2.罪が選別される断罪劇
宰相の息子であるトルキスより受け取った報告書の内容をエセルフリスは、さも今しがた手にしたかのように上から下へと目を走らせ、内容を確認する素振りを見せる。
だが、オレリアは知っていた。
その報告書は、一カ月も前から彼らが用意していた物だという事を……。
その為、無意識にエセルフリス達に白い目を向けてしまう。
そんなオレリアの視線に気付かないエセルフリスは、再び報告書の文頭まで視線を戻し、そこに挙げられているオレリアが行ったとされているフェシリーナに対する嫌がらせ内容を順々に読み上げ始めた。
「まず初めに君は、入学してまだ二週間も経っていないフェシリーナに対して、迷った際は人に聞くばかりではなく、自身でも学園内の構造を覚える努力をするようにと、かなり威圧的な態度で言葉を放ったそうだね?」
「確かにわたくしは、そのような助言を彼女に致しましたが……。ですが、それはあまりにもフェシリーナ様が頻繁に学園内で迷われた挙句、必ず婚約者のいるご令息ばかりに学園の案内を依頼されるので、そのような場合は出来るだけ女子生徒に尋ねるようお願い申し上げただけでございます」
「だが、その後に彼女へ『覚える気がないのでは?』と嫌味を言ったそうじゃないか。それは事実なのかい?」
「それは……」
何故か言い淀んでしまったオレリアだが、実はその当時の三年前の記憶が曖昧過ぎて、はっきりとは覚えていないのだ……。だが、そんな周囲から自身の印象を下げてしまう言葉を自分が、堂々と口にしたとは思えなかった。
すると、怯えるようにエセルフリスにしがみ付いて俯いていたフェシリーナが、何やら意を決したようにスッと顔を上げた。
「あの……確かにオレリア様より『もっと学園内の場所を把握する事に努力するように』とは言われましたが……。『覚える気がない』とのお言葉を発したのは、その時オレリア様と一緒にいらしたエレノア様でございます……」
すると、フェシリーナの訂正を聞いた周囲の卒業生達の視線が、オレリアの後ろに控えるように佇んでいる伯爵令嬢のエレノアへと一気に集中する。同時に彼女の婚約者である騎士団長の息子のヴィクターが叫んだ。
「エレノア!! 今のフェシリーナの話は本当なのか!?」
するとエレノアが開いていた扇子を片手でパチンと閉じた。
真っ直ぐで美しい彼女の青銀髪が繊細で美しい絹糸のようにさらりと揺らめく。だが、同じように繊細さを感じさせる彼女の淡く美しい青緑色の瞳は、今は相手を凍死させそうな冷たい光を宿していた。
「ええ。真実でございます。確かにわたくしは、その当時フェシリーナ様にそのような嫌味たっぷりの言葉を浴びせましたわ」
「お前がオレリア嬢と共にフェシリーナに嫌がらせをしていた事は知っている!! だが、そんな早い段階から行っていたのか!?」
「では逆に伺いますが、あの当時フェシリーナ様は何故、道を尋ねる相手を選ばれるようにエセルフリス殿下や側近候補である彼らが通りかかるまで、誰にも声を掛けられなかったのですか? 当時、あなたの目の前には他のご令息だけではなく、ご令嬢方もいらしたではありませんか……。ですが、あなたは殿下と、こちらの三名のどなたかでないと声をかけなかった。それどころか、まるで彼らが通りかかるのをジッと待たれているようにわたくしの目には映っていたのですが?」
するとフェシリーナは、更にエセルフリスの袖を掴む手に力を込め、そのまま怯えるようにその背の後ろに隠れてしまう。
「そ、そんな言い方をなさるなんて……酷いです……。わ、私だって他の方に声を掛けようとしました。ですが他の皆様は、私が元平民という事をご存知なのか目も合わせてくれなかったのです! だから私……身分に関係なく平等に接してくれそうな優しい雰囲気をまとっていたエセル様や、その側近候補の彼らにしか声を掛ける事が出来なかったんです!」
すると、フェシリーナがエセルフリスの事を愛称呼びした事で、一瞬だけエレノアが不快そうに片眉を上げた。そしてオレリアに何かを訴えかけるような視線を送って来たのだが……。オレリアにとっては、もう三年も前からこの状況だった為、今では何も感じなくなっており、諦めているという意味を込めて小さく首を左右に振る。
するとエレノアが、盛大にため息をついた。
一方、言い訳をしたフェシリーナの方は、更にエセルフリスにしがみ付き、瞳に涙を溜めて俯いてしまった。ちなみに『元平民』を強調するフェシリーナだが、それだけで彼女を虐げる人間などこの学園にはいない。半分平民の血筋が入っているとはいえ、フェシリーナの残り半分は父親から受け継いだれっきとした子爵家の血が流れているからだ。
そもそもそれを言ってしまえば、一代限りの男爵家の令嬢など両親とも平民上がりである。『元平民』という理由だけで虐げられるのであれば、彼女達の方がもっと酷い目に遭っているはずだ。その為、彼女が一部の高位貴族令嬢達から辛く当たられるのは、彼女の人間性に少々問題があるからなのだが、フェシリーナは未だにその事に気付いていないようだ。それどころか『元平民』と自分から何度も口にしては、自身を悲劇のヒロインのような立場だと強調してくる。
その様子にエレノアが呆れながら、口を開いた。
「お言葉を返すようで申し訳ありませんが、わたくしの婚約者であるヴィクター様は、武芸に秀でている事もあり、長身で眼光も鋭く、かなり威圧的な雰囲気をまとっていらっしゃる男性なのですが……。そんな彼を小柄でか弱そうなあなたが『声を掛けやすい雰囲気』として感じられた事は、かなり苦しい言い分に聞こえてしまうのですが?」
「ご、ご自身の婚約者の事をそのように思っていたなんて……ヴィクター様がおかわいそうです!! た、確かにヴィクター様は、少し近寄りがたい雰囲気もある方ですが、内面はとてもお優しく、私のような元平民にも分け隔てなく平等に接してくれる心の広い方で……!!」
「ではあなたは、それを初対面で一度も言葉を交わした事もない男性に対して、瞬時にその長所を見抜いたという事でしょうか……。それは大変素晴らしい才能ですわね。もしや魔力持ちである隣国の方の血筋でも入っていらっしゃるのかしら? そうでなければ、たまたま出会った相手の内面を瞬時に見抜く事は、不可能かと思うのですが?」
「それは……その、ヴィ、ヴィクター様のその素晴らしい部分は、常日頃から滲み出ているというか……」
「それも少々説得力に欠ける言い分ですわね。婚約者のわたくしですら、初めてお顔を合わせた幼少期の頃、何て取っ付きにくそうな方が婚約者なのだろうと、一抹の不安を抱いた程ですのに……」
そう言って、再び扇子を開いて口元を覆い隠したエレノアは、フェシリーナ達からスッと視線を逸らした。すると彼女の婚約者のヴィクターが、怒りからか鋼のように真っ直ぐな赤毛を逆立て、眼光鋭いグレイの瞳にギラギラとした光を宿しながら、エレノアを鋭く睨みつける。
「エレノア……。お前は初めて顔合わせをした際、私の事をそのように感じていたのか?」
「ええ。まだ幼いとは言え、当時からヴィクター様は、今のように堅物で物事を真っ直ぐとしか受け止められない雰囲気をお持ちの少年でしたので。正直なところ、将来的に仮面夫婦となる可能性が高いと、まだ幼かったわたくしですら感じてしまいましたわ」
「お前は今でもそのような目で私の事を見ていたのか!?」
「いいえ? 交流を重ねていくうちにヴィクター様がお持ちの不器用ながらも気遣いの出来る紳士的な部分や、立場の弱い者に対して情に厚く、面倒見の良い優しい部分などの長所が見えてきましたので、途中からその懸念はなくなりました。ですが……この三年間で、その考えを改めざるを得なくなりましたけれど」
「どういう事だ……」
「わたくしが最初に抱いた懸念は、間違っていなかったという事です。経緯はどうあれ、このまま婚約を続けてしまえば、わたくし達は確実に貴族特有の立派な仮面夫婦になれるかと。ただわたくしは、貴族としてそのような夫婦像はよくあるケースだと認識しております。ですので、もしヴィクター様がその状況に不満があるのであれば、どうぞ父の方にご相談くださいませ。わたくしは、あなたの一存に従いますので」
言いたい事は言い切ったという様子のエレノアは、扇子で口元を隠したまま、再びオレリアの後ろに下がっていった。対してエレノアの言葉を聞いたヴィクターは先程とは打って変わり、何故か堪えるように唇を強く噛み、逆立っていた赤毛は今ではしゅんと元気をなくして、しおれ始めた花のようになっている。
そのヴィクターの様子を見たオレリアは、よく分からない違和感を抱く。
何故かヴィクターが、エレノアの言葉で酷く傷ついているように見えたからだ。
その事に気を取られていると、流石に話が脱線し始めた事を感じたエセルフリスが、場を仕切り直すかのようにコホンと咳払いをした。
「なるほど。今の話では、フェシリーナに対して威圧的な態度を取ったのは、エレノア嬢という事になるね……。こちらの調査不足だった。オレリア、すまない。だが、彼女がフェシリーナにとった態度は、あまり褒められる接し方ではないね。この件に関しては、この後ヴィクターとエレノア嬢でもう少し話し合って欲しい。いいかな?」
「はい……」
「かしこまりました」
ハキハキと返答するエレノアとは対照的に何故かヴィクターは覇気がなくなっていた。よく見ると怒りからなのか、ヴィクターの目が少し赤くなっている。
その状況から、この後のエレノアの事を心配し始めたオレリアだが、再びエセルフリスによって開始されたフェシリーナに対する嫌がらせ行為の読み上げが耳に入り、慌ててそちらに意識を戻した。
「次に問題だった行動だけれど……君は彼女が入学して三カ月目くらいから必要以上に彼女をつけ回していたそうだね。その状況から、周りの令嬢達が高位貴族の君がフェシリーナに嫌がらせをしているからと、自分達もそれに便乗しても良いという風潮を抱かせてしまった事に自覚はあるかい?」
まるで言いがかりのような罪状がエセルフリスの口から放たれ、オレリアが愕然とする。
「そんな……。わたくしは、ただフェシリーナ様があまりにも学園内で迷われる事が多いので、すぐにフォロー出来るようにと気にかけていただけで……」
「だが、君は彼女が誰かに親しげに話しかけようとすると、あからさまにそれを妨害していたと聞いているのだけれど? それはどう見ても彼女が誰かと関係醸成を図ろうとした事を邪魔していた行為にしか見えなかったと報告が入っているよ?」
「それは……」
確かにオレリアは、フェシリーナが誰かに親しげに話しかけようとした際、この三年間頻繁に妨害行為をしていた自覚はある。だがそれは、交流の妨害行為と言うよりも、フェシリーナが道に迷う事が多かったので、そうならないよう自分達と行動を共にするよう提案しただけだ。
何故ならフェシリーナは自身が困った際、頼ろうと声を掛ける相手が必ず婚約者持ちの令息達で、しかもその接し方が貴族の男女間では有り得ない程、近い距離で接する事が多いのだ。
フェシリーナが令息達に声を掛けると、その婚約者である令嬢達は不安からか怯えた表情を浮かべる。その事に早々に気付いたオレリアは、この三年間対処法として常にフェシリーナの行動に目を光らせ、問題になりそうな交流の仕方を彼女がしようとした場合、即座に間に割って入る事を繰り返していた。
だが、それは高位貴族令嬢としての責任などというきれい事で行っていた訳ではない。オレリアがそういう行動をとった一番の理由は、婚約者であるエセルフリスに対してもフェシリーナが、適切な距離感を無視して接しようとする事が多かった為、これ以上自分と同じような思いをする令嬢達を増やしたくなかったからだ。
『明日は我が身』
その考えが深く根付いてしまっていたオレリアは、このエセルフリスの言及に対して言い返す事が出来ない。実際に理由はどうあれ、オレリアは故意にフェシリーナが周りの人間と交流を図ろうとした際、妨害するような行動をとっていた事は事実である……。
フェシリーナの方でもそのオレリアの行動は嫌がらせ行為だったと感じているようで、この事に関しては訂正の声は上げて来ない。その為、オレリアもエセルフリスからの言及に対して、きっぱりと否定する事が出来なかった。
「この件に関しては君にも言い分があるかと思うので、後で僕が話を聞こう。だが、君がこの三年間で行っていた彼女が交流関係を広げようとしていた機会を潰すような行為は、かなりフェシリーナのストレス要因になっていた事はしっかりと自覚し、反省して欲しい。同時に君のような多くのご令嬢達から支持を得ている女性が、特定の人物に対して悪い意味での過剰な接し方をすれば、どういう結果を招くか……賢い君なら分かっていたはずだよね? この件に関しても後で話し合おう」
「はい……」
厳しい視線と共に冷たく放たれたエセルフリスの言葉を今回は素直に受け止めたオレリアだが、この後もフェシリーナに対する嫌がらせ内容の読み上げは、まだまだ終わらないようだ……。
その状況を決定づけるように再びエセルフリスは、報告書に目を落し始めた。