王太子様がやってきちゃったよ…
「お兄様、それとドラゴンのことなのですけれど…」
マリーはおずおずと口に出してみた。目覚めてから、救助活動のことばかり聞かれていて、ドラゴンに対峙したことは聞かれていないことに気づいたからだった。
「ああ、あのとき、たまたま王太子様が王宮騎士団を連れて視察に出てきてくれていて、本当によかったな!ドラゴン襲来の現場に着くやいなや、あっという間にドラゴンを追い払ってくれたっていうじゃないか⁉これだけ死傷者が少なく済んだのは、間違いなく王太子様の名声を高めることになるだろうね。」
兄のルーカスにしては、珍しく、少し興奮したように早口で言った。
「王太子様が??」
どうやら、ドラゴン襲来に関しては、自分が関わったことにはなっていないようで、マリーは内心ほっと胸を撫でおろした…。
もちろん、昨日の自分の行動については後悔してはいないけれど、これ以上自分がやったことで家族に迷惑をかけたくはなかった。
「とにかく…マリーは、体が回復するまで、ゆっくりしているといい…6日後からお城勤めが始まる予定だったけど、延期になる可能性が高いしね?」
全身筋肉痛のマリーにとってはお城勤めが延期になるのは、ホッとするような残念なような心持ちがした。
〝まあいいわ、サラが甘やかしてくれそうだし、お菓子天国になるかも?数日くらいぬくぬくのんびりしちゃおうかな~〟
しかし、マリーの、お菓子天国のんびりぬくぬく計画は翌日には終わりを告げることになった。
先触れもなく、王太子その人がブランシェ伯爵家に来訪したからである。
父と母と兄は、それぞれの予定で、みんな外出している時だった。
〝このタイミングは、私狙いの抜きうち調査なのかしら?〟
「お嬢様、いかがいたしましょうか?王太子様とお連れ様がお二人いらっしゃいました。」
祖父の代からブランシェ家に仕えてくれている壮年の執事が慌てている姿をマリーは初めて見た。両手がせわしなく無駄な動きをしている。
「いかがも、イガグリもないわ! 相手は王太子様なのだから、粛々とお迎えするしかないでしょう?」
「はい、おっしゃる通りでございます…。それでは応接室へお通しいたします。」
マリーの言葉に、落ち着きを取り戻した執事は、いつものように両手を体側へ揃えて置き、ピシッとした動きを始めた。
王太子様をお待たせする訳にはいかない。マリーはサラを呼んで、まだ全身筋肉痛が残っている体をぎこちなく動かしながら、大急ぎで落ち着いた色合いのデイドレスに着替えた。
応接室の扉の前で、深呼吸を一つしてマリーは部屋へ入っていった。
「アルベール王太子殿下、大変お待たせをいたしました。
我がブランシェ家へ御啓を賜り、大変光栄に存じます…。」
マリーは伯爵令嬢らしく全身筋肉痛に抗いながら意地で優雅にお辞儀をした。
「うむ。楽にしてよい。突然すまなかったな。」
〝突然すまなかったなんて、わざとお父様とお兄様がいないときを狙ってきたくせに…〟
マリーは顔を上げ、王太子を真っ直ぐに見返した。
「お気遣いはいりませんわ、王太子殿下。それとも、王城の外では、アル様とお呼びした方がよろしいのかしら?」
ただの貴族令嬢が一国の王太子を愛称呼びしてよいはずがない。
「ヒッ…」と傍らに控えていた執事の喉が鳴った。