〝好き〟は止められない
座り心地のよさそうな二人掛けのソファに、クレアがゆったりと座りながら本を開き、その本の世界に没入していた。
「クレア?」
マリーが呼びかけると、クレアがびくっと動き、その目がマリーを捉えた。
「マリー?」本の世界から抜けきっていないのか、クレアの目はまだ焦点が合っていないようだった。
「ごめんなさい、クレア邪魔をしたわね。
ところで、何の本を読んでいたの?」
マリーは何の気なしにクレアに聞いた。
すると、クレアは急に現実に戻ったようで、あたふたと本を閉じ、とっさに自分の背に隠した。けれど、自分のそんな本を隠すような態度が嫌だったのか、一つ小さく深呼吸をしてから、マリーに読んでいた本の表表紙を見せた。
その表紙には『土木建築の偉人たち~100年の土木建築史~』と書いてあった。
「し、渋い感じの本ね…。」
マリーがそう言うと、いつも比較的クールなクレアがきゅっと唇を引き結んで言った。
「私は土木建築史と土木工学の本が好きなの…。変人だって、思わない?」
「え?なんで?」
とマリーはすぐに返した。
「だって、好きな学びの分野は人それぞれでしょう?その人がどんな分野を選んでも、そこからそれぞれの世界が広がっていくのだもの。周りの人間がとやかく言うことではないでしょう?
私だって、薬草栽培好き、土いじり大好きの、変人令嬢かもしれないけれど、好きなものは好きなのですもの!私の〝好き〟は誰にも止められないし、止めてほしくないわ!!」
途中からエキサイトしてしまった、マリーの声が響いたのか、本棚の向こうから「ゴホンッ」と男性の咳払いが聞こえた…。
マリーはハッと口を押え、微笑んで頷くクレアと一緒に、目だけでにっこりと笑った。
図書館に詳しいクレアの助けを借り、マリーは、薬草学と呼吸器系の病気についての医学書を何冊か見つけ出すことができた。
数日後、マリーは侍女のサロン室でため息をついていた。
そこへ、同じく休憩時間になったミリエルが部屋に入ってきた。
ミリエルはこの日は、ラベンダー色のシフォン生地の裾がふわりと膨らんだデイドレスを着ていた。いつでもおしゃれには手を抜かないミリエルであった。
「マリー、お疲れさま。ご一緒してもよろしいかしら?」
ミリエルとマリーは、同僚として、同世代の女友だちとして、すっかり仲良くなっていた。
「ドリー、今日のお茶菓子にはアップルパイがあったかしら?」
今日のサロン室の給仕係の下女のドリーにミリエルは弾んだ声で聞いた。
「はい、ただいまお持ちします。」
「ありがとう。お願いね。」
マリーの隣に座ったミリエルの元へ、王宮の料理人の手になるアップルパイが運ばれてきた。
実は、〝仲直りのお茶会〟で、マリーが作ったアップルパイを、王太子様と王女様が大変お気に召したとの噂がその後王宮内で広がった。王宮料理人がそれを聞き、奮起してアップルパイ作りに凝りだし、改良に改良を重ねた結果、パイの部分がサックサクのとてもおいしいアップルパイが誕生していたのであった。
パイの断面が芸術的な層を作っているアップルパイを楽しみながら、ミリエルはマリーに聞いた。
「それで、どうしてため息なんかついていたの?」