髪に反射してまるで銀糸のように輝く。少女の名前はロザリンド。腰まで届くその髪は、まるで時が止まったかのように、重力に逆らうことなく彼女の背に広がっていた。
部屋の中は静寂に包まれ、重厚な家具たちがかつての栄華を物語っている。だが、今はほこりが積もり、手入れをされることもなく、忘れ去られたままだ。
ロザリンドは、グレーの手を静かに持ち上げ、月光に照らされる。それは美しさと哀しさが同居するような、独特な色合いだった。目は少し吊り上がり、彼女の内面に潜む強さを映し出している。彼女の目は、今や無人となったこの館の廊下を静かに見つめていた。
ロザリンドはゆっくりと立ち上がり、長い髪をそっとかき上げた。静寂に包まれた館の中で、彼女は一人、過去と向き合う覚悟を決めていた。かつてはこの館も笑い声と光に満ち溢れていた。だが、今はそのどれもが、彼女の記憶の中にかすかに残るだけだ。
彼女の家族――かつてはこの国を支配する財閥の一族だった。彼女の父は、国中にその名を轟かせた事業家であり、巨大な資産を手にしていた。しかし、その権力と富が生み出したのは、嫉妬と裏切りだった。ロザリンドはその犠牲者だったのだ。財閥の一族に生まれながら、裏切りにより家族からも見放され、この館に閉じ込められている。
彼女には兄がいた。聡明で、いつも冷静だった彼は、父の跡を継ぐと期待されていた。しかし、その兄もまた、権力争いの渦に巻き込まれ、若くして命を落とした。ロザリンドは彼の死に、深い悲しみを抱えている。だが、彼女の心には、復讐の火が静かに燃えていた。家族を失い、財産も奪われ、彼女はただ忘れ去られることを運命づけられていた――だが、それを甘んじて受け入れるつもりはなかった。
館の奥から、静かな音が聞こえてきた。
ロザリンドは振り返り、長い廊下を見つめる。誰もいるはずがないこの場所で、何かが動いている。彼女は一瞬、ためらったが、やがて足を踏み出す。黒く光る床に、彼女のシルクのような髪が影を落としながら、静かに館の奥へと進んでいった。
廊下を進むたびに、彼女の心の中にある決意が固まっていく。この館に隠された秘密――それが彼女の命を奪おうとする者たちの手がかりであり、彼女の復讐を成し遂げるための力となる。彼女はそれを知っていた。
ロザリンドの足音が廊下に反響する中、館の空気が一段と冷たく感じられた。彼女は長い廊下を静かに進み、奥にある重厚な扉の前で足を止めた。その扉は、かつて家族以外の者は決して入ることを許されなかった部屋に通じている。彼女の父が、この家を支配するために作り上げた「秘密」の部屋だった。
ロザリンドは扉の前に立ち、グレーの手でそっとノブに触れた。冷たい金属の感触が彼女の指に伝わると、過去の記憶が一瞬、頭をよぎる。彼女がまだ幼い頃、この扉の向こうで何度も家族が集まり、何か重要な話をしていたのを思い出した。だが、彼女はその場に参加することは許されなかった。
今や彼女はこの館で唯一の生き残り。誰にも知られることなく、この部屋の秘密に触れることができる存在だ。
扉が重々しく開く音が響いた。中に足を踏み入れると、ロザリンドは息を呑んだ。部屋の中央には、巨大なテーブルが置かれ、その周囲にはかつての一族の肖像画がずらりと並んでいた。冷たい光が部屋全体を照らし、壁に掛けられた一族の顔が彼女を見下ろしているかのようだった。
「すべてがここに隠されていたのね…」
彼女は呟きながら、テーブルに近づいた。机の上には古い書類が散乱しており、彼女の父が長年かけて築き上げた秘密の取引や事業計画が詳細に記されている。これらの書類が、彼女の家族を破滅へと導いた陰謀の鍵であり、彼女の父が命を賭けて守ろうとしたものだった。
しかし、ロザリンドは知っていた。これだけではない――この部屋には、まだ隠された何かがある。それこそが、彼女が探し求めていたものだった。
ロザリンドは机の下に目を向けた。そこには、小さな鍵穴が隠されているのを見つけた。父の机には、かつて彼女の父が「絶対に触れるな」と言い続けていた引き出しがあった。その引き出しの奥に、彼女が探している答えが眠っているはずだ。
彼女は胸元から小さな銀の鍵を取り出した。この鍵は、かつて彼女が父から渡されたもので、その意味が何であるのか、長い間わからなかった。今、その鍵の意味を知る時が来た。
鍵を差し込み、ゆっくりと回すと、引き出しが静かに開いた。中には、古びた日記が一冊だけ入っていた。ロザリンドはそれを手に取り、表紙に書かれた名前を見て驚愕する。
「母の名前…」
それは、彼女の母親が亡くなる前に書き残したものだった。家族の中で唯一、彼女に優しさを見せてくれた存在だった母。その日記に記された内容こそ、彼女が長い間探し求めていた、家族の裏切りと陰謀の全貌を解き明かす手がかりだった。
ロザリンドの手が震えながら、日記のページをめくる。母の字で綴られた言葉が、彼女の目に飛び込んできた。
「愛しいロザリンドへ。もしこれを見つけた時、あなたがどんな状況にいるか私は知りません。でも、この日記が、私たち家族の真実を明らかにする助けになるでしょう。」
彼女の母の温かな声が、文字を通じて蘇ってくる。ロザリンドは、長い間忘れていた母の優しさに触れたような気がした。しかし、その日記には、彼女が決して知りたくなかった真実も含まれていた。
「あなたの父は、我が家の財産と権力を守るために、取引を行った。それは一族のためではなく、彼自身の野望のためだった。その結果、私たちの家族は壊れてしまった。あなたの兄も、あなたも、その犠牲者なのです。」
ロザリンドの目が大きく見開かれた。彼女の父が家族を裏切り、自分の欲望のために全てを捧げたという事実は、信じがたいものだった。だが、母の言葉がそれを裏付けている。
「そして、私の命も危険にさらされるようになった。ロザリンド、もし私がこの世を去ったら、あなたには一つだけ覚えていてほしいことがある。私たちの家族には守らなければならない“宝石”がある。その宝石こそ、我が家を復活させるための唯一の希望です。」
ロザリンドは、日記に書かれた「宝石」という言葉に驚いた。母は何を意味していたのか? それが、この館のどこかに隠されているのか? 彼女の心の中で謎が深まる。
ロザリンドは、日記を閉じ、館の奥に目を向けた。母が最後に守ろうとした「宝石」を見つけることが、家族の運命を変える唯一の道だと信じ、彼女は決意を新たにした。これまでの苦しみと悲しみが、彼女の心に新たな炎を灯す。
「必ず見つける。そして、全てを終わらせる。」
彼女は館の奥深くへと足を進め、隠された真実に迫っていく。