ケリをつけにまいりましてよ~!
――放課後。
教務室に怒声が響いた。男は普段の淡々とした口ぶりをかなぐり捨てる。
数学教師にして美術部顧問の蛇走だ。
「待ちたまえ神岡琥珀! 考え直すのだ!」
男は握った拳を震えさせた。花音は一歩引いたところから、蛇走を観察する。
今にも神岡につかみかかってきそうな勢いだ。
顧問の机に一枚の紙がある。
神岡の名前が書かれた退部届だった。
「……部活を……美術部を辞めます」
「貴様が辞めたら美術部はどうなる!? あのクズとぼんくらと無才の集まりになんの価値があるというのだ!」
他の教員がいるのにお構いなしだ。
「……白……本心でそう思っているんですか?」
「いったい何が気に入らないんだ貴様は」
「……あなたが……嫌いです」
「なんだとッ!? 貴様が自由にできるよう、この私が江藤を黙らせてやっていたのだぞ?」
「……僕はきっと……もっとちゃんと江藤先輩と向き合って……話すべきだった……失礼します」
眉一つ動かさず、少年はくるりと背を向け「……行こう……金持さん」と花音の手を引く。
「ご、ごめんあそばせ~」
少女が口を挟む間すら無い。
蛇走は握った拳を机にたたきつけた。提出された退部届がくしゃりとなる。
「こんなことは認めぬぞ! 私は貴様の退部など認めぬからなッ!!」
男の声は神岡琥珀の背中にすら、届いていないようだった。
美術部に向かう。
ドアの前で神岡の足が止まった。
少女はそっと少年の横顔を見つめる。はかなげだ。何か声をかけてあげたいと、花音は口を開いた。
「わたくしにお手伝いできることがあれば、なんなりと仰ってくださいまし」
「……金持さんが……花音さんがそばにいてくれるだけで……十分だよ」
ゆっくりうなずき、意を決して美術室に踏み入った。
先輩部員たちがおのおのの作業する手を止める。
江藤がイーゼルの前の小椅子から立ち上がった。
「ようやく戻ってきたと思えば、つーかあんたなんなん?」
非難の眼差しは花音に向けられた。遮るように割り込み、少年は部長と対峙する。
「……さっき退部届を出してきました」
「はあっ? いきなりなに言ってるわけ? あんたの差し金ってこと?」
「……花音さんは関係ない。僕が……自分で決めたんだ」
好きにしろと言った花音としては、責任の半分は自分にあると思う。
江藤は神岡をにらみつける。
「で、部活辞めてどーすんのよ? あんた絵の才能で入学したんでしょ?」
「……どうするかなんて……決めてない」
「なに勝手なこと言ってんの? あんたのせいで一年生は全滅して……美術部むちゃくちゃにしたんだから責任とんなさいよ!」
「……でも……」
「才能あるならそれを使って英彩学園の名前を全国に響かせればいいじゃない! どうしてできるのにやらないのよ! そうしたくでもできない人間の気持ちとか、考えたことないわけ?」
「……黒……江藤部長は……僕が残ることも責任をとることも……求めてない」
「勝手に人の心を読んだみたいなこと言わないでよ! バカッ!!」
江藤の声が一層怒気をます。なのに彼女は涙目だ。
相手の嘘を色で視覚化できる神岡にごまかしは通じない。
少年の目に宿り始めた精気がうっすらと消えていく。
「……そう……ですね」
これまでもずっと神岡は独りだった。うっかり相手の嘘を見抜き、逆ギレされて黙り込む。
花音は一歩前に出た。
余計なお世話上等である。もし神岡が望んでいなくても、花音は江藤と対峙した。
少年に好きにすれば良いと言った身だ。
わたくしも好きにさせていただきますわ。ということである。
「江藤部長は琥珀君を勝手と仰いましたわね」
「名前で呼ぶなんてずいぶん気安いじゃない。部外者」
「あらあら、部外者だから口出し無用ですって? 退部届を出した琥珀君は、すでに美術部員ではありませんのよ? いったいどちらが部外者かしら?」
「へ、へりくつじゃんそんなの!」
「おほほほほ! だいたい勝手がすぎるのはどちらかしら? 期待を背負わせるだけ背負わせて琥珀君の言葉にちゃんと耳を傾けたことがありまして?」
「黙ってなよ部外者。あんたなんてお金でなんでもできるんでしょ? いいわよね。そうやって他人を自由にできて」
「わたくしにその気があれば、あなたを札束ビンタで殴り倒していましてよ。けど、そんな必要すらありませんわ」
実際には絶対にやらないのだが、相手が自分を悪役令嬢とでも思っているなら徹してやろう。と、花音は演じる。
神岡はそんなお嬢様に「……黒……」と呟いた。
江藤は半ギレどころか全ギレだ。
「な、なによその言い方腹立つぅ!」
「おーっほっほっほ! わたくしが動かしたいと思う人間であれば手を尽くしますけれど、江藤部長という人間にはなんの興味も関心も持てませんわね。結構でしてよ。あなたはそうして自分を持たざる者と信じていればよろしいのではなくて?」
「努力が足りないっていうの? あたしはしてきた……親の期待を……画家になることを背負わされてずっと……ずっと描いて……描いて描いて描いて描いて描き続けてきたのよ! 地区の賞だって総なめにして、中学でも全国のコンクール常連だったんだから!」
実はものすごくブーメランが刺さっているのは花音自身である。
今のところ、ネット作家として無名なのだ。
江藤は全国のコンクールにも作品を出展している。
親の期待を背負ってもできない人間だっているだろうに、江藤は応え続けてきたのだ。
そんな彼女が自信を根こそぎ奪われるほど、神岡琥珀の才能はすさまじいのかもしれない。
引くなわたくし。相手を傷つけると覚悟を決めて好きにしているのではありませんこと!?
と、少女は自らを鼓舞して立ち向かう。
「琥珀君の才能を言い訳にして、自ら手を伸ばすのを辞めてしまったのでしょう? 彼に残ってほしいと思うのは、あなたの中に『琥珀君がいるから自分が選ばれないのは仕方ない』と、言い訳を……」
「……花音さん。それ以上は……いけない」
江藤の頬を涙が伝う。
ぽろぽろとこぼれ落ち止まることなく、美術部長はその場に膝から崩れ落ちた。
花音が言葉で詰めて相手を泣かせたのは、これが人生で初めてのことだ。
罪悪感を覚える。
江藤は泣きじゃくりながら呟いた。
「それの何が悪いのよ……絵の才能なんてないってわかってんだから……あたしは神岡みたいな絵は描けない……上手いとか下手とかじゃないんだ……あたしの絵には何も……宿ってないんだから……」
副部長の女子が花音と神岡の前に立って頭を下げた。
「もう、美術部の活動中には来ないでください。二人とも……」
「ええ、わかりましたわ」
「……うん」
最後は自分が悪役になった。好きにした結果だが、後味は悪いなと花音は思う。
花音と神岡は廊下に出た。
この先、美術部はどうなってしまうのだろう。まさか廃部にはならないと思うが、顧問も生徒も幸せにはなれないと花音は思った。
「……僕の……せい?」
「違いましてよ。琥珀君が残ったとしても、いずれ歪みが大きくなって美術部は破綻していましたわ」
今は緩やかに地獄に堕ちていく部活から、神岡だけでも逃げられただけ良しとしよう。と、少女は独り思う。
ゆったりとした足取りで歩き出すと――
「……もしかしたら江藤部長が、僕のドッペルゲンガーだったのかもしれない……」
「どうしてそう思いましたの?」
二人はまるで違っていた。ぼんやり虚空を見上げて少年は告げる。
「……できることと、得意なことと、やりたいこと……全部かみ合ってなかったから……」
「望む才能を与えられるなんて、万に一つもないのかもしれませんわね」
ふと小中の顔が思い浮かんだ。
料理が好きで食べることも好き。なのに不器用すぎて作るのだけは苦手らしい。
恵まれた体格はスポーツ選手なら大成できたかもしれないけれど、小中大福の幸せは別のところにあった。
花音のオーラを見たのか、少年は頷く。
「……肯定」
「けれど、得意なことは誰しも好きになるものではありませんこと?」
「……わからない」
神岡が絵を描き続けるかどうかは、未知数なようだ。
「わからなくてもいいかもしれませんわね。決めてしまうと窮屈で退屈になってしまいますもの」
「……肯定」
「なんだか喉が渇いてしまいましたわ。学食で休みましょう」
「……うん」
学食に向かうためエレベーターのエントランスに向かう。
待っていると扉が開いた。




