異動と再訪問
マリーは画家のトマ・フルニエの、その後の様子が気になっていた。そこで、神官長との面談の翌日、再度フルニエ家へ訪問するために外出したい旨を、アンヌ王女に話していた。心配をかけないように、王女にはトマの詳しい状況を伝えてはいなかった。
「フルニエ先生によろしくお伝えしてね、マリー。
そうだわ、もしよかったら、王宮特製のアップルパイを手土産にお持ちしたらどうかしら?でも、先生が辛党だったらいけないわね。何か甘くないもののほうがよいかしら?」
アンヌがあれこれと考える様子をマリーは微笑ましく見ていた。
マリーは、明日フルニエ家を訪ねるときには、またカイルが護衛をしてくれるだろうと、勝手に思っていた。
しかし、アンヌの部屋へ入ってきた、カイルの一言で、それは叶わなくなったことがわかった。
「アンヌ王女殿下、本日この時をもちまして、王女殿下の護衛の任から離れます。いたりませぬ私ではございましたが、数々のご厚情を賜り、誠にありがとうございました。」
「カイル、私の方こそ、ありがとう。ご活躍をお祈りしております。」
冷静に返すアンヌ王女の姿に、王女は既に聞いていた話なのだとわかる。
すぐに王女の部屋を辞したカイルを追いかけて、アンヌは廊下でカイルのことを呼び止めた。
「カイル!どうして?! もしかして、私が無茶をして貴重な水晶玉を使うことになったから? カイルの監督不行き届きっていうことになったの?
王太子様の私への監視はもういいの?」
「違う…、王太子様のご公務がいよいよ忙しくなってきたから、俺は、王太子様専任に戻れとの御指示だ。もっとも、王太子様の君へのご信頼は、だいぶ前から揺るぎないものになっていたからね…。」
カイルが感情を見せずに淡々と言った。
「そんな…こんな急に…。」
「では、失礼する。」
カイルのそっけない他人行儀な挨拶だった。
「カイル!」
身を翻し、その場から立ち去ろうとするカイルにマリーはまた呼びかけた。
「約束、忘れないでね…。子守歌の…。」
「ああ。」
カイルが振り向かずに短く答えたので、マリーは知らなかった。
カイルの目が哀しみの色を帯び、口が堅く引き結ばれていたことを…。
マリーは次の日に、トマ・フルニエの家を訪れた。手土産の、王宮料理人特製の、アップルパイとミートパイは、王女が付けてくれたベテランの護衛騎士が持ってくれた。
「マリー様!いらっしゃいませ!」
輝くような笑顔で、トマの息子のジルが迎えてくれた。
そして、トマは…、一階の居間で、椅子に座ってマリーを待っていた。
「マリー様、よくいらっしゃいました。」
「トマさん?ですよね…?」
たった今マリーが聞いたのは、確かにトマの声だったが、その声は以前と比べて、ずっと明るく張りのあるものだった。頬はまだこけているものの、顔色がよくなっていた。そして何より目の奥にあった絶望の影が消え、替わりに穏やかな光が湛えられていた。
「そんなに、人相が変わりましたかな?」
トマは自分の頬をつるりと撫で、微笑みながら言った。
「何もかも、マリー様とカイル様のお陰です…。」
トマにはわかっていた。
トマが自殺をしようと、ためておいた心臓の薬を一気に飲み干して死の淵をさまよっていたとき、その淵からマリーが引き戻したこと、
マリーが自分の頭に手を添えたかと思うと、その手が急に熱くなり、そこから光の粒子がどんどん頭に入り込んできて、自分の右半身を癒していったこと、を。