どす恋ポニーテール断髪式ってなんなんですの~!
白川わたげ『おはこんわたわた! 星宮先生執筆お疲れさまです! 先生の作品が好きすぎて毎日読み返してます!(さっきまた誤字脱字を見つけたのでフォームに送っておきますね!)新作も楽しみにいつでもいつまでも待っておりますので、ゆっくりたっぷり時間をかけて先生の納得100%な作品を読ませてください♪ アップされたら友達にもめっちゃ推して押しまくりの大プッシュしますから!』
星宮きらら『わたげさんおはこんきらきらです。ずっとスランプ気味でしたが、最近取材(?)みたいなことをすることになりました。新作待たせてしまって心苦しく思います。出来上がり次第アップしますので長い目で見守っていてくださいね』
書斎にキーボードを叩く音が響く。
湯気を上げるティーカップの湖面がかすかに揺れた。
新調したノートPCの挙動は本日も至って良好。持ち主だけが絶不調を維持している。
風呂上がりの火照った身体でベッドに倒れてもよかった……。が、そうはさせてもらえない。
花音を……もとい星宮きららという作家を待っている人が、画面の向こう側にいるのだ。
熱心すぎるファンの応援書き込みに返信を終えて、花音は身もだえ頭を抱えた。
今夜も執筆画面は驚きの白さ。事件もトリックも犯人の動機も気の利いたレトリックも追求の決めぜりふも、何もかも思いつかない。数行打っては消して戻るを繰り返す。
賽の河原の方がまだ生産的だ。
ノリノリで書いていた過去の自分が恨めしい。
本当にアレは自分だったのかと怪しむほどである。神様的なものが降りてきて、体を乗っ取っていたのではと思えるほどだ。
少女は何気なくPCの脇で充電中のスマホを手にする。最初に送信テストをしたきり、黒森からのメッセージはない。
部屋に沈黙が流れてしばらく。
紅茶が冷め切ってもブラウザの執筆画面は白いままだった。
花音の頭はゆらゆらと舟をこぎだす。
なんとか一行でも書かなければ。せめてアイディアのメモだけでも。
力の抜ける指先でキーを弾く。
失恋した少女が髪を切る姿と、引退する関取のそれが少女の脳内で悪魔合体した結果――
アイディアメモ:どす恋ポニーテール断髪式
「あっ……ふぅ……ん……ふわあぁ……むにゃむにゃ」
脳が力尽きた。吐息とともに少女は机の天板にうつ伏せになる。浅く背中が上下して、少し苦しげな寝息を繰り返した。
彼女が朝まで目覚めることはなかった。
閉じたまぶたの向こうに光を感じて花音の脳が覚醒する。
目を開けば、ふかふかなベッドの上だった。きっと執事に運ばれたのだろう。
スランプに陥る前にも、書くのに熱中しすぎて意識を失いベッドルームに搬送されたことが一度だけあった。
その時はギリギリでブラウザのウインドウを最小化して、執事には何も言われなかったのだが……。
花音の肩がブルリと震える。
寝落ちする直前に、執筆画面モードで何かを書いたような気がしてならない。
「どす恋ポニーテール断髪式ッ!?」
少女は悲鳴を上げて寝室を飛び出すと書斎に向かった。
書斎のPCの画面はブラックアウトしていた。無線マウスを動かすと待機状態が解かれてログイン画面へ。
指紋認証でパスワードを入力。昨晩寝落ちした時と同じ状態で画面が表示された。
意味不明すぎる『どす恋ポニーテール断髪式』の一行を消してウインドウを閉じる。
気分は爆発物処理班だ。
昨晩、花音が寝落ちしたあとにオートスリープがかかって画面が暗転していればセーフ。執事にこの一行を見られていたなら……由々しき事態である。
つかの間、視線を画面に向ける。タスクバーの右下に表示された時刻は午前八時二十分。
始業まであと二十分を切っている。スマホを手に取りロックを解除すると、目覚まし時計のアラーム画面が出た。仕事しましたよ感が漂っている。
「わたくしを運ぶなら一緒にスマホも持っていくのが筋というものでしょう! もしくはきちんと先に起きて、おねむなわたくしを起こしてくださいまし!」
書斎を出て向かいの部屋のドアを叩く。
返事が無いため突入。窓から注ぐ日差しもなんのその、執事はサングラスをしたままストライプのパジャマ姿で、ベッドの上にてすやすやと眠りこけていた。
少女は忌々しげにサングラスを引っぺがし、男の眼球運動を確認する。
ピクリとも動かない。
ノンレム睡眠状態の鋼慶一郎は、腕時計型麻酔銃で眠らされた探偵レベルで起きなかった。
花音は諦めて最速で支度を済ませると、寝癖もそのままに玄関から飛び出した。
高層階用のエレベーターは渋滞も起こさずスムーズに地上へと少女を運ぶ。
毎日自動車で送り迎えをされている花音だが、マンションから学園までは徒歩で十分圏内なのだ。急ぎ足で緑道を行く。
途中でイケメンと衝突するような事故もなく、朝のHRが始まる前に教室に滑り込んだ。
「おほほほほ。危ないところでやがりましたわね」
誰に言うでもなくつい、言葉が漏れる。
時刻は八時三十九分五十二秒。窓際後方の自分の席にたどり着くころには、花音の背中はじんわりと汗ばんでいた。




