切り株の中
「あ、ここ」
切り株は、静かにそこにあるのみだった。上に置いた鍵も、そのまま。一体、何を期待していたのだろうか。
「あのね、急に『魔法の瞳』が安定したのはね、この子のせいかも」
不意にリアがそう言った。その視線は切り株に注がれている。正確には、その上に置いてある鍵をじっと見つめていた。
どういうことですか、なんて聞ける雰囲気では無くて、天はひたすら続きを待っていた。
リアは切り株の近くに膝をついて、クローバーをそっと摘み取っている。その茎を絡ませながら、口を開いた。
「あのね、この切り株は、元は大きな木だったの。しかもね、精霊が拠り所にする木。全盛期は魔力が満ちて、それはそれはとっても居心地のいい場所だったの」
リアは小さく笑って、クローバーの塊をそっと切り株の上に置いた。
「まだいるよ。悪戯好きの可愛い精霊。この子は、頑張ってる人が好きだから。ちょっとしたおまじないでもしてくれたんじゃない?ねえ?」
そう切り株に話しかけるリアは、何処か寂しそうに見えた。なぜそんな表情をするのか分からなくて、天は内心首を傾げた。
リアが鍵に触れると、じんわりと鍵から光が溢れてきた。その鍵は文字となって、切り株を囲む。リアの作ったクローバーの塊は、その光に飲まれて消えていった。
何が起こっているのだろうか。考えようとしても、思考が麻痺したように動かない。ただ、ひとつの感情に支配されているようだった。
(……懐かしい?)
こんなものを見たのは初めての筈で、なのに何故か懐かしいなんて思っている。腹の奥からグッと掴まれて、引っ張られるような感覚。それに引き摺られそうになって、慌てて止めようとしても、足は勝手に光の方へ進んでいく。
「ちょっ、天?……ぅわっ」
天の様子が変なのを見て、リアが腕を掴んで引っ張るが、それでも天は立ち止まることなく歩いて行った。
「えー……。まさか、誘われてらっしゃる……?」
引っ張るのをやめて、隣に並んだリアが天の顔を覗き込むと、何処か虚ろな表情をしていた。
(これは、着いてくしか無いかな。……入れてくれるかな?)
顔を上げたリアの目に映っていたのは、半透明の大樹。かなり引きで見ないと、全貌を把握することは難しい程の大きさ。半透明なのは、精霊がまだ力を回復しきっていないからだと考えた。
それに加えて、切り株付近には空間が歪んだような極彩色があった。
そこに近づくにつれ、天の体から力が抜けていく。やっぱり、と言わんばかりのリアは、完全に力の抜け切った天をその場に横たえて、極彩色に飛び込んだ。
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途端、グラリと視界が揺れる。上下左右ないような、熱を出した時に見る夢のような光景。辺りを見回してみても、天の姿はどこにもなかった。
「うーん、やっぱ歓迎されてないよねぇ」
しばらく立ち尽くして考え込んでいたリアが、不意に足を振り上げる。そのまま地面(と思われるところ)に振り下ろした。ピシリと軽くヒビが入る。
それを見て満足そうに頷いたリアは、小さく指を振って大量の氷の柱を作り出し、ヒビの周辺に叩きつけた。
音もなく砕け散った地面から覗くのは、また新しい地面。
顔を顰め、舌打ちをするリア。明らかにおかしい。さっきまではこの下に何も無かったはずだったのに。
(……気づかれたかな)
こんなことしても消耗して辛いだけだろうに。心の中でそう呟いたリアは、ブツブツと何かを唱え始めた。
人の言語ではない、特徴的な節と抑揚のついた言葉で紡がれる精霊の呪文が進むにつれ、次々と地面は色を失っていく。
最後の色が無くなった時、リアの眼前に広がるのは灰色の空間だけだった。
「これでよし、っと」
もう一度氷柱を地面に落とすと、今度は新たな地面が現れることなく穴が空いた。
下を覗くと、そこにあったのは森林のような空間。かなりの高さがありそうで、落ちたら無事では済まないだろう。
リアはそこに躊躇なく飛び込むと、空中で上手くバランスを取りながらしっかり足から着地した。
(私の存在が完全に把握されてるんなら、手荒に扱う真似はしないよね)
地面はふわふわ。見てみると、びっしりクローバーが敷き詰められていた。
どうせなら、とリアは少しだけ葉を摘んだ。ぜんぶ無駄にしてしまったし。
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霧がかかったような思考の中で、声が聞こえたような気がした。
『こっちにおいで』
『そっちはだめだよー、こっち』
『こっちだよ、ねぇ、おねがい』
四方八方から聞こえる声に導かれるようにして、ふらふらと歩く。目的地など分からない。この声の主も。複数いるようにも、ひとりのようにも聞こえる。
それぞれ別の方向を指しているようで、従って行くと同じ場所に辿り着く。
変わらない風景。進んでいる感覚がない。少しずつ頭の霧が晴れてくると同時に、きゃらきゃらと楽しそうに笑う声に、少しだけ苛立ちはじめる。
『あーっ、怒らないで』
『そうそう、怒っちゃだめだよー』
『あとちょっとだから、がんばって』
どうせ、この声に従う他無いだろう。内心ため息を吐いて歩き続けた。
だんだんと視界が開けていく。先程までの息苦しいような石造りの空間から、クローバーの草原へ。
まるで、先程までいた場所のようだった。違うところがあるとすれば、その殆どが四葉であるところくらい。
「やっと来たぁ!」
「待ってたんだよー」
「まよわずこれた?」
足元を注視していたが、聞こえてきた声に顔を上げる。
そこに居たのは、ひとりの少女。おおよそ十三歳程の、白い服を着た少女は楽しそうに笑って、天に近付いてくる。
「こんにちはー、お兄さん」
「はじめましてー」
「のるんだよ」
ひとりの筈なのに、三人分の声が聞こえる。この少女が全て出しているのだろうが、別のところから聞こえてくる気がして、辺りを見回した。
しかし、ここには天とノルンと名乗った少女しかいない。
彼女は、まるで天の言葉を待っているかのように無邪気に笑って、ただ後ろに手を回して立っている。
何かに急かされているような気がして、天は口を開いた。




