第三十六話 不調の原因
次の日、何が接続の妨げになっているのか検査し、その原因を探るため、ティナとベッキーは揃って医院へ赴くことになった。
七緒とヴェロニカはそんな二人の付き添いを願い出た。七緒がベッキーやティナのことをあんまり心配するので、ヴェロニカも付き合うと言ってくれたのだ。
まず剣と聖杯、それぞれが検査を受けてから、レイヴン・レティシアがオウルの診断を仰ぐそうだ。最初にベッキーが医務室へ入っていき、次にベッキーと交替でティナが医務室に入っていく。
検査が終わるまでの間、七緒とヴェロニカは廊下で待つことになったけれど、医院の真っ白な廊下は七緒たちのほかにはひと気もなく、しんと静まり返っている。
やがて医務室から出てきたベッキーはひと言も発することなく、廊下の長椅子の端に力なく座りこむ。いつもの溌剌さは影も形も無くて、琥珀色の瞳も輝きを失って、暗く沈みきっている。
(ベッキー……本当に大丈夫かな……)
心配になった七緒はベッキーのそばに腰を下ろした。ヴェロニカは立ったまま壁に背を預け、長椅子に座ったベッキーと七緒を見守っている。
「ベッキー、どうだった? 接続できない理由は何か分かったの?」
七緒が慎重に尋ねると、ベッキーはゆるゆると首を振った。
「何も……オウルは身体には何も異常がないって言ってたぞ。たぶん……メンタル的なものが原因だろうって」
オウルというのは黒猫の健康管理や治療に当たる医師のことだ。オラシオンにいるオウルは主に黒猫の体調管理をしているけれど、王都にある研究所――王立魔術研究所《アルス=マグナ》のオウルは魔女の謎を解明する研究をしており、その研究結果は魔女討伐を支える一助にもなっているらしい。
そのオウルの知識を以ってしても、ベッキーとティナが接続できない原因を解き明かすことができないなんて。七緒もベッキーと同様、途方に暮れるしかなかった。
「そうなの……」
精神的な不調が原因というなら、二人が接続できない理由は一つしか考えられない。リーラをめぐってティナとベッキーの間に軋轢が生まれてしまったことだ。事情を知っている七緒はともかく、何も知らないベッキーよほどショックだったのだろう。肩を小刻みに震わせて、涙声を滲ませながらしゃくりを上げる。
「ティナはベッキーのこと嫌になったんだ……。ベッキーがいつまでも子どもだから……ベッキーが頼りない剣だから!」
「そ、そんなことないよ!」
七緒は何とか宥めようとするけれど、ベッキーは小さく頭を振る。
「無理に慰めなくてもいいんだ。ベッキーは幼馴染だから……ティナが何を考えているか分かる。ティナはベッキーのことが鬱陶しくて、うるさくて、面倒くさい奴だと思ってるんだ。周りからもそう言われるし……自分でも分かってる。でも、ティナはベッキーの聖杯だから、仕方なく我慢してるんだ。村が焼かれた時もベッキーは何もできなくて……ティナに迷惑かけてばかりだった……!」
そう言いながら、ベッキーの大きな瞳にも大粒の涙が浮かぶ。
「ベッキーはティナの剣だからずっと一緒にいられたのに……接続できなくなったらベッキーどうなる? ベッキーは鬱陶しいだけの要らない奴になってしまう……‼」
ベッキーはとうとうボロボロと泣き出してしまった。いつも明るいベッキーが人目も憚らずに泣くなんて。七緒は何と声をかけて良いか分からず、すっかり困り果ててしまう。
こういう時、どうやってベッキーを励ましたらいいのだろう。対人関係の経験値が低い七緒は悩んだ挙句、助けを求めてヴェロニカへ視線を向けた。
すると、ヴェロニカも当惑した表情をしていた。ヴェロニカはそもそも詳しい経緯を何ひとつ知らないのだから、どうすることもできないし、おそらく七緒以上に困り果てているはずだ。
(ヴェロニカに頼りっぱなしは駄目……私がしっかりしなきゃ!)
七緒は意を決してベッキーのほうを向く。
「あのね、ベッキー。私はベッキーほど長い時間、ティナと一緒にいるわけじゃないし、ベッキーみたいにティナのことをよく知っているわけじゃないけど、ティナはベッキーを大事にしてると思う。……ベッキーのことを鬱陶しいとか面倒くさいだとか……ティナはそんなこと言う子じゃないって私は知ってるよ。ベッキーも……本当は分かっているんでしょ?」
「ナナオ……」
「ティナが隠し事をするのは、それがベッキーのためだと考えたからじゃないかな。ティナはベッキーのことが大切だからこそ、秘密にすることを選んだと思うの。……ベッキーは? ベッキーはティナのことをどう思ってる?」
「ベッキーは……ベッキーは……!」
その時医務室の扉が開いて、ベッキーと同じくらい気落ちしたティナと、付き添いのレイヴン・レティシアが廊下へ姿をあらわした。
「ティナ!」
ベッキーは思わず声をかけるけれど、ティナはどことなく気まずそうに視線を伏せる。それに気づいたベッキーはショックを受けたように唇を噛んだ。
一方、レイヴン・レティシアはベッキーとティナへ交互に視線を向けながら告げる。
「今、オウルと話をしてきたわ。ティナにもベッキーにも身体の不調は見当たらない。ベッキー=ティナ組の不調の原因は、精神的なものである可能性が高いそうよ」
それを聞いたベッキーとティナは、まるで叱られた子どものように、びくりと肩を竦める。
「うう……」
「……」
「どうやら二人とも何か心当たりがあるようね? まったく……何か問題を抱えているなら早く解決してしまいなさい。あなた達は剣と聖杯なのよ? 簡単には代わりが見つからない……それは知っているでしょう? 互いに良好な関係を築くよう努力する、それも黒猫の務めよ」
「……はい」
「わ、分かってるぞ! でも……」
ベッキーとティナは互いに互いの顔をちらりと見る。しかしいざ視線が合うと揃ってバツの悪そうな表情をして、目を逸らしてしまう。レティシアは呆れ顔で両手を腰にやった。
「もう……早く仲直りしてしまいなさい。あなた達、あんなに仲が良かったじゃないの。もし仲直りできないまま……接続できなくなった黒猫がどうなるか、あなた達も知らないわけではないでしょう?」
「……‼」
それまで面倒見の良い先生のようだったレティシアの声音が、一転して低く、警告するような響きを帯びる。それを聞いたティナとベッキーも顔を強張らせた。
七緒も聞いたことがある。接続できない黒猫は、魔女討伐という崇高な使命をまっとうする気がないと見みなされて、オラシオンから追放されるのだと。
黒猫の魔法は特別だ。特別な力を持つ者には、特別な役割がある。オラシオンでの快適な生活は、その役割を果たした対価であり、役割を果たせないのであれば当然、オラシオンから退去を求められる。その黒猫がいくら強い魔法を秘めていようともだ。
七緒も和国を追放されるような形でデュシスに来たから、オラシオン以外に身を寄せる場所がない。だから、オラシオンにいられるかどうかはまさに死活問題だ。
それはティナやベッキーにとっても同じだろう。二人はオラシオンに来る前、帰るべき故郷や家族を失って孤児となり、デュシスを彷徨っていたと言っていた。オラシオンを追い出されたら行く当てがない。そんな二人にとって、接続できるか否かは切実な問題だ。
「……幸い、次の魔女討伐までは時間があるわ。日々の訓練もある事だし、まだ十分に間に合う。だから諦めないで。次回の魔女討伐までにしっかり調整して、接続できるようにしておきましょう。……いいわね?」
「……はい」
「わ……分かった」
しぶしぶ頷くティナとベッキーにレティシアは心配そうに眉根を寄せるものの、それ以上は何も告げることなく、医院を後にするのだった。
静まり返った医院の廊下に残されたのは、七緒とヴェロニカ、そして気まずげなティナとベッキーの四人のみだ。
「ベ……ベッキーは別に悪くないんだぞ……」
沈黙に耐えられなくなったのか、ベッキーはぽつりと言った。しかしどうにも、もごもごとして歯切れが悪い。ティナのほうは頭が冷えたのか、ベッキーよりは冷静だった。
「……そうだな。ベッキーは悪くない」
ベッキーの言い分をあっさりと認めるティナが予想外だったらしく、ベッキーは目を丸くする。
「は……はえ?」
「私がベッキーに隠し事をしていたのは事実だ。理由はどうあれ、それが原因なのは間違いない。だから、今からベッキーにも見せようと思う」
「いいのか? 本当に⁉」
「でも……絶対に秘密は守るって約束するんだぞ。他の誰にも内緒だぞ!」
ティナは人差し指を口元に当てたまま、小声で念押しする。ベッキーはティナが秘密を打ち明けてくれることがよほど嬉しかったのだろう。頬を紅潮させて瞳を輝かせるのだった。
「分かった! 秘密は守る……だな! ベッキー、約束する‼」
「それじゃ、みんなでリーラに会いに行こう」
「リーラ……?」
「ああ、私たちの新しい友達だ」
ティナはその場にいる全員を見渡す。ベッキーや七緒はもちろん、ヴェロニカもだ。それに気づいた七緒は思わず笑顔になった。これで七緒もヴェロニカに隠し事をしなくてもすむ。もっともヴェロニカはいまいち話の流れが見えないらしく、訝しげな顔をしてティナに尋ねる。
「よく分からないけど……俺も一緒に行っていいのか?」
するとティナは笑顔を綻ばせる。
「いいぞ、ナナオにもずいぶん協力してもらったからな。そのお礼だ」
それから七緒たち四人は医院を出ると、学校の裏手に沿って進み、さらに奥にある森の中のモクレンの木を目指した。
神秘的な白い花を咲かせている大樹のふもとには、いつものように白猫のリーラがやってきて、ティナや七緒の到着を待っていた。遠くから見ると、まるでリーラは白モクレンの化身のようだ。お行儀よくちょこんと座るリーラを見た途端、ベッキーは瞳を輝かせる。
「わあ、真っ白だ! かわいい! ベッキー、猫大好き!」
「しーっ! ベッキー、静かに! 大声を出したら他の人に見つかっちゃうだろ!」
ティナに注意され、ベッキーは慌てて口を両手で塞いだ。
「むぐっ……そ、そうだった!」
「リーラ、おいで」
「みゃあん!」
リーラは最初、ベッキーやヴェロニカの登場に戸惑っていたけれど、ティナに名前を呼ばれると嬉しそうに駆け寄ってくる。
「紫水晶みたいにきれいな瞳をしているな。でも……足を怪我している」
足の包帯に気づいたヴェロニカに、七緒は改めて事情を説明する。
「最初にティナが怪我をしているリーラを助けてあげたの。それから毎日、一人でお世話をしてたんだって。そこに私がたまたま鉢合わせて、今度は二人でリーラに会いに来るようになったの」
「最近、ナナオが昼休憩に姿を消すことがあるから気になっていたが、そういう事だったのか」
「ヴェロニカ、気づいていたの?」
「もちろん。オレはナナオの剣だからな」
そう言ってヴェロニカは朗らかに笑った。昼食を一緒に過ごしている間、ヴェロニカが七緒の行動を気にする様子はなかった。てっきり関心が無いのかと思っていたけれど、ヴェロニカはちゃんと七緒を気にかけていたのだと知って、なんだか嬉しくなって七緒は胸の奥がむず痒くなる。
ベッキーは我慢できないとばかりにティナへ尋ねる。
「ティナ、リーラに触ってもいいか?」
リーラはティナの手に頬を摺り寄せてから、じっとベッキーを見つめる。
「リーラはいいって言ってるぞ」
ベッキーは緊張した面持ちでゆっくりとリーラへと手を伸ばした。リーラは嫌がったり逃げ出したり気配はない。ベッキーの指先がリーラの新雪のような白い柔らかな毛並みにそっと触れる。
「うわあ、フワフワ……あったかい!」
途端にベッキーは満面の笑みを浮かべた。よほど興奮したのだろう。琥珀色の瞳が砂金のようにキラキラと煌めく。それを見ていたヴェロニカもリーラに興味を抱いたらしく、身を乗り出した。
「オレも触ってみていいか?」
「みゃあ!」
「あ、リーラの声、ヴェロニカに返事をしたみたい。何て言ってるのかな?」
七緒が尋ねると、ティナは何故だか急に意味ありげな目つきになって、「にしし」と笑う。
「『うむ、苦しゅうない』……だって!」
「……オレの時だけ態度が微妙に違わないか?」
何とも言えない顔をするヴェロニカに、ベッキーもおかしそうに笑う。
「猫は相手のことをよく見ているからな! リーラにとってヴェロニカは子分なんだぞ!」
「そ……そうなのか……」
「ベッキーもリーラの言っていることが分かるの?」
七緒は驚いて尋ねたところ、ベッキーは「ううん」と言って首を横に振る。
「ティナほどじゃないけど、昔可愛がってた猫がいるから、何となく分かる」
ベッキーが昔、可愛がってた猫。それは以前、ティナが話してくれた――七緒が思い出すのと同時に、ベッキーは寂しげな顔をしてつぶやくのだった。
「……何だか、ポムを思い出すな」
「そうだな」
ティナも遠くを見つめるような目をする。
「ポム?」
ただ一人、話について行けずに戸惑ったような顔をするヴェロニカに、七緒はそっと耳打ちをする。
「ティナのベッキーの生まれ故郷の村には、可愛がっていた猫がいたんだって」
「なるほど、その猫の名前がポムという訳か」
ベッキーはしばらくリーラと戯れ、そのふわふわの毛並みを満喫していた。その隣ではティナも身を屈め、同じようにリーラの体を撫でてやっている。リーラはすっかりくつろいだ様子で、仰向けになって寝転がると、二人の手をめがけて猫パンチを繰り出している。
そうしてリーラとじゃれ合っていたベッキーだが、ふと腑に落ちないという顔をしてティナを見つめる。
「リーラのこと、もっと早くに教えてくれても良かったんだぞ。ベッキーが猫好きなこと、ティナも知ってるのに」
「もちろん知ってる。でも……オラシオンは動物禁止だから、リーラの存在を秘密にしないといけなかった」
「そうか……分かった! ベッキーも絶対に秘密を守る!」
ベッキーは真剣な顔で大きく頷くと、その隣でヴェロニカも「わかった」と返事をする。
「オレもリーラのことを悟られないように気をつける。だからナナオと一緒にここへ来てもいいか?」
「にゃあ!」
「リーラは『特別に許可しよう』、だって!」
「はは、ありがたき幸せにございます、女王陛下~!」
そうティナがリーラの言葉を翻訳したところ、ヴェロニカは苦笑しながら肩を竦めると、リーラに向かって、まるで貴人に接する時のようにうやうやしくお辞儀をする。そしてリーラは地面から起き上がって行儀よく座り直すと、ぴんと胸を張って「にゃおおん!」と厳かな返事をしたのだった。
二人のやり取りがなんだか可笑しくて、七緒たちは笑い声を上げずにはいられなかった。




