王太子の胸さわぎ
〝これでよかったのだろうか?〟
その日の夕方、王太子の執務室で、一人デスクの前に座り、珍しく王太子アルベールは考えこんでいた。
護衛騎士のカイルは、早速、王女の護衛を担当している王宮騎士団第3部隊へ赴き、明日からの勤務の打ち合わせをしている。
マリーが示した〝言霊の力〟や、貴族令嬢としては一種異様な、ドラゴンの前や救助現場での行動については、アルベールの警戒感はだいぶ低くなっていた。アルベールの手の者からの様々な報告やアルベール自身の勘が、マリーを〝歓迎すべき存在だ〟と告げていたからだった。
マリーを妹のアンヌ王女に仕えるように計らったのも、病がちで引っ込み思案の妹にとって、よい刺激となるのではないか、と考えたからだった。
案の定、今日もアンヌは、率直で生き生きとした、それでいて知性がきらめいているようなマリーの姿を見て、驚いていたようだった。
アンヌの表情は、ティーンエイジャーとなってから、兄の自分の前でもあまり変化することはなくなってしまった。しかし、幼い頃からかわいがっている妹の表情のわずかな変化を捉えることができるアルベールなのであった。
これからも、体が弱いアンヌに、王族としての負担はなるべくかけるつもりはないアルベールだったが、アンヌはもう少し自分に自信をつけてほしい、そうすれば彼女の世界はもっと豊かになるのに…とアルベールは思っていた。
〝しかし、カイルをアンヌ付き兼任としたことは…?〟
マリーをアンヌ付きとしたことはよい、しかし、カイルをアンヌとマリーの近くに送ったことが、アルベールの胸の中を落ち着かせなくしているようだった。
〝なにか、まずい一手をうった心持ちがする…〟
アルベールは胸がぞわぞわと泡立つのを止められないでいた…。
「何なの!?あのマリーって人!
初日から王太子様から特別扱いを受けているって、どういうことかしら?
あり得ないんですけれど!」
侍女のサロン室で、王女付き侍女のミリエルが肩にかかった自慢の長い髪を手で払いながら言った。薄い色調の金髪は、王族のように黄金色に輝いているわけではなかったが、むしろ軽く華やかな感じがして、ミリエルは気に入っていた。
ミリエルの髪型はハーフアップになっていたが、サイドが複雑な形に編み込みがなされていた。
〝ミリエル様は昨日は遅出だったから、お屋敷には帰っていないはずだけど、今日も手間暇がかかりそうな髪型をしているわね…。セットするのに1時間はかかりそうだわ…〟
と向かい側のソファに座っていたクレアは思った。
実はミリエルは侍女長から特別な許可をもらい、自分の家の侍女を王宮に連れてきていた。王宮侍女用の部屋を一室もらい、自分の身支度を手伝わせていたのだった。
通常侍女に付けられる王宮の下女は、貴族女性の髪型や服飾に詳しいはずもなく、それに不満があったミリエルは、父の大臣を通じて、自分付きの腕利きの侍女を屋敷から派遣してもらっていた。
もちろん、そのために侍女長には高価な心づけの品を贈っていた。
その事実を見聞きしていたクレアは、そのことを思い出し、
ミリエルの家から派遣されている専属侍女の仕事ね、と一人で納得していた。
〝その専属侍女のお給金っていくらなのかしら?実働時間は少ないはずだから、かなりよい待遇よね?時給換算したらどのくらいなのかしら〟
クレアは無表情を保ったまま、頭の中で計算を始めた。
貴族出身の王宮侍女につけられる下女は、侍女の世話以外にも王城での雑多な仕事も日々こなしており、ハードな仕事だった。
しかし、ミリエルの専属侍女は、ただミリエルの髪型と服装を整え、あとはせいぜいミリエルの自室でお茶の用意をすればよいくらだろう。
「ちょっと、クレアさんたら、私の話を聞いているの?」
ミリエルの声に、頭の中での計算を中断させたクレアは
「ええ、もちろん聞いていますわ、ミリエル様」と答えた。




