トマ・フルニエの家
「騎士さんも、ご苦労なこった。こんなところに来ても、画家や作家なんていやしない。
ここにいるのは、ただの屍…、いや、ただの屍より始末が悪い、息子の人生を食い散らかしているゾンビだ。」
「なんてことを言うんだ、父さん!」
トマ・フルニエ氏の部屋まで案内してくれた、彼の息子のジルが言った。
「お前は黙っていろ!ジル!」
トマはジルにも暗い目を向けて冷たく言った。
「お嬢様、騎士様、申し訳ありません。
父は、1年前と半年前と、2回脳卒中になってしまったんです。1回目のときは、まだよくて回復訓練も頑張ってだいぶ回復してきていました。けれど、2回目がひどくて…。利き手の右手と、右足が麻痺しています。絵筆はおろか、フォークすら持つことができません。ベッドの上から動けないので、排泄も俺が世話をしています。
ですから、王女様をお教えするのに、お城に上がるなどと、できるわけがありません。」
ジルの話と共に、トマの目の中の絶望の色が濃くなった。
「騎士さんよ…、頼むから侮辱罪でも何でもいいから、俺のことを殺してくれないか? 今の俺は、生きていたって何の価値もないんだ。息子の手を借りなければ何一つできない…。ただ息をして、排泄しているだけだ。もうこれ以上、大事な息子に迷惑をかけたくないんだよ…。」
「そんなことはできません。」とカイルは言うしかなかったし、
トマの絶望の深さに、マリーは何も言えなかった。
「申し訳ありませんが、今日のところはお引き取りください…。」
と、ジルが二人に言った。
ジルに見送られて、玄関まで行ったところで、三人は、先ほどまでいた2階のトマの部屋あたりで、ガシャンと何かが割れる音が響くのを聞いた。
「父さん!?」ジルは2階に向かって駆け出した。
マリーとカイルもジルの後に続いた。
トマの部屋に3人が駆け込むと、そこには、胸元を濡らし、ベッドでぐったりしている意識がないトマがいた。そして、周囲にはたくさんの薬包紙が散乱し、床には水差しが割れてその欠片と水が飛び散っていた。
「父さん!父さん!」と、ジルが呼びかけても、トマは何の反応も示さなかった。
マリーが、脈と胸の音を確認した。
その間にカイルは素早く陶器の欠片を広い、安全を確保した。
「脈が弱まっている。ジル、お父さんが何を飲んだかわかる?」
「この包みは、父さんが、調子が悪いときに飲んでいる頓服の心臓の薬です。
でも、こんなにたくさん…!?」
ジルは、そこら中に散らばっている薬包紙の数に目をみはった。
「心臓の薬は、一気に飲むとそれで心不全を起こすことがあるの。
トマさんは、それを知っていて、わざと大量に飲んだのね…。」
「そんな…。」
マリーの言葉にジルが言葉を失った。
「時間がないわ…」と、マリーがつぶやいた。
スカートのポケットからそっと小型の水晶玉を取り出し、右手に握りこんだ。
そして、それをジルから見えないようにして、トマの左胸の上に置いた。
さらに左手もその上に重ねる。
マリーが何をしようとしているのか、カイルにはわかっていた。
目を閉じて、マリーが祈りを捧げる。
〝神様、どうかこの方をお救いください。〟
その刹那、マリーの手のひらの間から、白い光が漏れ出た。