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ねえ、ヴェロニカ  作者: 天野 地人
第一章 出会い編
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第六話 ラピスラズリの指輪

ヴェロニカがまぶたを開くと、見慣れた医院(ホスピターレ)の白い天井が広がっていた。しばらくぼんやりとその光景を眺めていたさらに数分後、自分がベッドの上に横たわっていることに気づいた。どうやら昨晩の魔女討伐の際に怪我を負って、意識を失ってしまったものらしい。


 そのことを悟ったヴェロニカは、思わず小さく舌打ちをしてしまう。ついこの前、怪我を負って医院(ホスピターレ)に運び込まれたばかりなのに、またこのざまか。自分が不甲斐(ふがい)なさすぎて、反省したり後悔したりする気持ちすら湧き上がってこない。たかだかあれだけ短時間の出撃すらも、耐えることができないだなんて。いくら自分が(クラディウス)で、大量の魔法《マギア》を身に宿していないとはいえ、あまりにも情けなさすぎる。ヴェロニカは片手で顔を覆うと、唇を強く噛みしめた。


 おまけに負傷した前後の出来事も、まともに思い出せない。この怪我の具合からすると、おそらく魔女の攻撃を受けたのだろうと想像できるけれど、その前から《マギア》を使い尽くして意識が朦朧(もうろう)としてしまっていたから記憶が定かでないのだ。そして、気がつけば医院(ホスピターレ)のベッドに横になっていた。これが無様(ぶざま)と言わずして、何と言うのだろう。


「くっ……! オレは……オレは、こんなところで……‼」


 こんなところで、ぐずぐずしてはいられない。立ち止まってなんかいられないのだ。自分にはやらなければならない事があるのだから。ヴェロニカがベッドから抜け出そうと上体を起こしかけたその瞬間、すさまじい痛みが全身を駆け抜けた。脳髄(のうずい)を揺さぶり、意識を持っていかれそうになるほどの、凄絶(そうぜつ)な痛みが襲いかかる。


「ぐっ……うう……‼」


 悲鳴を上げないように、とっさに歯を食いしばったけれど、(うめ)き声が漏れるのを抑えることはできなかった。蒼い瞳には涙がにじみ、全身から冷たい汗が噴き出す。たまらず体を折り曲げたヴェロニカの瞳に、それが飛び込んできた。


 右手の薬指にはめた指輪――大切な人の想いがこもった青い石が。


 ビーズを編んで作られた指輪の中央にあるラピスラズリの石。それを目にした瞬間、ヴェロニカの脳裏(のうり)に過ぎ去りし日の光景がよみがえってきた。


 あれは白い雪の舞う、とても寒い日のことだった。昼間でも体の芯から凍えるような寒さで、夜になるとあまりの冷気に我慢(がまん)できないほど気温が下がった。寮生の中にはストーブを持ちこんでいる者もいるけれど、あいにくとヴェロニカはそのような暖房器具(だんぼうきぐ)を持ち合わせていなかった。仕方がないので寮の一階にある談話室(だんわしつ)へ行き、そこにある暖炉の前で温まることにしたのだ。


 小さなソファに座りながら炎が燃えさかる暖炉に手をかざしていると、一人の寝間着姿の少女がやって来て、ヴェロニカの隣に体をひっつけるように腰を下ろした。彼女の名はサラ。ヴェロニカの聖杯(カリフ)だ。


「サラ……」

「どうしたの、ヴェロニカ……眠れないの?」


「あんまり寒くてな。サラ、お前はそんな格好で寒くないのか?」

「うん、確かにちょっと冷えるかも」

「仕方ないな……ほら」


 ヴェロニカはそう言うと、自分の羽織っていた大きなポンチョを広げ、その中にサラを入れてあげた。サラは頭からすっぽりと被ったポンチョから顔を出すと、「ふふふ」とくすぐったそうに笑う。サラと顔を見合わせたヴェロニカにも、我知らず笑みが浮かんでいた。二人は暖炉の前で、一緒にクスクスと声を立てて笑った。


 サラはオリーブ・グレイの髪に、青みがかった緑の瞳を持つ少女だった。容姿も性格も決して派手ではなかったし、目立つ娘ではなかったけれど、黒猫たちの中でいつも不思議な存在感を放っていた。聡明で落ち着いているのに、結構、頑固で気の強いところもあって、初めて組んだばかりの頃はよくヴェロニカと喧嘩(けんか)もした。それも今となっては大切な思い出だ。


 この世で一番信頼していた、ヴェロニカのただ一人の聖杯(カリフ)。死ぬときは一緒だと、安っぽい陶酔(とうすい)などではなく、心の底からそう信じていたのに。まさかヴェロニカだけが生き残ることになるなんて、あの時は思いもしなかった。


 真っ黒い闇に包まれた窓の外では、しんしんと真っ白な雪が降り積もっている。電灯が落ちた薄暗い談話室の中はパチパチと薪の爆ぜる音だけが響いて、ひどく静かだった。けれどサラと一緒にいるせいか、ヴェロニカは静寂(せいじゃく)が不快ではなかった。むしろ静けさに耳を傾けていると心地良くなって、ウトウトと眠気さえ感じてしまうほどだ。


 ヴェロニカとサラは、しばらく二人並んで暖炉の炎を見つめていたけれど、やがてサラがヴェロニカのほうを向いて口を開いた。


「ねえ、ヴェロニカ。右手を出して」


 突然そんなことを言い出したサラに、ヴェロニカは小さく首をかしげる。

「右手……? 何のために?」

「いいから……ほら」


 サラが何だか嬉しそうに催促(さいそく)するものだから、ヴェロニカもとうとう根負けし、不思議に思いながらも右手を差し出した。するとサラはヴェロニカの華奢(きゃしゃ)な手を取ると、ポケットから指輪を取り出して、そっと右手の細い薬指にはめたのだった。


「これは……?」

「……良かった、ぴったり!」


 指輪はいくつものビーズを幾何学的に編んだもので、その中央には目の覚めるような青い石が煌めいていた。手芸には詳しくないヴェロニカにも、指輪がずいぶん手の込んだものだとすぐに分かった。同じものを作れと言われても、ヴェロニカには絶対に無理だろう。


 サラはどこか気恥ずかしそうに笑う。

「この指輪、私が作ったの。この真ん中の石……ラピスラズリはね、持つ者に幸運をもたらしてくれる石なのよ」

「そうなのか……」


「うん。この石が、ヴェロニカを守ってくれればいいと思って……」


 実のところ、ヴェロニカは占いやまじないといったものをあまり信じていなかった。積極的に否定する気も無いけれど、肯定する気にもなれない。運命を切り開くのは、結局のところ自分の力でしかないと思っているからだ。それでもサラが願いを込めて作ってくれた指輪なら、何だか効力があるような気がした。


 ヴェロニカが暖炉の光に指輪をはめた右手をかざすと、青の色調でまとめられたビーズは、青い石とともに炎を受けてまばゆい光を放った。まるで命の輝きそのもののような神秘的な光から目が離せない。


「きれいだな……」


 思わずそうつぶやいたヴェロニカに、サラは柔らかい微笑を向ける。

「……誕生日おめでとう、ヴェロニカ。いついかなる時も、あなたに大きな幸運があらんことを」

「……! ありがとう、サラ……!」


 ラピスラズリがヴェロニカの誕生月――十二月の誕生石だと知ったのは、それよりも後のことだ。サラはおそらく、ヴェロニカが魔女討伐から無事に帰ることができるようにと、ただそれだけを願って指輪を作ったのだろう。その願いが聞き届けられたからこそ、ヴェロニカは生き残ることができたのかもしれない。


 そうであるなら、ヴェロニカも指輪に真剣に願うべきだったのだ。どうかサラも一緒に助けてください。それができないなら……せめて一緒に死なせてくださいと。


 けれど、今となっては何もかも手遅れでしかない。ヴェロニカはただ一人、惨めに生き残ってしまい、そしてサラは二度と戻って来なかった。あの強い意志を秘めた緑の瞳を見ることも、心地よく耳朶(じだ)を打つ声を聞くことも、あの柔らかな手に触れることも、もう二度と叶わないのだから。


 ヴェロニカの指にはめている指輪は、サラの残滓(ざんし)だ。幸せだったあの時。もう二度と戻らない宝石みたいに輝いていた時間の、あわれな亡骸(なきがら)


「オレは……こんなところで立ち止まってはいられないんだ。こんなところで……! くそ‼」


 ヴェロニカは背中を焼かれるような強い焦りに駆られて、拳を握りしめた。彼女を取り戻すことができないなら、せめてサラの想いに応えてやらなければ。こんな所で一人、のん気にベッドで眠っているなんて、とても耐えられないし、そんな自分を許せそうにもなかった。

激痛が通り過ぎると、ヴェロニカは再びベッドを抜け出そうと試みた。あちこち悲鳴を上げる体と戦いながら、どうにか身を起こしてベッドから立ち上がると、サイドボードに松葉杖が立てかけてあるのに気づく。おそらく医院(ホスピターレ)が用意してくれたものだろう。


 ヴェロニカは迷わず松葉杖を手に取ると、ぎこちなく松葉杖をつきながら、病室の入り口へと向かった。今日の訓練はこれからのはずだ。このまま欠席が続けば、ヴェロニカが所属している第二部隊からも追い出されてしまうかもしれない。一刻も早く訓練に参加しなければ――


 ところがヴェロニカの手が戸口の取っ手にかかる前に、病室の扉が突如としてガラッと開いたのだった。


「……‼」


 ぎょっとして目を見開くヴェロニカの目の前に、八人の少女たちが立っていた。どれも見知った顔―――第二部隊の黒猫たちだ。彼女たちがきれいな花束を抱えているのを見るに、おそらくヴェロニカの見舞いに来たのだろう。


 ―――しまった。苦々しい表情をするヴェロニカだったけれど、もう遅い。


 一番手前にいる、どこか少年っぽさを漂わせたショートヘアの少女が、ヴェロニカに人差し指を突きつけると大声を上げた。


「あーっ、ヴェロニカ!」 


 すると、他の少女たちも次々と口を開いてヴェロニカに疑問を投げかける。

「……どこへ行くんですの? そんな怪我で」

「まさか……そんなひどい負傷をして訓練に参加するつもりじゃないよね?」

「駄目だよ、まだ歩き回ったりしたら!」

「っていうか、へろっへろじゃん! もう、何やってんだよ⁉」


「別に、どうだっていいだろ……うっ‼」


 そっぽを向いて答えるものの、毒づく間もなく再び痛みが襲ってきて、ヴェロニカは思わず扉に手を突いてしまう。実のところ、立っているだけでも精いっぱいなのだけれど、それを彼女たちに悟られるわけにはいかない。


 体中に巻かれた包帯と青白い顔色を見れば、強がっているだけで、ヴェロニカの具合が相当に悪いことは丸わかりだ。辛いのを我慢しているヴェロニカの様子を見て、中でもひときわ背の高いポニーテールの少女が声をかけてきた。いつもの面倒見の良さそうな口調でヴェロニカを諭す。


「ほら見ろ、まだ動ける状態じゃない。さあ、大人しくベッドに戻るんだ」


 それでもヴェロニカの足は、扉の前から頑として動かなかった。確かに体は動けるような状態ではないけれど、心は焦燥感でいっぱいで、とてもベッドでじっと寝てなどいられなかったのだ。


 サラが呼んでいる。サラがずっと一緒にいてと、ヴェロニカに訴えかけている。どれだけ時間が経っても、その声がヴェロニカの頭から途切れたことは無い。ヴェロニカはサラの声に応えなければならないのだ。だって、ヴェロニカは今でもサラの(グラディウス)なのだから。


 すると今度はショートヘアで少年っぽい少女が、あきれたように肩をすくめる。

「ホント、お見舞いに来てよかったよ。でなきゃ、ヴェロニカきっと学校(エスクエラ)にたどり着く前に絶対、行き倒れてたよ」


「……!」


 どうして放っておいてくれないのか。どうしてこのまま黙って行かせてくれないのだろう。苛立ちのあまり、ヴェロニカは目の前に立ちはだかる少女たちを、きっとにらみつける。


「どれだけ睨んでも、ここは通さないわよ」


 冷ややかに答えたのは、眼鏡をかけた少女だった。知的さと冷静さを兼ねそなえた少女で、学校(エスクエラ)での成績もいい。教室では休憩時間に、いつも決まって本を読んでいる少女だ。


 すると眼鏡をかけた少女に同調するように、他の少女たちもいっせいに口を開く。

「そうだぞ。このままお前を行かせたら、私たちが怒られる」

「ヴェロニカ、ベッドに戻ったほうがいいぞー!」

「そ、そうだよ。羽交い絞めにしてでも、ベッドに戻すんだから……!」


 少女たちはみなヴェロニカの身を案じて、心から心配してくれているのだろう。その気持ちはよく分かるけれど、それでもヴェロニカは戸口から離れることができなかった。


「でもオレは……オレは、サラを……!」


 サラ――その名を口にした瞬間、少女たちはみな一様に悲しみを浮かべて黙りこんでしまい、ヴェロニカを気遣うような表情になった。ヴェロニカの聖杯(カリフ)であったサラは、第二部隊の黒猫たちの仲間でもあったからだ。


「……」

「ヴェロニカ……」


 誰も言葉を発することができずに、沈痛な空気が漂う中、背の高いポニーテールの少女が、そっとヴェロニカの肩に手を添える。


「今は治療に専念しろ、ヴェロニカ。回復しなければ魔女討伐にも出撃できないだろう……な?」


「……。ああ……分かった」


 ヴェロニカはなおも渋っていたけれど、小さくため息をつくと、その言葉に従ってベッドに戻った。このまま戸口で粘っていても、黒猫たちはヴェロニカを通してくれそうにないし、何よりヴェロニカ自身が痛みでこれ以上、立ってはいられなかったからだ。


 ヴェロニカがベッドに戻ると、第二部隊の仲間たちはどこかホッとしたような顔をして、口々に励ましや慰めの言葉をかけてくれたけれど、どの言葉もヴェロニカの耳には届いてはいなかった。


(オレの聖杯(カリフ)は、サラだけだ。これまでも、これからも……!)


 レティシアがヴェロニカの新たな聖杯(カリフ)にと連れてきたのは、東方人だった。そのこと自体は別に嫌ではない。デュシスでは東方人は珍しいけれど、まったく存在しないわけではないし、サラだって東方交じりの顔立ちをしていた。おそらく両親のどちらかが東方の血を引いていたのだろう。


 ただ、ヴェロニカの聖杯(カリフ)はサラただ一人なのだ。サラ以外の聖杯(カリフ)なんてとても考えられないし、サラがいなくなったからと言って、代わりの誰かを聖杯(カリフ)にする気にもなれない。


 それほど、(グラディウス)聖杯(カリフ)の絆は特別なものなのだから。


(何があってもオレはサラを裏切らない……待っていてくれ、サラ。オレはきっと……きっとお前のそばに……!)


 第二部隊の黒猫たちが病室を後にしてからも、ヴェロニカは一人、そんなことを熱に浮かされたように考え続けていた。


 そして、右手に嵌めた指輪を左手でぎゅっと包みこんだのだった。

 

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