第三十三話 小さな喧嘩
村が焼かれた記憶はティナにとって今も辛くて悲しい記憶であるのに違いないのに、それでもティナが笑うことができるのは、きっとベッキーがいたからだ。二人は幼いながらも手を取り合い、いろんな苦難を乗り越えてきたのだろう。
「ティナは本当にベッキーと仲良しなんだね」
「仲良しと言うか……もはや腐れ縁だな。物心ついた頃から一緒に育った幼なじみだから」
「幼なじみ……か。何だか羨ましい」
故郷では仲の良い友達はおろか、話しかけてくる同級生もいなかった七緒は想像することしかできないけれど、何でも共有できる相手がいるというのは、毎日がとても楽しいだろうと思うのだ。
ところがティナは意外にも顔をしかめる。
「そうでもないぞ。互いのダメなところや嫌なとこもよく分かってるし、長く一緒にいるとウンザリすることもある。まあ……一緒にいて良かったことや助けられたこともたくさんあるけど」
「それってやっぱり、何だかんだ言って仲が良いんだよ」
「そうでもないぞ! ベッキーの奴、さっきも私がリーラのところへ来ようとしたら、鋭く嗅ぎつけて問い詰めるんだ。いったいどこへ行くつもりなのか、何を隠れてこそこそしてるんだって。いつもは私が何をしていようと構ってこないし、ベッキーのほうが好き勝手にしてるくらいなのに! ちょっと自分勝手だと思わないか⁉」
「それだけティナのことが気になるんだよ。聖杯と剣なんだもの。せっかくだから、ベッキーにもリーラのこと教えてあげたらいいのに」
しかし、ティナは思いのほか頑固だった。
「それは駄目だ! ベッキーは口が軽いし軽率なところがあるから、秘密を守るなんてこと絶対にできない。リーラのことを教えてしまったら最後、あっという間にオラシオン中に広まってしまう。それに……」
「それに?」
尋ね返した七緒の問いに、ティナは「むぐ」と言葉を詰まらせてしまう。普段はあんなに仲が良さそうなのに、ティナはベッキーのことが嫌いなんだろうか。それともベッキーには、リーラのことを秘密にせざるを得ないような特別な理由でもあるのだろうか。
「と……とにかく駄目ったらダメなんだ! 何があってもベッキーには絶対に教えない‼」
ティナの強い口調に驚いたのだろうか。リーラは「にゃあ!」と鳴いてティナの膝の上から飛びあがると、木々の向こうに駆け去ってしまった。七緒とティナは唖然として白い背中を見送る。
「リーラ、行っちゃった……驚かせちゃったかな?」
「うう……。しまった、つい……」
リーラを驚かせるつもりは無かったのだろう。ティナは申し訳なさそうに、しょぼんと肩を落とす。
「仕方ないよ。そろそろ休憩時間も終わりだし、私たちも学校に戻ろう?」
「うん……そうだな。また明日、来てみるよ」
七緒とティナは連れ立って歩き出すと、森を抜けて学校に戻った。午後からは魔女討伐の訓練だから、オラシオンの南側にある訓練場に行って、そこの更衣室で訓練着に着替えなければならないのだけど、まだ時間に余裕があるためか、中庭では黒猫たちがのんびりと寛いでいた。
その中でピンク色の頭をした小さな黒猫がきょろきょろと周囲を見回しながら歩いている。ティナの剣、ベッキーだ。ひょっとしてティナを探しているのだろうか。ティナもすぐにベッキーに気づいたらしく、気まずそうな顔をして立ち止まった。
ベッキーのほうも七緒とティナを見つけるなり、無邪気に笑って駆け寄ってくる。
「ティナ、七緒と一緒にいたのか。ベッキー、探したんだぞ!」
「ベッキー……!」
「ティナ、最近よくいなくなる! 二人でどこへ行っていた?」
「そんなの……ベッキーには関係のないことだ」
ティナはベッキーからつんと顔を背ける。よほどリーラのことを詮索されたくないのだろう。その態度は七緒の目から見ても必要以上にとげとげしく感じられる。ベッキーもカチンときたらしく、唇を尖らせてティナに詰め寄った。
「むう……なぜ隠すんだ? 怪しいぞ! 何か悪いことしてるのか⁉」
「そ、そんなわけないだろ! 何だ、悪いことって⁉」
「だったらなぜ隠す? ベッキーだって二人がどこで何をしてるか知りたいのに!」
「いい加減にしろ! 私にだってその……いろいろ事情があるんだ。何でもベッキーの思い通りになるわけじゃない。ベッキー、ちょっとワガママだぞ!」
「う~……ティナのいじわる! もういい! それならナナオに教えてもらうから!」
「えっ……ええ⁉」
いきなり話の矛先を向けられて慌てる七緒を、ベッキーは期待と信頼を込めた瞳でまっすぐに見上げてくる。
「ナナオはティナと違って親切で優しいから、ベッキーの質問には絶対に答えてくれるはずだ! ……そうだよな、ナナオ?」
「ええと……それは……」
いったいどう答えたらいいのだろう。ベッキーを下手に傷つけたくないけれど、ティナと約束をした以上、リーラの存在を明かすわけにもいかない。
七緒が困り果てていると、横からティナが割り込んできた。
「やめろ、ベッキー! ナナオを困らせるんじゃない! 私はベッキーに何も話さないし、ナナオも話したりなんてしない。ナナオは私と約束しているんだ。絶対に秘密を守るって!」
「むうううううう……何で⁉ 何で二人ばっかり! ズルいんだぞ‼」
「ズルくない! ベッキーの我慢が足りないだけだ!」
完全に頭に血が上ってしまっているのだろう。ティナの口調は、いつも落ち着いている彼女にしてはあり得ないほど乱暴で、是が非でもリーラのことを隠し通すのだという強い意志が感じられた。
ベッキーは一瞬、傷ついたような表情をしたものの、すぐさまドングリを頬張ったリスのように、ほっぺたを目いっぱいに膨らませてティナを睨む。
「教えてくれたっていいのにティナのケチ! バーカ、バーカ! もう知らない‼」
そう叫ぶと、ベッキーは中庭の向こうに走り去ってしまった。
「ティナ……」
本当にこれで良かったのだろうかと七緒は心配になるけれど、ティナは頑なだった。
「……いいんだ。ベッキーがあそこまで怒るとは思わなかったけど……。リーラが元気になってオラシオンを去ったら秘密にする必要はなくなるし、そうなればベッキーとも元通りになる。それまでの辛抱だ」
まるで自分に言い聞かせるようにつぶやくと、ティナはぶかぶか気味の制服の袖に隠れている小さな手をぎゅっと握りしめた。
(ティナはリーラのこと、あくまで隠し通すつもりなんだ。どうしてティナはそこまでしてリーラのことをベッキーに隠すんだろう……?)
ティナとベッキーは仲良しで、いつも一緒にいるし、ちょっとした軽口を言い合うことはあるけれど、喧嘩をしているところは見たことがない。ティナはベッキーを「腐れ縁」だと口にしていたけれど、長年一緒にいる気安さから来る言葉であって、本音では無いことくらい七緒にも分かる。
(このまま元通りになればいいけど……大丈夫かな……?)
何となく嫌な予感がしたけれど、ティナがそう決めた以上、七緒が差し出がましく口を挟むわけにもいかない。沸き上がる胸騒ぎを抑えつつ、七緒はティナと二人で訓練場へ向かうのだった。
ところが七緒の予想通り、二人の関係は元に戻るどころか、ますますこじれてゆく。ベッキーはどうしてもパートナーが何を隠しているのかが気になるらしく、しつこくティナを追いかけて問い詰める。
「ティナ、何を隠してる? 何でベッキーに隠し事をするんだ! ベッキーは剣なのに‼」
「し……しつこいぞ、ベッキー! 私はベッキーの聖杯だけど、だからと言ってベッキーの言いなりになるのはゴメンだ! 私がどこで何をしていようと、ベッキーに逐一報告する義務なんて無いだろ‼」
ベッキーとティナは互いにまったく譲らない。幼なじみという気安さが仇となっているのか、言い争いは次第にヒートアップして、ついには訓練場でベッキーとティナの追いかけっこが始まった。
ところがティナが逃げれば逃げるほどベッキーが追いかけ、ベッキーが追えば追うほどティナも逃げ続ける。まったく埒があかない状況に、とうとうベッキーが癇癪を起した。
「ティナのバカッ! 子どもの頃はいつもベッキーの後をついてきてたくせに! ティナがお化けが怖いって言うから一緒にトイレに行ったこともあるし、ティナが近所の男の子とのケンカに負けて泣いた時も、ベッキーが仕返ししてあげたんだぞ‼」
「いつの話をしてるんだ⁉ 私はもう子どもじゃない! お化けなんて怖くないし、ベッキーがいなくても喧嘩だってできる! ベッキーがいなくても、ぜんぜん平気だ‼」
ベッキーは思いのほかショックを受けたようで、明るい琥珀色の目をいっぱいに見開き、凍りついたように固まってしまう。しかし硬直したのも束の間で、顔を真っ赤にして怒りはじめた。
「うううううう~っ‼ 今度こそベッキーは完全に怒ったぞ! ティナなんかもう知らない! ベッキーだってティナなんかいなくてもへっちゃらだ! そこまで言うなら勝手にすればいい‼」
そんな捨て台詞を残してベッキーは足取りも荒く訓練場の隅に向かうと、ティナに背中を向けたまま一人で準備運動を始めてしまった。
「あ……」
ティナは一瞬だけ追いかけようかと迷う素振りを見せたものの、結局は黙って見送ることにしたらしい。
その様子を見ていた第二部隊の黒猫たちはみな、事情が飲み込めずに呆気に取られるばかりだ。
「……ティナとベッキーはどうしたんだ? 何だか随分と荒れてるな」
ロビンが意外そうに口にすると、クロエは呆れたように肩を竦める。
「見ての通り喧嘩でしょ。……でも珍しいわね。あの二人があんなに揉めるだなんて」
一方、プリシラは怪訝そうな表情だ。
「ヘンね……ついこの間、《王国史》の授業で一緒だった時は普通に仲良しだったのに」
「放っておきなさいな。わたくしたちに何かできるわけでもなし、あの二人が自分たちで仲直りするのを待つ以外にありませんわ」
コーデリアはきっぱりとそう言い切った。いかにも自立を好むコーデリアらしい言い分だけれど、聞き方によっては冷たく感じられる言葉だ。ノエルもそう思ったのか、半眼でコーデリアに突っ込んだ。
「そりゃそうかもだけどさあ……コーデリアの言い方、なーんか冷淡!」
「何を言っているのかしら? 剣と聖杯の問題は当の二人が解決するしかない……それはノエルも分かっているでしょう? 外野がどれだけ心配して手を貸しても、本人たちに関係修復の意思がなければ無意味ですわ。……あなたもそう思いませんこと、ナナオ?」
「う、うん……。そうだよね……」
コーデリアの言わんとすることは七緒もよく分かる。七緒とヴェロニカが互いに関係を築き上げてきたように、ティナとベッキーも自分たちで問題を解決するしかないのだろう。それでも事情を知っている七緒としては、二人のことを放っておく気にはなれないのだった。




