翠の鐘塔
戻ってきたは良いものの、リアはまだ目覚めていなかった。
おかしいなと言わんばかりに首を傾げているラスパーを尻目に、天はリアに声を掛けながら肩を揺すった。
「リアさん、そろそろ起きて下さい」
はじめは優しく揺すっていたが、しまいにがくがくと首が振れるほど強く揺さぶる。それでも全く動く気配は無い。
「駄目みたいです」
「…………まあ、良いでしょう」
ラスパーは何か言いかけて、慌てて咳払いで誤魔化す。そんなにあることじゃ無いですが、とかなんとかぶつぶつと呟いていたのは聞こえないふりをした。
「さて、お嬢様はまだ起きてはいませんでしたが、少しばかり頼みたいことがありまして」
ちょいちょい、と手招きをされて近くへ寄ると、彼女は声を潜めて話始めた。
「今から着いて来ていただくところに大きな鐘塔があるのですが」
フムフムと頷きながらも、一体何の話が始まるのかは全く想像出来なかった。
「そこには、わたし達にとって大切な物がございます。本来なら、こちらのお嬢様も共に来ていただけるとありがたいのですが……そんなことを言っている時間もありませんし、早速出発してもよろしいでしょうか?」
静かな、しかし有無を言わさぬようなラスパーの迫力に押され、頷く。
それでは、と歩きだそうとするラスパーを制し、天はリアを背中に担いだ。ずっと眠ってはいるが、彼女はそろそろ起きる筈だと言っていた。何を根拠に言っていたのかは分からないが、もしリアが目覚めた時に置き去りにされていたら、ラスパーがリアに着いてきて欲しがった理由も分からない。
少し驚いた顔をしていたが、ラスパーはひとつ頷いてくるりと向きを変えて天に着いて来るように促した。
また美しい、作り物のようなエメラルドの街を、今度は少し早足で歩く。
水の民の間を抜け、エメラルドの街を通り過ぎる。その中で、民が皆足を止めて歩き行くふたりを眺めていた。
「お気になさらず、旅人。きっと貴方達が珍しいのでしょう。足を止めてはいけません」
ピシャリと言われ、水の民に向けていた視線を前に戻す。そこで、自分が足を止めかけていたことに気づいた。
少し離れていたラスパーとの距離を縮めるように歩く。彼女は振り返り、天が追いつくのを待っているようだった。
「あとどのくらいで着くんですか?」
「そうですね……。そんなには掛からないと思います。体力は大丈夫そうですか?」
ラスパーの視線が天の背中に向く。リアを背負っているから、負担が大きいのでは無いかと心配しているようだ。
大丈夫ですと首を縦に振って、しばらくは会話も無しに進んでいく。
随分と街はずれまで来てしまったようで、辺りには白と茶色の岩がそこかしこに転がっていた。
一応整備はされているが、敷かれた道はとっくに輝きを失い、ひび割れている。
「さあ、もう見えてきましたよ」
ラスパーの声に知らず知らずうつむいていた顔を上げれば、正面に小さく一際鮮やかな緑の丸い建物が見えた。あれが鐘塔なのだろう。
ラスパーに導かれるまま、鐘塔に向かう。疲れてきているのか、彼女はだんだん無口になってきた。
どこか青い顔をしているので、体調でも悪いのかと思って休憩を提案してみたが、「もうすぐで着くので」と断られた。
彼女の様子を見ながら進んでいき、とうとう鐘塔はすぐそこまで迫ってきた。
これまでのどの建物とも違う、まるで新芽の色を写したかのような緑。
「あそこです。我々の宝とも言える物が、あの鐘塔には眠っています」
早く行きましょう、と急かされて、さらに鐘塔へと近付く。
どこか神聖な雰囲気が漂う鐘塔の敷地に足を踏み入れると、まるで世界から音が消えたのでは無いかと錯覚してしまうほどの静寂が体を包んだ。
地面には鐘塔と同じような翠の石が敷かれている。石だと言うのに、一歩進めば足が沈んでしまうほど柔らかい。
これまで来た後を見れば、足跡は何一つ残っていなかった。
(一体、どんな素材なんだろう)
少なくとも、王都にはこんな不思議な素材は出回っていない。この土地特有の物なのだろうか。ラスパーに尋ねてみても良かったが、それはなんとなく違う気がした。
「……あの中に入って、階段をいくつか登れば、大きな鐘があります。天井を開けて、その鐘を鳴らしに行きます」
ガチャガチャと小さな門の鍵が開けられる。さあどうぞと言わんばかりに手で門を指すラスパーに合わせて、軽く手で押し開けた。
そこからの道は、所々雑草に押し上げられてはいるものの、おおよそ綺麗に整えられている。
今歩いている一本の道以外は、虹色に光を反射する水。鐘塔に辿り着くまでに、かなりの距離池の上を歩かなければいけないらしい。
まるで空間が歪んだみたいだ。門を開けるまで、こんな場所があるなんて分からなかった。本当に何もかもが地上とは違っている。
(出来れば、早くリアさんに起きて貰いたいところなのですか)
地下に来てからどれくらいの時間が経ったのかは分からない。おおよそ一日は経っているだろうが、いつまででも眠り続ける彼女に不安が募る。
背中のリアに考えを巡らせながら歩いていると、気付けばラスパーが目の前を歩いている。
天の方が先に門を通ったはずなのに、と驚いていると、水の中を通ってきたのだと説明される。
「それなら、最後まで水中で入口まで行けば良かったのでは無いですか?」
「結構疲れるんですよ、あれ」
フフッと笑うラスパーの顔は、これまでとはどこか違って見えた。天の前で本当に笑ったのは、おそらくこれが初めてなのだろう。
「さあて、着きましたね。中へどうぞ。旅人には大切な役割がございますのでね」
「役割?」
ええ、と頷いて、彼女は閂を外して扉を開け放った。
中は、外観と同じく若葉のような翠色の石と色の薄い木材でできている。入り口から様子を伺っていると、「早く入ってください」と急かされた。
中へ一歩踏み入れると、ヒヤリと冷気が体を包む。一瞬でなくなったが、どことなく不快さは拭えない。
「……大丈夫そうですね。それでは、こちらへ」
ラスパーが指差した先は、鐘に繋がる階段の下だった。注意深く見てみると、そこにあったのは小さな扉。どうやら、小部屋のようになっているらしい。
つい最近、似たようなことがあった気がする。扉を潜りながら、そう考えた。
扉の先には、一人でもあまり動くスペースの無いような狭い空間があった。扉の外とは打って変わって、壁と床は灰色の石でできている。
(やっとまともな色の石を見た気がする……)
それにしても、ラスパーはこんなところに連れてきて何をするつもりだろうか。考えていると、蝶番の軋む音がした。ハッとそちらを見ると、まさに扉が閉じようとしている。
「旅人。背中のお嬢様は下ろせますか?」
扉の外から、ラスパーの声が聞こえた。なぜか下ろしてはいけないような気がして、「分かりました」とは答えたものの、そのまま背負ったままにしておいた。どうせ、向こうからこちらを把握することなんてできまい。
そこから、一切の音沙汰が無い。扉へ耳を押し当ててみても何の音も聞こえない。ラスパーはどこかへ行ってしまったようだ。
ふぅ、と息を吐いて壁に額を押し付ける。どうして、こうも落ち着ける時間が少ないのか。リアと旅を始めてから、何かに巻き込まれてばかりだ。
「……さて、どうしましょうかね」
扉を拳でニ、三度叩いてみたが、簡単に破れるようなものでもなさそうだ。
手元に魔石は幾つかあるが、この狭い空間で魔法なんて使ったら、こちらもただでは済まないだろう。
ここから出る方法を考えながらも、天はまた別のことも考えていた。
ラスパーは、先程リアが目覚めている筈だと言っていた。どうしてそんなことが言えたのだろうか?
彼女はリアのことを知らないはずだ。はぐらかされてしまったが、どうしても引っ掛かっている。
まるで、この世界は彼女の思うままに動くとでも言うような。
(……いや、むしろ……)
この世界の筋書きを彼女は知っていて、それに沿って動いているような。
「……なーんて」
そんなことがあるはず無いか。もっと他の意図があって言ったのだろう。それでも、どうしてだかこの予想が頭から離れない。
いっそのこと、本当にリアを起こしてくれれば良かったのに。もし彼女が起きていれば、と今日だけで何回考えたことか。
(そういえば、どうして彼女はリアさんのことは『お嬢様』なんて呼ぶんだろう)
天のことは旅人と呼ぶのに、リアのことはお嬢様と呼ぶ。単に幼い少女を呼ぶのに使っているだけかもしれないが、怪しいところがありすぎて何らかの意図があるんじゃ無いかと疑ってしまう。
考えれば考えるほど疑問が増えていく。一度ラスパーのことは頭から追いやって、ここから出る方法を探すことに集中しなければ。
タイトルセンスを下さい




