第三十七話 一難去ってまた一難
それからというもの、お昼の休憩時間は学校の裏手に広がる森の中の、モクレンの木の下に集まるのが四人の習慣になった。
ベッキーも自他ともに認める大の猫好きとあって、あっという間にリーラと仲良くなった。隠し事が無くなったせいか、ベッキーとティナの間にあったわだかまりも、雪のように溶けて無くなりつつある。もともと二人は幼馴染だから、喧嘩の後の仲直りの仕方もよく分かっているのだろう。
ヴェロニカもリーラに子分扱いされながらも、七緒と一緒に食堂でご飯を選んだり、ブラシで毛を梳いてあげたりして、リーラを可愛がっている。
ヴェロニカの雰囲気もずいぶん穏やかになった。最初に会った頃の、何かに追いつめられて、張りつめたような険しさは、ほとんど残っていない。たくさん笑うようになったし、七緒にも優しく接してくれる。ヴェロニカの笑顔を目にするたび、七緒の心もじんわりと温かくなり、幸せな気持ちに包まれる。
ヴェロニカに隠し事をするのは辛かったけれど、リーラのおかげでヴェロニカと楽しい時間を過ごせるのは嬉しい。ティナとベッキー、そして七緒とヴェロニカ。いつまでもこの楽しい時間が続けばいいのに。七緒はそう願わずにはいられない。
そうして六日目を迎えた朝、自室で目を覚ました七緒は身支度を整えると、教材を提げて寮を出発し、一時限目の授業に間に合うよう学校の廊下を歩いていた。
まだ時間が早いせいか、静謐な空気に包まれた廊下はひと気が少なく、灰色の制服を身にまとった少女たちの姿がまばらに見えるだけだ。淡くて白い朝の光が黒猫たちの姿を照らし、床に濃い影を描いてる。
ふと廊下の先を歩いているティナを見つけた七緒は、さっそく駆け寄って声をかけた。
「ティナ!」
「ナナオ……? ずいぶんと早いんだな」
「ふふ、ティナもね。おはよう」
「おはよ」
ティナはわずかに微笑んだ。もともとティナは表情に乏しいけれど、いつもより顔が強張っているように見える。その理由を敏感に察した七緒は、少しためらいつつも口を開いた。
「……今夜は魔女討伐の日だね」
「ああ、そうだな」
「……どう? ベッキーと接続できそう?」
「……正直に言って、あまり自信はない。うまくいきそうな気もするけど……確信が持てないんだ」
そう言ってティナは顔を曇らせた。七緒もヴェロニカとなかなか接続ができなかった経験があるから、ティナの気持ちがよく分かる。
「そっか……二人ならきっとうまくいくと思うな。ベッキーとティナがいなかったら魔女討伐も大変になるし、第二部隊のみんなも寂しがるよ。もちろん私だって……」
「うん……頑張る」
一生懸命に励まそうとする七緒の気持ちが通じたのか、ティナもようやく笑顔を見せる。
「そういえば……リーラのことだけど」
七緒は周囲を見渡し、人がいないことを確認してから小声で切り出した。
「最近、すごく元気になったように見えるんだけど……」
昨日もリーラはベッキーの遊んでいた猫じゃらしを追って、生き生きと跳ねまわっていた。七緒と出会った時には飛んだり跳ねたりもせず、子猫にしては大人しいくらい慎重に動いていたのに、今では元気を持て余しているくらいだ。
七緒の指摘にティナは小さく目を瞠る。
「ナナオは鋭いな。リーラの足の傷はほとんど塞がって、すっかり元通りだ」
「良かったね……ティナはリーラのお世話を熱心にしてたから嬉しいでしょう?」
「ああ、とても嬉しい。……基本的にはな」
「基本的には?」
「怪我が治ったらリーラはきっとオラシオンを離れる。オラシオンは動物禁止だし、ここは猫が生きていけるような環境じゃない。ただ……私は納得しているけど、ベッキーは嫌がるんじゃないかと思って」
「ベッキーもリーラをすごく可愛がっているもんね……」
「私はベッキーには傷ついて欲しくない。どうしたらいいのか……それで悩んでいるんだ」
ティナの表情は複雑そうだ。リーラの回復は嬉しいけれど、それはリーラとの別れが近づいていることを意味している。ポムとのお別れですらあれほどショックを受けていたベッキーが、リーラとのお別れに耐えられるだろうか。
自分だってリーラとのお別れは辛いのに、ティナはベッキーのことを何より案じている。
「……。ティナはいつもベッキーのことを考えているんだね」
するとティナはこくりと頷く。
「私はベッキーの聖杯だからな」
「そんなの当然だ」と言わんばかりのティナの言葉の強さに、七緒ははっとする。ティナはまだ接続をあきらめていない。ベッキーの聖杯でいたいと思っているし、ベッキーの他に剣はいないと思っている。ティナは感情が分かりやすいタイプではないけれど、彼女の言葉から「こんなところで終わらせない」という意思がはっきりと感じられる。
(この二人ならきっと大丈夫……そんな予感がする。だって二人はこんなにも想い合っているんだもの……!)
そうであって欲しいと七緒は強く思った。かつてアーテルは言った。『願いの強さは魔法の強さ』だと。ただ心がすれ違ってしまっただけで、これほど互いが必要だと願っているティナとベッキーが接続できないはずがないのだから。
そこへ第二部隊の黒猫がやってきた。ロビンとクロエ、そしてノエルとコーデリアだ。ロビンとクロエ、コーデリアとノエルはそれぞれ剣と聖杯であるため、ともに行動することが多い。
「ナナオ、ティナ。おはよう」
「おっはよ~!」
「ごきげんよう、お二人とも」
ロビンに続いて大きく手を振るノエル。コーデリアは気品に満ちた仕草で挨拶の言葉を口にする。
「おはよう、みんな」
「おはよー」
七緒とティナも口を揃えて挨拶を返すけれど、クロエは相変わらず七緒とは目を合わせようとしない。オラシオンにはたくさんの黒猫がいるから、気の合わない黒猫がいても仕方ないのかもしれない。悲しいけれど、七緒はあまり気にしないようにしていた。
近くまでくると、ロビンは興味深げに七緒とティナを見くらべる。彼女は背が高く、性格もしっかりしているからか、七緒と年齢は変わらないはずなのに年上のお姉さんに見えてくるから不思議だ。
「最近、ティナとナナオは妙に仲良くしているな。隠れて何をこそこそやっているんだ?」
「そ、それは……」
七緒が目を泳がせていると、ティナがすかさず助け舟を出してくれた。
「悪いけどナイショだ。たとえ第二部隊の仲間でも明かせないことなんだ」
「おやおや、それはさびしいな」
ロビンは笑って肩を竦めただけだったのに、ノエルは興味をかき立てられたらしく、ワクワクしながら身を乗り出してくる。
「なになに何なの~⁉ 逆にメッチャ気になっちゃうじゃん! ヒントだけでも教えてよ~!」
しかし、ティナは両腕でバツ印をつくると断固拒否の姿勢を取る。
「駄目なものは駄目だ。絶対に内緒なんだ!」
「何だよ、ケチ~‼」
不満げに唇を尖らせるノエルを、コーデリアは呆れて横からたしなめる。
「およしなさい、ノエル。下品ですわよ。人が隠したがっている事情をあれこれ詮索するだなんて。ナナオやティナが困っているのが目に入らないのかしら?」
「むうう……へいへい、コーデリアにくらべれば、どうせ僕はお下品な庶民ですよ~だ!」
そう言ってノエルがべっと舌を出すと、コーデリアは「何てはしたない」とますます眉を吊り上げる。そんな二人の様子がおかしくて、みなどっと笑う。
コーデリアとノエルは貴族と平民で身分も違えば、性格にいたってはまるで正反対だ。一見すると水と油のようなノエルとコーデリアだけど、二人の絆は強く、第二部隊の中でも一、二を争うほどの実力を秘めている。あれほど何もかも違うのに、なぜか二人は気が合うから不思議だ。七緒とヴェロニカも、あの二人みたいに最高のパートナーになれたらいいのに、と思ってしまう。
そんな会話で盛り上がっていると、学校の中心にそびえる時計塔に目をやったクロエが、眼鏡を押し上げながら口を開く。
「どちらでもいいけれど、そろそろ移動しないと講義に遅れてしまうわよ」
七緒たちの周囲を歩く黒猫たちもにわかに増えてきた。どこか慌ただしい足取りで通り過ぎていくのは、講義に遅れまいと急いでいるのだろう。
「それは一大事だ。一時限目の数学の講義は、一秒でも遅刻すると罰としてみんなの前で問題を解かされるからな」
ロビンは冗談交じりにおどけてみせるけれど、ノエルは最悪とばかりに頭を抱えて悲鳴を上げる。
「あ~、そうだった! 遅れたら地獄だ! ティナもこれから数学の講義でしょ? 僕たちと一緒に行こう!」
「分かった……ナナオ、またあとでな」
「うん」
小さく手を振るティナに七緒も手を振り返した。
「コーデリアもまたあとでね!」
ノエルは先ほどまで睨み合っていたのが嘘のように、笑顔でコーデリアに声をかける。彼女は何事も引きずらない性格なのだ。
「早くお行きなさいな。急ぐと転んでしまいますわよ」
「もう、僕はそんなに子どもじゃないよ! ……って、うわあ⁉」
言ったそばから派手につまづくノエルを支えようと、クロエが慌てて手を差し伸べる。
「ちょっとノエル、大丈夫?」
「わーん、足が折れるかと思った~!」
「ノエルは大袈裟だな」と駆け足で横を通り過ぎるティナに続いて、「さあ、急ごう!」とロビンもノエルの背中を叩く。
そうしてロビンとクロエ、ノエル、ティナの四人はバタバタと大騒ぎしながら行ってしまった。
まるで嵐みたいだと、七緒はぽかんと立ちつくしてしまう。その隣でコーデリアは呆れ顔になってノエルを見送ると、肩にかかった金髪を優雅に払った。
「まったく……我が聖杯ながら騒がしいこと。ところで……ナナオは何の講義を受ける予定ですの?」
「私は一時限目、魔法学なの」
「あらそう。……どう? 授業は慣れまして?」
「まだ余裕があるわけじゃないけど……どうにかついていけてる。心配してくれてありがとう、コーデリア」
七緒が微笑むと、コーデリアは「む…」と言葉を詰まらせて小さく咳払いをした。頬が赤くなったところを見ると、気分を害したというより、たんに照れ隠しなのだろう。
「べ、別に心配だなんて……まあ、上手くやっているようで安心しましたわ。あなた、どうにも鈍くさくて要領が悪いのですもの。ちなみにわたくし、次は古典文学の授業ですの。そろそろ急がなければ……これで失礼しますわね」
「うん、頑張ってね」
そう言って向日葵色の髪を揺らしながら身を翻すと、コーデリアも去っていく。
(私も講義室へ向かわなきゃ。ヴェロニカに会えるかと思ったけど……今朝は別の校舎にいるのかな)
七緒はヴェロニカの姿を探して周囲をきょろきょろと見回した。大勢の黒猫たちが行き交う学校の廊下にヴェロニカかいるのではと期待したけれど、どうやら当てが外れたらしく、七緒はがっかりしてしまう。少しでも会って話しができればよかったのに。
そう思いつつ真後ろを振り返った時。視界に鮮やかなピンクのくせ毛が飛び込んできて、七緒はびっくりしてしまう。ベッキーが黙ったままそこに立っているではないか。
「ベ、ベッキー⁉ いつからそこにいたの⁉」
「……ナナオがティナと話している時からずっと。ベッキーも会話に加わろうと思って追いかけてきた」
「き、気づかなかった……」
「二人を驚かせようと思って、こっそり近づいたからな。おかげで、ティナの本当の気持ちを知ることができた」
「ベッキー……?」
七緒は眉根を寄せた。何だかベッキーの様子が変だ。ひどくショックを受けたように顔をうつむけ、何かに堪えるかのように小さな両肩を震わせている。そして「そうか、そうだったんだな……」と嚙みしめるようにつぶやく。
「ベッキー、ようやく分かったんだぞ。どうしてティナがリーラのことをベッキーに隠したのか。ティナはベッキーを悲しませるのが嫌だったんだな。ベッキーがリーラとのお別れに傷つくと思って……」
「あ……あのね、ベッキー。ティナはただベッキーを守りたいと思って……」
七緒が慌てて口を開くと、ベッキーははじかれたように顔を上げた。
「そんなの知ってるんだぞ! ティナが優しいことも、何だかんだベッキーのことを考えてることもベッキーは知ってる……! でも、ベッキーだって……ベッキーだって! ティナの剣はベッキーなんだぞ‼」
両手を握りしめて叫ぶや否や、ベッキーは踵を返し、七緒が声をかける暇さえなく、一目散に走り去ってしまった。
「ベ……ベッキー!」
ベッキーを追いかけようとして、七緒は気づいてしまった。ベッキーの瞳に大粒の涙が浮かんでいることに。
ベッキーはティナが自分を傷つけまいと隠し事をしたのだと知って、悔やんでいるのだろうか。それともティナの気持ちに気づけなかった自分を責めているのだろうか。
ただひとつ明らかなのは、ティナとベッキーの関係に暗雲が漂いはじめていることだ。今夜は魔女討伐が控えている。そこで接続できなければ、二人はどうなってしまうのだろう。
(ティナとベッキー、順調に仲直りしていると思ったのに……まさかこんなことになってしまうなんて。今夜の魔女討伐、大丈夫かな……?)
しかし、どれだけ不安があろうと魔女は決まった日の晩に必ず姿をあらわす。黒猫たちの事情で変更もできないし、待ってもくれない。それが分かっているだけに、七緒はヤキモキしながら講義に向かうのだった。




