生殺与奪の権を他人に握られましたわ~!
『星宮きらら』とは、金持花音のもう一つの名前だった。
「君は何をするにも家名がついて回るのだろう。ネット小説投稿サイトで自分の力のみを頼りに成し遂げたいのではないか?」
少女は反動をつけて前に身を乗り出した。
「ち、違いますわ。否定いたします。執筆はあくまで趣味ですもの!」
「ではやはり、書いていることを認めるのだね」
「ぬわぁひゃあ!? はめられましたわ! 詐欺ですわ! 弁護士を呼びましてよ! 名誉毀損で訴えられる覚悟はお済みでして?」
眼鏡のブリッジを指で押し上げて、青年は意に介さず続ける。
「君ほどの立場の人間ならすぐにも出版社から声が掛かるだろう。本物のお嬢様が描くJK令嬢探偵小説だ。だが、君は下駄を履くつもりはない」
「趣味だと申し上げたはずでしてよ?」
「ではなぜ、作者のプロフィール欄に書籍化希望と書いているのかね。本当は自らの手で勝ち取りたいのだろう?」
英国一の児童文学作家が別名義で出した本がまるで売れず、元の名前を出した途端に本が売れた。と、黒森は参考までにと付け加えた。
なんて嫌なヤツ。おF○CKですわ。と少女は心の中でひとりごちる。
まるで下調べしていたかのような周到さだ。
追い詰められた犯人よろしく、花音は首を左右に振った。
「べ、べべべべ別にそこまで本気ではありませんし。出版関係者様のどなたかの目にとまった時のため……あくまで念のためでしてよ!」
「ではなおのこと、目に付くよう更新頻度を上げねばまずいのではないかね? 最近、全く更新をしていないようだ。小説投稿サイトには最終更新日が載っている。過去に遡れば受験当日ですら更新していたというのに、今の君はこの一ヶ月更新もせず、いったい何をしていたのかね?」
書けない作家が更新を連呼されるとダメージを負うことも、黒森は計算済みのようだった。
「ぐぬぬぬぬむきききむきゃきゃきゃきゃくきいいいいいいいいいいいいッ!!」
獣のうなり声が花音の口から溢れ出る。
花も恥じらう乙女は生徒会室で死にました。
黒森の言うことはいちいち少女の急所に刺さった。
金持花音はお嬢様である。
そして、身分を公表することなく、小説投稿サイトにて探偵小説を連載しているアマチュア作家の『星宮きらら』でもあった。
書籍化を夢見る作家の卵だ。小説を書いていることを家族にも秘密にしている。
もし祖父の耳に入れば金持グループの会長権限で、花音のために出版事業が立ち上げられかねない。
それでは花音が自分で夢を叶えたことにはならなかった。
黒森はスマートフォンを取り出すと画面をスクロールして小さくため息をつく。
「書籍化オファーには読者のブックマークや評価ポイントが重要だと調べはついている。君の作品は……現在524ポイント。これが良いか悪いか私にはわからないが、オファーがかかるという五桁ポイントは遠いようだ」
花音は立ち上がった。
「ふぁ、ファンはいますもの!! 五桁に届かなくとも! それで十分幸せですわ!」
「作者と読者が交流する掲示板に、熱心な読者が一人いることは確認している。先日も君が書けないことを親身になって心配していたようだ」
「いやああああああ! やめてえええええ! あの娘は悪くありませんの書けなくなったわたくしが悪いんですのよおおおおお! くぁwせdrftgyふじこlp!!」
顔を両手で覆って花音は身もだえる。
「君はいにしえから現代に至るまでのネットミームにも精通しているようだ。インターネットつよつよ令嬢とはな」
「もうよしてくださいまし。わたくしのライフはゼロ……はうっ!?」
言われた途端にこれである。切腹するので介錯してほしいと花音は思った。
現実世界では金持家の令嬢という防御壁が厚すぎて、周囲から距離を置かれてしまいがちだ。
それに生まれながらの令嬢でもなかった。中学生になるまでは一般家庭で育ったのである。
動物でも鳥でもない、まるでコウモリだと花音は自分のことを思っていた。
少女の孤独を癒やし続けてくれたのがネットの世界だった。
他者がお嬢様キャラを望むなら、その通りになってやる。
ネットで学んだお嬢様口調も今ではすっかり板に付き、できあがったのがネットミームモンスター系令嬢=金持花音その人だ。
インターネットは時に悲劇的な化け物を産んでしまうのである。
ちなみに家族の前では普通に「ですます」口調。花音の抱えたもう一つの秘密だった。
花音が落ち着くのを待って黒森が言う。
「さて話を戻そう。噂についての調査をしてくれるだろうか?」
「こんな辱めを受けて誰が快諾するとお思いでして!? 生徒会長には人の心がありませんの?」
黒森は淡々とした視線を下に向けた。伏し目がちに続ける。
「そうか……仕方あるまい。私にも呵責される良心はあるのだ。今日、こうして呼びつけてしまったことを心よりお詫びしよう」
やっと諦めてくれたと花音は胸をなで下ろす。が、黒森の謝罪は終わらない。
「そうだ。生徒や教職員に向けて生徒会からメールマガジンを送っているのだが、私個人のお気に入りとして、君の……星宮きらら作品のリンクを載せたいと思う。もちろん金持花音の名は伏せる。なに気にしないでくれたまえ。せめてもの償いだ。今日にも緊急配信の手配をしよう」
金持花音が全校放送で生徒会長に呼び出されたその日のうちに、いきなり生徒会長が無名のウェブ作家を持ち上げたらどうなるか。
二人の間に密約が交わされたと噂になりかねない。炎上は必至だ。
「ぶちころがしてさしあげましてよ! そんなこと絶対になさらないでくださいお願いしますどうか命ばかりはお助けクダサイましぃ」
涙の訴えである。獅子に狩られる兎のように花音はプルプルと震えた。
「高圧的なのか下手に出ているのか判断に悩むな」
生殺与奪の権利はすでに黒森の手の中だ。最初から脅迫するつもりだったらしい。
「ともあれ君にとって調査は良い気分転換や取材になるのではないかね? 星宮先生」
「現実でその名前を呼ばないでくださいましッ!!」
「ふむ、メールマガジンだけでは謝罪が足りぬか。生徒会公式ウェブページにも星宮きらら特設応援サイトを立ち上げよう。勘の良い生徒なら学園内に星宮きらら先生がいるとわかるかもしれないな。その人材を君に代えて、本件の調査員にすれば……おお、我ながら良い案だ」
「良く無いですわ! 絶対にやらないでくださいまし。と、とりあえず生徒会長の要求内容はこれで全部でして?」
「うむ。以上だ。ご理解いただけたかな?」
花音は腕組みをするとそっと目を閉じた。
断れば謝罪という名目で秘密のアカウントが晒されてしまう。窮地を脱するには――
「今この場で生徒会長を亡き者にすればワンチャン……ありますわよね」
「密室なら証拠の残らない完全犯罪で頼むよ」
「最近のミステリは周到に用意したトリックよりも、衝動的に犯した凶行が偶然の出来事によって不可能犯罪化してしまうパターンが多いと存じましてよ」
「なるほど。さすが星宮先生だ。勉強になる。さて、どうやって私を亡き者にしてくれるのか楽しみだ。君の作品の糧になれるのなら喜んでこの命を差しだそう」
黒森の無駄に良い声ながら淡々とした口ぶりに、花音もついに観念した。
「わかりましたわ。外部協力員の件、承ります……大変不本意ですけど。噂の根源を探し当てる保証もしかねますから、ご承知置きくださいまし」
ハイかYESではなく承るという言い方なので、自分は負けていないと思う花音だが結果をみれば同じだった。