開幕
開始5分前を告げるベルが鳴った。その音を聞いたブランシュは、緊張を紛らわせるように深呼吸を繰り返す。そんな弟の様子に、彼の三人の姉は示し合わせたようにそっと頭を撫でた。
特に髪のセットはされていないが、衣装を纏ったブランシュはどこか触れがたい雰囲気で、皆、彼を乱してはいけない気がしていた。
「……大丈夫?」
「ふー……。うん、大丈夫。ぼく、今から花の精霊になるんだ。しっかりしなきゃ」
「そんなに気負わず、ね?花乙女は、そんな大層なものじゃないわ」
まだ緊張気味のブランシュに声を掛けるが、大層なものではないと言ったフローラの言葉には首を横に振った。
「大層なものですよ、フローラさん。ぼく、何回も本を読んでるんです。全部、本当なんでしょう?」
「……さあ、どうかしら。わたし、読んだことないから分からないわ」
「本当じゃないと困ります。だって、ぼくが憧れてきた『花乙女』は、きっと」
ここまで話したブランシュの顔に、もう緊張の色は見えなかった。
「さぁ、もうすぐ始まるよ。頑張ってくる。……一緒に頑張ろう」
微笑んで、舞台に上がった。中央まで進み、軽く目を伏せたところでもう一度ベルが鳴り、ゆっくりと緞帳が上がった。
はじめは、ただ、小さく体を揺らすだけだった。右へ左へ、ゆらゆらと。そのうち、舞台上に緑が見え始める。目を閉じたままゆっくりと腕を振ると、それに呼応するようにスルスルとブランシュを取り巻いた。
そのまま、少しずつ踊り始めた彼の周りで、緑から生まれた赤や青の花々がふわりと揺れた。
彼の足が地面を滑り、蹴りあげ、踏みしめる度に新たな緑が生まれ、舞台上を埋め尽くした。その間、彼は目を瞑ったままだ。
真っ暗なはずの視界で、しかし、彼ははっきりと緑を見ていた。否、緑だけではない。光と、鳥と、蝶。そして、大きな竜。
ああ、これが彼女の見た景色なのだ。いつの日か、幼い少女がこの景色に魅了され、神となる道に踏み入ってしまったのも頷ける。
「……あ」
もう終わる。もうすぐ、彼だけの夢は終わってしまう。
ずっとここにいたい。
そんな名残惜しさが、甘く彼を包んだとき。
『駄目よ、ブランシュくん』
声が聞こえた。その声に、はっと現実に引き戻される。そうだ。
(ぼくは、彼女じゃない)
甘く、優しい夢を見続けることなんて、きっと出来やしない。このままここに浸かっていれば、きっと人ではなくなってしまう。そう思ったらこの甘い夢がどこまでも深い泥沼のように纏わりついてきて、それから逃れるように無理やり目をあける。
そこに緑はなく、ただひとり少女が踊っているだけだった。
美しい舞。しかし、ブランシュにはそれが沼から這い上がろうと、纏わりつく泥を払おうとする動きにしか見えなかった。
少女もまた、夢を見ているのだ。
彼女が動く度に金の髪が揺れる。それを眺めながら舞台からはけるとき、小さな鱗がきらりと光るのを見た。
客席から舞台の変化を見たとき、悲鳴に近い叫び声が上がるのを聞いた。それくらい、異様な光景だった。
次々と芽吹く緑。赤。青。金。
ひとり目を閉じ舞い続ける少年を閉じ込めるように枝葉を伸ばすそれは、他の演者がでてきても構わずに『花の精霊』に纏わりついていた。
舞台袖からひとりの少女が出てくるまでは。
彼女が出てきたとたん、植物は一斉に彼女をターゲットに変えた。しかし、たどり着く前に枯れていく。
そのまま中央まで進み、未だ舞い続ける少年の頬を撫で、彼女もまた、舞い始めた。
それを見た天は、なんとなく察してしまった。
急に自分達の前に現れた、世間知らずな少女の正体を。
いつまでも夢を見続ける、あの花の乙女の正体を。




