子守歌
そこへ、前方にいたカイルと騎士2人が、駆け戻ってきて、ドラゴンに矢を射かけ始めた。
カイルたちが戻ってきたということは、護衛すべき王太子と王女が乗った馬車は、無事に王都の街の中へ入ることができたのだろう。
次々と射かけられる矢により、ドラゴンの気が逸れ、倒れている騎士の傍から離れた。
マリーは、倒れている騎士の元へと駆け出した。
「マリー! 逃げろー!!」
カイルの血を吐くような大きな叫び声が、マリーの耳へ届いた。
しかし、マリーの足は止まらなかった。
マリーが、土の上で倒れていた騎士の元へ駆け寄ると、まだ意識があり、薄目を開けてうめき声をあげていた。見ると、左上半身から大腿部まで、幾筋もの切り裂かれた傷があり、特に左腿の付け根のあたりからは、血がどくどくと噴出していた。
マリーは、着ていたワンピースの裾を引きちぎり、それを丸めて出血している箇所にあて、手で強く圧迫し始めた。布地がみるみる赤く染まっていく…。
〝出血が止まらない!〟
マリーは、ポケットから水晶玉3つを取り出した。
そしてその3つを血に染まった布地に置き両手で支えた。そして祈りをこめる。
騎士の身体が白い光に包まれ、その光が収まった時には鼠径部の出血は止まっていた。
「よかった…。」
マリーが、ほっと息をつくと、いつの間にかすぐそばまで迫ってきていたドラゴンと、今度ははっきりと目が合った。
やはりその目は狂気に染まっていて、口からはボタボタと泡まみれの唾液を垂らしていた。
そして、ドラゴンの大きな鋭い牙がマリーの顔に迫ってくるのが、マリーの視界にスローモーションで映った。
次の瞬間、マリーの目の前に突如、誰かの背中が現れた。
そして一瞬で背中の主の胸が、ドラゴンの爪で切り裂かれた。
カイルだった…。
しかし、カイルは、そのままドラゴンの翼の付け根に飛び乗ったかと思うと、剣を振り上げ、ドラゴンの左目に深々と突き刺した。
ドラゴンは巨大な叫び声を上げ、もんどりうって地響きを上げながら倒れた。
そしてその後、よろめきながら、飛び去っていった。
カイルが、その場に崩れおちた。
「カイル!」マリーがカイルの元へ行くと、
カイルの右肩から斜めに大きくえぐれた傷があり、血が噴き出していた。
そこへ、アルベール王太子が、王都の城門を守っていた騎士たちと共に、馬で到着した。
そして、血まみれになっているカイルとマリーの姿を見て、立ち尽した。
「カイル!カイル!」
マリーが傷口を圧迫しようとしたが、傷はとてもマリーの手のひらに収まる大きさではなかった。
マリーはカイルの胸に手をあて、直接の癒しの業を施そうと目を閉じた。
すると、すぐにカイルの手がマリーの手首を押えた。
「ダメだ、マリー、君が死んでしまう。僕は、もうダメだ…。」
カイルが荒い息の下で言った。
「でも、カイル!」
「今度こそ、君を守れた…。」カイルは少しだけ微笑んだ。
「大丈夫、僕たちは何度でも出会える。
来世でも、必ず君を見つけてみせるから…。」
カイルの声が段々と弱くなってきた。
マリーの瞳から玉のような涙がぽたぽたと落ちる。
マリーはカイルの左手を取り、自分の右頬にあてた。
しかし、カイルにはもうマリーの頬を撫でる力はなかった。
「マリー、お願いだ、子守歌を歌ってくれないか?」
マリーは小さく頷き、カイルの手を握ったまま、かつて聖養母が二人に歌ってくれた子守歌を歌い始めた。
それは、どこか寂しげな、けれど労りに満ちた旋律だった。
そして、それは、辺境の地の古い言葉で紡がれていた…。
よい子よ、眠れ
海は静けさの中にある
森には精霊たちが憩う
幸は己が内にある
よい子よ、眠れ
輝く明日が来るように
輝く明日が来るように
マリーが歌い始めると、マリの口元のあたりに白く輝く光の玉が出現し、その玉が歌と共にどんどん大きくなっていった。
そして歌い終わるころにはマリーとカイルを覆うほどの大きさとなった。
そして、マリーの最後の旋律が空に吸い込まれていったのと同時に
空から金色の光の柱が下りてきて、二人を包み、強烈な光を放った…。
光が収まり、アルベールがおそるおそる目を開けると、マリーはカイルを上から抱くようにして倒れこみ、意識を失っていた。
「マリー!カイル!」
アルベールが駆け寄り、カイルを見ると、出血は止まり、傷口は、ほぼふさがっていた。
カイルの意識もないものの、呼吸はしっかりしていた。