3.友人に飛び火した断罪劇
「次に上がっている報告だけれど……これに関しては、君が関わっていたかの確認を行いたい。半年前、フェシリーナはあるご令嬢がぶつかってきて、学園内の池に落ちてしまった事がある。だが、その状況はあまりにも不自然だった。まるでその令嬢が故意に彼女を池に落とそうとしたような――――」
「お待ちください!」
エセルフリスの話を遮るようにまたしてもフェシリーナが声をあげた。
この王族の言葉を平気で遮る行為も本来は不敬に値する行為なのだが、どうやらエセルフリスはそれすら気にならない程、フェシリーナに心を許しているらしい。
その状況が、ますますオレリアの心を締め付けてくる……。
「その事に関しては、本当にただの事故です! ぶつかってきたのはトルキス様の婚約者であるセアラ様だったのですが……。彼女も私と共に池に落ちたので、故意ではなかったと思います!」
フェシリーナのその発言で、この件は問題ないという形で流される動きを見せ始めたのだが……それを宰相の息子であるトルキスが許さなかった。
「フェシリーナ。そのぶつかってきた相手が、私の婚約者であるセアラという部分が問題なのです。セアラはオレリア嬢とは旧知の仲で、彼女を大変慕っております。しかもこの三年間、私はあなたとの付き合い方について、セアラが不満を抱いていると両親からやんわりと訴えられ、あなたとの交流を控えるよう圧力を掛けられました。ましてや殿下と親しいあなたは、オレリア嬢からあまりよく思われていない……。その状況から、この件はオレリア嬢の指示で、セアラが故意に自分諸共あなたと池に落ちたのではないかという可能性が、疑われているのです」
そう言ってトルキスはさらりとした新緑色の髪をかき上げ、ペリドットのような淡い黄緑色の瞳を細めて、オレリアの後ろにいる自身の婚約者に冷たい視線を送る。すると背後の子爵令嬢のセアラが、ビクリと肩を震わせる気配を感じた。
セアラは子爵家の生まれではあるが、その子爵家は、今では少なくなってしまった昔ながらの技術を持つ貴重な家具職達の技術を守りながら、領地経営を行っており、半年前にその職人たちが生み出した家具が隣国の王族の目に留まり、大絶賛された。
その事でセアラの子爵家は、両国の友好関係を深める事に大きく貢献したとされ、近々伯爵位に陞爵する事が決まっている。
そんな背景もあり、今後隣国との深い付き合いを考慮しているこの国は、隣国で大人気の家具を産出している子爵家令嬢のセアラを将来有望な宰相の息子であるトルキスの許に嫁がせ、両国の更なる関係醸成を深める切っ掛けになればと、王家が二人の婚約を打診したのが、今から4年前の話だ。
しかし、トルキスは頭が切れるだけあって無駄を嫌い、非常に合理的な性格をしている。婚約者同士の顔合わせの時は、自身が詳しい政治情勢や経済の話ばかりをセアラにしてくるので、あまり関係醸成が上手く行かないと、オレリアはセアラから相談を受けた事がある。
そんなセアラの口癖は『こんな無知で要領の悪い自分を婚約者にされたトルキス様に申し訳ない』という罪悪感にまみれた言葉ばかりだった……。
故に女性にはあまり関心を抱かないトルキスが、珍しく興味を抱いたフェシリーナに対して、セアラが危害を加えるとは思えない。セアラの性格であれば、自分が婚約を解消される可能性より、婚約者であるトルキスが心より惹かれる女性に出会えた事を素直に喜ぶような、そんな心優しい人柄なのだ。
だからと言って、オレリアがフェシリーナを池に突き落とすよう指示など、もちろん出してはいない。その件に関しては、純粋に不慮の事故として起こってしまった事なのだ。
だが婚約者のトルキスは、そうは考えなかったようだ……。先程からセアラの事だけでなく、計画犯だと疑っているオレリアにも冷めた視線を向けてくる。
だが、ここでオレリアの指示ではないと断言すれば、恐らくトルキスは婚約者のセアラが嫉妬心から独断で嫌がらせ行為を行ったのではと言及してくる。そしてセアラのように気の弱い女性では、弁が立つ未来の宰相でもあるトルキスに言い負かされてしまう可能性が高い。
そんな予想がすぐについてしまったオレリアは、もう自身が泥をかぶった方が、ここは丸く収まるだのではと考え、敢えてその件に大袈裟に口出ししてしまおうと思い立つ。
だが、次の瞬間――――。
オレリアの後ろで震えていたはずのセアラが、濃紺でサラサラの髪をなびかせ、勢いよく一歩前に進み出たのだ。内向的で、いつも自分の後ろに隠れるような事が多かったセアラのその思い切った行動にオレリアが驚く。
「そ、その件に関しましては、ただの不慮の事故でございます! オ、オレリア様には一切関係がございません! 仮に故意だと疑われるのであれば、それはわたくし一人の責任として取り扱ってくださいませ! 実際にわたくしの不注意で、フェシリーナ様を巻き込んで池に落ちてしまったので……」
内気で引っ込み思案なセアラにしては、恐らく人生で一番大きな声を人前で張り上げたのだろう。最後の方は周囲からの視線に耐えかねたのか、淡い水色の瞳に涙を溜めながら、すぐにオレリアの後ろに隠れてしまう。
それでも……友人のその行動は、オレリアにとって大変心強いものだった。
婚約者であるエセルフリスでさえ、オレリアを悪者にしようとしているこの状況下で、注目される事に恐怖を感じてしまう内向的な友人が、こんなにも勇気を出して声を上げてくれたのだ。そのセアラの行動は、オレリアに『一人ではない』という勇気と安堵感を与えてくれる。
そんな思いがけないセアラの行動に冷静と定評があるトルキスも一瞬だけ、唖然としていた。だが、すぐに冷静さを取り戻し、今度はセアラに対して言及してくる。
「セアラ、君の言い分は分かった。だが、仮に不慮の事故だったとしても、人一人を池に突き飛ばす程のぶつかり方をするのは、いささか不自然ではないか? その時、君はかなり焦りながら走っていたと聞いているが……何故そのように慌てていた?」
「そ、それは……」
その理由も以前オレリアは、セアラから話を聞いていた。
何でも一部の伯爵令嬢が、セアラの子爵家が陞爵予定になっている事を快く思っておらず、半年前からセアラは嫌がらせの被害に遭っていた。そして当時、セアラが慌てて走っていたのは、その嫌がらせ行為から逃げていたからだ……。なんとその時の嫌がらせは、素行の悪い令息達を使ってセアラに乱暴を働こうとしていたらしい。
もちろん、陞爵の件だけでなく、子爵令嬢でありながら将来有望であるトルキスの婚約者である事も嫌がらせを受ける一因でもあるのだが……。半年前はその嫌がらせの頻度が特に酷く、オレリアはセアラに護衛を付ける事を勧める程だった。
しかし、セアラはそれを頑なに拒んだ。
護衛を付ければ、周囲にセアラが嫌がらせを受けている事が知れ渡ってしまうので、セアラはその事をかなり懸念していた。
特にトルキスにだけは知られたくないと、セアラはひた隠しにしていた。
ただでさえ、自分がトルキスにとって相応しくない婚約者だと思い込んでいるセアラは、その引け目から自身が嫌がらせを受けている事は恥ずかしい状況だと感じてしまい、トルキスに知られる事を恐れていたのだ。
その為、オレリアが庇える時は出来るだけ庇っていた。
しかし、下らない嫉妬心から嫌がらせをするような令嬢達はずる賢さに長けており、毎回セアラが一人の時を狙ってきたのだ。
そんな事情があるセアラは、当時慌てて走っていた理由を口に出来ず、貝の様に口を閉ざしてしまう。
そのセアラの反応をトルキスは悪い方へと解釈した。
「なるほど。特に理由はないのだな……。セアラ、私は君を内向的だが、とても美徳あるつつましやかな女性だと思っていた。だが、その考えを改めないといけないようだな……」
トルキスのその言葉を聞いたセアラが、背後で身を強張らせた気配をオレリアが感じ取る。その為、思わず口を出しかけたのだが……それをセアラは、オレリアのドレスの袖を引っ張る事で阻止した。
「オレリア様。わたくしは、大丈夫です」
そう言って微笑んだセアラは、とても大丈夫そうには見えなかった……。
しかし、本人から口出し無用とやんわり制止されては、オレリアもこれ以上は何も言えない。
「この件も後で君とセアラ嬢とで、よく話し合った方がいいね……」
「ええ……」
一方、エセルフリスとトルキスは、そんな二人のやり取りに気付かないのか話を勝手に完結させ、再びフェシリーナに対する嫌がらせ行為の報告を読み上げ始める。
「次の報告に上がっている内容だが……」
しかし、話を進めようとしたエセルフリスは何故か顔を顰め、その報告内容を読み上げる事を一瞬、躊躇した。その様子にオレリアが怪訝な表情を浮かべる。だが、この後エセルフリスからは信じがたい内容が告げられた。
「…………君達が、フェシリーナの事を『身分の高い令息ばかりを狙う節操のない尻軽令嬢』と吹聴しているという報告が入っているのだけれど、これは事実なのか……?」
そのあまりにも酷い報告内容にオレリアの顔から一気に血の毛が引いた。
対してエセルフリスは、今までオレリアに見せた事がないような冷たい視線を刺すように放ってくる。
「ま、まさかそのような事など――――」
「はい、はーい! その報告をされている人物はオレリア様ではなく、恐らくわたくしの事かと思われまぁーす!」
オレリアが慌てて否定の声をあげようとした時、それに被せてやけに明るく砕けた口調である令嬢が、この断罪場面に参戦して来た。学園内でも華やかさを放つ令嬢達と過ごしていた事が多い、マリーベル伯爵令嬢だ。
王族相手にこの砕けた口調で挑んできた彼女は、なかなかの豪胆な性格ではあるが、正式の場での彼女の振る舞いはマナー講師が感嘆の声を漏らす程、美しい所作で有名である。
しかし、敢えてこのようなふざけた振る舞いをするという事は、今回のエセルフリス達のやり取りに相当呆れている事が窺える。完全に『茶番劇』に参加するというノリで、参戦してきたのだろう。
そんなふざけた態度のマリーベルにエセルフリスとトルキスが、冷めたような視線を送る。その視線の意図をくみ取ったのか、マリーベルはあからさまに相手の神経を逆撫でするようにわざと体をクネクネさせた。
「だってぇー。人様の婚約者に必要以上に接触を図ろうとするご令嬢なんてぇー、毒婦以外の何者でもないじゃないですかぁ~」
「ど、毒婦っ!? 酷い……」
明らかに悪意のあるふざけた口調で訴えてきたマリーベルに対し、フェシリーナが傷ついたように悲鳴のような声を上げる。その状況にあまり負の感情を顔に出さない教育を受けてきたエセルフリスだが、マリーベルのふざけた態度には怒りの感情を露わにした。
「マリーベル嬢。申し訳ないのだけれど、我々はふざけてこのような事を行っているつもりはないのだけれど? 君のその態度は、流石に目に余るよ? しかもフェシリーナの事を毒婦だなんて……悪ふざけが酷過ぎる!!」
「ええ~? でもぉ~、最近流行しているロマンス小説の登場人物ではぁ~、他人の婚約者を平気で奪う毒婦はぁ~、こういう口調が多いですしぃー。男性からするとぉ~、こういう舌ったらずの猫なで声で話すフェシリーナ様のような女性がぁー、愛らしく見えるのではないのですかぁ~?」
「ひ、酷過ぎるわ……。わ、私、あんな気持ちの悪い話し方なんて一度もした事がないのに……」
「マリーベル嬢!! いい加減にしないと、君を不敬罪に問うよ!?」
流石のエセルフリスもこのマリーベルの悪意に満ち溢れた態度には、こめかみに青筋を立てて声を荒げた。その事にやっと気付いたふりをしたマリーベルは、先程とはまるで別人のように美しいカーテシーを披露する。
「これは大変失致しました。あまりにもバカバカしい茶番劇をエセルフリス殿下が、パーティーの余興として始められたと思い、わたくしもその殿下の悪ふざけに便乗したくなってしまいました。ですが……これは茶番劇ではなかったのですね……。その意図を汲み取れず、大変失礼致しました」
謝罪の言葉の後にマリーベルがカーテシーを解くと、彼女の赤みがかったゴージャスで見事な巻き毛がふわりと広がり、その髪に挿されている大輪の花飾りが、彼女の華やかさを更に引き立てる。
だが、マリーベルがエセルフリス達に向けている視線は、華やかさなど一切感じられない攻撃的なもので、彼女の大きく黄色に近い金の瞳の目力が一層その攻撃力を上げている。
「マリーベル嬢……。いくら君がこの国では上位の伯爵家のご令嬢とはいえ、王族である僕に対してその態度は、いささか問題視しなければならないレベルだよ?」
「まぁ! では現在エセルフリス殿下がなさっている行為は、王族としては問題がないと? わたくし達は今日、長きに渡り学業に励んで来た事を互いに労い、そして新たな門出を祝う為に催されたパーティーを楽しんでおりますのに……。先程から殿下方が始められたこの茶番劇の所為で、楽しい時間を台無しにされているのですが? そちらは問題視されないのですか?」
長い睫毛を生やした瞳を妖艶に半目状態にし、意地の悪い笑みを浮かべてくるマリーベルの威圧的な雰囲気にエセルフリスが、一瞬呑まれかける。そのあまりにも分が悪い状況にトルキスが、マリーベルの婚約者でもあるフリッツに彼女の暴走を止めるよう訴えた。
「フリッツ!! 彼女は君の婚約者だろう!? 第二王子殿下に対して、この態度は酷過ぎる! 何とか抑え込んでくれないか!?」
しかし、当のフリッツからは返事がない……。
怪訝に思ったトルキスは、現在のフリッツの様子を改めて確認する。すると、そのトルキスの視線に誘導されるかのように皆が一斉にフリッツに注目した。
だが……フリッツの様子を目にした瞬間、トルキスが言葉を失う。同時にエセルフリスも大きく目を見開いた後、今度はフリッツの隣にいるヴィクターに視線をずらした。
「ヴィクター? フリッツは……一体どうしたんだい?」
すると、先程意気消沈気味になっていたヴィクターが困惑した表情を浮かべながら答える。
「それが……先程、マリーベル嬢が名乗りを上げた際、突然フリッツが顔色を真っ青にさせながら、私の方に倒れ込んできたのです……」
「「何だって!?」」
そんな急展開な報告を受けたエセルフリスとトルキスは、まじまじとフリッツを凝視する。
しかし、当のフリッツは何故か吐き気を堪えるように口元を手で押さえ、ヴィクターに支えられながら、やっと立っているという状態に陥っていた……。