タナカが多すぎてゲシュのタルトが崩壊いたしますわ~!
放課後、図書室に居残る人間は大きく分けて三種類。
本を読むのが好きな人間と、行き場の無い人間。そして……。
英彩学園は週六日制を採用しており、土曜日の授業は午前中だけとなる。部活動に所属していれば午後を有意義に過ごせるものの、帰宅部エースの花音は入学以来、持て余して久しかった。
部室棟にて文芸部室前の廊下を何往復しただろう。
結局ドアをノックできなかったことは、早くも黒歴史になっている。
少女は首を左右に振り雑念を頭から遠心分離した。
生徒会長――黒森から渡された資料の中身を思い出す。昨晩読んで目星をつけたのはこれらの噂だ。
・一年前から学園内に「忍者」が出没している噂
・学食でいつも同じメニューしか頼まない生徒の噂
・学園内のどこかにある開かずの扉の噂
・一年A組に五人のタナカがいる噂
・消えた部活動の噂
・登録者数40万人を超える人気Vtuberが在学している噂
絞ってみたものの、どこから手を着けて良いものか。
どれが噂の根源につながっているのやら。
根源なんてそもそも無いかもしれない。
全部自然発生の偶然でした。おしまい! で良いとさえ思う。
とはいえ、花音はすでに一つの噂について解決していた。今回の図書室来訪は黒森に報告する前の、最終確認だ。
英彩学園の図書室は「室」とはつくが、専用の建物に蔵書が納められた学園内のミニ図書館である。
モダニズム様式を現代的にアレンジした外観は、味も素っ気もない白い立方体だった。
マインクラフト初心者が建てたヘーベルハウスのキャラクターといったたたずまいだ。
内装は至って普通で、自習室も完備している。
本は貸し出しカウンターで借りるのももちろんだが、背表紙にICチップが埋め込まれ、QRコードが割り振られていた。学園の専用アプリで読み取ると貸し出し手続きが完了し、そのまま持ち出しOKとなる。
校舎が新しいこともあって、こういった実験的な試みが学園には多い。
「あら? これは何かしら?」
つい、ふらりと寄り道した推理小説の特設コーナーで、少女は足を止めた。本ではなく本棚にQRコードの印字されたシールが貼られている。
他の本棚にはみられないが、特設コーナーだから管理が別なのかも? と、少女は思った。
今日の目的は本ではない。人に会うために来たのだ。
花音が土曜日の午後にささっと片付けるのは――一年A組に五人のタナカがいる噂。
クラス名簿を確認すれば一目瞭然。この噂を噂のままにしていたことは、生徒会の怠慢だと花音は思う。
結論から言うと同音のタナカが五人いた。ただ、それだけだ。
田中と多仲とと太中と田名加。四人まではすぐに見つかった。全員男子である。
おのおのが何かしらの部活に入っていたこともあり、午後の聞き取りはスムーズだった。
四人とも自分たちが噂になっていることを知っている。ただ、五人目については誰も「知らない」の一点張りだ。
五人目が少しだけ見つけづらいから、五人のタナカの噂になった……というのが花音の出した仮説である。
別に真相を立証する義務はない。黒森生徒会長が納得すればよいのだから。
図書室の貸し出しカウンターに向かう。
受付の生徒が一人。眼鏡に三つ編み。可憐に清楚さを足して二で割ったような少女だった。
声を掛ける。
「ごきげんよう岩下さん」
「え、あ、あの……」
「はじめまして。わたくしは金持花音と申しますの。おほほほ」
「金持? もしかして昨日、生徒会室に呼び出された……あの噂の? 超お金持ちの?」
やっぱり噂になってるじゃない。と、花音は内心切れ気味だ。
心の中で黒森の顔写真がついた藁人形に五寸釘を打って、打って、打ちまくった。
小さくコホンと咳払いを挟み、ブレザーの襟に増えた星形記章を指さして花音は続ける。
「実はわたくしに生徒会の外部協力員になってほしいと要請がありまして。この記章が証ですわ」
「外部協力員?」
目をぱちくりさせる岩下に花音はうなずいて見せた。
「学園内で飛び交う様々な噂について、真偽のほどを調査をしてほしいとお願いされてしまいましたの。困っているようでしたし、むげにするわけにもいきませんし、助けて差し上げることにしましたのよ。おほほほ」
「はぁ……そうなんですか……暇そうでうらやましいですね」
後半ぼそぼそっとつぶやいた声を、花音は聞き逃した。
「はいぃ? 今、なんとおっしゃいまして?」
「え、ええと、なんでもないです」
「先ほどから挙動の方が不審に見えますけれど」
「ほ、本物のお嬢様とこうしてお話できて、少し緊張してしまって」
「あらあらあらあら、よろしくってよ。わたくしの事は同年代の友人と思ってくださいまし」
「は、はぁ。恐縮です」
ともあれ昨日の自分も岩下と同じくらい、きょとんとした顔をしていただろう。と、花音は心の中で苦笑した。
緊張させっぱなしも悪いと思い、花音は本題に入る。
「岩下様には簡単な聞き取り調査をお願いしに参りましたの」
「わ、わたしなにもしてません! 秘密なんてありませんから!」
噂の調査に来ただけで、秘密を暴こうなどとは思っていないのだが、少し過剰な反応に花音の方が驚いてしまった。
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白魚のような人差し指を立て、そっと口元に添える。
「図書室で図書委員が大きな声を上げるだなんて、はしたなくてよ」
岩下はハッとして口元を手のひらで覆った。
怯えた目をする岩下に花音は優しく微笑みかける。
「お名前を伺ってもよろしくて?」
「い、岩下……ですけど」
「是非フルネームでお願いしますわ」
「岩下……多那香です。よく多香那と間違われるんです……」
「こういったやりとりをずっとされてきたのでしょうね。はい、これにて聞き取り調査はおしまいですわ。ご協力に感謝いたしましてよ」
「え? おしまい? それってわたしがもうおしまいってことですか? 生徒会権限でいきなり退学処分ですか?」
「ち、違いますわ。そんな権限あるわけ無いでしょう。落ち着いてくださいまし。実は……」
一年A組五人のタナカの噂について、花音は岩下に説明した。聞けば岩下は自分が五人のタナカの一人として噂になっていた自覚すら無かったようだ。
キョドりつつ岩下が花音に訊く。
「わたしはともかく、クラスのタナカ君たちはどうしてA組に集められたんですか? 漢字が違ったとしても、読みが同じ名字が集まったらややこしいのに」
「タナカ君ならわたくしの所属するD組にもいますし、どうやら他のクラスにも分散配置した上でA組にまとめられたのではないか? というのが、わたくしの考えですわ」
それが真相かどうかはわからない。というかどうでもよかった。
各クラスの成績が均等になるようにした結果かもしれない。
もしかすれば学園がクラス分けをする際に、喋る魔法の帽子をこっそり使っていたのかもしれない。
AIによる最適な配置をしたことで五人のタナカが生まれた可能性もあった。
が、それらはすべて花音の調査対象外だ。
少女は軽く膝を曲げ淑女らしくカーテシーをキメると、岩下に別れを告げて図書室を後にする。そのまま流れるような足取りで生徒会室へと向かう。
SNSで済ませても良かったのだが、短文のやりとりで事情を説明するには同音異義のタナカが多すぎた。会って話した方が早い。
道すがら、せっかく本の迷宮を訪れたのだからミステリの一冊でも借りればよかったかしら? と、花音はぼんやり思うのだった。
ライブラ『皆様こんばんは~♪ ライブラライブはっじまっるよ~! バーチャル魔法省図書部司書のライブラ・百識で~す。本日は雑談配信になるんですけど、いやーちょっとびっくりしたことがありまして。危うく身バレというか。魔法省では名家出身の上級魔導士の方々ともお仕事する機会があるんなんですけど、突然、超絶最上級魔導士の方が図書部の方にやってきて、いきなり査察部からの依頼でって調査されちゃったんです。まさかVの活動がバレたのかと思ってドキドキしちゃったんですけど……あーもうこれはクビかもって思ったらですね…………秘密を暴かれそうになると興奮しません? っていうか取り調べっぽいことされたんですけど、まあ、そこはそれ悪いことなんてしてませんし無難に乗り切ったんですよね。けど、査察に来たのが生粋のお嬢様でね。ああ、ガチなお嬢様っているんだなぁって。去り際にカーテシーですよ? 膝を軽く屈伸させるお辞儀のアレ! スカートの両端を軽くつまみ上げるところまではしてなかったんですけどねぇ』
夕食前に自室でなんとなく見ていた清楚を名乗る下ネタありあり系配信者のライブを、花音はそっと閉じる。自然と独り言が漏れた。
「登録者数四十万人ですけれど、まさか……気のせいですわよね! おほほほ」