ちょっとだけ執事の昔話にお付き合いしてさしあげましてよ~!
「お嬢様。よくぞ訊いてくださいました」
「想定外に乗ってきましたわね」
声を弾ませキッチン側からダイニングにやってくると、執事はスッと背筋を伸ばす。
まさか鋼自身がそうだとは……この男なら言い出すかもしれないと少女は思う。
お嬢様にダメ人間として絶対的な信頼を誇る執事は続けた。
「私にはそのような友人はりませんが……二十年ほど前でしょうか。本物と一度だけ会ったことがあります」
「ほ、本物!?」
ゆっくり大きく頷くと鋼は語った。
鋼慶一郎が小学一年生の頃、夏休みに両親に連れられてプロ野球の試合観戦に行った時の話になる。
応援するチームが一回裏に十二得点の猛攻で、一塁側の誰もが楽勝ムード。
長い攻撃イニングが終わり、攻守交代のタイミングで鋼少年は独りトイレに行った。
迷子になった。両親の待つ席がわからなくなってしまったのだ。
泣き出しそうになった時、うら若き女性が少年に話しかけてきた。
髪の長いお姉さんは鋼少年が何も言わずとも、迷子になったのかと尋ねたのだ。
そこまで訊いて花音は首をかしげる。
「子供が一人、うろうろしていれば察しがつくものでしょう」
「ええ、ですから私も親切なお姉さんだと思っておりました。両親の元に戻るまでは」
鋼は軽く咳払いを挟んで語る。
その女性はスタジアムの座席が見渡せる場所まで行くと、下からなめるように客たちを見回した。
鋼が両親の外見を言う前に、一塁側内野席から鋼の両親を見つけてしまったのだ。
少女は小さく息を吐く。
「よほどご両親と顔がそっくりでしたのね」
「それがそうでもないのです。私はどちらかと言えばお婆ちゃん似でしたから」
どれほど鋭い眼光の祖母だったのか。と、花音は思う。
「偶然ではなくて?」
「満員の席には何千と客がおりました。子供がいる男女にしぼったとしても、一瞬でパッと見つけることなどとてもとても」
無理だった。というわけだ。鋼はさらに言う。
「幼少期のオネショタな不思議体験にございます」
「偶然にしか思えませんわね」
「が、後日談がありまして、のちにその女性が霊能力者として一時期話題になったのです。テレビ番組にも引っ張りだこでした」
「やらせというものではなくて?」
「警察の捜査協力もして、いくつかの難事件を解決したとか」
それはさすがに本当かも。と、素直に認めざるを得ない。
「その女性はのちにどうしましたの? 今も活躍なさっているならネットニュースにもなるでしょう?」
「ある時を境に力がなくなったとして引退したそうです。テレビに出演していたのも半年ほどで、世間からはすぐに忘れ去られてしまいました」
あとでググってみようと花音は訊く。
「その方のお名前はわかりまして?」
「神岡水晶様……でしたかと。水晶はいわゆるクリスタルです」
「は?」
「変わった名前なので憶えておりました」
鋼という名字も大概だと、金持姓の花音は思う。
名字といい、宝石のような名前といい、これで神岡琥珀と関係ない人物だったら逆にすごいことかもしれない。
彼女が神岡の母なら不思議はない。小学生の鋼の両親をすぐに見つけられたのは、特別な力があるからだ。
「どういった能力か知ってまして?」
「たしかそう……共感覚でしたでしょうか。当時のテレビ番組によると、水晶様は写真や映像などでは相手を『視る』ことはできなかったそうです。ガラス一枚挟んでも視る力が弱まるとのことで、警察の面通しではマジックミラー越しではなく、直接相手を見なければならなかったとか」
「どうしてかしら?」
「おそらく匂いも関係するのではないでしょうか」
「スタジアムで迷子になったあなたのご両親の匂いを、感じとれるとは思いませんけれど」
「きっと犬並みの嗅覚だったのです。料理に使う香辛料やハーブも実際に自身の鼻で確認せねばわからぬもの。美味しくなるという確信を得るには匂いは重要ですから」
嗅覚についてはともかく――
神岡琥珀と同じ能力と仮定する。神岡水晶も人間のオーラが見えた。なら、野球場で推しチームが圧勝しているスタンドで、観客の顔を見られる位置からざっと見渡し不安の色を探したのかもしれない。
鋼慶一郎の両親らしき男女は、興奮や楽観した客たちと違って見えたのだろう。
ふと、お嬢様は疑問に思う。
神岡水晶が琥珀の母親だった場合、夫がいることになる。
結婚したら名字が変わるのでは?
夫婦別姓。旦那さんが婿入り。離婚後に母方の姓になる。
理由はいくつか思いついた。
明日、神岡に会ったら自分がどんな色のオーラを出してしまうのか。近づくほど解像度が上がるとなると、ちょっぴり困るお嬢様なのだった。




