きらめく海よりも
『青いトンネル』、それは次郎さんの『幻想』なのか『例え話』なのかはわからない。
ただ蒔絵の中でそれを見ることは『叶わない願い』という、ひとつの落としどころを見つけたのだろう。
俺たちも敢えてオーナーの仮説を彼女に伝えることはしなかった。
それを伝えたところで結果的に何か変わるとも思えなかったからだ。
ただ、そんな彼女がこのダイビングセンターにいる理由はもう無いはずだ。
しかし、蒔絵はここを去るそぶりをみせなかった。
オーナーは『春まで働くと言ったのは彼女だ。留まるも去るも彼女の自由さ』と言っていた。
そして季節は秋になる。
ダイビングの本当のシーズンだ。
秋の荻島の海は透明度が30m以上になることは少なくない。
俺は9月からゲストを連れてガイドをすることとなった。
俺がガイドするときはゲストの人数に関わらず蒔絵にアシスタントとして一緒に同行してもらった。
その日もゲスト3人を連れてのダイビングだった。
まるで水色のライトを照らした世界に浮いているような感覚だ。
透明度は30m over。
朝日にきらめく川のように通り過ぎるキビナゴの群。
中層に圧倒的な数で迫りくるイッテンタカサゴとタカベ。
白い砂地を銀色の体に反射させるアジの大群。
遠くからはチンアナゴ達が顔をのぞかせ、光のカーテンの中に揺らめいている。
そんな秋の素晴らしい海をゲストは喜んでいた。
しかし、誰よりも目を輝かせていたのは蒔絵だった。
それが嬉しかった。
ある日、俺は彼女を調査ダイビングに誘った。
エントリーしてゴロタ沿いを浅めに進むコースに彼女はすぐに気が付いたに違いない。
エリアエンド『身丈岩』に進んでいることに。
潮のゆるい流れは、キンギョハナダイの綺麗なヒレをはためかせる。
岩の陰から出てきたハマフエフキと鉢合わせ。
上を見上げれば、煌めく太陽の光、たくさんのメジナたちの影絵が見える。
そして身丈岩に生息するまるでロウニンアジのようなカンパチがこちらに気が付いたようだ。
真っ白でキラキラと光るからだを摺り寄せ、じゃれ合うその姿は神々しくすらあった。
水深25mの漁礁、ウミウチワに尾を絡めた黄色いイバラタツがゆっくりと背中を向ける。
その姿を楽しそうに見つめる蒔絵を 俺は見つめていた。
・・・・
・・
「佑斗さん、ありがとう.. 」
陸に上がると彼女はひとことそう言いながら、微笑んだ。
その微笑みは、この素晴らしい海にもひけを取らぬほどに美しく、そして可愛かった。




