2 施策
漆黒の羽は堕天使の羽のようだ────怪しくも美しい羽ペンを手に取った。
「奥様、どうか健康を取り戻して健やかなお子様を授かって下さい」
漆黒の羽ペンに血を吸わせると羊皮紙に血文字を書き込んだ。
「私が取り戻すのは過去の時間よ、レイモンドの子なんていらないわ!」
「コーネリア様!・・・・・・・・」
────ダレンの声が遠くなって目の前が真っ赤に染まった。
目を開けると漆黒の翼を生やした美貌の男がいた。髪も瞳も纏っている衣装も全て漆黒。ただ肌は透き通って白く真っ赤な唇が目を引く。
ああ、なんて美しい・・私は声も無く見つめていた。
「過去を取り戻す?もっと具体的に説明しろ」
「あ・・・誰なの?」
「契約者だ」
漆黒の羽はこの男の背に生えた翼の羽だろう。やはり堕天使の羽ペンだった。
天使の祝福を受ける為に、結婚式の誓約書には白い羽ペンを用いる。
────つまり堕天使の祝福を受ける・・・呪いではないの?
「レイモンドと縁を切って幸せになりたいの」
「それはお前自身の幸福で、侯爵家とは関係ないから却下だ。全くこんな面倒な願いは初めてだ」
「私は過去に戻って後継者を降りるわ。妹がレイモンドと結ばれて侯爵家を継げばいいのよ」
「お前の妹が領地経営なんか出来るものか」
「大丈夫、レイモンドは優秀だから」
「ふん、それでお前はどうやって幸福になるのだ?」
「あの男と縁が切れればそれで幸せよ!もっといい男を探すわ」
「ではやってみればいい。後悔するなよ」
***
────気が付けば私は18歳。王宮のバルコニーの入り口に立っていた。
堕天使は〈過去を取り戻す〉という願いを叶えてくれた。
夜会の最中、バルコニーで恋人達は口づけを交わしていた。
それを前回、私は見逃してやったのだ。
愛し合うレイモンドと妹を引き裂く罪悪感もあった。だから今夜見たことは許そう、今夜だけは。そう思って痛む胸を押さえて、前回その場を去ったのだった。
────今回は許さないわ!
カッカッカッ・・・響くヒールの音にバルコニーの二人は慌てて離れた。
「お・・お姉さま!」
「この恥知らずの泥棒猫!」
パーーン!とナーディアの頬を思いっきり殴った。
「やめろ!僕が悪いんだ。僕がナーディアを愛してしまったから!」
レイモンドは妹を抱き寄せる・・・ああ・・イライラする!
「そうよレイモンド!貴方はどう責任を取るつもり?これは母に報告するわ!」
「それは・・・済まなかった。・・・謝罪する」
勢いが削がれて婚約者は小さくなった。レイモンドは母から後継者教育を長く受けており、鬼のように厳しい母を誰よりも恐れていた。
「貴方とは婚約破棄よ!顔も見たくないわ!」
「コーネリア・・・」
「うぅう・・うわぁあ・・」
妹は頬を押さえて泣き崩れている、泣いても許さない。
レイモンドは私の気持ちを知っていた。だから甘く見られていた!絶対に婚約は解消されないと高を括って妹と浮気していた。卑怯な男!
────どうしてレイモンドなんかを愛していたんだろう。
思慕はきれいさっぱり消えていた。
私とレイモンドの婚約は解消されて、妹とレイモンドは婚約をし直した。
二人は私に感謝し、降って湧いたような幸福に酔いしれていた。
数か月後には結婚する二人、協力して領地を守ればいい。自己中心で私のスペアーとしての教育さえ泣いて嫌がったナーディアを妻にして、苦労するレイモンドが目に浮かぶ。
「清々したわ、それよりも・・・」
私は執事のダレンにレイモンドの前回愛人だったエイーダを探し出すよう指令を出した。
妹と婚約を破棄したノースラージ辺境伯の長男ルドルフ様とは慰謝料を払い、私を婚約者に据えることで和解した。
ルドルフ様とは前回も何度かお会いしたが軍人気質の野心家だ。中性的なレイモンドとは正反対で凛々しい方だった。
妹は彼を嫌っていたが私は好ましく思った。7歳差の25歳なのも大人で頼りになりそうだ。
タウンハウスで父を手伝いながら私は婚姻の準備を進めていた。
レイモンドの元愛人が見つかった。エイーダ16歳、髪の色が少し違うだけで妹と双子ではと思うほど顔立ちは似ていた。
前回彼女は借金の形に老人と結婚し、未亡人になってから婚家を追い出されレイモンドに拾われたのだった。
私はエイーダの実家の借金を立て替えて侍女として雇い入れた。男爵家の借金の原因になるギャンブル狂いの長男を老執事は二度と遊べない体にしたようだ。
エイーダの素直でハキハキとした性格は妹とは別人で真面目に仕事も覚え、彼女は誰からも可愛がられていた。
借金地獄から救った私に感謝してエイーダは一生懸命働きながら借金を返していた。
ルドルフ様との挙式が近づくとエイーダは婚家に付いて行きたいと懇願した。
「エイーダには、いずれここに住む私の母に仕えて欲しい。キツイ人だけど大事にしてあげて欲しいの」
「コーネリア様、分かりました。大奥様に精一杯お仕えいたします」
エイーダと約束して私はルドルフ様の元に嫁入りした。
他国との国境を守るルドルフ様の領地は、王都のような華やかさは無いが広大な領地で領民も多く、国外からの物資も流通し栄える反面、犯罪も多発する。そんな厄介な領地をルドルフ様は精力的に治めていた。
婚姻後、ルドルフ様は領地経営に私が関わるのを嫌った。私は妻として彼を支えようとしたが、仕事優先の彼は国境の砦に身を置いてほぼ家には寄り付かず、愛されないお飾りの妻となった。
やがて恐れていた流行り病が王国に蔓延した。私は予てより薬を多量に仕入れておくようルドルフ様に進言していたが彼は聞き届けてくれなかった。
私の持参金で薬を少々仕入れておいたが焼け石に水で、前回同様に領地は大打撃を受けた。
ルドルフ様は軍人としては優れているが領主としての能力は低く、大いに期待外れだった。
読んで頂いて有難うございました。