第三十八話 お茶会《ティーパーティ》
やがて午前の授業が終了し、昼休憩の時間がやって来る。慌ただしく課題を提出した七緒がいつもの待ち合わせの場所に向かうと、ヴェロニカとティナは先に来て七緒を待っていた。
「ティナ、それからヴェロニカ。お待たせ」
「ナナオ、遅かったな。何かあったのか?」
「課題の提出にちょっと手間取ってしまって……でも、ちゃんと終わらせたから大丈夫」
七緒が気恥ずかしさを覚えつつ答えると、ヴェロニカは「そうか、大変だったな」と励ましてくれた。今日、ヴェロニカに会うのはこれが初めて。毎日顔を合わせているはずなのに、彼女の笑顔を見るたび七緒はくすぐったい気持ちになる。ティナを見ると小型の救急箱を提げていた。
「その救急セット……リーラの包帯を変えるため?」
「リーラはだいぶ回復しているから、新しい包帯は必要ないかもしれない。それでも念のためだ」
「そう……」
別れを予感しているからか、ティナは少し寂しそうだった。リーラの回復は嬉しいけれど、ティナの心境を知っているだけに素直に喜ぶ気にはなれない。
それにしてもベッキーは遅い。待ち合わせの時間はとっくに過ぎている。いつもは真っ先に待ち合わせ場所にやってきて、みなを待っているくらいなのに。ヴェロニカも不思議に思ったらしく、周りを見回した。
「それにしてもベッキーは遅いな。何をしているんだ?」
「……」
七緒は今朝のベッキーの様子を思い出す。ベッキーはティナの本心を知ってひどく動揺していた。ベッキーは純粋で天真爛漫なぶん、ティナに信頼されてないと憤ったり、もしくは裏切られたと感じてしまったのかもしれない。彼女の悔しげに歪んだ顔を思い出すと、悪い予感がむくむくと沸き上がって七緒の胸を締めつける。
(ベッキー……ひょっとしたら今日は来ないつもりなんじゃ……?)
七緒が不安を抱いた時だった。向かいの校舎の一階廊下、その柱と柱の間に、ひょっこりとベッキーが姿を見せた。特徴的なピンク色の髪がぴょんと元気に撥ねたかと思うと、真っ直ぐにこちらに走ってくる。
満面の笑顔を浮かべ、七緒たちにブンブンと大きく手を振りながら、「おおーい!」と声を上げるベッキーは、よく見ると片手に大きなバスケットを提げていた。上半分がハンカチで覆われたバスケットを傾けないよう、息を切らしている。ようやく遅れて到着したベッキーに、ティナはさっそくお小言を言う。
「遅いぞ、ベッキー!」
「ゴメンなのだ! ベッキー、いろいろ用意してた!」
そう言い訳するベッキーに、七緒とヴェロニカは揃って首を傾げる。
「用意……?」
「用意って何をだ?」
「へへん、それはお楽しみなんだぞ!」
そう言うとベッキーはどこか得意そうに笑った。ベッキーはいつも通り元気いっぱいで、まるで太陽みたいな明るい。ちっとも怒っていないどころか、逆に上機嫌なくらいだ。あれこれ心配して気を揉んでいた七緒は、すっかり拍子抜けしてしまう。
朝はあんなにショックを受けていたのに、ベッキーの胸中にどんな変化があったのだろう。七緒は戸惑うばかりだ。
(ベッキー……もう怒ってないのかな? 『用意』って何のことだろう……?)
気にはなったものの、ともかく四人でリーラのところへ向かうことにした。ぐずぐずしていたら、あっという間に休憩時間は終わってしまう。医院の前を通り過ぎ、学校の裏手に回る間もベッキーは終始、ご機嫌だった。七緒はバスケットの中身について尋ねたけれど、ベッキーは内緒だと言ってなかなか明かしてくれない。
やがて森の奥にあるモクレンの木のふもとに到着した。リーラに出会った頃は見事に咲き誇っていたモクレンの花も、そろそろ散りはじめている。その下でリーラはお行儀よくちょこんと座り、七緒たちを待っていた。
ティナはまず救急箱を脇に置き、リーラの足に巻いた包帯を解いて傷の具合を確認した。リーラの足の怪我はほとんど治って、白い毛もきれいに生えそろっているし、指摘されなければ傷跡も分からない。
「リーラの怪我、すっかり良くなったみたいだな」
身を屈めてリーラの足元を覗き込むヴェロニカに、ティナも安堵したように頷いた。
「この様子なら新しい包帯は必要なさそうだ!」
「そう……! 良かったね、リーラ!」
「にゃううん!」
七緒の言葉にひと声鳴くと、リーラはティナの手に身をすり寄せた。リーラの言葉が分からない七緒でも、ティナにお礼を言っているのだと伝わってくる。けれどティナはリーラの声を聞き、はっと息を飲んだ後、悲しげな表情をするのだった。
「……! ……そっか……そうだよな。うん、分かった」
急に表情を暗くするティナに、みなが眉根を寄せた。リーラは何と言ったのだろうと、ヴェロニカがティナを問いただす。
「どうしたんだ? リーラは何て?」
「足の怪我が治ったから、もうそろそろ行かなきゃって。リーラは近々、雨が降るって言ってる。雨に濡れて風邪を引いたら、また私たちに迷惑をかけてしまう。だから、雨が降る前に南の温かいところまで行くつもりだって」
「ティナ……」
七緒ははっと息を呑んだ。来るべき時が来てしまったのだ。つまり、リーラとのお別れの時が。
オラシオンでは動物を飼うことはできない。こうして隠れて猫に餌を与えていることがレイヴンやサーパントにばれたら、きつく叱られるだろう。七緒たちはリーラが見つかった時点で追い出さなければならなかったのだ。たとえリーラがどれだけひどい傷を負っていたとしても。
けれどティナは優しいから、怪我で動けなくなり、お腹を空かせている子猫を見つけたら、放っておくなんてできなかったのだ。七緒もリーラと仲良くなれて、とても楽しかった。ここ最近は、昼休憩が来るのが待ち遠しくて仕方なかったくらいだ。
リーラのおかげでティナやベッキーとも仲良くなれたし、ヴェロニカと絆を深めることもできた。リーラのためにも、七緒たちにとっても、ここでお別れするのが最善なのだろう。
(それは分かっている。分かっているけれど……)
みながショックのあまり言葉を失う中、ティナは慌てて明るい声を振り絞る。
「いいんだ! いずれはお別れするって最初から分かっていたんだから。ちょっと淋しいけど……リーラが幸せならそれでいいんだ!」
「……そうだな。オレたちは淋しくなるけど……リーラのためにはその方がいいんだよな」
ヴェロニカはそう答えつつも、リーラの旅立ちを心から喜んでいる風ではなかった。それは七緒も同じだ。ティナの心境を考えれば、とても無邪気に祝福する気にはなれない。
重々しい空気に包まれる中、それを振り払うかのようにベッキーが溌剌とした声で言った。
「みんな、何をしょんぼりしているんだ? 確かにお別れは淋しいし辛い。ベッキーもお別れは大嫌いだ! でも……避けられないお別れなら、せめて最後は楽しくしよう! 一緒にいられなくなるとしても、思い出を残すことはできるんだから!」
「ベッキー……」
ベッキーはそう言うとバスケットを取り出して、上に被せていたハンカチを取り払う。そこに入っていたのは見慣れた食堂のフードボックスが二つと水筒、そして携帯用のティーカップだ。
「ベッキー、食堂でデザートのクッキーをもらって来たんだぞ! 今日はみんなでリーラのお別れパーティーだ!」
「お別れパーティー……」
ベッキーがそんな事を考えているとは思いも寄らなかったのだろう。ティナはあっけに取られてベッキーの言葉を繰り返す。そんなティナを尻目にベッキーは「じゃーん!」と言ってフードボックスを開いた。中には様々なトッピングのクッキーが詰めてあって、甘い香りがふわりと漂ってきた。
「わあ、美味しそう……!」
お菓子の詰め合わせは見ているだけで心がわくわくしてしまう。七緒が目を輝かせていると、隣に立つヴェロニカが苦笑を漏らした。
「さっきお昼を食べたばかりだぞ」
するとベッキーが「甘いものはベツバラなのだ!」と言って、にかっと笑う。
「そんな事を言って、あまり食べ過ぎるなよ、ベッキー。体重が増えると空を飛べなくなっちゃうぞ。午後も眠たくなっちゃうし」
「ティナは細かいこと気にしすぎなんだ! 今日は無礼講なんだぞ!」
「無礼講はちょっと意味が違うと思うけど……フルーツがあるのはリーラのため?」
苦笑しつつ七緒はベッキーに尋ねる。もう一つのフードボックスはリンゴや桃といった果物の詰め合わせだ。
「リーラはお菓子より果物のほうが良いかと思って」
「リーラも果物が好きだって言ってる。ありがとな、ベッキー」
「へへ……! ベッキーもやるときはやるんだぞ!」
ティナからの感謝の言葉に、ベッキーはどこか得意げに人差し指で鼻先をこすった。こすりすぎてスモモのように真っ赤になったベッキーの鼻の頭を見て、ティナは呆れたような顔をするけれど、心の底から嬉しそうだ。
リーラとの突然の別れにショックを受け、それでも悲しみを表には出すまいと気丈に振舞っていたティナ。そんなティナが、今は無理のない自然な笑顔を浮かべている。
七緒も内心、ひどく驚いていた。まさかベッキーがこんなサプライズを用意しているなんて。七緒は朝の出来事を知っていたから、ベッキーはてっきり腹を立てているものとばかり思っていた。
(きっと……ベッキーはいろいろ考えたのね。自分のことだけじゃなくて、ティナにとって何をしたらいいのか一生懸命に考えたんだ。ベッキーはちょっと子供っぽいところもあるけど、彼女なりにティナを大切に思ってる。ベッキーにとって聖杯はティナしかいないし、ティナの剣もベッキー以外にはあり得ないんだ)
そう思うと七緒も温かい気持ちになる。いくら仲の良い黒猫のパートナーだって、互いにすれ違ったり喧嘩をすることもある。でもそれで終わりじゃない。たとえ絆が千切れたとしても、何度だって結び直すことはできるのだから。
それからリーラを囲んで『お茶会』を開くことになった。ベッキーが用意してくれた水筒には良い香りのする紅茶が淹れてあり、七緒はそれを携帯用ティーカップに注ぎ分け、みなに配った。お昼ご飯の後でそんなにたくさんは食べられないけれど、量は問題じゃない。みんなで楽しい時間を過ごすことに意味があるのだから。
七緒にとってデュシスの菓子は新鮮で目新しく、とてもおいしい。ベッキーの持ってきてくれたクッキーも甘くてサクサクだ。おまけに生地にはナッツやドライフルーツが混ぜ込んであって風味も良い。似たようなものは和国にもあるけれど、とても高価なので滅多に食べることのできない贅沢品だ。
つい調子に乗ってクッキーを三枚も食べてしまった七緒に、ヴェロニカとティナは驚いて目を丸くする。それに気づいた七緒は真っ赤になる。ヴェロニカは意外そうに笑った。
「ナナオはクッキーが好きなのか? 知らなかったな」
「ごめんなさい。珍しくてつい……!」
「謝ることはないぞ! クッキーを喜んでくれてベッキーはとっても嬉しいぞ!」
そう言って豪快に笑うベッキーも結構な枚数を食べている。ティナはというと、リーラの背中を撫でながら果物を勧めている。
「ほら、桃だぞ、リーラ。遠慮しないでしっかり食べるんだぞ。これからいっぱい歩かなきゃいけないんだから」
「にゃあーん!」
リーラはピンクの鼻をひくひくさせ、ティナの手にある桃の切れ端をぱくりと食べた。リーラはみんなと仲が良いけれど、ティナに一番懐いている。その証拠に、リーラが手に乗せたご飯を直接食べるのはティナの時だけだ。
「リーラは何て言ってるんだ、ティナ?」と尋ねるヴェロニカ。
「遠くに行っても私たちのこと絶対に忘れないって言ってるぞ。とても感謝している、ありがとうって」
「そっか、オレのことも忘れずにいてくれるかな?」
「うにゃ!」
「『仕方がない、覚えておいてやろう』だって!」
ティナの翻訳を聞いて、ヴェロニカは一瞬ポカンとしたものの、すぐに顔をほころばせた。
「あはは! オレもリーラのこと絶対に忘れない。すっと覚えておく!」
「私も忘れないよ、リーラ。あなたと過ごした時間、とても楽しかった」
七緒も思わず笑みをこぼす。ベッキーもティナもみなが笑顔だ。はずむお喋り、あたりに漂う紅茶と甘いクッキーの幸せな香り。重なり合った木々の枝からは抜けるような青空がのぞき、爽やかな日の光が差し込んでくる。
時おり、モクレンの白い花びらがはらりと落ちてきて、リーラが元気よく猫パンチを繰り出す。ベッキーも一緒になってモクレンの花びらを拾い、ティナが呆れてお小言を言い、七緒とヴェロニカが声をたてて笑う。
そんな忘れられない『お茶会』だった。




